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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人狩りの夜に

作者: フレイル

 満月が厚い雲に覆い隠され地上に淡い光すら届かない真夜中、誰もが寝静まる街の中を息を荒げて一人の女が走り抜けている。本来なら美しいはずの顔は汗で化粧が崩れており、表情は焦りと恐怖に彩られている。


彼女の美しさを際立たせていたはずの華やかな装飾の施された赤いドレスも土埃などに塗れ、女は今にも足を止めてしまいそうなほどの疲労を見せているが、ブロンドの髪を振り乱しながら必死に走り続ける。何故なら、足を止めてしまえば最後、彼女は残酷な死を迎えるのだから。

 

 しかし、現実は非情だ。狭い路地を抜け、広場に着いた女は不幸なことに、履いていたかかとの高いヒールが折れて、地面に転がってしまった。すぐに立ち上がろうとするも、限界を超えて走り続けた足が動くことはなかった。

 もう走ることはできないという事実と迫る死の恐怖に女は泣き崩れ、心の内を絶望へと染め上げていく。転んだ時に大きく擦りむいたのであろう、彼女の露出した素足からは微量ながらも血が流れている。その時、肌を撫で回すような生暖かい風が吹き上げ、彼女の血の香りを周囲へと広げた。女を追う『ソレ』にとっては甘美な香りを。

 

 そして、吹き上げた風は満月を覆い隠していた雲を少しずつ追いやり、月明かりが地上を照らし始める。それに呼応するように『ソレ』は、歓喜の遠吠えを上げる。その遠吠えは、動くことのできない女にとっては死の宣告と同じであり、女は「死にたくない」と喚きながら生に縋ろうと必死に地面を這いずるが、逃げることは叶わない。


 やがて雲が全て晴れ、満月が完全に姿を現すと同時に『ソレ』は姿を明らかにした。『ソレ』は全身に漆黒の体毛を生やし、常人を超えた体躯に、鉄をも切り裂く強靭な爪と人の頭蓋を容易く噛み砕く鋭い牙、闇に光る黄金の瞳。人々は『ソレ』をこう呼ぶ、『ウェアウルフ』または『人狼』と……

 

 人狼は女から漂う恐怖の匂いを鼻孔に感じ取り、嗜虐的な笑みを浮かべると徐々に女へと距離を詰めていく。女は逃れるために後ずさろうとするが、恐怖に支配された体が動くことはない。それでも生に縋りたい女は甲高い声を張り上げ、周囲へ助けを求める。

 

 だが、女の声に応える者はいない。広場の周囲には建物がいくつも立ち並び、どの建物の窓も鉄格子と板で塞がれている。人が居ないわけではない、誰もが干渉しようとしていないのだ。女を助けようと出てしまえば、自分も人狼の餌食となってしまうことを恐れて。


 満月の夜は、人狼の時間。人狼が獲物である人間を狩る、『人狩りの夜』なのだ。人狼には常人は太刀打ちすることはできない。剣も、槍も、弾丸も人狼の毛皮を貫くことはできない。それ故に、満月の夜が近づく度に人々は恐怖に怯え、家に立て籠もり夜が明けるのを待つ。

 

 人狩りの夜に外を出歩いていた者は餌食になっても自業自得なのである。だから、女を助ける者はいない。否、助けることができないのだ。女も今夜が人狩りの夜であることは知っていた。

 

 だから、一人暮らしをしている女は婚約者の家で夜を越すために日が高い内に外へ出ていた。婚約者の家まではそう距離もないためすぐに着くはずだったのだが全身黒尽くめのコート姿の男とすれ違った直後に記憶が途切れ、目が覚めた時には既に夜で見覚えのない路地裏に倒れていたのである。


 そして今、女は人狼の餌になろうとしている。人狼は徐々に女との距離を詰めていき、密着しそうな程近づくと彼女のか細い両肩に爪を食い込ませ、その頭を喰らおうと牙のびっしりと生えた口を開けた。


 (こんなはずじゃなかったのに、来月にはあの人と結婚するのに。嫌だよ。死にたくない。死にたく……)


 その独白を最後に、女の思考は途切れた。人狼は、一瞬のうちに女の頭部を噛み砕くと口内に広がる蕩けるような脳の食感とごりごりとした骨の食感、濃密で甘美な血の味に巨大な体躯を喜びで震わせている。人狼は、人の感情を匂いで敏感に感じ取る能力を有している。そのため、この人狼は獲物を恐怖の感情を限界まで引き出し、それを味わうことをこの上なく楽しみとしていたのである。

 

 頭部を失った首から吹き出す血を全身に浴びながら、人狼はぐちゃぐちゃに噛み砕いた頭をゆっくりと嚥下した。そして、広場にむせ返るような血の匂いを漂わせながら彼は残った体を貪り始めた。


 自分は捕食者、人間は自分を満たすただの獲物でしかない。その認識をずっと持ち続けている彼は自分を害するものなどいないと驕っていた。そして柔らかい女の肉を夢中で貪り、人狼は油断しきっていた。しかし、それは仕方がないことである。人狼を害することなど常人にはできないのだから。そう、『常人』ならば。


「穢れし獣の血を宿す者よ。炎獄に包まれ、灰となれ……」


 静かに、それでいて威厳を纏ったはっきりとした低い声が人狼の耳に届く。声の方向へと首を向けようとした瞬間、彼の足元から炎が吹き上げた。火に包まれた人狼は断末魔を上げる暇さえ無く、その姿を灰へと変えた。強靭な肉体を持つはずの人狼を一瞬のうちに灰に変えた炎は、対人狼用に構築された魔術の一つであった。そして蛋白質の燃えた嫌な匂いだけが残り、誰も居なくなった広場に全身黒尽くめのコートを纏った男が建物の影から現れた。コートの色と同じ、黒い髪を持つ男は感情の宿らない無機質な目をまだ熱さを宿した灰へと向け、それに近づくと首にかけていた十字架のネックレスをその場に置いた。


「君のおかげで、穢れた人狼を最小限の被害で滅ぼすことができた。感謝しているよ」


 男は、平坦な声でそう言い残して広場から静かに去った。対人狼用の魔術を発動させた術者はこの男であり、術を発動させるまでの時間稼ぎとして女を人狼をおびき寄せる生き餌にした。


 どんな生き物も食事をしている時は無防備になり、警戒が緩む。人狼も例外ではない。男はその性質を利用するために偶然すれ違った女を気絶させ、人目の付かない路地裏に放置したのだ。


 しかし、男はそのことについて罪悪感を何一つ感じていない。異形を狩る為ならば人命を犠牲にすることに何の躊躇いを持たない感性。男は大の為に小を切り捨てる才能を持っていた。否、そうなるように育てられ、意図的な才能として植え付けられていた。その男に名は無く、人に仇なす異形を狩るだけの存在。異形を狩り尽くす、それが彼の存在意義なのだ。そして地上を照らした満月が再び雲に覆われ、一つの仕事を終えた男は闇へと消えた……


12/05 修正

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― 新着の感想 ―
[良い点] 描写が細かいところですね。 女性の必死さ、あまりにも無慈悲な人狼、非道な男。 なんと言いますか、そこに飛び込んで女性を助けてあげたくなる衝動にかられました。 なんで誰も助けないんだよ…
[良い点] 登場する物事をしっかり書いて表現しようとしているところ。 キーワードからの発想は面白いと思った。 [気になる点] ・しっかり表現しようとし過ぎて、句読点までが長いことが多い。もっとすっきり…
[一言]  執筆お疲れさまでした。恐ろしい存在の人狼ですが、ただ恐ろしいばかりでなく、丁寧な情景描写と心理描写によって非常に魅力的なキャラクターになっていますね。文章は淡々としていながらも物語に必要な…
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