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XenoCrisis - ゼノ・クライシス -  作者: 高杉零
ハンター試験 - Encounter with a female magician -
8/24

会偶

「はんふぁあ?」

「何言ってんのか分かんねぇよ」


 アルトリア王都へ続く道中、幾度も襲い来る魔物に疲労困憊したゼノは、口一杯に干し肉を頬張りながら木陰で一休みする時間を勝ち取っていた。

 ゼノの懇願を聞き入れざるを得なくなったセヴィルは、溜め息混じりの全く喜ばしくない表情を惜しげもなく曝け出す。どうせ休憩するならと地面に寝転がり、脚を投げ出していた。


 今ここにおいて、リーシャ村とアルトリア王都のようやく半分といった所。日は未だ高々と上っているが、既に日照時間の大半が過ぎ去っている。昨日の夕刻頃に村を発ったのだから、夜間野宿をした分を除いても半日以上は経っていた。

 はっきり言って、遅い。自分一人なら後一時間もあれば目的地に着くだろうにと思い――また深く溜め息を吐く。


 ゼノを連れて来たのは、自分だ。

 普段一人なら、無駄に戦闘を重ねたりはしない。必要なら蹴散らすし、必要なら無視して逃げる事もある。下手に体力を浪費するのは意味がないし、何より面倒くさい。


 元より面倒を好まないセヴィルは、徹底的に無駄を省く。目的地があるならさっさと向かう。やる事があるならさっさと済ませる。

 無駄な事に時間を割きたくない、というのが本音だ。


 だが、今回はそれが出来ない。理由は単純。目の前で干し肉に被り付いて満面の笑みを浮かべている少年である。

 剣の扱いに慣れたいというゼノに経験を積ませる為、あえて戦闘を重ねている。襲い来る魔物達から逃げる事もせず、律儀に全て撃退し続けている。これだけでかなりのロスだ。


 その上セヴィルは、道中自分は手を出さないと自ら宣言している。

 セヴィル自身にとっては、これが何よりのネックだった。


 もどかしい。実にもどかしい。

 自分がやった方が遥かに速いと断言出来る。そう思う度に、それでは何の意味もないと思い直す。

 およそ半日強、この繰り返しなのだ。げんなりもする。


 そんな中、ゼノが尋ねてきたのだ。


 ――そういえば、セヴィルさんの仕事って何ですか?


 その問いに対する返答への聞き返しが、先程の暗号発言となる訳だ。


「んぐッ、ぷはぁ。えっと、ハンターって何ですか?」

「何ですかって……お前が聞いてきたんだろ?」

「あぁいや、あはは……それは分かってるつもり、なんですけど」


 自嘲なのか苦笑なのか分からない頬笑みで頭を掻くゼノ。それを横目で眺めるセヴィルは、本日何度目になるか分からない溜め息を漏らす。

 それからようやくと、説明の為に口を開いた。


 "ハンター"。

 狩人などと冠されてはいるが、その職業を一言で表すのなら、いわゆる"何でも屋"というのが最も適している。


 ハンターは、ハンターズギルドと呼ばれる施設に赴き、そこに寄せられた依頼を請け負う。受けた依頼を達成し、依頼人からギルドに預けられた報酬金を頂戴する事で成り立つ職業である。

 この依頼というのが言ってみれば人々がギルドに求めた助け船である訳だが、これが実に多岐に渡る。


「そうなんですか?」

「あぁ。迷い犬探しに下水道掃除。子供のお守りに結婚式のセッティング、とかな」


 挙句の果てには延々半日愚痴を聞き続ける仕事なんてのもあった、とセヴィルは付け加えた。出来ればあれは二度とやりたくない、とは口にしなかったが。


 無論、そういった依頼ばかりが全てではない。

 何らかの材料を得たいが為の探索。人々に多大な危害を及ぼす魔物の退治。

 そして――国同士の内紛抑止。


 ギルドは世界各国に支部が存在し、世界中で依頼を受け付けている。ジャンルや規模を問わずありとあらゆる依頼が日々寄せられるのがギルドであり、その依頼を受けるのがハンターなのである。


 要するに、良く言えば困っている人々を手助けする奉仕者、悪く言えば人々の我儘を聞き続ける雑用係だ、という所で説明を締め括った。


「へぇ……でも、セヴィルさんみたいな人がそんな仕事よくいでッ!?」


 間髪を入れず、セヴィルの拳がゼノの脳天を捉える。


「何するんですかぁ!?」

「お前の頭上で拳を作ったら、重力に引かれたんだ」

「何でそんなに回りくどい言い方なんですか!?」


 あぁ、こいつの返しはどうしてこうも直球でテンションが高いんだ。

 そんな事を考えるセヴィルの顔は――しかし小さく微笑んでいた。

 何故なのかはさっぱり分からないのだが。


「っとにもう……あ、そうだセヴィルさん」

「今度は何だよ」

「そういえばなんですけど……仕事だって言ってましたよね、リーシャ村に来たの」


 覚えていたのか。正直忘れていると思っていた。確かに言った。


「何のお仕事だったんですか?」


 質問を受け、空を見上げる。

 さて、どう話したものか。

 少しの後、セヴィルは言葉を選ぶようにゆっくりと答えた。


「……例の山賊の動向調査だ」

「どおこおちょおさ?」

「奴等が最近あの辺りを根城にしたって情報が入ってな」


 ギルドに寄せられるのは何も依頼だけではない。

 仕事の性質上、ギルドには世界各国様々な情報が集まる。小さな街の数人の個人の家庭事情からある一国の軍事情勢、経済情勢に至るまで。大小様々な情報が集うのだ。


 その中には今回のような、無法者の情報も存在する。

 こういった情報が入った場合、被害を限りなくゼロに近付ける為の指令がギルド自体からの依頼として出される事がある。依頼として出される以上、これを受けるのは当然ハンターという訳だ。


 今回の一件がまさにこのギルドからの依頼であった。

 『プロンダ山賊団を名乗る野盗の動向を調査し、これを報告せよ。可能であれば潜伏先を見つけ出し、一斉検挙されたし』というのが、指令の内容だ。


 せよだのされたしだのそんな難しい言い回しをするのは依頼などとは呼ばない、とセヴィルは無表情のまま皮肉った。


「へぇ……あれ?」


 おもむろにゼノが首を傾げる。

 どうしたと尋ねると、何とか考えを纏めようとしているのか、うんうん唸りながら言葉を紡ぎ出した。


「えと……んっと。つまりセヴィルさんの仕事って、山賊達を捕まえる事、だったんですよね?」

「ついでの方はな」

「だとすると……尚更逃がしたのってマズかったんじゃ……?」


 やれやれまたこれも説明しないといけないのか、とセヴィルは隠す事もなく大袈裟に嘆息した。少しくらい自分で答えを導き出すという事は出来ないものだろうか。


 よし、飽きた。

 キラキラと目を輝かせるゼノを尻目に、いい加減に腰を上げようと思った。


 その時だ。



「グエェェェェェッ!!」

「グルルルルルルッ!!」



 けたたましい咆哮と共に、それは目の前に現れた。


 身体を覆う灰色の毛。こちらを射抜くように向けられた紅い双眸。力強く地を踏み締め、今にも蹴り出しそうな四肢。大きくたくましく成長した犬のような身体。

 ワイルドドッグと呼ばれる、猛獣型の魔物だ。


「魔物ッ!?」


 ゼノは咄嗟に剣を手に跳び上がる。木に寄り掛かりながら辺りを見回しているセヴィルが相も変わらず手を出す気がない事を察し、目の前の状況を確認し始めた。

 ワイルドドッグが複数迫って来ている。その数を確認して、ゼノは思わず声をひきつらせた。


「い……いくら何でも多過ぎないですか、この数……?」


 十二匹。それがゼノ達を目指して駆けるワイルドドッグの数。村を出て以降、これ程多くの数に囲まれるのは、実は初めてだった。


 ワイルドドッグ自体は既に何度か倒している。鋭い牙でこちらを噛み砕こうと攻撃を仕掛けてくる魔物。動きが素早いのが特徴だが、行動は直線的。真っ向から向かい合うよりは回り込んで攻撃する方が戦いやすい相手だ。


「ま、こういう事もあるわな」

「や、やっぱり手伝っては……くれないですよね?」

「……はぁ」


 わざとらしく大きな溜め息を吐くセヴィルを見て、ゼノは小さく肩を落とす。分かり切った反応ではあったが、もしかしたらと抱いた淡い期待も打ち砕かれた。

 そう思ったのだが。


「――仕方ねぇ。今回だけだぞ」


 ガリガリと頭を掻きながら、セヴィルはゆっくりと腰を上げた。


「手伝ってくれるんですか?」

「手伝わねぇ」

「じゃあ何で立つんですか!?」


 思わせ振りに立ち上がるも手伝う気はないと言うのか。何て酷い。そこまでしなくてもいいのに。

 そんな事を思うゼノを無視して――セヴィルはゼノの前に出た。


「セヴィルさん?」

「手伝わねぇが……今回は見せてやる。今後の参考にでもしろ」


 ゼノの表情がパァっと明るくなったのと、周囲を囲むワイルドドッグ達が咆哮し駆け出したのはほぼ同時だった。


「いいか、ゼノ。これだけの数相手に真っ向から立ち向かうのはただの馬鹿だ。こういう時はな――」


 ワイルドドッグが素早く速度を上げ、トップスピードで駆けてくる。それでもセヴィルは動き出さない。

 それどころか、セヴィルは剣を木に立て掛けたままだった。


 ――嘘だろ、何してるんだこの人!?


「セヴィ――」


 数体のワイルドドッグが地面を蹴った。

 獰猛な雄叫びを上げるその口が、セヴィルの眼前に迫る。

 ゼノが剣を持ち直し迫る魔物に振り抜こうとしたその時――セヴィルは小さく呟いた。


「――――――≪イル・エクスプロード≫」


 瞬間、目の前が緋色の閃光で埋め尽くされた。

 轟音が耳を劈き、衝撃が身体に降り注ぐ。

 咄嗟に目を塞いで身を屈めたが――覆い被さるように襲ってきた衝撃に耐え切れず、その場で尻餅をついた。


「ッ……!?」


 臀部の痛みに閉じた目を開いたゼノは、目の前の光景に絶句する。

 セヴィルに襲い掛かっていたワイルドドッグ。十二匹もいたはずの魔物達が、一匹残らず消滅していた。


「うそ……」


 あんなにいたのに。あんなに迫って来ていたのに。

 陰も形もなくなっているなんて。


「――こうやって一掃すんだよ」


 目の前にかざした右手を戻しながら、セヴィルは小さく息を吐いた。


 魔法。自らに内在する魔力を、詠唱と呼ばれる言霊に乗せる事で様々な現象を引き起こす力。それがセヴィルが使った攻撃の手段。

 大量に押し寄せる魔物を相手に彼は魔法を使って爆発を起こし、一気に薙ぎ払ったのだ。


 村の外に出た事がほとんどないゼノでも、魔法について少しは知っている。村にも何人か魔法を使える人がいたし、少しだけだが教わった事もある。


 だからこそ、分かる。

 たった一発で十二匹もの魔物をいとも容易く消滅させてしまう威力を魔法で発現する事の難しさ。そして、目の前で使ってみせたセヴィルの凄さ。


 やっぱりこの人は凄い。これが"ハンター"と呼ばれる人の、力。

 その光景があまりにも圧倒的で。

 その強さがあまりにも驚異的で。

 ゼノは、セヴィルから目を反らす事が出来ず、ただ茫然と立ち尽くしていた。


 ――今自分が置かれている状況すら忘れてしまう程に。


「バカ野郎! いきなり気ぃ抜く奴があるか!」

「ッ!?」


 セヴィルの言葉にハッとする。

 と同時に、ゼノの頭上に一つの影が躍り出た。


「グオォォォォォォォッ!!」


 ゼノは直前、目の前にいたはずのワイルドドッグ十二匹が全て跡形もなく吹き飛んだのだと思った。


 だが、いたのである。

 セヴィルが放った強烈な一撃。魔法が引き起こした大爆発の煽りを受けながらも、かろうじて致命傷を避けた一匹が。


 間に合わない。瞬間的にそう感じた。

 頭上のワイルドドッグは牙を剥き、今にも息が触れそうなくらいの距離だった。

 対するゼノは放心していたが為に腕はだらりと下がっていた。剣こそ手放していなかったが力は抜け切っていて反応も遅れた。

 手を振り上げ切れない。鋭く光る牙を防げない。

 直感してしまった為に動く事が出来なかった。


「ゼノ!」


 セヴィルの声が遠くで聴こえた。すぐ近くにいるはずなのに、耳に届いた声は妙に遠かった。

 瞳に映るワイルドドッグがコマ送りのようにゆっくりと、それでも着実に近付いていた。


 瞬間が、永遠となる――――



「≪汝、この瞬間を繋ぎ止めんと欲するならば、その身を委ねし流れを塞き止めよ――グラス・スピア≫!」


 それが幻想だと知る事が出来たのは、直後の事だった。

 何処からともなく聴こえたその声と共に、蒼い光が駆け抜けた。

 光はゼノの視界の片隅から飛来し――


「ギャオッ!?」


 ――瞬く間にワイルドドッグを貫通した。

 完全に致命傷を捉えていた。光に貫かれたワイルドドッグは地面に転げる事もなく、空中に跳ね上がりながら光と化した。


 掻き消えずに跳ばされていたらワイルドドッグが着地していたであろう場所を見やる。

 そこに突き立てられているものが目に入る。


「……氷の矢?」

「まったく。見てらんないわよ。何してんの、あんた」


 地面に突き刺さった氷を眺めていると、頭上から声をかけられた。

 セヴィルではない。彼は今、目の前に立っているのだから。


 なら一体誰が?

 そう思って、声がした頭上に視線を移す。

 彼の目に映ったものは――


「見るな、バカぁ!」


 ――彼の頭上に茂る木の上から飛び降りたのであろう、何処かの誰かの膝だった。




  ◆




「いつつ……」


 ズキズキと痛む額を擦りながら、ゼノは顔をしかめていた。


「フン」


 加害者である人物はそんなゼノを見もせずに、そっぽを向いて鼻を鳴らしている。

 直前まであまりにも突然の出来事で混乱しかなかったが、傍で見ていたセヴィルが状況を説明してくれた。

 ゼノが上を見上げると同時に木の上にいたその人物が飛び降り、彼の顔面に見事な跳び膝蹴りをかましたのだ。


 クラクラする頭を振って、ゼノはおずおずとその人物に話し掛ける。


「あ、あのぅ……?」

「何よ。言っとくけど謝んないわよ。女の子を下から見上げる方が悪いんだから」


 誰もそんな事は求めていない。


 その人物は、少女だった。

 長い金髪を一つに束ねたポニーテール。何とも不機嫌そうにしかめられた眉の下には、透き通るような翡翠色の眼。

 年の頃はゼノと同じくらいだろうか。背もそれ程変わらない。


 可愛いな、と思った。

 あどけなさが残る顔立ちも、顔を振る度に揺れる髪も、とても綺麗だと思った。


「……何ジロジロ見てんのよ」


 ――それもこれも、尖った言動のせいで全て台無しなのだが。


「えっと……さっきはありがとう。僕はゼノ。ゼノ・シーリエ。君は?」

「ユニ・プラムス。見ての通り、魔法師よ」


 魔法師。言葉通り、魔法を扱う者の事だ。


 先刻ワイルドドッグを屠った氷の矢は、彼女の魔法によって生み出されたものだった。元来複数生み出した上で放つ拡散魔法だそうなのだが、その数を限定した上できっちりと魔物に命中させる精度を誇るにはそれなりの技量が必要なのだとセヴィルが教えてくれた。


 と、これまで眺めるだけだったセヴィルが小さく漏らす。


「見ての通り、ねぇ」

「何よ。文句でもあるの?」

「いや別に」


 セヴィルが言わんとする事も分からなくはない。

 黒いシャツに赤いベスト。極めつけは片側が太股の辺りで大胆にカットされたハーフパンツ。


 やたらと活動的な印象が強いその装いは、いわゆる魔法師が好む服装のイメージとはかけ離れていた。魔法師の事を詳しくは知らないゼノだったが、何となくふわふわというかひらひらというか、そんな服装を好むイメージがあった。イメージにある服装がローブと呼ばれる衣類の一種で、軽装であるが為に剣士や戦士に比べて非力な魔法師に好まれている事までは、ゼノ自身は知らない事であったが。


 先に彼女が魔法を用いた事を知っていなければ、パッと見で魔法師だとは気付かなかったかもしれない、とゼノは思った。


「それにしても……君はどうしてここに?」

「どうしてここに、じゃないっつーの。人が寝てる木の下でいきなり戦闘始めちゃってさ」

「え!?」


 まさか。最初からいたのか。木の上に。

 なるほど、ようやく理解した。彼女が休んでいた木の真下で自分達が休憩を始めてしまった。そこに魔物達が現れて戦闘が始まり、騒がしさに起きたものの下りるに下りられなかったという事だ。


「……あれ?」


 そこまで考えて、ゼノはふと立ち止まる。

 休憩をしていた時、自分は腰掛けた状態で干し肉を口にしていた。

 その時セヴィルは――


「あ、あのぉ?」

「何だ」

「もしかしてなんですけど……知って、ました?」


 ――地面に寝転がって空を見上げていなかったか。


「あぁ、知ってたぞ」

「何で黙ってるんですかぁ!?」


 教えてくれていたら少なくとも、跳び膝蹴りは食らわなかったのではないかと悔やまれる。

 いやそもそも、人が寝ている木の下で自分も寝転ぶなんて――何を考えているのか。落ちてきたら危ないではないか。


「あー。何の話してるんだか分かんないけど」


 ゼノがセヴィルを恨みがましい目で見ていると、横からユニが口を挟んだ。


「大体、人が寝てる傍であんな危なっかしい戦い方しないでよ。特に――あんた」

「あん? 俺か?」

「そうよ、何なのよさっきの魔法! 腕に覚えがあるんだかないんだか知らないけど、詠唱破棄してあの威力ってどういう事!? 一体何したらあんな威力繰り出せるのよ!? 近くにそいつもあたしもいるってのにあんなの思い切りぶっ放して! どういうつもりよまったく!!」


 ユニはピンと伸ばした指をセヴィルに突き付けながら、いきなり早口にまくしたてる。


 何だ。彼女は一体何に怒っているんだ。そもそも怒られる謂れがあるのか。

 騒ぐユニを眺めるしかなかったゼノを、横からセヴィルが小突く。


(おいゼノ)

(な、何ですか?)

(通訳を頼む。何を言われてるんだかさっぱりだ)

(ぼ、僕に言わないで下さいよ……)


 こっちが教えて欲しいくらいだ。

 彼女の言葉を聞く限り、何だか文句を言われているようで実はそうでもない気がする。どちらかと言うとセヴィルの魔法が凄いと褒めているような、同じく魔法を扱う者としての嫉妬をブツけているような、そんな風にも見えるのだ。凄過ぎる勢いに圧倒されて、何となくしか分からないが。


 仕方ない。とにかく話をしてみよう。


「あ、あの――」

「大体ね!」

「ひッ!?」


 セヴィルに向いていた指先が勢いよくゼノに方向転換する。突然目の前に現れた細く白い指先に、動揺して声が裏返った。


「あんたもあんたよ! あいつの魔法が凄いのはあたしも分かったけど、それ眺めたまんまポケーッとしちゃってさ! あたしが助けなかったらどうなってたと思うのよ、え!?」

「え、あ、え、んっと、ご、ごめんなさい?」


 何だろう。居た堪れなくてどうしようもない。

 セヴィルに目をやる。自分から矛先が移ったからなのか、さっさと木の下まで戻り立て掛けたままだった大剣を担ぎ上げていた。


「ちょっと! あたしの話聞いてんの!?」

「うひッ!? は、はい!」

「ちゃんと分かったの?」

「はい! すみませんでした!」


 空を仰ぎ、半ば自棄になって叫んだ。

 もうどうにでもしてくれという気持ちで一杯だった。

 何よその態度はぁ!? とでも怒鳴り返されるつもりだったのだが――その怒声は訪れなかった。


「そ。分かったならいいわ」


 急にテンションの変わったユニを見て、何だか圧倒されている自分に気付いた。


 こんな女の子、初めて見た。

 村にも活発な女の子はいた。表情豊かな女の子もいた。

 だが、ここまで賑やかな――悪く言えば騒がしい――女の子はいなかった。

 まるで新種の生物でも見つけたかのように驚いた目で彼女を見つめるゼノは、何故か自分が村を出て旅をしているんだと改めて実感していた。


「それじゃあ、はい」

「へ?」


 ゼノが自身の思考の渦に飲み込まれて見つめ続けていると、ユニは彼に突き付けていた手を裏返し、そのまま掌を突き出した。


「えっと……何、かな?」


 意味が分からないゼノは、口元を引きつらせながら恐る恐る尋ねる。

 怖い。何でだか知らないけれど、とにかく怖い。

 掌を差し出すユニの顔が――あまりにも満面の笑顔だったから。


「まだ貰ってないわ」

「え? 何を?」

「お礼よ、お・れ・い。まさかただで助けて貰えるだなんて思ってないわよね」


 あぁそういう事か、とゼノは思わず安堵の溜め息を吐いた。


「ごめんごめん。そういうのはちゃんとしないとね」

「ふふん、そういう事」


 にっこりと笑うユニは上機嫌のようだった。

 どうやら自分の理解は間違っていなかったらしいと安心し、ゼノは彼女に向き直ると姿勢を正した。

 背筋を伸ばして直立し、そこからゆっくりと頭を垂れる。


「助けてくれて、ありがとうございました」


 ズコーッと、大きく体勢を崩す音がした。


「そういう事言ってんじゃないわよッ!」


 顔を上げると、目の前で体勢を立て直したユニがグンと詰め寄って来た。

 言っている意味が分からず、ゼノはきょとんとした顔で聞き返す。


「え? でもお礼だって」

「あのね……お礼って言ったらお金ってのがお決まりでしょ」

「そうなの?」


 さも当たり前のように言われたが、当然ゼノにはそんな認識は欠片もない。もし本当にそれが常識なのだとしても、村の外にほとんど出た事がない彼には分かるはずがなかった。


 しかしどうしたものか。お礼と言えば金。それが決まり事なのだとしたら、支払わなければならない。実際に助けられたのだし、感謝の意を表すのは当然の事だ。

 と言っても、ゼノはリーシャ村から出てきたばかり。持てるだけのものを持ってはきたが、そもそもお金の必要性のない生活を送り続けていた彼にはさしたる手持ちもない。

 要するに、払えるものが、ない。


 どうすれば良いのかと悩んでいると、ジトッとした目を向けながらユニが言った。


「あんた達……まさか文無し?」

「そんな訳ねぇだろうが」


 即座にセヴィルが否定した事に、ゼノは少し驚いた。確かにセヴィルは自分と違って金も持っているのだろうが、今この場においてそれは関係ない。ユニにお礼を求められているのはゼノだから、セヴィルが何故口を挟んだのかが分からなかった。


「あっそ。だったら払いなさいよ、今なら安くしとくわよ」

「アホぬかせ。何でそんな事しなけりゃならねぇんだ。そんな押し売り上等な商売があってたまるか」

「やっぱり持ってないのね。無理して見栄張らなければいいのに。バレた時に余計みじめになるだけよ」

「見栄張んなら場所と相手を選ぶさ。出逢ったばかりのちんちくりんに見栄張ったって何の意味もねぇだろうが」

「ち、ちんちく……!?」

「ちんちくりんじゃねぇならガキんちょだ」

「がッ!? ガキって言うな!」


 考え込むゼノを尻目に、セヴィルとユニは言い争いに近いやり取りを始めてしまった。互いに少しずつ言葉に勢いが乗り始めている。


 このままでは、マズい。どうにかしなければ。何とかしてこの場を離れた方がいい。

 そうしないと――非常に面倒な事になる予感がした。

 考える。考えて、一つ思い付く。


「あぁッ! あれは何だ!?」


 騒ぎ立てる二人の声を掻き消すように、ゼノの言葉が響き渡った。遥か上空に向け、伸ばした指を突き出した。


 場が、凍り付く。


 自分が作り出したとはいえ、場を包む沈黙はチクチクとゼノの心を突き刺す。

 居た堪れない。実に居た堪れない。可能なら今すぐにこの場で顔を伏せてうずくまりたい。二人の状況を確認したいが、あまりの気恥ずかしさにそれも出来なかった。

 結果、瞬きする事すら出来ないままに硬直する。


 一秒。二秒。時間が過ぎ去っていく。

 やがて、呆れた声でセヴィルが口を開いた。


「何やってんだゼノ。そんな手に引っ掛かるバカがいる訳――」

「何よ、別に何にもないじゃない。どこの事言ってるのよぉ?」

「……は?」


 ――釣れたッ!!


「今です、早くッ!!」

「あ? お、おい、引っ張るな!」


 ゼノはすかさずセヴィルに耳打ちすると、彼の手を取って猛ダッシュした。

 無論、先程のゼノの言葉はただのブラフ。ユニの振り返った先には、延々と続く草原があるだけだ。


「ちょっと、やっぱり何にもないけ――ってあぁッ!? 逃げたぁ!!」


 後ろから待てだの戻れだのお金だけ置いていけだのといった声が散々聴こえてきたが、無視した。今後ろを振り返るととんでもない事になる気がした。


 しばらくの間耳に届いていた声は次第に小さくなっていき、いつからかそれも聴こえなくなった。

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