一陣の風
「村の人に手を出すな! 今すぐに帰れッ!!」
言うが早いか、ゼノは手にした剣を構え直し、山賊達へ突撃した。
銃身の長い銃――ライフルと呼ばれる代物を持つ数人の山賊達の真ん中へと飛び込み、姿勢を途端に下げる。
「こんの……げッ!?」
ゼノを狙おうとライフルを構えようとした山賊達は、己の前で仲間が同じ事をしようとしているのを目にして動揺した。
その隙をついてゼノは地面に寝転がるかの如く突っ伏し、その場で勢いをつけて回転した。剣を地面に対して垂直に立て、片脚を伸ばした状態のままで。
「いでッ!?」
「がッ!?」
ゼノを取り囲む形となっていた数人が、唐突に襲ってきた足首への衝撃に抗いきれず倒れていく。回転の勢いのままにゼノが振り回した剣と脚が、動揺して立ち尽くす山賊達の足首――正確にはくるぶしを捉えたのだ。
引鉄にかけられていた山賊の指が、倒れた反動で引鉄を引き絞る。
「ッ!?」
耳を劈く音と共に、銃弾が虚空へ放たれる。
その音は周りの村人達や山賊達に動揺を与えたが、ゼノだけは違った。銃撃が人に向いたものではない事だけを目で確認し、すぐさま目線と体勢を整える。未だ立つ山賊達の手を蹴り飛ばし、体を当てて体勢を崩し、転ばせていく。
転ばし、銃さえ無力化してしまえば、対抗する事も出来るかもしれない。ゼノにはその考えしかなかった。
ゼノ自身、喧嘩や戦闘といった経験は皆無だ。身体も小柄で、真正面から立ち向かっての勝率など幾許かもない。
だからこそ、ゼノは山賊達の中心に躍り出た。
山賊達の主な武器は銃。それも銃身の長いライフルが多い。それを相手に向けて撃ち込むには、銃口を向けて狙いを定める必要がある。ゼノはそれを逆手に取った。
山賊がゼノを狙うには銃を構える必要がある。であれば、銃を構える間に動いてやれば狙いを定め難くなるだろうと考えた。そして、人が集まっている中心を陣取れば、長い銃身を振り難いだろうとも。
この考えは予想以上の効果を発揮した。ゼノが山賊達の間に身を置いたが為、山賊達がゼノを狙う射線の延長に仲間が入る形となってしまったのだ。
こうなると山賊達も迂闊に発砲は出来ない。下手に撃って相手が避ければ流れ弾が仲間に当たってしまう可能性が高い。その事が、山賊達の躊躇を誘っていた。
「いで!?」
「野郎! ちょこまかと!」
戸惑う山賊達の間を縫うようにゼノは素早く動き続けていた。
出てきたはいいが、恐怖を拭えた訳ではない。今もまだ山賊達はゼノの周りを取り囲み、手にした銃で彼を狙おうとしているのだ。
動きを止めたら、やられる。その確信がゼノを突き動かしていた。森の中を走り続け、さらには村まで同じ道を通って戻り、疲れ切った身体に鞭を打った。
動け。止まるな。狙いさえつけさせなければ何とかなる。相手を真正面に据えなければ止まらずに走れる。なるべく激しく、より速く動き続けろ。
そう思った時だった。
「そこまでだぜ、クソガキが!」
眼前に山賊の男が入り込んだ。顔を見やり、最初に村長に銃を突き付けていた男であると気付く。
「く……ッ!」
ゼノは方向転換を余儀なくされた。正面に人が現れてしまっては真っ直ぐ走れない。真っ直ぐ走れなければ速度が落ちる。それでは銃口の標的となってしまう。
だが。
「させねぇよチビ!」
右に転換しようとした瞬間、彼の右側に別の人影が現れる。
ならば左と踵を返すと。
「はっはー!」
「ッ!?」
さらに左にも人影。前、右、左。進行方向を塞がれた所でゼノは気付いた。誘い込まれてしまった事に。
ゼノにとって、止まる事は詰みと同義だった。ライフルを武器とする山賊達の中で決して立ち止まらず、ハイペースに走り続けるからこそ隙を作り出せる。
その動きが封じられかけている。
マズい。ゼノは動揺し焦った。既に三方は塞がれた。斜めに抜けようにも相手は大人。こちらより断然リーチがある。
かと言って後ろへ戻ろうとすれば必然的にブレーキをかける事になる。それでは元も子もない。
それなら。
「下ッ!」
始めに山賊達の中心に躍り出た時と同様、銃口から身を反らす為に屈もうとした。
だが、それは悪手以外の何者でもなかった。
「だぁからさせねぇって言ってんだろ!!」
「が……ッ!?」
ゼノは顔面を鷲掴みにされ、そのまま地面に叩き付けられた。後頭部に鈍い衝撃が走り、体内に取り込んでいた空気が全て口から漏れ出た。
「……随分と好き勝手やってくれんじゃねぇかよ、クソガキ」
ゼノを鷲掴みにしたままの山賊が口を開く。その口調には、隠す気などさらさらない程の憤りが込められていた。
「く……くそッ! 離せッ!」
「うるせぇ!!」
「がはッ!?」
容赦など微塵もなく、ゼノの腹に重い蹴りが繰り出される。鷲掴みにされていた頭は解放されたが、代わりにゼノの身体はその衝撃を二重に受ける事となった。蹴られた前面と地面から跳ね返った背面。衝撃で身体は跳ね上がり、さらに地面に叩き付けられる。手にしていた剣は空に放られ、地面に転がっていった。
内臓が逆流するような感覚を覚える。口の中に血なのかそうでないのか分からない味が充満していた。
「テメェみてぇな! ちんちくりんの小僧が! 俺達の邪魔なんか! するんじゃねぇよ!!」
苦しむゼノを、山賊は尚も踏み荒らす。脚を。腕を。腹を。乱雑に蹴り散らした。
「あーあー。ガキに邪魔されたからってキレちゃってるよ、あいつ」
「大人げねーなぁ、きひゃひゃひゃ」
彼を眺める山賊達から下卑た笑みがこぼれていた。ゼノの登場によって生まれた混乱は既に鎮圧され、安堵しているのが分かった。
彼の小さな反抗は、あまりにもあっけなく終結を迎えてしまった。
「あ……ぐ、ぅ……ッ」
身体中の鈍い痛みに身を捩じらせる。何とかして立ち上がろうともがくが、力という力が入らなかった。
「おい小僧……」
そんなゼノの髪を掴み、山賊は自分の眼前に引き寄せた。
もはや、どこが痛いのかも分からなかった。髪を引っ張られている頭が痛い。蹴り飛ばされた腹が痛い。地面に叩き付けられた腕が、脚が痛い。
山賊は、さらに続ける。
「ヒーロー気取って出てくんのは構わねぇがな……それで悪役追い返してやれめでたしめでたしなんてのは、お話の中だけなんだよ」
「そうだぜ小僧。この世の中ってのはな、理不尽に出来てんだ。弱い奴はいくら頑張ったって弱いまんまなんだよ」
「弱い奴は所詮強い奴に従ってしか生きられねぇんだよ。ゴマすって尻尾振って、それでようやっと生きる事を許されんのさ」
ゲラゲラと笑い飛ばす声が聴こえた。だがそれすらも、ゼノにとってはとても遠い声のようだった。
今にも意識が飛んでしまいそうだった。今もって飛んでいない事が不思議であるくらいに。
「けどなぁ……テメェはもうダメだ。俺達に楯突いちまった。弱い奴が強い奴に逆らうとどうなるか……その身をもって味わい、な!」
「うぁッ」
男は手を離し、ゼノを乱暴に放り投げた。と同時に、懐に忍ばせていた短刀を取り出す。日を浴び怪しく煌めく刃を一瞥すると、男はそれを無造作に振り被った。
「散れや……ッ!!」
それは、さながら一陣の風だった。
目的もなくただ吹き遊ぶ中で、気紛れに舞い下りたかのようだった。
気紛れにふわりと地を撫でたその風は――
「うるせぇんだよ……人が気持ちよく寝てる外でギャアギャアと……」
――振り下ろされた短刀をその身に乗せ、またふわりと宙を舞った。
「な、何だテメぐへッ!?」
「うるせぇってんだろが」
風はゼノに止めをさそうとしていた山賊を、いとも容易く殴り飛ばした。山賊の身体はまるで無造作に投げ捨てられた袋のように舞い、そして落ちる。
痛い。あれは痛い。ゼノは思わず身を竦めた。あの拳の固さを知っていたから。
だってあれは――
「せ、セヴィル……さん……?」
「よぅ坊主。ちょっと見ねぇ間にすっかり変わったな」
舞う風の正体は、ゼノの家で寝ていたはずの男――セヴィルだった。
赤黒い外套に身を包んだ長躯。襟足近くで適当に切られたようなざんばらの黒髪。見間違えるはずもない。
彼を見つけた時に傍らに落ちていた例の大きな荷物を片手に、彼はさも当たり前のようにそこにいた。
「どう……して……?」
「騒々しくて寝てらんなくてな。起きて出てみりゃ妙な騒ぎが起こってるしよ。一番騒がしいトコに来てみりゃお前が今にも殺されそうになってるときたもんだ」
何という事だろう。あれだけの騒ぎの中で尚寝続けていたというのか。この人はたぶんどこかおかしいと、痛む身体を捩じらせて起き上がりながらゼノは苦笑した。
「お、おい、大丈夫か!? おい!?」
「だ、ダメだ! 白目向いてんぞこいつ!?」
傍らではつい先程セヴィルが殴り飛ばした山賊の周りに数人が集っていた。どうやらセヴィルの一撃で完全にのびてしまったらしい。
「立てるか?」
「あ、えぇ……」
セヴィルが差し出した手を掴み、何とか立ち上がる。散々蹴られ尽くしたダメージはしっかりと身体に刻まれていて、膝ががくがくと震えている。力を入れる事がかなわないと知り、バランス感覚だけで体勢を保った。
ゼノがフラつきながらも立ったのを見届けて、セヴィルは落ちていた剣を拾い上げた。
「まったく……ガキが意気がるからこうなるんだ。どっから持って来たんだよこんなけ――」
と、そこでセヴィルの言葉が止まった。
「せ、セヴィルさん……?」
声をかけてみるが、セヴィルの耳には届いていないようだった。手に取った剣――ゼノが大樹の傍から持ち出して来た剣を見つめたまま、じっと凝視し続けていた。
彼が何を思ってそうしているのか、ゼノには分からなかった。ただ、その表情には驚愕と――悲しみが映っているように見えた。
「そうか……抜いた、のか……」
「え?」
不意に呟いたセヴィルの言葉が聞き取れず、ゼノは顔を上げた。
そして、気付く。
「ッ!? セヴィルさん!」
ゼノの言葉を遮るように、甲高い金属音が鳴り響く。
山賊の一人が剣を抜き、セヴィルに襲いかかっていた。振り下ろされたそれを、セヴィルは元より手にしていた大きな荷物で受け止めていた。
「何勝手にコソコソとしてやがんだコラぁ!?」
「セヴィ――ぐぁ……ッ!」
思わず駆け出そうとするゼノだったが、身体中の痛みがそれを許さなかった。脚は引きつり、腹の痛みでうずくまってしまう。
そんなゼノを眺めて、セヴィルは小さく息を吐いた。
「無茶してんな、坊主」
「だ、だけど!」
「怪我してんだろうが。黙って退がってろ」
「コォラァッ!! 無視すんなっつってんだろうが! 人の話聞けやこのや――」
「やかましいッ!!」
セヴィルの一喝で場が静まり返る。ゼノでさえ、発そうとした言葉を飲み込んでしまった。
ただ言葉を口にしただけなのに、彼を包む空気が異様な迫力を持っていた。少しでも動こうものなら切り裂かれる。そんな風に感じさせる、圧倒的な迫力。
セヴィルは、自分に襲いかかった山賊達をジロリと睨みつけ、静かに言い放つ。
「……俺は今こいつと話をしてるんだ。邪魔するな……」
「ひッ……」
彼の放つ迫力に、山賊達は小さく後退りする。先程までの余裕が一切感じられない。たった一人の男が現れただけだというのに。それだけで状況が覆ってしまった。
凄い。ゼノは素直にそう思った。
「……坊主」
「へ?」
ふと、セヴィルが声をかけてきた。剣を向けられ、それを受け止めているとはとても思えない程にあっけらかんと。
山賊達は恐れてはいるようだったが、かと言って手を抜いているようには見えなかった。剣はギリギリと荷物に押しつけられ、それを包む布を少しずつ切り裂いている。
加えて切りかかっているのは三人。同時に振られた三本の刃を、セヴィルは一つの荷物で受け止めきっていた。
少しでも力の入れ所を反らせばいずれかの剣を弾いてしまい、次の攻撃が繰り出されるだろう。そうさせない為に絶妙な力加減で剣を受け止め続けている。
そんな状態で普通に話しかけて来ているセヴィルに、少しの恐ろしささえ覚えた。
「退がれ」
「い、いや、でも……」
「いいから退がれ。同じ事何度も言わせるな」
セヴィルの言葉尻が少しばかりの怒気を含んだ。それがゼノに全てを告げていた。
これ以上ここにいても足手纏いにしかならない、と。お前に出来る事は、もはやここには何もない、と。
それを察したからこそ――ゼノの拳は固く握り締められていた。
何とか出来ると思っていた。
何かを変えられると思っていた。
だというのに。
自分に出来る事はもう、何もない。
それが――何よりも悔しかった。
「勘違いはするな」
「……え?」
不意にかけられた言葉に、再び顔を上げる。
その瞳に映るセヴィルの顔は――注視しなければ決して気付けない程に小さくではあったが――微笑んでいた。
「お前はよくやった。よく耐えた。俺が来るまでの時間をしっかり稼いだ。戦闘経験もねぇ坊主にしちゃ上出来だ」
「セヴィル……さん」
「だからこっからは任せとけ。その代わり――」
「え? うわッ」
山賊の剣を受け止めているのとは違う手で、握っていた細身の剣を放った。思わず取り零しそうになったそれを、ぎこちなくも何とか掴んだ。
「この剣持って端にいろ。ド真ん中にいられちゃ邪魔だ。隅っこでじっとしてればいい」
「こ、これを……?」
「大事なもんなんだ、そいつは。だから手放すんじゃねぇ。しっかり持ってろ」
「ど、どうし――」
どうしてこれの事を知っているんですか。ゼノはそんな疑問を口にしようとしたが、それ以上を口に出す事はかなわなかった。
「さて……待たせたな、テメェ等」
既にセヴィルはゼノに背を向け、山賊達に向き直っていた。
ただでさえ鋭い双眸を一層強め、セヴィルは山賊達を見やる。
ゼノとあれだけの会話をしている間も。今この瞬間でさえも。セヴィルは片手で山賊達の剣を受け止め続けていた。
「く……ぐ……ッ!」
「くそが……ッ!」
剣を引く事も、押し切る事も出来ない山賊達は歯痒い思いをしていた。延々と会話を聞かされ続ける中、一時も力を抜く事を許されなかったのだから。
だからこそ、改めて思う。
この目の前の化け物は一体何なのだ、と。
「こっちの話は終わった。テメェ等の相手は俺がしてやるぜ」
あまりにも、気安く言い放つ。その言葉は、山賊達が剣を受け止められている事実が実は幻想なのではないかと疑いを抱いてしまう程に気安かった。
どうすればいい。山賊達が次手に困っていると。
「……こっちも暇じゃねぇ。テメェ等が動かねぇんなら……こっちから行くぜ」
「な――」
山賊達の反応を待ちもせず、セヴィルは動いた。
突然支えを失ったので、山賊達はバランスを崩して前につんのめる。セヴィル達の話が終わり、こちらへ話しかけて来た時点で状況は動くと察していたにも関わらず、その動きに反応する事が出来なかった。
その動きはあまりにも単純。それ故に最小限の動きに留まった。
セヴィルは、剣を受けていた荷物を手放したのだ。
ズン、と重い振動が地面に走る。山賊がそれに気を取られた時には、セヴィルは山賊達の視界から消えていた。
「よそ見してんなよ」
「――ッ!?」
言葉が聴こえた時には、山賊は既に地面にへばりついていた。前のめりになった山賊を、セヴィルが上から殴り倒したのだ。
セヴィルはそのまま身を翻し、もう一人の山賊に回し蹴りを放つ。
「て、テメ――」
セヴィルに剣を向けていた三人の内残された一人は構え直そうとする。
それに対して蹴りを放ったセヴィルは回転の勢いを殺さず、地についた軸足で軽く跳んだ。
それは、間違いなく軽くだった。
力を込めて屈んだ訳ではない。ほんの少し爪先で地面を押した。その程度の動きだったはずだ。
だが次の瞬間、セヴィルの身体は山賊の目の前にあった。大柄な体格を誇る山賊の眼前に。身体を地面と平行にし、伸ばした脚を振り上げていた。
そのまま身体を捻り、足刀を振り下ろす。
「ぶぐおッ!?」
思わぬ角度からの蹴りをまともに受けた山賊は、その巨体にも関わらず投げられた石のように簡単に吹き飛んだ。
ゼノは、ただ見ている事しか出来なかった。
身体中の痛みで動くのもままならないというのもあったが、それ以上に――セヴィルの動きに目を奪われていた。
たった数瞬の出来事だった。もし瞬きの一つでもしようものなら、一部始終ほぼ全てを見逃していたであろう程に。
その動きがあまりにも洗練されていて。その動きがあまりにも流れるようで。
そこから目を反らす事すら出来なかった。
「て、テメェッ!?」
「な、ななな、何しやがんだオラァ!?」
セヴィルのただならぬ迫力に剣での駆け引きを眺めている事しか出来なかった山賊達がようやく立ち直り、口々に騒ぎ立て始める。
次々と剣を抜き、セヴィルに向ける。彼の動きを見て、銃では追い切れないと判断したのだろう。
そんな山賊達の言葉を受けて、セヴィルは言った。
「何って……殴って蹴って蹴り飛ばした」
「そういう事聞いてるんじゃねぇよ!!」
動けもしないゼノの身体がほんの少しだけずり落ちた。
「何しやがんだって聞いたじゃねぇかよ」
「そうじゃねぇだろ!? テメェは何者だ!?」
「あぁそういう事か。なら最初からそう聞けよ」
先程までとは打って変わり、セヴィルはゆったりと地面に屈み込む。自らの手で地に落とした荷物を拾い上げた。
とても大きな何か。それこそ、大柄なセヴィルの身の丈程もある、それ。その全面を何重にも布が包み込んでいた。
「やれやれ……あっちこっちボロボロじゃねぇかよ、ったく……」
布に付着した土をポンポンと叩き落としながらセヴィルは立ち上がった。
「く、くそ……舐めるなよ……ッ!」
残る山賊達が剣を構えたまま、ジリジリとセヴィルの周囲を取り囲んでいく。直前の彼の動きに対する恐怖と警戒からか慎重に、そして遠巻きに行われていた。
マズい。今度こそ全員で一斉にかかるつもりだ。
セヴィルは恐ろしく強い。戦いに関しては全くの無知であるゼノでさえ、それは分かる。理屈は知らずとも、全身で感じていた。
だが、それでもセヴィルは一人だ。
村人達は負傷した村長を連れて少しずつ広場から離れている。各家に捜索の為に駆り出されていた村の男達も騒ぎを聞き付けて戻っては来ていたが、それを助けるのに必死だった。山賊達の目がセヴィルに向いている今しか、そのチャンスはなかったから。
そして自分は動く事が出来ない。だからこそ、目線で来いと告げる村人に対しても首を横に振った。山賊達に程近い自分まで動けば、当然気付かれてしまう。それに、身体中傷だらけで動けるようになるまでにはもう少し時間がかかりそうだった。
ゼノが動いた所で大して役に立たないのは目に見えている。だがそれでも、たった一人で山賊達を相手にするのは簡単な事ではないはずだ。
何とかセヴィルを援護しなければ。そう思った。
――だというのに。
「村人に見られると流石に面倒だろうと思って巻いてきたが……もういいか。村人もいねぇみてぇだし」
「何ッ!?」
「本当だ! アイツ等!」
「何で言っちゃうんですかッ!?」
マズい。本当にマズい。セヴィルはどうやら何も考えていない。どう考えても単なる墓穴を掘りまくっている。
「心配するなよ、坊主」
心の中で焦り続けるゼノに向けて、セヴィルは柔らかく告げた。
「こいつ等に追わせたりしねぇ。んな事しようもんなら……この場で、叩っ斬る」
明らかに、空気が変わった。
直前までの飄々とした雰囲気が微塵もない。ゼノは背筋が凍るような感覚を覚えた。研ぎ澄まされた切っ先で背筋をなぞられたかのような、異質な感覚。
怖い。今彼は自分を、自分達の村を守ろうとしてくれているのだと分かっているのに。怖くて仕方がない。ゼノはそう思った。
「う……ぐ……」
「な、何なんだよ……」
そんなセヴィルを目の前に、山賊達は恐れ戦いていた。皆一様に剣は向けているものの、一歩を踏み出せずにいる。下手に自分が手を出せば、先の三人のようにやられてしまう。誰かが手を出してくれれば自分も動けるのに、と誰もが思っているのだろう。
もしもゼノが山賊達と同様に今のセヴィルに向かい合う立場だったら――同じように思うかもしれない。
それ程までに、セヴィルの発する迫力は異様だった。
「……テメェ等はとんでもなく大変な事をしでかしてくれやがった」
ゆっくりと、手にした荷物に巻かれた布を解いていく。
「テメェ等にそこまで意図出来る頭があるとなんざ思ってねぇ。全てテメェ等のせいだと言うつもりはねぇが――」
少しずつ、その荷物の中身が露となる。
それは――剣と呼ぶにはあまりにも異様な代物だった。
巨大な出刃包丁を思わせる蒼い刀身は、それを手にしたセヴィルの肩幅とほぼ同等。斬る為のもの、というよりは叩き潰す為のものと言った方が正しいであろう無骨な刃に対し、空を裂く雷を模したような鍔が妙に不釣り合いに思える。持ち主と手を守る為だろうか、鍔から伸ばされた装飾が握りを囲うように広がっている。そして布を外した今でも、その大きさは何より異彩を放っていた。
「――落とし前だけはつけさせて貰うぜ」
鈍重な大剣を片手で軽々と持ち上げて肩に担ぎ、セヴィルは静かに言った。
その姿があまりにも大きくて。
その姿があまりにも力強くて。
ゼノの目は、完全にセヴィルに奪われてしまっていた。
「うッ……嘘だろ!?」
「な、何だよ!? 驚かすんじゃねぇよ!」
セヴィルが取り出した得物を見て、山賊の一人が驚愕の声を上げた。
「み……身の丈程もある……蒼い大剣……し、シュタルシュロット!?」
「なッ!? じ、じゃあ……こいつは、まさか……!?」
「せ……セヴィル・バスクード!?」
山賊達は目を皿のように見開き、セヴィルと彼が持つ大剣を食い入るように見ながら声を荒げた。
「……ケッ。俺も随分と有名になったもんだ」
対し、名を呼び当てられたセヴィルは至極面倒そうに頭を掻く。
驚きと恐怖に支配され、山賊達は一歩、また一歩と後退りを始めていた。
沈黙が場を制する。
山賊達を睨みつけたまま動かないセヴィル。蛇に睨まれた蛙の如く気圧されている山賊一行。
おそらくそれは数秒であったのだろうが、隅から見守るゼノにはそれが数分にも感じられた。
「ふ……ふざけるんじゃねぇ!」
沈黙に耐え兼ね、一人の山賊が剣を投げ捨てた。
「お、おい!!」
「うるせぇ! "鬼人のバスクード"相手にどうにかなる訳ねぇだろ!?」
「そ、それもそうだよな……?」
「ば、バカ野郎! 何ひいてんだよ!?」
「俺……俺、まだ死にたくねぇよ……」
「お、お、俺だって死にたかねぇよ!!」
それをきっかけにして、山賊達が口々に騒ぎ立て始める。
恐怖で震える手で尚も剣を向ける者。さりげなく他の山賊の陰に隠れようとする者。混乱し過ぎて動くに動けない者。もはや統一など取れてもいなかった。
「ふぅ……やれやれ――」
山賊達の様子を眺めて、セヴィルは小さく溜め息をついた。
それから肩に担いだ大剣を下ろし――呟く。
「――そろそろ……終いにするか」
それが止めだった。
「「「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」」」
山賊達は一斉に剣を捨て、隣を走る仲間を押しのけながら我先にと逃げ出した。
自分とセヴィル以外誰もいなくなった広場を見て、ゼノは驚きを隠せなかった。
本当に、何とかなってしまった。
「……意気がる割には根性のねぇ野郎ど――」
それ以上の言葉を、ゼノが耳にする事は出来なかった。
身体に蓄積されたダメージ。村長宅を後にしてから走り続けた事による疲労。山賊の前に一人奇襲を仕掛け、立ち塞がった事による緊張。
それらが一度に押し寄せ――ゼノの意識は唐突に途絶えた。