選択の時
その音は、あまりにも突然鳴り響いた。
それまで和やかに話していたゼノ達を貫くかのように。
昼時で村人達が皆それぞれ家の中にいたが為に、尚更明瞭に響き渡った。
「な、何だ……今の音は……?」
聞いた事もない音だった。何かが破裂するような、不穏な音。何だかは分からないのに、妙に恐ろしさを感じる嫌な音。
「今のは……銃声か?」
銃声。村長の言った言葉には聞き覚えがある。
確か、火薬を爆発させる事で内部に込めた弾丸を撃ち出す道具。銃と呼ばれるその道具が発する音の事だったはずだ。
何故、そんなものが聞こえる?
村での生活にそんなものは使わない。当然、彼の住むリーシャ村に銃などというものは存在しない。ゼノはこれまで銃という代物を見た事はないし、村の誰かが持っているという話も聞いた事はない。
銃声など、聴こえるはずがないのだ。
無数の疑問が頭の中を巡る。
思考の渦に飲み込まれそうになったゼノだったが、直後に現実へと引き戻された。
「村長! 大変だ! 山賊だ!」
一人の男が村長宅の扉を勢いよく開き、雪崩れ込むように駆け込んでくる。余程焦っているのだろう。叫んでいる内容はあまりにも簡素だったが、ゼノや村長には十分に通じた。
「山賊じゃと!?」
驚愕する村長の傍らで、ゼノは少し耳を澄ましてみる。
『おらおら! プロンダ山賊団のおでましだぞコラァ!』
『隠れてやがっても無駄だぜ! さっさと全員出てきやがれオラァ!』
『当然金目のもんは全部持ってなぁ! それと、可愛い姉ちゃん達は着飾って出てこいよー? 可愛がってやるからよ、ヒャハハハ!!』
下卑た笑いと共に山賊とおぼしき男達の話し声が聴こえる。
ようやくと、ゼノの中で状況が整理された。
リーシャ村は今、山賊達に襲われている。
「村長! 山賊が!」
「分かっとる! とにかく落ち着くんじゃ! 焦っても事態は改善せん!」
「そりゃそうだが……」
村長は慌てふためく村人を落ち着かせるのに手一杯の様子だった。
どうすればいい。何とかしなければ。そんな考えがゼノの脳裏を埋め尽くした。
村が山賊に襲われている。そんな経験はゼノにはなかった。少なくとも彼の物心がついてから十数年、村は平和そのものだったのだ。事件などと呼べるものは何一つ起こってこなかった。
だが、それが今現在起こっている。何もしないで事が収まるはずはない。
だとすれば、何かをしなければならない。何らかの行動を起こさなければ、事態は改善どころか変化すらしないのだ。
「くそッ……!」
何で。どうして何も思い付かない。焦燥から考えもまとまらず、それが尚更焦りを煽る。
ゼノが漏らした悪態が耳に入ったのか、不意に村長と目があった。
「ゼノ……」
「村長、どうすれば、どうすればいいんですか。何とかしなきゃって思うのに、何をすればいいのか、何にも思い付かない……ッ!」
「……やむを、得んな」
「え?」
村長の瞳が、ゼノを正面から見据えていた。
ゼノは、村長のこの目を知っている。
幼い頃、何度か見た目。彼に何かを言い聞かせようとする時の、親代わりとしての目だ。
「ゼノ。お前は、逃げなさい」
「え……ッ!?」
思わず思考が停止する。
逃げろと言われた事よりも、村長の言う『お前は』の部分が引っ掛かった。
「いいかゼノ。裏口から外へ出れば、目の前は山道じゃ。そこから山へ入れば、山賊に見つかる事はないはず」
「村長……?」
彼が何を言いたいのか、ゼノは即座に理解する事が出来なかった。
村長宅の裏口から山へと入る道があるのは知っている。道なりに辿れば、先程直してきたばかりの立て看板の所へ出る事も。そこまで行けば、おそらく山賊に見つかる事もなく山を下りる事も出来るだろう。
そこからなら、逃げる事も出来るかもしれない。だが、村の全員を集めて逃げ出すのは難しい。何せ、山賊は既に村の中に入り込んでしまっているのだから。
そこまで思い至って初めて、ゼノは村長の真意が理解出来た。
「山を下りてそのまま南へ真っ直ぐ向かえば、アルトリア王都に辿り着く。流石の山賊も、そこまでは追ってこまい」
村長の双眸が、強く語りかけてくる。
一人で村から逃げなさい、と。
「そんな! 僕だけ逃げ出すなんて!」
「聞きなさい!」
反論しようとしたゼノを、村長は一喝して制した。これまで感じた事のない迫力に、思わず押し黙ってしまう。
「……いいかい、ゼノ。奴等はおそらく、家々から金品や食料を強奪して回るつもりじゃ。儂や彼も、家もあれば家族もある。見逃しては貰えぬじゃろうし、逃げ出す訳にはいかん」
村長は自分や、傍らでオロオロしている村人を示してそう告げた。
だが、そんなのはゼノもそうだ。家族はいなくとも家はある。それに、村の人々は皆、ゼノにとっては家族のようなものだ。だというのに、自分一人だけが逃げ出そうなどと考えられるはずがない。
口にはせずともゼノが何を言いたいのかが分かったのだろう。村長は小さく首を横に振りながら、静かに続けた。
「お前の気持ちは分かる。儂とて、お前と同じ立場なら同じ事を思うじゃろう。じゃが……お前がいた所で、事は解決せんのだ」
「それは……そうかもしれないけど……」
「じゃからな、ゼノ。儂等はお前に託すしかないんじゃ」
「え……託す、って?」
ゼノの両肩を優しく掴み、村長は尚も続ける。
「アルトリア王都には、ハンターがおる。彼等に依頼を出し、ここまで連れてきて貰いたい」
「ハンター……?」
「人々の出す依頼を受け、それを達成する事を仕事にしている者達だ。彼等は仕事柄、魔物を相手にする事もある。彼等なら、山賊達を何とか出来るかもしれん」
何とか、出来る。この状況を。リーシャ村を。
「ここから出て行ってしまっては山賊達に見つかってしまう。じゃがゼノ。今この場にいるお前ならすぐさま山へと入れるんじゃ」
村の皆を集める為には、どうしても一度村に出て行かなくてはならない。そうすれば、どうしたって山賊達の目に留まる。そこから村を出て山を下りるのは困難を極めるだろう。
村長は村の代表としてこの場を離れる訳にはいかない。山賊が襲ってきた事を伝えに来た村人は、この家に入って来る所を見られていたかもしれない。
村長の言う通り、今の所山賊達に確実に存在を知られておらず、加えてすぐさま山を下りる事が出来るのは、ゼノだけなのだ。
「そんな……そんなの……」
それでも、踏ん切りがつかない。
一時とは言え、自分だけが村を離れる。それは、見様によっては一時でも村を見捨てるとも言える。
その事が、ゼノの背中を引いていた。
「村長マズい! グズグズしてると奴等が痺れを切らしちまう!」
扉の陰から村の様子を伺っていた村人が村長を急かす。
「分かっとる! 今行く! ……ゼノ。行くんじゃ」
「でも! でも僕は!」
「いいから行くんじゃ! 分かったな!」
再度の一喝。
これが、タイムリミットだった。
『もしもーし。ここは村長さんのお宅ですかねー?』
『隠れてんじゃねーよオラァ!』
扉が乱暴に叩かれる。
山賊達が、村の中でも一際大きい村長宅に目をつけたのだ。
「いかん! ゼノ!」
「だけど!」
「時間がない! ええい!」
今にも開け放たれそうな表の扉に焦ったのか、村長は有無を言わさずゼノを裏口から押し出した。
突然の勢いに押し返す事も叶わず、ゼノは外へと転げ出る。
「ぐッ……そ、村長!」
何とか起き上がろうとすぐさま顔を上げるが、既に裏口は閉じられる寸前だった。
その扉の陰で村長が小さく呟く。
「いいなゼノ……決して、振り返ってはならんぞ……」
扉が、閉じられた。鍵までかけられ、ゼノは家に入る術を失った。
「村長……ッ」
絞り出したような声が漏れる。
扉の向こうでは山賊達が家に乗り込んできたのだろう。口汚く笑いながら喚く声が聴こえる。
――お前は、逃げなさい――
村長の言葉が、その時の表情が、脳裏で反復する。
「く……そ……ッ!」
今は、この場を離れなくてはならない。
村長や村人が、自分達の身の安全を代償にして送り出してくれた。それを無下にする訳にはいかない。
立ち上がろうとすると、自分の脚があまりにも重く感じた。
何とか自分を奮い立たせ、ゼノはその場を後にした。
◆
「はぁ……はぁ……はぁ……ッ」
鬱蒼と茂る木々の間を全力で駆け抜ける。村を後にしてから実際にはさしたる時間は経っていないが、ゼノにとっては数時間にも感じられた。
立ち並ぶ木々は高々と生い茂り、日の光を遮っている。足下は影に内包され、次に足場とすべき場所もはっきりしなかった。
そんな樹海の真っ只中を、ゼノはひたすら走り続けた。
何度も転びそうになった。乱雑に伸びた枝や蔓に肌を擦り、身体中を引っ掻き傷に晒された。草の影に隠れた窪みに脚をとられた。のし掛かる疲労から脚がもつれ、倒れてしまいそうになった。
普段から山道を歩いて慣れているとは言っても、それはある程度舗装された道でしかない。わざわざ道なき道を進む事などない。村長宅から続く道を進む限りは、これ程の苦労はないはずだった。
たが、ゼノはあえて森の中を進む事を選んだ。
理由は、二つ。
一つは、発見される事を恐れての事。山賊は村に入り込んでいたが、それで全てだとは限らない。開けた山道よりも森の中を進んだ方が、下手に発見される恐れは低いと思った。考えられる可能性は、なるべく潰した方がいい。
そしてもう一つは、単純に抜けるのにかかる時間だ。
多少舗装されているとは言え、山道はリーシャ村の人の手のみで作られたもの。山を切り崩すにも限界がある。山の傾斜や木々の並びに逆らわないよう、うねうねと曲がりくねって走っていた。
それなら、直線に抜けた方が走る距離は格段に短くなる。木や草が邪魔になる事を踏まえても、かかる時間が短縮されるのは明らかだった。
こうしている今も、村は山賊に襲われている。それを思えば、一刻も早く山を下りなければならなかった。そんな考えが、ゼノに森の中を駆け抜ける事を選ばせた。
「はぁ……あ……ッ!」
窪みに被さった木の根に脚を引っ掛け、そのまま前に倒れそうになる。寸での所で脇の木に手を突いて堪えた。
「はぁ……はぁ……はぁ……ッ!」
より多くの空気を欲して吐いては大きく息を吸う。胸の鼓動が、これまでに感じた事がない程の速さである事を感じた。その鼓動の音で、ゼノの思考が埋め尽くされる。
このまま立ち止まる事が出来たらどれだけ楽だろう。いっそ身体を投げ出して寝転がりたい。倒れ込んでしまう事が出来れば、少しばかりの回復も出来る。
そんな考えが脳裏をよぎる。その考えに身を委ねてしまいたい欲求に刈られる。
「……うあぁッ!」
ゼノは、思い切り手を突いた木を殴り付けた。
殴った手の甲に鈍い痛みが広がる。その痛みをもって、自分の中に生まれた逃げ出したいという欲求を何とか掻き消したかった。
今、村の人達は自分よりも痛い思いをしているかもしれない。自分よりもツラい思いをしているだろう。
なのに、自分だけが楽をしていいはずがない。
そう自分に言い聞かせ、痛みに耐えながら何とか次の一歩を踏み出す。
一歩、一歩と、しっかりと地面を踏み締めながら。踏み締めた地面を蹴り飛ばしながら。
何とかして前へと歩みを進める。
やがて――
「はぁ……はぁ……あ」
――日の光を遮る木々の隙間から、一筋の光が差し込んだ。
その光に向かって歩を進め、ようやく辿り着く。
「か……看板……」
肩で息をしながら、目の前に立つ小さな立て看板を見る。村長の頼みで直しに来たばかりの立て看板。つい今朝の出来事だというのに、随分と前の事のように感じてしまう。
看板の脇を抜け、山道に沿って下りて行けば、数分もかからずに山の麓に辿り着く。
後は、そこから南へ向かう。そうすれば、村長の言う通りアルトリア王都とやらに着くはずだ。そこでハンターに依頼を出し、助けて貰えれば良いのだ。
ここまで来れば山賊に見つかる事もないだろう。村から道なりにこの立て看板まで下りてくるのは少しばかりの時間がかかる。森の中を直線で抜けてきたゼノのおよそ二倍はかかると見ていい。
疲れては、いる。だが、まだ走る事も出来る。行ける。行くんだ。
止まっていても仕方がないと、さらなる一歩を踏み出そうとした。
その時の事だった。
「ッ!?」
遠くで、何かが破裂するような音が木霊した。
音がした方を思わず見やったゼノは、瞬間理解する。
ゼノが見たのは彼の後ろ側。丁度彼が突っ切ってきた森の奥。すなわち、リーシャ村の方角だ。
その方向から破裂音が聴こえてきたという事は。
「村で……銃を撃った……?」
村に入り込んだ直後こそ銃を撃っていた山賊達だったが、それ以降は喚き散らしているばかりだった。彼等の目的はあくまでも金品の強奪であり、村人達を傷付ける事ではないと思っていた。そう、思いたかった。
だが、今改めて考えてみれば。
そう決め付けられる根拠など、どこにもなかった。
山賊が村人を傷付けないとどうして言える。
例えば村の誰かが何とか隙をついて抵抗を試みて、それを別の山賊が見つけたとしたら。
例えば村に山賊達が思っている程の金品がなくて、彼等が機嫌を損ねたとしたら。
例えば山賊達が、ただ快楽の為だけに無闇に人を傷つける事を何とも思わないのだとしたら。
今の銃声は、それこそ村人が撃たれたものかもしれないのだ。
「く……ぐ……ッ!」
いつの間にか、ゼノの拳は固く握られていた。歯は食いしばられ、力を込め過ぎた拳の中心からは鮮血が流れ始めていた。
ゼノは、強い憤りを感じていた。
何故、自分はここにいるのだろう。
何故、自分は村にいないのだろう。
何故、自分はたった一人逃げているのだろう。
村長宅で無理矢理奥底に沈めた思いが再び表層へと浮上した。
あの時はきっかけがあった。山賊が村長宅に押し入ろうとした。そのせいで村長に強引に送り出される事となり、その場を離れざるを得なかった。
けれど、今は違う。
思考を切り替えるきっかけがない。ゼノの視線はリーシャ村の方角に釘付けになっている。先程の銃声も相まって、最悪なイメージばかりが膨れ上がっていく。
今、村はどうなっているのだろうか。
果たして、アルトリア王都へ行ってハンターを連れてくるのは間に合うのだろうか。
ハンターを連れてくれば本当に事態は解決するのだろうか。
一度生まれた疑念は消えるどころか、留まる事なく膨らみ続ける。そうして膨れ上がった疑念は漠然とした不安と変わり、ゼノの思考を支配していく。
抜け出す事も抗う事も、出来なかった。そうする術を、ゼノは知らなかった。
「ッ!?」
そこで、再度の銃声。
もはやとどめとさえ言えた。
気付いた時には、ゼノは走り出していた。傍らの立て看板を横目で見やり、一直線に駆け込む。
立て看板の先。聳え立つ一本の大樹の足下に鎮座する、それを目指して。
◆
そこへと脚を踏み入れた事は、実の所なかった。遠くから眺める事はあっても、立て看板を越えて近付く事などこれまでにただの一度もなかった。
近付いてはならないと、物心ついてからずっと口酸っぱく言われ続けていたから。
だから、それを目の前でまじまじと見つめるのは、これが初めてだった。
「はぁ……はぁ……剣……」
息はあがったまま、ゼノはそれの前に立っていた。これまで何度も遠くから眺めては、まぁいいやとすぐに意識の外へ追いやっていた、それ。
一振りの、剣。
長い事その場に鎮座し、風雨に晒されてきたはずだった。少なくとも、ゼノが物心ついた時には既にそこにあった。
にも関わらず、だ。
その剣は、ついさっきそこに突き立てられたかのように綺麗だった。
人が近付かない場所だから、当然周りの手入れなどされていない。伸びに伸びた雑草はゼノの膝すら超えている。
だがその剣は、蔓の一本すら絡んでいなかった。まるで、何もかもがその剣の存在を知覚していないかのように。
その剣を間近に見て得た感想は、異様、だった。
鳥の翼を模したような鍔。同じく鳥の脚のように伸びた握りの先に施された柄尻には鋭い鉤爪に蒼い宝玉が握られている。地面に突き立てられた細身の刃は決して長くはない。
その刃には、曇り一つもなかった。
木々の隙間から射し込む陽光に煌めく刀身は、とにかく切れ味の良さを感じさせる。刃も、鍔の装飾も、柄尻の宝玉も、どれもこれもがたった今鍛え上げられたかのような輝いていた。
「これなら……」
使える、かもしれない。
無論、大した事件もない生活を続けてきたゼノは、剣など扱った事もない。今目の前にある剣を手にした所でどうにか出来るものかは分からない。
単純に武器にするだけなら、普段の生活で扱いに慣れている斧や農具の方がよっぽどいいのかもしれないとも思った。
だが。
「……やるんだ……」
時間が、ない。
山賊に見付からないように村に戻り、さらに扱い慣れた農具を探している時間が。
今現在この状況下で、ゼノが手に出来るものは、目の前の剣を置いて他にない。
「やらなくちゃ……」
逃げる事なんて出来ない。村の人々を置いて一人だけ逃げ延びるなど、考えられない。
村長は、助けを呼んで来て欲しいと言った。
だが、アルトリア王都まではそれなりに距離がある。当然行き着くまでには時間がかかる。それが往復となれば尚更だ。
どうしても間に合うとは思えなかった。何せ村が襲われているのは、今この瞬間なのだから。
何とかしなければならない。
何かをしなければならない。
「今それが出来るのは……僕だけだ……!」
剣の握りに手を伸ばす。
ゆっくりと確かめるようにそれを握ると、何故だか妙にしっくりときた。扱い慣れた農具よりも、ずっと強くそれを感じた。
振るえる。上手く扱う事は出来ないまでも、それを振るう事くらいは出来る。
何とか、出来るかもしれない。
ゼノは目を閉じ、自分に言い聞かせるように呟く。
「……逃げない」
頭の中に、無数の選択肢が浮かんだ。
村長の言う通り、アルトリア王都へ向かうべきではないのか。
下手に逆らわず、山賊達の気が済むように事を運んだ方が良いのではないのか。
自分一人でやるのではなく、村に戻って団結した方が可能性はあるのではないのか。
「……逃げたく……ない」
どれもこれもが正しく思えて、どれもこれもが間違いに思えた。
上手くいく保証などどこにもない。
上手く立ち回れる自信など欠片もない。
それでも。
「……逃げられる……訳がない……!」
何か行動をしなければ、何一つ変える事など出来はしない。
その考えだけが、ゼノの奥底に強く響いていた。
「くッ……!」
力を、込める。
突き立てられた剣は、予想以上に硬く感じた。少し力を入れた程度では微動だにしない。
両手でグリップを握り、大きく息を吸う。目を閉じ、自分の中に巡る力の全てを絞り出すイメージを頭の中に作り上げる。奥底から漏れ出る何かを手繰り寄せるように。
自分の身体と、握った剣。
「うぅぅぅぅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
それ以外の一切を意識の中から――消した。
◆
「おいおいおい! こいつは一体どうした事だ!? 寂れた村だと思っちゃいたか、金目のもんがこれっぽっちしかねぇときた!」
「……そうは言っても、事実それしかないんじゃ」
「隠したって何もいい事なんざねぇぜ、じーさんよ?」
「そんな事をする必要がどこにあるんじゃ。出せるものが残ってるなら出しておる」
リーシャ村の中央部。開けた広場となった場所で、村長は男達に向き合っていた。無論、村を襲撃した山賊である。
いつもなら主婦達の井戸端会議や男達の他愛ない雑談で埋め尽くされたにぎやかな場所だが、今では見る影もない。女子供は広場の中心で銃口に囲まれ震えるばかり。男達は村の四方八方に金品を探しに行かされている。
とにかく、時間を稼がなければならない。村長の頭にあるのはそれだけだった。
今の所、村人には被害がない。
山賊と言えど無闇に人を傷付けるのは気が引けるのか。あるいは村人達に何かしらの使い道を見出だしているのか。
どちらにしても、今の状況なら何とかなるかもしれない。このまま時間を稼げば、山賊達も諦めて帰るかもしれない。
金品は既に村の全てを掻き集めたと言っていい量がそこにある。探し回っている男達も、これ以上の成果は望めないだろう。
ただ、闇雲に時間を稼げば良い訳でもない。大した戦果もないままで悪戯に時が過ぎていけば、焦れた彼等が何をするか分からない。最悪の場合、鬱憤を晴らすかのように破壊の限りを尽くす可能性だってある。
山賊の気概を削がなくてはならない。
彼等は未だ、少なからず金品が残されていると信じている。予想していた程もなかったが為に、半ば意地になっているのだろう。
それならば。
「考えてもみて欲しい」
「あん?」
村長は高笑いを続ける山賊達に恐る恐る話し掛けた。
「そもそもが自給自足で成り立つ村なんじゃ。村での生活に、金など使わんのじゃよ」
これは事実だ。
元来山奥にあるリーシャ村は、村の外との関わりが極めて少ない。厳しい冬に備える為に農作物や民芸品を一番近いアルトリア王都で売り、その金で食料や衣類等を買い揃えて戻ってくるのが精々だ。
わざわざ山を下りるにもそれなりに労力がいる。全くないとは言わないが、それでもリーシャ村においての金の価値など、さほど高いものでもなかった。
「儂等にとっては金品など無用なのじゃ。あるとしても斧や鍬といった農具程度のもの。それすら大した金にも変わるまいて」
慎重に、ゆっくり言い聞かせるように述べる。
これで何とか分かって貰えれば。もはや強奪出来るものがないと理解さえしてくれれば、きっとこれ以上は無意味である事が分かるはずだ。
そう、思っていた。
「……へーぇ?」
――彼の言葉を聞いた山賊達の表情を見るまでは。
「面白ぇ事言うじゃねぇか、じーさん」
「な……ッ!?」
彼等は、笑っていた。
「これ以上金目のもんなんかねぇ? だからさっさと帰れってか?」
「ふざけんじゃねぇよクソジジイ。んなもん誰が信じるってんだよ、ギャハハハ!!」
隠す事もなく、大仰に。
「嘘などつくものか! 儂等にはもう本当に――」
「――だったら……それが本当かどうか、確かめてやるよ」
「何じゃと!?」
村長は、自分の考えの甘さを悟った。元より、交渉など無意味だった。
彼等はこちらの言い分など、始めから聞く気などなかった。
山賊の一人が村長に近付きながら続ける。
「これからテメェ等の家を一軒一軒俺達がじっくり調べてやる。何か一つでも金目のもんが出てくる度に……」
言いながら、男は手にした銃を虚空に向ける。
そして、あまりにも自然に――引鉄を引いた。
「ッ!?」
村人達は思わず身を竦める。悲鳴を上げる子供達を、母親達が強く抱き締めた。
「……その家を探っていた奴をズドン。ついでにここにいる奴も一人ズドン、ってのはどうだ?」
「そいつはいい! お前性格悪ぃなぁ!」
「お前も人の事言えねぇだろ?」
「それもそうか、ケヒャヒャヒャヒャ!!」
下卑た笑い声が木霊する。
「止せ! 村人達には手をだすな!」
「るっせぇ!」
「げふ……ッ!?」
引き止めようと前に出た村長を、山賊の一人が蹴り飛ばした。
「ぐ……ふ……」
「村長!!」
思わず立ち上がる村人を、他の山賊が銃で制した。無言で銃口を振られただけで、身体は竦み動けなくなってしまう。
「ぐぅ……ッ」
「おいおいおいおいじーさんよ。あんまり俺達を舐めるんじゃねぇぜ」
腹を抱えうずくまる村長に、男はにやついた顔を揺らしながら近付く。ゆっくりと、時間をかけて。まるで、その一歩が村長に向けられた剣閃であるかのように。
「別にこっちは皆殺しでも構わねぇんだ。それをしねぇだけありがたいと思いやがれ」
山賊にとっては脅しの定石だ。痛みを与えた上で、時間をかけてじっくりと脅しつける。たったそれだけで、人は簡単に竦み、そして屈してしまう。
「さぁて、最初はどっからにするかね?」
「どこでもいいだろ、手当たり次第に行こうぜ」
加えて、リーシャ村の住人は荒事に対する耐性などない。抗う事など出来るはずもない。四肢は恐怖に凍り付き、脳裏は逃げ出したいという思いで溢れている。
戦う力がない以上、抵抗など無意味。もはや何をしても山賊達は止まらない。
「……ゼノ……ッ」
村長は、心の中で少年を思う。
無事に山を下りたろうか。王都への道すがら、魔物に襲われてはいないだろうか。
彼だけでも逃れさせる事が出来て良かったと思う。理想とは程遠かったとしても、それだけで幸いだと思える。
「そんじゃ、最初はそこのお家からー! 突撃、隣の金目のもん、ってかぁ!」
そして、少年に申し訳ないと思う。
時間を稼ぐ事が出来ない。帰る場所を守る事が出来ない。
「おっとその前に……一人ばかしいっとくかぁ」
「お? いいねぇ、見せしめって奴かぁ?」
「それなら出しゃばりクソジジイでいこうかねぇ」
これ以上、自分達に出来る事など、何一つない。
村長は無意識に強く噛み締めた。それは恐怖というよりも悔しさと申し訳なさからくるものだった。
「面白ぇ……それでいこうか」
山賊の一人が銃を構えた。怪しく黒光りした銃口が村長へと向けられる。
村人達は動く事が出来なかった。下手に動けば無差別に乱射される恐れもあったし、何よりその銃口が自分に向く事が怖かった。
銃を構えた山賊が、口元を歪めてニヤリと笑う。
「そんじゃあ……」
そのまま手にした銃を肩口に固定し引鉄を――
「あばよ、ジ――」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
「――ジイ……は?」
――引こうとして指をかけた瞬間だった。
雄叫びのような声と共に、構えた山賊の足下に飛来した鍬が突き刺さったのは。
「え? ……うぉッ!?」
突然の出来事に、山賊が状況を把握するのに数秒を要した。
自分の足元に鍬が突き立てられた。それも村人達を完全に掌握し、見せしめとして村長をその手にかけようとしたまさにその時に。
「な、何だテメェ!?」
実際に銃を構えていた山賊から少し離れた場所に立つ別の山賊は、その状況を少しばかり客観的に捉える事が出来ていた。だから、状況を把握するのも、その鍬が飛来した方に目を向けるのも、少しだけ早かった。
そして、見つける。
鍬を投げたであろう当事者の――その少年を。
「村長から離れろッ!!」
「お、お前は……」
村長は、今の今まで銃を突き付けられていた事さえも忘れ、目を擦った。その目に映る姿を、現実として受け入れられなかった。
否。受け入れたくなかった。
そこに立っていたのはまぎれもなく、ゼノだったから。