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XenoCrisis - ゼノ・クライシス -  作者: 高杉零
資質 - Probationers who busy themselves -
18/24

資質

「――と、意気込んで来てみたはいいんだけど……」

「……来ないんだけど! 受験者!」


 沈黙に堪えかねたユニが声を荒げる。

 だが無理もない。彼女の言う通りなのだから。


 ゼノ達が水晶の間に辿り着いてからかれこれ一時間は経過している。

 明け方に試験の申請をしたくらいだからすぐにも来るだろうと思っていたのだが、まったくもってそんな事はなかった。


 始めの内は身体を温める為に軽く運動をしてみたりユニとあれこれ打ち合わせをしてみたりと意気揚々だった気分が、時間が経つにつれて少しずつ萎んでしまっている。


 セヴィルに至っては辿り着くなり水晶の柱に寄り添うように胡座をかいている始末だ。


「焦るなよ。お前等の時もこんなもんだったぞ」


 もはや完全にくつろいでいる。まるで家で鍋でも囲んで煮えるのを待っているかのようだ。


 自分達が試験を受けた時の事を思い返す。

 確かに進んでは戻り進んでは戻りを繰り返していたから、全体では結構な時間がかかったのかもしれない。自身はわたわたと忙しなかったので実感はないのだが。


 その時のセヴィルはこんな気持ちだったのだろうか、と思わず顔が緩んだ。仏頂面の彼がまだかまだかと自分達を待ち続けている姿を想像すると妙に面白かった。


「ホントに来てるんでしょうねー?」

「さぁな。来なきゃ来ねぇで仕方ねぇ」


 もう何度この会話を耳にしただろうなどとふと考えてしまう程度にはユニは同じ問いかけを、セヴィルは一言一句変わらない回答を繰り返していた。


 広間の入り口に目をやる。


 幻想的な煌めきが広がるこの場と違い、入り口の向こう側は薄暗い。そこは確か障害物もない直線通路だったはずだが、広間に降り注ぐ光は届いていない。


 ――そういえば自分達がここに辿り着いた時には急に目の前が明るくなって少し目が眩んだな。


 そんな事を思った時だった。


「おい! この向こう明るいぜ!」

「ほぉら! やっぱあの曲がり角、左だったじゃねぇかよ!」

「偉そうに言ってんじゃねぇよ、テメェだって何度も行き止まりに突っ込んでったじゃねぇか!」


 声が聴こえてきた。

 目指す場所をようやく見付けたのだろう。声は少なからず達成感をはらみ、高揚した気分を乗せて徐々に近付いてきていた。


 洞窟内を反響して耳に届くその声は――正直に言えばやたらと耳障りに感じた。荒々しいと言うべきか、あるいは刺々しいと言うべきか。


 何故そんな風に感じるのか、自分でもよく分からなかった。


「おーっしゃ俺がいっちばー……あん?」


 まず一人目が広間の入り口から躍り出る。妙に大きなザックが目を引いた。


 腰に剣を差しているから剣士かとも思ったが、それはゼノのものと比べて大分短かい。短剣と呼ばれる代物だろう。男自身もその短剣に似つかわしく――と思うのは失礼なのかもしれないが――ゼノと同じくらい小柄だ。


 目の前に聳える水晶の柱に目を奪われたのも束の間。突然現れたゼノ達に驚いたのだろう、勢い良く駆け込んできた格好のまま数瞬の間静止してしまった。


「何か見つけたの――うおッ!?」

「うぐへッ!?」


 入り口の目の前で静止したその男に至極当然のように追突する後続。

 何だろう。何だかわざとやっているようにすら見えてしまう光景だ。


「いっててて……んだよ、急に立ち止まるんじゃねぇよ」

「待て。誰だ、テメェ等は?」


 後続の男がゼノ達に気付き、問うてくる。


 こちらは先程の小柄な男とは異なりひょろっと身長が高い。ヒラヒラの服と手にした杖を見る限り、まず間違いなく魔法師だろう。


 もう一人は高くもなく低くもなくといった身長だがふくよかな体格をしている。大金槌を抱えている事から力自慢の戦士なのだろうと宛がついた。


 三人の男達を眺め、まずは読み取れるだけ情報を読み取ってみる。まずはそこから考えろとこの一週間ユニから言われ続けたおかげだ。


 さて。この三人の戦い方を想像すると。


「……僕達と同じ……?」


 もちろん全てが一致している訳ではないが、似ているなと思った。


 先頭の小柄な男はおそらくスピードで翻弄するタイプだろう。長身の男はユニと同じく魔法で他を援護する後衛。最後のふくよかな男が強大な一撃を誇ると考えればセヴィルと同じと言えなくもない。


 構成が似ているという事は、戦い方も似ているという事だ。


「分かった! テメェ等も水晶の欠片を取りに来たんだな!」

「……へ?」


 ビシッと指を突き付けられて思わず目を丸くする。

 どうしてそうなるのかと隣のユニに尋ねようと思ったが、彼女も口をあんぐりと開けていた。どうやら分からなくて正解らしい。


「おぅこら、ここにある水晶は全部俺達のもんだぜ。テメェ等の取り分なんかねぇぞ」

「……試験の内容は、水晶の欠片を取ってこい、だったはずだが?」

「うーるせー、関係ねーよ!」


 小柄な男がヒヒヒと甲高い笑い声を上げた。


「こんだけありゃ結構な値で売れんだろ? そこの柱なんざ上手ーく削り取ってでっけぇ塊にしてやれば高値で売り飛ばせるぜ!」

「……何だと?」


 セヴィルがトーンを一段階下げた。

 だが、男達は全く気にも止めていない。


「何だぁ? 耳ん中に虫でも湧いてんじゃねぇのか?」

「ヤだねー、歳とると耳も遠くなっちまうわなおっさんよ」


 どうしてそれ程までにセヴィルを挑発するのか。

 恐る恐る彼の方に目をやってみる。


 あ。こめかみがヒクヒクしてる。

 完全にイラついている。相手がゼノならとっくに拳骨が飛んで来ているだろう。


「おいこらそこの女」

「あらー? 何かしらー?」

「その辺の水晶の欠片、まとめて寄越せ。わざわざ集めんのも面倒だからよ」

「何であたしがそんな事しないといけないのー?」

「ざってぇなさっさとしろよこのペチャパイ」


 ユニの眉間に皺が寄った。

 これはどうやら、結論は出たようだ。


「……さて。どうする、お前等?」

「アウト。完璧アウト」


 他の発言を許さないと言わんばかりの反応でユニが言う。一応セヴィルは二人に聞いているのだから、自分にも答える権利はあると思うのだけれど。


 とは言え、反論はない。彼等がハンターにふさわしいかと言われれば、全力で否定したい衝動に駆られていた。


 ハンターになりたいという志も見えない。あるいは水晶の欠片さえ得られれば、ギルドに戻らずにそのままどこかへ売り付けに行きそうな男達。


 彼等の笑い声を何故こんなにも耳障りに感じるのか、ようやく分かった。


 似ているのだ、あの山賊達と。リーシャ村を襲撃した野盗共と。ゼノの大切なものを傷付けた男達と。


 酷く不愉快な気分だった。似ているというだけで非難してはならないと思うが、不愉快に感じるのを止める事は出来そうもない。


 そんな彼等をハンターとして認める訳には――いかない。


「……決まりだな」


 ゼノの態度を肯定と捉えたセヴィルは、改めて男達に向き直る。


「おい、そこのボンクラ小僧共」

「あぁん? 何だおい、誰がボンクラだこ――」


 下卑た笑いを浮かべたまま売り言葉に買い言葉を返そうとした男達は――しかしそれをする事が出来なかった。


 次の瞬間には、その喉元にセヴィルの大剣が突き付けられていたから。


「……それ以上くだらねぇ口開くなら、このまま突き刺すぞ」

「――ひッ!?」

「て、テメェ! いきなり何しやがんだ!?」


 小柄な男が怒りの声を上げる。突然の恐怖に固まる長身の男を引き退げながら、セヴィルを睨み付けていた。


「剣を持ち上げたんだが」

「そういう事聞いてんじゃねぇ!」

「何しやがんだって聞いたろ、今」

「そういう意味じゃねぇ!」

「ならどういう意味なんだよ」

「だぁうるせぇッ! テンメェ……ふざけんなよこら!?」


 男達のボルテージが次第に上がっていく。

 上機嫌だった所に剣を向けられたのだ、気持ちは分からないでもない。セヴィルも完全にそれを狙って受け答えをしている。


 ひとしきり溜まった鬱憤が晴れたのか、少ししてセヴィルは男達に告げた。


「試験結果を伝える。テメェ等は考えるまでもなく不合格だ。とっととこっから出てけ」

「……は?」


 あまりにもあっさりと告げられた結果通達に、男達の表情が固まる。


 うん。たぶん、その反応は間違っていない。

 ゼノ自身、セヴィルがハンターだという事前知識がなければ同じだったかもしれない。


「……何だと?」

「聞こえなかったのぉ? あんた達の方こそ、頭の中にミニマムビークでも湧いてるんじゃなぁい?」

「あぁッ!?」

「きゃーこわーい。こいつ等あたしを性的な目で見てるわー」


 ユニが流れに乗っかった。

 誰もそんな目では見ていない、などと発言しようものならきっと洞窟が崩れ去る。そんな気がした。


「テメェ等……いい加減にしろッ!!」


 我慢の限界に達した小柄な男は、顔を真っ赤にしながら短剣を振り翳した。天井から降り注ぐ光に怪しく煌めく切っ先にゼノは一瞬身体を強張らせたが――それだけだった。


 不思議な程に落ち着いている自分がいる。

 それはきっと――セヴィルやユニと共にいる事に、少なからず慣れたという証なのだろう。


「……いい加減にしろ、ねぇ」


 少しの間をもってから、セヴィルが呟いた。

 完全に頭に血の上った小柄な男に短剣を向けられた彼は、そんな事は気にも留めずに続ける。


「そうだな……んじゃ、いい加減にしてやるよ」

「ふざけてんじゃねぇぞテメェ!?」

「別にふざけてねぇって。いいから聞けよ」


 途端、広間に重々しい金属音が響いた。セヴィルが大剣を地面に突き立てた音だ。

 直前までがなり立てていた男達は一斉に身体を硬直させる。その瞳には少なからず恐怖が見てとれた。ゼノ自身、真後ろで突然大きな音を出されたので思わず背筋を伸ばしている。


 経験上、この後セヴィルから圧倒的な迫力をもって押し黙らせるだろうと思った。それでこの場は終わりになる、と。


 ――そう、思っていたのだが。


「……仕方ねぇ。一応試してやる」

「ふぇ!?」


 予想外の言葉に変な声が出た。


「いきなり不合格って言われても納得いかねぇだろ。俺達の妨害を受けながら、それでも水晶の欠片を持ち帰れれば、合格にしてやってもいい」


 何ですと。と驚いたのはむしろゼノとユニだ。一体何を言い出したのかこの人は。


 いや、別におかしな事は言っていないのかもしれない。今回のハンター試験はゼノ達の時と同様の内容で組まれているし、水晶の欠片を持ち帰れば合格というのは始めに通達されている内容なのだから。


 だが、ついさっき不合格だと言い放ったのは他でもないセヴィル自身だ。


 分からない。僕にはこの人が本当に分からない。ゼノは改めて心の底からそう思った。


「……マジで言ってんのか?」

「嘘ついて俺に何の得があんだよ」


 理解のきっかけが欲しくてユニを見やる。彼女も同じようにこちらを振り向いた。眉は軽くしかめられ、向けられた瞳が告げている。


 助けて、と。


「だがまぁ、ただやり合っても面白くねぇよな」


 こちとら腐ってもプロのハンターだ、と続けるセヴィルの口元は怪しげに歪んでいた。

 明らかに、良からぬ事を考えている。


 マズいと思った。

 このまま話が進んでしまうと厄介な事になるのは明白だ。しかも、おそらくそれはゼノとユニに振りかかる。そんな予感がする。


 ちょっと待ってください。

 意を決して差し込もうとしたその言葉は、しかし音を持つ事はなかった。


「三つだ」


 いつも気怠げなセヴィルに似合わず、その手は勢い良く突き出された。その先には何故そんなにもと思う程にピンと伸ばされた指が三本。


「お前達に有利な条件を三つ、くれてやる」

「マジか!?」


 セヴィルの手に食い付かんばかりに男達は反応する。ゼノが反論する余地すらない程の早さだった。


 それは同時に、ゼノとユニにとっては悟りの知らせでもあった。


 つまる所。

 自分達の異論反論にはもはや何の価値もないのである。


「まず一つ。ゼノ、お前は剣を使うな。素手でやれ」

「ですよねー……」


 うんざりした気持ちを前面に押し出して応える。

 僅かばかりの抗議のつもりだったが、セヴィルは一切意に介さない。


「でもって二つ。ユニは詠唱禁止」

「はいはい……」


 ゼノに続いてユニにも制限が設けられた。

 要するに、受験者である男達にハンデを与えようと言うのだ。


 口にこそ出せないが、ゼノはしみじみ思う。ハンデをつけなければならないのは、この中ではセヴィルだけではないのか。


 プロのハンターなのはセヴィルだけで、ゼノとユニは見習いでしかない。それどころか一週間前に同じように試験を受けたばかりなのに。


 そんなゼノの心の内を覗いたかのように、最後の条件が告げられた。


「俺はここから動かねぇ」


 ――空間が、止まった。


 セヴィルのその言葉は、ゼノ達の口をあんぐりと開けさせるには十分過ぎた。理解の枠を超えているどころか片手で枠を粉砕した。


「二人でやれっての!?」

「バァたれ、誰がそんな事言った」


 今さっきあなたが、と言いたくなる。

 改めてゼノとユニに目をやり、セヴィルは少しだけ声を落とす。


「こっから動かねぇだけだ。流石に魔法は使わねぇがそれ以外はやってやる。簡単だろ」

「あははは……」


 もう乾いた笑いしか出そうにない。


「……あんた、サボりたいだけじゃないでしょうね?」

「んな訳あるか。こうでもしねぇと意味がねぇんだよ」

「何の意味よ、何の」

「さぁな」

「あんたね――」

「今の話、マジだろうな!?」


 セヴィルに掴みかからん勢いで身を乗り出したユニの言葉が背後から遮られた。二人の応酬を眺めながら右へ左へ顔を向けていたゼノはそのままの勢いで後ろを振り向く。少し首が痛かった。


 そこに揃うのは、口元をにやけさせた――むしろ引きつらせているようにも見える――男達の姿。


「おい。今の話、嘘じゃねぇだろうな?」

「今更嘘でした冗談でしたは通じねぇぞ」

「この耳でしっかり聞いたかんな!」


 口早にあれやこれやと並べ立てる男三人。セヴィルが嘘じゃないと応えるとその熱気はさらに高まっている。


 その姿を見てゼノの口から漏れたのは――溜め息だった。


 気持ちは分からないでもない。


 目の前に立ち塞がるのはプロのハンター。それだけではなく、見習いとは言えさらに横に二人。総力戦となれば結果は明らかである。


 それが自分達に有利な条件を、しかも相手側から提示してきたとなれば、見えた希望に心が奮えるのだろう。


 そう。分からないでもないのだ。


 だからこそ、だ。


「さて……話がまとまった所で」


 使用禁止を言い渡された剣をセヴィルの近くに放り、改めて男達を見据える。


 男達の中では高揚が恐怖を上回っているのか、ニヤニヤと締まらない表情でそれぞれの武器を構えていた。

 見えた希望の糸口に踊る心が押さえきれないと見える。チラチラとセヴィルの寄り掛かる水晶の柱を眺めてはその瞳を輝かせている。


 とは言え、男達も腕に自信はあるようだった。先程までの固さは鳴りを潜め、ゆらゆらと影のように身体が揺れている。

 動き出すタイミングを図っているのか、あるいはそれをこちらに悟らせない為なのか。少なくとも自分達なりの戦い方を持っている動きのように思えた。


 軽く、視界の端を見る。

 同じく身構えているユニが、これも同じくこちらに目だけを向けていた。


 たったそれだけで伝わってくる。

 自分と同じ思いである事が。


 それだけで、十分だ。


 どちらからともなく小さく頷いて、その時を待った。


 ――そう。男達の気持ちが分からないでもないからこそ。


 僕達は、全力で叩き潰さなければならないんだ。


「ボチボチ、始めるか」


 セヴィルの言葉は最後までしっかりゼノの耳に届かなかった。そのきっかけを待たずして、洞窟内に獰猛な雄叫びが響き渡った。




  ◆




「大丈夫ですかね、彼等」

「んー? 誰の事?」


 棚の書類を整理していたレティシアに、ふと後ろから話し掛ける者があった。声を聞くに、まだ新人の後輩職員だ。


「彼等ですよ。ほら、今頃試験真っ最中の」

「あー。そーねー。割とボロボロになってると思うわー、よっと」


 反動で脚立が倒れないよう支える職員は、ですよねーと溜め息混じりに漏らした。


「いくら何でもいきなりですからね」

「そーそ。どれだけ腕に自信があろうと、運がなかったと思ってもらうしかないわね」


 単純な強さだけで全てが決まるのなら、きっとこの世界にここまで人は栄えていない。強さだけではない何かがあるからこそ今があるのだと、レティシアは思う。


 運。

 それがどのように定義され、何に影響を受けるのか。そんな事は分かりようがない。分からないからこそ、それは運という言葉で括られる。


 それは得てして存在する。物事の結果を決定付ける要因として。個人の力が介在する余地を与えないブラックボックス的な何かは間違いなくある。


 こればかりは誰にも、どうしようもないものなのだ。


「……だってのに何で行かせたんですか」

「何が?」

「何がって……他にいい方法がなかったからって何もわざわざ危ない目に遭わせなくたっていいでしょう?」

「そんな事言ったって。自分達からやるって言い出したのよ」


 そう。自分達からやると宣言してきた。

 決して強要などしていないと、レティシアは断固として言い放つ。


「まぁ分かりますけど……でもまだ子供ですよ?」

「何言ってんの。若いとは言え一端の大人よ」

「けどあんな風にのせたりするから……」

「のせてないわよ。むしろ私は止めたもの。少し休んでから万全の状態で臨んだら、って」

「え、そんな事言ってました?」

「言ったわよ」

「そうだっけなぁ……?」


 職員は脚立を片付けながら首を捻ってしまった。


 はて。

 何だろう。何だか話が噛み合っていない気がする。


「ねぇ。もしかしてセヴィル達の心配してる?」

「え、違うんですか?」


 やっぱり、とレティシアは思わず息をついた。そういえば、この後輩職員はつい最近配属になったばかりだった。


「逆よ、逆。たぶんボロボロになってるのは受験者達の方」

「えぇ!? だって……」


 まぁ普通に考えればそういう想像になるのも分からないでもない。常識の範疇ならばむしろそれが当然とさえ言える。


 だがしかし、だ。


「さてここで問題です。かの"鬼人"セヴィル・バスクードがこれまで試験官を務めたハンター試験の受験者の合計は何人でしょう?」

「え? えぇっと……」

「んー? 不勉強だぞー後輩君。この辺りを拠点にしてるハンターの情報くらいは押さえてなくちゃー」

「……すみません」


 痛い所を突かれて俯く後輩。職員となって数ヵ月が過ぎようとしている中でまだまだ未熟な所を指摘されて落ち込んでしまった。


 その姿があまりにもおかしくて、レティシアは大いに笑い出す。


「ちょ、酷いですよぉ」

「ごめんごめん」

「それで……何人なんです?」

「千二百二十」


 場が、凍り付く。


 これでもかというくらいに目を見開いた彼がようやく言葉を口に出来たのは、それからたっぷり一分の後だった。


「……え?」

「だから、千二百二十人。少なくともギルドの記録に残っている数はね」

「そ、そんな事可能なんですか?」

「可能じゃなきゃそんな数字は出ないわねぇ」


 後輩は改めて口をパクパクとさせている。

 彼がそんな反応を見せる理由はレティシアにもよく分かった。


 ハンターズギルドが創設されてからおよそ十年。仮にその十年の間で毎日試験官を務めていたととすれば達成も可能ではあろうが、実際にそんな事は物理的に不可能ではないのかと思ってもおかしくはない。ハンターに紹介される依頼は試験官が全てではないのだから。


 しかしながら、ギルドの記録として残っている事は疑いようのない事実である。


 様々な情報を取り扱うギルドにおいて、記録の価値は大変に高いものだ。それこそ、万が一建物が全焼倒壊したとしても記録や情報は守り抜けとギルド職員になるものがまず始めに教育される程に。

 それを改竄などしようものならどれ程の大事件となるか想像もつかない。


 つまり、これらの記録は信用に足る。それが示す数値なのだからそこに疑問を挟み込む隙間はないのである。


 ではどうやってそれを実現したのか。


「話は簡単。一度に何組も相手にしたからよ」

「一度に……何組も?」

「そ」


 果たしてそれが実際に何組同時だったのかまでは分からないのだが。


 興味を持って調べようと思った事もあったが、結局それは断念した。

 何しろ記録が膨大過ぎる。一つ一つ確認していたらきりがない。


 その上セヴィルと来たら、試験官以外の仕事まで含めると記録も十数倍に膨れ上がるのだ。大きなものもあれば小さなものもある。やれやれ節操がないとはまさにこの事だ。


「その辺りの事もあったからかなー。いつからかどこかの誰かが呼び始めたのが、"鬼人"って異名なわけ」

「へぇ……」


 ふと立ち並ぶ棚の向こう側に佇むその扉に目を向ける。彼女自身が、彼等を通したその扉。


 心配などしていない。というよりもする意味も価値もない。本来であれば、それをする対象は受験者達の方だ。

 所詮は三人。ある程度腕に自信はあるようだったが、さほどの事もないだろう。セヴィルと比較するのはむしろ受験者達が可哀想だ。


 とは言え。


 気がかりな事は、ある。


「……大丈夫かな、あの子達」




  ◆




 一体自分はどうしてしまったのだろう。

 少しばかり前からゼノの頭の中は、そんな疑問で埋め尽くされていた。


「おぉぉぉぉりゃッ!」

「しッ!」


 咄嗟に半歩ずらした身体の脇を鋼鉄の刃が通り過ぎた。切っ先はそのまま地面を掠め、再び引き戻されていく。


 同じやり取りが先程からずっと繰り返されていた。剣を持たないゼノは反撃こそ出来ていないものの、その剣閃を全て紙一重で避け続けている。


 少し前までの自分では考えられない状況である。


 相手の動きが、やたらと遅く感じる(・・・・・)


 その動きの一つ一つがよく見える。相手が振り被ろうとする瞬間を捉えてからで十分に行動が間に合っている。どういう振り被り方をして、どんな軌跡でそれが振られるのかが手に取るように分かるのだ。

 だから、その先を押さえられる。


 とても新鮮な感覚だった。初めて剣を握ってから十日近く、こんな感覚を覚えた事などない。


「はぁ、はぁ……はぁ」


 相対する小柄な男は既に肩で息をしていた。腕はだらんと垂れ下がり、手にした剣を半ば引きずっている。

 むしろ彼の姿の方がゼノにはしっくりくる。もう既に結構な時間を費やしているのだから。


 アルトリアへと至る道中。ハンター試験。見習いとなって以来ユニと共に続けている鍛練。

 これまでのゼノの戦闘経験など数える程しかないが、毎回のようにゼノはすぐに疲弊していた。


 それはユニからも指摘されていた。経験の浅いゼノは何しろがむしゃらに動き回るので、無駄な動きが多過ぎるのだと。

 頭では分かっているのだが、いざ動き始めると同じ事を繰り返し、ユニに頭を叩かれる毎日だったのだ。


 それが、今日になって突然に上手くいく。そんな事があり得るのだろうか。


「ゼノ、後ろだ」

「ッ!?」


 唐突にかけられた声の方を向きもせず、ゼノは足下に突っ伏した。

 途端、彼の直上を輝く火球が貫く。


「くそッ!」


 目だけをそちらにやると、長身の男が杖を構えている。魔法を放たれたのだとそこで理解した。


 だが、ゼノはすぐさま向き直る。


「おぉらッ!」


 獰猛な雄叫びと共に振り下ろされる剣は、しかし虚しく空を斬った。立ち上がる事をせずに腕の力だけでその場を脱していた。


「ユニ」

「言われなくても! ≪エクル・バインドッ≫!」


 ユニの咆哮と共に雷の鞭が姿を現す。大きく広げられたそれは決して狭くはない広間の壁に打ち付けんばかりに迸り、バチバチと耳障りな音を立てながら男の一人に迫る。


「うおッ!?」


 すんでの所で――動きもしないセヴィルに近付こうと走っていた――小太りの男は身を屈めて難を逃れる。頭頂部から僅か指三本足らず。圧縮された雷の塊がそこを通過していった。


 小太りの男は思わず胸を撫で下ろす。あんなものをまともに受けたら一溜まりもないと瞬時に悟ったのだろう。

 背中越しでも聴こえる程に弾ける音が仇となった――


 ――かに見えた。


「バカッ! ボサッとしてんじゃ――」


 遠くから彼に投げられた声は、しかし耳には届かなかった。

 彼の目は、眼前に降り注いだそれ(・・・・・・・)に既に奪われていたから。


「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」


 獰猛な雄叫びに似つかわしくない甲高い声が響き渡った。


 次の瞬間。


「ぐおッ!?」


 地に這いつくばっていた男の身体が、誇張も冗談もなく跳んでいた。そのままの勢いできりもみした彼は洞窟の壁に激突する。

 気を失ったのだろう。倒れ込んだ彼が痛みに悶える事はなかった。


「ふぅッ……」


 全体重をかけた渾身の蹴り。振り抜いた脚を戻しつつ、ゼノは着地しながら顔を上げる。

 決して油断をしないまま、それでも上手くいったと内心ガッツポーズを決めていた。


 セヴィルの言葉にユニが反応したその時、ゼノも同時に動き出していた。視界の端で小太りの男がセヴィルに向かっていくのが見えていたのだ。

 瞬間、魔法を発動するユニと目を合わせた。それだけで互いに全てが伝わった。

 彼女が放った派手な魔法の裏側で、息を殺して全速力で男の下へと駆け付けたのである。


 やっぱりだ、とゼノは心の内で呟いた。

 似ている。やっている事は全く違うのに、状況だけがそっくりだ。

 だからこそ、ユニやセヴィルがどう動くのかがよく分かる。


「く、くそ……ッ!」


 小太りな男がやられたのを見て戦慄した長身の男は思わず後退りした。


 それは、たった半歩程度だった。それが体勢を立て直す為のものなら、おそらく何の問題もなかっただろう。

 だが残念な事に、それは前向きな思いの現れではなかった。


「つーかまーえーたッ!」

「うあッ!?」


 直後、長身の男は盛大に身体を崩す。そこで初めて自分の脚が視界に入った。


 いつの間にか手繰り寄せられた雷の鞭が、その脚に絡み付いていた。


「しまッ……!?」

「≪エルデ・ブランドォッ≫!!」


 気付いた時には遅かった。ユニが発現させた魔法に対処する術は既になかった。

 片足を引かれつんのめる彼の真下の地面が何かに押し出されるように隆起し、彼の腹部を突き上げる。


 脚に集中していた長身の男は力を込める間すらもなく、盛り上がる大地の直撃を受けてその場に沈んだ。


「う……嘘だろ……?」


 唯一人残された小柄な男は倒れた二人を眺めながらその脚を一歩引いた。


 激しい動揺が溢れ出ている。何が起こっているんだ、こんな事が起こるはずがないと自分に言い聞かせている顔だ。

 だがそれも信じ込むには至らない。それは間違いなく彼自身の目の前で起こっている現実に他ならないから。過程がどうあれ、今目の前に突き付けられた結果を否定する理由がないから。


「あ……ぅ……」


 だからこそ、男は何も口に出来ない。思いの丈をぶち撒けたいのに、それを自ら説明出来てしまうから。


 やがて。


「くそ……ッ」


 男は短剣を放り、座り込んでしまった。


 それを見たゼノはユニに目をやる。互いに目を合わせ、そしてどちらからともなく頷く。


 彼等の勝利が確定した瞬間だった。


「なぁ小僧」

「……何だよ……ッ」


 不意にセヴィルが口を開いた。そういえば彼はずっと水晶の柱にもたれ掛かっていた。


「今、悔しいか?」

「決まってんだろ!?」


 男は力なく座り込んだまま、しかし力強く言い放つ。


 当たり前だ。わざわざ聞くまでもない。

 初めは舐めてかかった子供に――しかも自分達に有利な条件まで加えられて――叩きのめされたのだから。


 試験の後、目を覚ました時のゼノ達と同じだ。始まりこそ違ったが、最終的にはゼノ達も、そして今回の彼等も全力だった。


 悔しくないはずなど、ない。


 ――あ。


 ふと頭に光がよぎる。もやもやと広がる雲間から差し込むように。


 そうか。そういう事だったんだ。


「ほぅ? それならまだ見所あるかもしれねぇな」


 恨みがましい目で睨み付ける男に、セヴィルはさらっとそんな事を告げた。


 そうして、ようやく理解する。


「別にハンターに限った話じゃあねぇが。人が何かを成すにあたって、どうしたって必要になるもんがある」


 何故、ゼノやユニに戦わせたのか。

 何故、わざわざ相手に有利な条件を与えたのか。

 何故、セヴィル自身は戦いに参加しなかったのか。


「とどのつまりが資質って奴だ」

「資質……?」

「あぁ。だがそいつは向き不向きなんてもんじゃあ決してねぇ」


 そして、思い出した。


「必ずそれを成し遂げるって強い思いを貫く心。誰かのせいにせず己の責任で、みっともなく足掻き続ける力。目先に囚われず見据えたその先へ真っ直ぐひた走る愚直さ。そういう何かを持ってるバカ野郎達が、これまで何かを成してきた」


 一週間前、夕暮れの医務室で"鬼人"と呼ばれる有名なハンターが自分達に告げた言葉。


 それから今日に至るまで、自分達の中に大切に持ち続けているもの。


「そういうのを俗に何て言うか知ってるか?」


 あの病室での出来事が思い返されて、ゼノは俯き瞳を閉じる。自分に対してではない問い掛けに、心の内で自分自身に改めて言い聞かせるように呟く。


 ――信念。


 そうだ。彼はそれを見極めようとしていた。自分達の時と同じように。


「まぁなんだ。お前達が思ってる程、ハンターってのは割のいい仕事じゃねぇ」


 辛い事も面倒な事も山のように積み上がっている、セヴィルは告げる。


 たかだか一週間だとは言え、ハンターの仕事に身を投じたゼノはうんうんと頷く。彼の言う事がよく分かるから。


 きつい仕事も汚い仕事もたくさんあった。依頼人が面倒な要求を出してくる事も何度もあった。たった一週間でそう感じる程なのだから、全世界ではと考えると小さく溜め息が出てくる。


 ――けれど。


「そいつを楽しめるようじゃなきゃあ、とてもじゃねぇがハンターには向いてねぇよ」


 依頼人にありがとうと言われるだけで嬉しかった。

 誰かの力になれるのが嬉しかった。


 それだけでその時間を満喫した気分になれたこの一週間は――分からない事も迷う事も戸惑う事もあるけれど――とても楽しく思えていた。


「これ程の屈辱を受けて尚ハンターになりたいと思うなら……何度でも試験を受けりゃいい。そうでなけりゃやめておけ。楽で面白ぇ事なんざ一つもねぇぞ」

「くッ……」

「ってなトコで試験は終了だ。じゃあな」


 一通りの事は言い終わったと、セヴィルは踵を返す。

 しばし彼の言葉に聞き入っていたゼノとユニは少し遅れて慌てて続いた。

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