立場が逆転
鼻先をふわっとした匂いがくすぐる。
もう何度も嗅いできた匂いだ。建物に入ってすぐの感覚にも慣れたと言っても差し支えないくらいには訪れている。
正確に言うならこの一週間強、休む事なく毎日訪れていた。それも一日に何度も。
ハンターの一日はギルドに行く所から始まり、ギルドに行く事で終わるのだとどこかの誰かが言っていたというのは、世界的に有名なプロハンターであるらしいセヴィルの談である。
「何か朝からここに来るのも慣れっこね」
「そうだね」
同じ事を感じたのか、傍らのユニがそんな言葉をかけてくる。軽く肯定の意思表示をしてからゼノは少し多目に息を吸い込んで、
「おはようございまーす!」
いつも通りに大きな声で挨拶をする。
初日こそうるさいだの恥ずかしいだのと言っていたセヴィルとユニだったが、ゼノが一向にやめようとしないので諦めたらしい。
そのままカウンターの一番奥へと向かう。いつものルート。いつもの行動。この一週間変わらずとってきたもはや日課と言ってもいい行動であり光景だった。
――たった一つを除いて。
「あれ?」
ふと、小さな違和感を覚える。
いつもならある何かが、ない。
それが何なのか、パッとは浮かんでこなかった。そのくらい無意識に見ている光景で、当たり前のように行われていた事。
「よぅ、まいど」
「うぅーーーーん……」
セヴィルがカウンター越しに職員に話し掛けているのを見てようやく気が付いた。
カウンターの向こう側にある事務机に肘をついて頭を抑え、いつもの女性職員――レティシアが何やら悩んでいた。
ギルド職員の中でもそれなりに古株らしい彼女は――セヴィル自身は認めないだろうが――彼と仲がよく、こちらを見かけるとよく話し掛けてくる。最近ではすっかりゼノやユニとも顔見知りになり、何かと親切にしてくれるのだ。
ハンター、それも見習いになったばかりで分からない事も多い彼等がちょっとした事を尋ねても嫌な顔一つせずに取り合ってくれるので、頼る事も多い。
その彼女が頭を抱えて悩んでいる。先程覚えた違和感は、いつもなら誰よりも早く自分達に気付いてくれる彼女の声が聞こえない事だった。
「おい」
「どうしようかしら……誰でもいいから任せるって訳にもいかないし……でも時間もあまりないのよねぇ……」
レティシアはこちらに全く気付いていない。余程難しい悩みなのだろうか。
そんな事を思いながら眺めていると、不意に脇から軽く小突かれた。
「何です?」
「面倒くせぇ。任せた」
「え? あ、はい」
セヴィルの意図を察したゼノは、大きく息を吸い込んだ。
そして、一気に解き放つ。
「おはようございまぁーすッ!!」
「きゃッ!?」
ゼノの発した大声に不意を突かれる形となったレティシアは思わずビクリと身体を強張らせた。元より机に体勢を預ける状態だった事もあり、バランスを崩して椅子ごと倒れてしまう。
ギルド内にけたたましい騒音が鳴り響いた。その音に驚いた別の職員は手を滑らせて本を落とし、またその隣にいる職員は落ちた本の角が足の甲を襲った為に仰け反り、さらにまたその後ろを通ろうとしていた別の職員を巻き込んで書籍棚に激突した。
思わず言葉を失う。頭の中が真っ白になってただ一つの言葉しか浮かんでこない。
「……ゼノ」
「……あんた何してんの」
「ご、ごめんなさい……」
二人の言葉を引き金にしてゼノは深々と頭を下げる。いくらなんでもこれは大袈裟だろうとか何だってこんなに示し合わせたかのように伝播していくのかとか思う事は多々あれど、とにかく申し訳ない気持ちが全てに勝った。
「いたた……」
ようやく我に返ったのか、レティシアが肘を擦りながら起き上がった。頭は打たなかったようだが、倒れた拍子に肘を痛打したらしい。
「あぅ……痺れるぅ……」
「ご、ごめんなさい。そこまで驚かせるつもりはなかったんですけど」
「ん? あぁゼノ君達か。ううん、気にしないで。ちょっと考え事してただけだから」
いや、それは言われなくても分かるのだが。
レティシアは椅子を起こして座り直した。カウンターに向かった彼女はいつもと変わらない笑顔だが、よく見ると微妙に眉がしかめられている。まだ腕が痺れているのだろう。
「おはよう。いつもお疲れ様ね」
「いえ」
「早く一人前にならないとですから」
「うん。向上心があって大変よろしい。それでセヴィル、今日はどうする? 愛の告白でもしてくれる?」
「誰がするか。そんなに暇じゃねぇ」
「あら、暇ならしてくれるの? それじゃあ依頼紹介やめちゃおっかなー」
そんな事が許される訳はない。こういうのを職権濫用というのだと、ついこの間ゼノは学んだ。
「くだらねぇ事言ってねぇで仕事しろ。ランクD以下だ。後、どんなに暇でもそんな事はしねぇ」
「ちぇ。それは残念」
ほんのり口を尖らせながら、レティシアは事務机に立て掛けられた厚めのファイルを手に取る。ギルドに寄せられた数々の依頼が纏められている。
「でもねぇ。ランクD以下の依頼はこの数日であなた達が片っ端から片付けちゃったでしょう? 今の所は目新しいのは来てないのよ」
「もうねぇのか? こないだ見た時はそれなりにあったろう」
「だからそれをあなた達が請けちゃったんだってば。いくらランクが低いって言ったって毎日六件も七件も請けてったらなくなりもするわよ。最近少しずつ依頼の数も減ってきてる感じだし」
「ふむ……」
レティシアの言い分はもっともだ。ここ数日ゼノ達はセヴィルの下で見習いとして仕事をこなしてきた。一人のハンターがいくつかの依頼を纏めて請ける事はざらにあるらしいが、流石にセヴィルのように多数の依頼を請ける者はそうそういないと言う。
――あれ?
「ねぇユニ」
「何?」
「あのさ、らんくって何だっけ」
「はぁ? 初日に講習受けたじゃない、もう忘れたの?」
「……言ってたっけ?」
「はいはい忘れたのね。それかハナッから覚えてないのね。大丈夫全然期待してない」
そこまで言わなくてもいいと思うのだけれど。
そう口に出そうかと悩むゼノを待つ気は一切なく、ユニは口を開いた。
ランク。ギルドに寄せられた全ての依頼に振り分けられる位の事だ。
ギルドに依頼の届け出があった場合、いくつかの手続きを経て受理される。この際、依頼の内容によって振り分けが行われるのだ。一番低いランクがF。そこからE、Dと上がっていく事になる訳だ。この振り分けの基準は求められる経験やスキル、影響の及ぶ規模などから判断される。
そしてこのランクはハンターが依頼を請ける際に意味を成す。ギルドにはハンターの実績評価制度が存在し、この評価によって宛がわれる依頼ランクの範囲が変わってくる。有り体に言えば個々のハンターによって請けられる依頼ランクが異なるのだ。
たくさんの経験を積んだハンターならより上位の依頼を請ける事が出来る。逆にハンターになったばかりの新米は相応にランクの低い依頼しか請けられないのである。実力に見合った依頼を宛がう為の制度という訳だ。
「まぁお前等みてぇなぽっと出の新米にはランクD辺りまでが丁度いい。慣れない内は簡単なもんで数こなす方が経験値になるしな」
「だからあんなしょぼ……簡単な依頼ばっかり請けてたっての?」
脇から口を挟んだセヴィルにユニが問う。あまり言い換えた意味を感じないのは気のせいだろうか。
「何か文句あんのか?」
「文句っていうか……あたしとしてはもう少し上のランクでもいけるんじゃないかなーと思うんだけど。ゴミ掃除やら交通整理やらはそろそろ卒業してもよくない?」
「あーら。地味な仕事に辟易って所?」
今度はレティシアが口を挟む。
「だってさぁ……いくら何でもランク低過ぎると思うんだもん」
「そんな事はないのよー。ゴミ掃除のランクはE。交通整理はランクDだもの」
「そうなの!?」
あまりの驚きにユニが声を大にする。瞬間彼女が早くなければ、ゼノが声を上げていた。まさかあの仕事のランクが最低でないとは。
しかし、だとしたら尚の事だ。
ここ二日程はゼノも彼女と同じ事を感じている。仕事をバカにするつもりはないしどんな仕事であれ真剣に臨むべきとは思うものの、物足りなさを感じるのは事実だ。
一週間かけて様々な依頼を請けてきた。もちろん依頼を請けたのはセヴィルだが、実際にそれをこなしてきたのはゼノとユニの二人だと言っても言い過ぎとはならないだろう。セヴィルも手を下す事はあれど、簡単な作業ならゼノ達に任せているのが実情だった。
仕事を請けるに当たって何を確認しなければならないのかも分かってきたし、街の地理も大体把握出来た。今ならもう少し難度の高い依頼でもこなせる気がしている。その程度の自信が持てるくらいには数をこなしていたのだ。
正直な所、そろそろ上のランクの依頼を請けても良いのではないか、というのが本音なのである。
そんなゼノ達の気持ちを察したのか、えっとねと前置きしてからレティシアは続ける。
「本来なら、あなた達が携われる依頼のランクはFだけなの」
「え。そうなんですか?」
「えぇ。そもそもある程度の実績を積んでいない新人ハンターにはランクF以外の依頼は紹介出来ない決まりなの。加えてあなた達はまだ見習い。ランクFの中でもごく一部のものしか、本当は振れないのよ」
その説明を聞いて、ゼノはふと首を傾げる。何だかどこかで聞いたような気がした。
隣で腕を組むユニに目をやると、最初に説明されたじゃないと冷ややかな目で言われた。セヴィルに至っては眉間に手を当てて俯いてしまっている。
聞かぬは一生の恥と知り、呆れを加速させる事を承知の上で恐る恐る尋ねる。
「でも、だとしたらどうして僕達はランクEやDの依頼を請けられるんですか?」
「そこはそれ、"鬼人"なんて呼ばれてる高名なプロハンターさんのお陰なのよん」
「訳の分からん言い方はやめ――」
「セヴィルはね。実績も山のようにあるし、私達ギルドとしても信頼して仕事を紹介出来るハンターの一人なの。何せギルド設立当初に登録したっていう古株だからね」
「――無視か」
自分の後ろでやたらと大きな溜息が聴こえたが、ゼノはさして気に止めなかった。
それ以外に興味のある話が目の前にぶら下げられてしまったから。
「ほぇぇ……セヴィルさんってそんなに長くハンターやってるんですか」
「あんた一体いくつなのよ」
「お前に関係あんの――」
「二十五よね、確か」
「――あのなぁ……」
もはやセヴィルに発言は許されないらしい。
しかしこれまた驚きの情報だ。
ハンター試験の翌日に受けた講習で、ハンターズギルドの設立は十年前だと言っていたのを覚えている。思っていたより昔でもないんだなぁと印象に残っていたからだ。
その設立当初にハンター登録をして、今が二十五歳だとするならば。
「十八でハンターになったのかぁ……」
「……」
何だろう。視線が痛い気がする。
静まり返った場の重みを払い除けるかのように、わざとらしく大きく声を上げたのはレティシアだ。
「セヴィルには感謝しないとダメよ二人共? 依頼はあくまでもセヴィルが請けていて、あなた達はその手伝いをしているって形だからこそ出来る事だから」
「そうなんだ……」
なるほど合点がいった。要するに自分達はハンター見習いではあるけれど、扱いはセヴィルの協力者という訳だ。
仲間達とチーム――昔ながらの言い方をするならパーティーを組んで行動しているハンターは大勢いると聞く。ギルドが設立してハンターとなる前は冒険者だった人々が多数を占めるから、その名残というのもあるのだろう。
そして協力者として扱われるハンターの仲間達は、その大多数がハンターではない者達だ。普段は別の仕事をしていて時折手伝う者、ハンターとなった者の古くからの仲間である者、ゼノ達のように何らかの理由でハンター登録を行えない者など様々だが、協力者には年齢制限のような条件は一切ない。
これが、ゼノとユニがFよりも上のランクの依頼を経験出来る一番の理由だ。
「え、ちょっと待ってよ」
ふんふんと話を聞いていたユニがふと声を上げる。
「それってまずくない?」
「え、どうして?」
「うっさいあんたは黙ってなさい」
酷い。
横からポンと手をついたセヴィルが何も言うなと首を振る。言っても何も変わらないから諦めろと。
何だか妙に気分が落ち込むのは、きっと気のせいではないだろう。
「んーまぁ何を言いたいのかは分かるけど」
「そうでしょ? だってセヴィルが受けるからランクを高められる訳で。それを実際にはあたし達がやるんじゃ信用やら信頼やらに思いっきり引っ掛かっちゃうじゃない」
「難しい所ではあるけどね。でもそこはやっぱりセヴィルと、ついでに私に感謝して欲しい所かな」
「……どゆこと?」
ユニがこちらを見てくる。何を求めているのだろうか。直前に会話から閉め出されたゼノに分かるはずもなかろうに。
というかそもそも、彼女達が何の話をしているのかすら分からない。
「セヴィルの実力と人を見る目を評価してるのもある。彼が関わっている以上、何か問題が起こりそうなら何とでもするだろうしね」
「いやそれはそうだろうけど」
「それに。私もあなた達には期待してるのよ。だから止めないの」
「う……そ、それは……」
「照れた?」
「うるさい!」
もう何が何やら。ゼノは完全に蚊帳の外だ。
「私が認めなければ今のセヴィルにEランク以上の依頼を振らない事も出来るのよ。でもそれはしない。あなた達と、セヴィルを信じてるからね」
「ボチボチその辺にしとけ。どうでもいいだろそんな事」
「だからセヴィルも感謝の証に、デートに誘ってくれてもいいのよ?」
「本気で言ってんならふざけんな。冗談でもふざけんな」
「あーらら、つれないの」
どうやら話が終わったらしい。セヴィルは地面に置いた大剣を担ぎ上げる。
「まぁ依頼がねぇんじゃしょうがねぇ。今日は自由行動って事にするか」
「あんたまたお酒飲みに行くんでしょ」
「こんな真っ昼間からやってる酒場なんざねぇよ」
「どーだかー」
セヴィルとユニはすっかり元の調子で話を続けていた。
が。
ゼノだけが未だにレティシアの様子を眺めていた。それはおそらく、会話から閉め出されていたからこそ終わりが分からず、ただ見ている事しか出来なかったからこそ気付いた事だった。
セヴィル達が別の話を始めたのとほぼ同時に、レティシアが何かを考えるように俯いたのだ。口元に手を当て、しきりにうんうんと頷いている。
「……ねぇセヴィル?」
「あ? 冗談に付き合うつもりはさらさらねぇぞ」
「そうじゃなくって……ちょっとお願いがあるんだけど」
明らかに、声のトーンが変わった。ゼノでも気付けるくらいはっきりと。
その空気を感じ取り、セヴィルも再び大剣を下ろす。
「……何かあったのか?」
「うん……でもどうしよう……」
そう言ってレティシアはゼノとユニの顔を見やる。その目に少しばかりの心配を感じ、その心中を察した。
「あ。じゃあ僕達は先に外に出てますよ」
「はいはい、しゃーなしね」
たぶん、自分達がいると話しづらい事なのだ。内容が何だか検討もつかないが、これまでの会話から察するに自分達では手も出せないようなランクの高い依頼に関する話といった所だろうか。
そう思って踵を返した所で。
「いいさ、話せ。こいつ等を連れてくかどうかは聞いてから判断する。テメェ等も聞くだけ聞いてろ」
セヴィルに止められた。こちらをこそ見ていなかったが、明確にゼノ達を呼び止めた。
わざわざそんな事をするセヴィルに、レティシアが口元を寄せる。
「でもセヴィル……」
「そういうややこしい面倒事は御免被る。どうしてもダメだってんなら他当たれ」
「……仕方ないわね」
観念したように息を漏らし、レティシアは席を立った。奥の方でずっと話をしていた別の職員と何かを話した後、一枚の紙を受け取って再び席につく。
「……実は今朝、試験の申請があったのよ」
「試験? って、ハンター試験の事ですか?」
「そう」
ハンター試験。ゼノ達も一週間前に受けたばかりだ。アルトリアの街から少し歩いた所にある洞窟へ行き、最奥部に置かれた水晶の欠片を持ち帰るという任務を請ける。
改めて思い返すともう随分と前の事のようにも思える。不思議な事だ。
「ただ、この受験者がちょっと問題なの」
「問題だ?」
「えぇ」
レティシアが言うには、問題は大きく二つあるらしい。
一つは受験者が三人である事。実際に試験を受けるのは一人だが、他の二人は協力者として同行しているのだそうだ。
試験に協力者が同行してはならないという決まりはない。ゼノ達が受けた時もそんな話はなかったし、時間制限さえ守れるなら後は自由とでも言わんばかりだったのだ。そこに制限はないと見て間違いない。
だとするならば、当然ながら試験官には三人を相手に出来るだけの実力が必要になる。それが出来ないのに受験者の力を測ろうなど不可能だからだ。
加えて二つ目の問題は、時間である。
「この試験の申請があったのは、今日の明け方なの」
「明け方ぁ? 何でそんな時間に?」
「そこまでは分からないけれど……もしかしたら、試験の内容をある程度知っているのかもしれないわ」
原則として、ハンター試験の受験者に与えられる情報は任務の内容のみだ。現役ハンターが試験官を務めるなどという事は公表されないし、知った人間には守秘義務が発生する事になっている。試験に受かるにせよ受からないにせよ、情報は可能な限り閉じられる。
だがしかし――人に対する制約など得てしてそんなものではあるが――これは個々の裁量に寄る部分が大きい。機械的にこれを封じる手は、正直な所存在しない。
要するに、試験の内容が漏れる事は往々にしてある訳だ。その為、受験者の中には予備知識を得た上で臨む者もいる。
無論、ハンターはそれ程甘くはない。情報を得た所で実力がなければそれまでだし、多少なりとも実力が見込まれるようなら試験官に当てるハンターを選定すれば事足りる。だからこそこの点については大した対策を取っていないのが実状なのである。
しかしながら、今回はそうもいかない。その理由がまさに二つ目の問題である、時間なのだ。
ギルドは基本的に常時稼働している施設だ。ハンターそれぞれの活動時間も実に様々であるから、昼夜に関わらず依頼を請けられるようになっている。
では試験の申請はと言えば、実状申請時間の縛りはない。受けようと思えばいつでも受けられるのである。
試験官を請けられるハンターの数が少ないからといって試験の申請を受け付けられないという事はあってはならない。何故ならそれはすなわちハンターが試験官を行うのだと暗に言っているのと同義だからである。
つまり、今回のケースが何故問題なのかと言えば。
三人の受験者を相手に試験官を務められるハンターが少ない時間帯に試験の申請が受理されてしまったからに他ならないのだ。
――とはいえ。
「そんなの珍しいケースでも何でもないんじゃないの?」
ゼノが抱いた疑問をユニが先に口にした。
試験の申請自体を常時受け付けている以上、そんな事は普通にあり得る事に思える。多少条件が組み合わさっているとは言ってもそう珍しい状況とも思えなかった。
そんな疑問を受け、レティシアは苦笑を浮かべる。
「状況が色々と重なっちゃってね……」
「って言うと?」
「んっと……セヴィル、この間の動向調査依頼、覚えてる?」
「あぁ」
それにはゼノも思い当たる事がある。
今いるギルドが建つアルトリア王都を訪れるよりも前、ゼノが住んでいた山奥の村――リーシャ村がとある山賊団に襲撃された。
その事件でゼノはセヴィルに出逢った訳なのだが、彼はこの山賊団の動向調査をギルドから依頼されていたのである。
「あなたの調査結果を基にアジトが割り出されてね。その結果がつい一昨日出たばかりなのよ」
「……なるほど。次の依頼が出されたばっかだって訳か」
動向調査の結果を受けた上での次なる依頼。
それはすなわち、討伐だ。
「って事は……」
ようやくゼノにも理解出来た。しばしばありそうな試験の申請が何故そこまで問題になるのか。
山賊団の討伐依頼が出された今――力のあるハンターがごっそり出払っている。
「残ってるハンターの中で実力があって、今すぐに動けるとなると……あなた以外に宛がないの」
「セヴィルさん、こんな話聞いてたら放っとけないですよ。僕も全く関係がない訳じゃないですし……請けましょうよ!」
「たまにはこうバチバチやり合う依頼ってのもいいじゃない、請けなさいよセヴィル!」
「お願いセヴィル」
「セヴィルさん!」
「セヴィル、さっさと――」
「うるっせぇなテメェ等は!」
目を瞑りながら腕を組み考え込んでいたセヴィルの眉が徐々にしかめられていったと思ったら、直後にそれが爆発した。
「何だ? 俺が空気読めてねぇってか? 俺のせいで試験が成り立たなくなるってか? 俺が悪者か? あ?」
「別にそこまで言ってないわよ」
何だろう。セヴィルが何だかこれまでに見た事のない拗ね方をしている。
――何だか、面白い。
「でもセヴィルさん。他にいないって言うんです。別にセヴィルさんのせいなんて言うつもりないですけど、ここで請けなきゃ試験が成り立たなくなるのは確かだと思います」
「……ゼノ。それって暗にセヴィルのせいって言ってない?」
今そこには触れないで欲しい。
珍しくもゼノに正論を叩き付けられたセヴィルはしばし彼を恨みがましく見据えてから――ついに折れた。
「……ちッ、分かった分かった。請けりゃいいんだろ請けりゃ」
「よぉし! それでこそセヴィルよ!」
「テメェが俺の何を知ってんだこのガキ」
「ガキって言うな!」
まるで猫のようにセヴィルを威嚇するユニをまぁまぁとなだめ、ゼノはレティシアに向き直る。
一度場が静まるのを待ってから彼女はゆっくりと告げた。
「じゃあ、セヴィル。改めて確認するわ。依頼を請ける、でいいのね?」
「そうしねぇとこっから離れられそうもねぇしな」
「ありがとう、ホントに助かるわ。お礼は今度デートで払うわね」
「いらん。そこは報酬で払え」
「……いけず」
口を尖らせるレティシアを無視するようにセヴィルは大剣を担いだ。ユニも両頬をパチンと叩いて気合を入れている。
さぁそうと決まれば早速出発だ。
――と思った所でふと気付く。
「あれ。でも今から追うんで間に合いますか? 明け方に申請したんならもう洞窟にはとっくに着いちゃってますよね?」
自分達の時はおよそ今ぐらいの時間に申請をして昼前には洞窟に入っていた。少しばかり準備をしていた時間を抜かしても、洞窟までせいぜい一時間前後だったかと思う。
申請が受理されたのが明け方なら、とっくに洞窟には到達しているだろう。あるいは半ば程度までは辿り着いているかもしれない。
それぐらいの時間が既に経過しているのだ。後から追い掛けても到底追い付けるとは思えないのだが。
「あぁ、それは問題ねぇよ」
「でしょうね。そうじゃなきゃ色々と説明つかないし」
至極当たり前のように言ってのけるセヴィルと、こちらも当たり前のように頷くユニ。
何だか定番の流れのようになって来ていると感じるのは気のせいなのだろうか。
全く意図を汲み取れていない事が伝わったようで、ユニが大きく溜め息を吐いた。
「あのねぇ。ちょっとは頭使いなさいよ、いつまでもポワンポワンしてないでさ」
「そんな事してるつもりないんだけど……」
「いい? あたし達が試験を受けた時の事を最初から思い出してみて」
言われるがまま、一週間前の出来事を改めて思い返してみる。
一週間前。アルトリアに辿り着きセヴィルからハンターについて教えて貰ったゼノは、己の目的を果たす為の糸口となり得るのではないかと考えた。
セヴィルを半ば勢いで説得し、ハンターになる為の試験を受けようとギルドへ向かった所で、前日に出会っていたユニと再会を果たした。
紆余曲折があって共にハンター試験を受けられる事となった二人は簡単な説明を受け、街で少しばかり準備をしてから試験会場の洞窟を目指した。
「はいそこ、ちょっとストップ」
「へ?」
つらつらと記憶を辿るゼノをユニが制する。
あれ。もしかして口に出してたのか。
「そこで一個大切な事があるんだけど、街を出る時に何があった?」
「何が? えぇっと……」
何か特別な事があったっけ。
うーんと腕を組み考え込んで、ようやく思い出す。
「レティシアさん達が見送りに来てくれましたよね?」
「えぇ行ったわね」
「その時誰がいた?」
ユニが矢継ぎ早に尋ねてくる。
誰がいたろうか。確かあの時はレティシアと、ユニの申請対応をしていた男性職員と、それから――
「――セヴィルさん?」
「ご名答。記憶力はそこまで悪くないみたいね」
そうだ。そういえばセヴィルもいた。レティシア達のように直接話した訳ではないが、街の外れにある門柱に寄り掛かってこちらを眺めていたような気がする。
だがそれが何だと言うのだろうか。別におかしな話でもないと思うのだけれど。
「大切なのはセヴィルがその時点ではアルトリアの街にいた事よ」
「へ?」
何が問題なのだろう。ユニの言う意味がさっぱり分からない。
と、思っていたのだが。
「……あ」
ふと、思い至った。
街を出て洞窟へと向かったゼノ達。その道中は決して一直線ではなかったが、時折戻っては再び進むの繰り返しだった。少なくとも道から外れはしなかったと思う。
洞窟の中に入ってからも同じだ。通路自体もさして広くなく、途中で誰かとすれ違う事はなかった。
だと言うのに。
「セヴィルさんは……いつ僕達を追い抜いたんだ……?」
最奥部に辿り着いた時、そこにはセヴィルがいた。しばらくの間待ち構えていたと言わんばかりに。そういえば待ちくたびれたなどと言われたような気がする。
追い抜かれるタイミングはなかった。可能性としては洞窟に辿り着くまでの間に別ルートから迂回したか、あるいは――
「まぁ要するにそういう事よ」
――洞窟内に、ゼノ達が気付かなかった近道が存在するか、だ。
思わず目を丸くしてセヴィルに目をやると、わざわざ言うまでもないとでも言いたいのか軽く鼻を鳴らした。
そうか。そうだったんだ。
あの時は直後に魔法を撃たれてそのまま戦闘が始まってしまったので考える事すらしなかった。
今考えればおかしな話だ。全力で奥へ奥へと進んだ結果、街に残っていたはずのセヴィルが自分達よりも先にそこにいたのだから。
彼を見た時のユニの表情を思い出す。まるで幽霊の類いでも見たかのような驚きが溢れていた。その後、彼女なりにこの結論に至って全てを悟ったのだろう。
一週間も遅れてようやく理解した状況に、驚きと恥ずかしさを禁じ得なかった。
「……やっと話が飲み込めたトコで、ボチボチ行くぞ」
「お願いね。さぁ入って」
レティシアがカウンター内へと通じる仕切り扉を開いて促した。
躊躇なく中に入るセヴィルに続いて進むと、一つの扉が現れる。
「……ふわぁ……」
開け放たれた扉の向こうには、壁に備えられた灯りがほんのりと照らし出している階段が続いていた。随分と長い階段だ。行き着く先が暗くて見えない。
「ははぁ……この先に……」
「そう。水晶の間に繋がっている訳」
水晶の間と言えばそれこそゼノ達がセヴィルと戦闘を繰り広げた場所だ。まさかギルドから直接繋がっているなんて。
「ちなみにあなた達の試験が終わった時は、セヴィルが二人共担いで帰ってきたのよ」
「どうだっていいだろんな事は。急ぐぞ、そんなに余裕はねぇ」
「よっしゃー! 腕が鳴るわ!」
ユニが力強く応え、ゼノも大きく頷いて肯定の意思を示した。
扉の内側に入り階段に踏み入った所で、後ろから声がかけられる。
「急がせて悪いわね。頼むわよ」
「ま、適当にやってくるぜ」
後ろを振り返りもせずにヒラヒラと手を振りながらの応えを聞いて、扉は重たく閉ざされた。
突如、騒がしかったギルド内の喧騒が消える。声どころか人の気配すら感じられなくなった。
長い階段の続く薄暗い穴を、少し冷たい風がそよぐ。
「行くぞ」
セヴィルの言葉をきっかけにして二人も歩き出す。
目指すは洞窟の最奥部。未だ記憶に新しいのに、何故か既に懐かしささえ感じる場所。
そこへ向けて歩を進める足音が、通路内を響いて妙に耳に残った。




