序章
場を静寂が包んでいた。
賑やかな街中であっても一度路地裏に入り込んでしまえばこんなものだ。通りを賑やかす喧騒もここまでは届いてこない。
そんな暗い路地裏に、少年は身を隠していた。息を殺し、じっとその時を待つ。
どう仕掛ける、と思考を巡らせる。
既にいくつもの予測は立てていた。しかしそれはいくつ立てても足りない。
胸の鼓動が、やけに大きく鳴り響くように感じる。
緊張している。どうやらじっとしているのが性に合わないらしい。
少しだけ、上半身をずらして物陰から顔を覗かせる。
彼は未だそこにいた。
座り込む事もせず、うろうろと同じ所を落ち着かない様子で歩き回っている。
もうどれくらいになるだろうか。体感的には一時間近く経っているようにも思えるのだが。
視線を上に向ける。
路地裏を挟む建物の屋上に、一つの人影。
その人影が動くのを、少年はずっと待っていた。
そろそろ動きたい。ずっと同じ体勢を保っているので、身体の節々が徐々に痛み始めている。
まだなのだろうか、と淡い期待を抱きながら改めて人影に目をやった時――それは来た。
人影が下ろしていた右手をスッと挙げる。少年が待ち焦がれていた合図だ。
音を立てないように体勢を変え、中腰になって身構える。準備が整った事を伝える為、少年も小さく手を挙げた。
それを確認した人影は自らも立ち上がり、挙げていた右手をそのまま伸ばす。
全ての条件をクリアしたというサインだ。
少年の心にこれまで以上の緊張が走る。この時の為に、何時間もかけて準備をしてきたのだから。
静かに、大きく息を吸い、そして吐く。
大した間もなくその時は来た。
「――ッ!!」
人影が、挙げていた手を振り下ろした。
それを視認すると同時に少年は物陰から跳び出し、真正面へと突っ切る。
彼は、気怠そうにその場に横たわっていた。
その状態にあるのは知っていた。そうなってからでないと仕掛けられないから、そうなるまで合図は出さないと言われていた。
姿勢を低く、走ると言うよりも地面を蹴って跳び続けるように駆ける。
猛スピードで近寄るこちらに彼が気付いた。もたげていた首を振り上げこちらを見やるが、もう遅い。
後三歩。それで手が届く。
そう思った時だった。
「ちょっバカッ!!」
「へ――んごッ!?」
瞬間、脳天に激痛。
どうやら、少年とは違う場所から姿を現した少女の膝が綺麗に直撃したらしい。
「何やってんのよあんたはぁ!?」
「あでで……それどころじゃないよぉぉ……」
「テメェ等何してる!?」
互いに体勢を崩して尻餅をついた少年少女に、遠くから男が話しかける。
先程二人に合図を出した人影その人である。
「ターゲットが逃げるぞ!」
「あんたがいきなり跳び掛かったりするから!」
「そっちだっていきなり跳び掛かっただろ!」
「無駄口叩いてる暇があったらさっさと追え!」
「「はい!!」」
未だにズキズキと痛む脳天を擦りながら、少年はターゲットと呼ばれる彼を追う。
その彼はと言えば――
「ふにゃあーーッ!!」
――こちらの様子など見向きもせず、一目散にその場を走り去ろうとしていた。




