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ある日のだんぢょん騒動記

作者: 藤沢まゆり

・・・ちょっとした気の迷いです・・・

 のんびりした街並みの向こうに見える、幽霊のような高層ビル。 まだ崩れずにいるのが不思議なくらい廃虚なのが、よく見なくてもはっきりわかる。 今となってはもう、どうやって建てられたのかも、なんのための建物だったのかもわからないそれは『大異変』より前からそこにある、らしい。 大体、『大異変』だって昔過ぎてなんにも記録に残っていないのだからわかろうったって無理だけど。

 もっとも、そんなことはこの世界に生きるものにとってどうでもいいこと。 あの廃虚なビルはそこにあるし、あったところで生活に支障があるわけでもない。 まぁ、ちょっと厄介なもの、あったりするだけだ。 どれくらい厄介か、というと、あそこの地下も地上も複雑怪奇な迷路になっていて、有害で極悪な魔獣たちがたくさんいたりする程度だ。 それになんでか、貴重な植物とかが豊富にジャングルしてる。 おまけに中では空間がねじれているようで、どこから現れるものか、レアな宝物がぽこぽこ落ちていたりして、一攫千金を狙って行ったきり、帰ってこないのも年に数人はいる。 けれどそれだって身の程を知らない連中の自業自得だからどうしようもない。 この弱肉強食、けっこうスリリングな世界で生きていくのに一番重要なのは力の程を知ることなんだから。

 その極めつけに危険で魅力的な場所を公園でも散歩するように闊歩する存在がひとつ。

 少し太目の長い二本の尻尾、背にたたまれていてはっきりとはわからないけど、二枚じゃなさそうな大きな翼。 人とあんまり変わらない大きさの、獅子に似た身体は純金の毛並みで覆われている。 その上の顔はどこか愛らしく、前髪の一房だけが鮮やかな朱色の色変わり。

 人でない生命が普通に歩きまわっているこのご時世でさえも夢とまで言われる金の幻獣。

 彼はなぜかその危険地域をとっとこ歩いていたりした。


                * * * * * * *


 その日、彼はいつものように高層ビル群の地下に潜っていた。 下へ下へと続く階段やら坂道やらを降りながら、これが建物だったのかぁ、とのほほ~んと見回す。 異様なまでに愛らしいしぐさだけど、本人(?)、自覚はまるっとない。 ほとんど迷路なここは地上を『普通』とすると、上下どっちに行ってもどんどん危険になる。 地上に近いところでうろうろしてる魔物たちは力もないし、特殊能力があるわけでもない。 それが三階層も上がったり下がったりすると一生お目にかかりたくない魔物ばっかりになってしまう。 でも、それにつれてみつかる薬草・毒草や宝物も稀少で貴重なものになるあたり、陰険だ。 中には専門家が何を置いても欲しがるような植物や、当分は遊んで暮らせるかもしれないようなアイテムも含まれているから、無理をする連中も増える。 たいていの連中にとっては本当に命懸けな場所だっていうのに。

 彼はそんな場所を無造作に歩いていく。 たまに何かが視界の隅をかすめていくけれど彼に襲い掛かるようなのはいない。 一見無防備に歩いているようでも、魔物たちには彼が発している桁違いの《力》が見えているはずだ。 その《力》は下級な魔物はもちろん、相当な上級種であっても近づいただけで致命傷を負うだろうほどだから。

 ちょっとして地下の一番深いところに着いた彼は寄り道せずに隅っこでつつましやかに湧く泉に向かう。 溜まっている《気》だけで並みの魔物は押しつぶされてしまうようなその場所に湧く泉。 光を含んだように輝く透明な水に満たされた、子どもが両手を広げたくらいの幅にも満たない直径のそれは不思議な《力》を持っていた。 汚れたものを近づけないだけでなく、ごく希にここですら珍しい、おそろしく貴重なアイテムを生み出してくれる。 彼はそれを回収するためにわざわざここまで来た。

 神妙な顔で、それでも無造作に泉を覗き込む。 辛うじて手が届くところにきらきらと金色に光る円があった。 やっぱりできてら、と思いつつ、彼はそれを慎重に拾い上げる。

 きれいな、きれいな純金の真円。

 それは格調高いレリーフの施された小さな金貨だった。 表面には六枚の翼を持つ四つ足の獣のレリーフ。 なんだかえらそうなその獣を取り囲むように古代文字が並ぶ。 裏側は複雑な紋様がびっしりだけど、貨幣価値を示す文字はどこにも、ない。 だけど、その素材、芸術性だけでも天文学的な価値がつきそうな代物だ。 しかも、それには強い守護の力が宿っている。

 しげしげといつものように点検して彼はひとり、てれてれと頭を掻く。 身につけてるだけでほとんどの魔物を寄せ付けないだろうそれに彫られている獣は明らかに今の彼を映したものだったから。 それを証拠に、レリーフされた文字は彼の『名前』を表わしていた。

 数ヶ月前、初めてその金貨を『外』で見かけたから、彼は最深部まで降りてみて、この泉をみつけた。 どうやら数日に1度の割合でその金貨は生まれるらしく、そこまで来られる魔物がたまたま上層に持ち出したものが『外』に出たらしい。 以来、彼は定期的に見回ってそれを回収している。 どんな理由があって生まれるのか知らないが、これほどの《力》を持ったアミュレット、そうそう流通させるわけにもいかない。 結果、その金貨はここで手に入るアイテムのうちでもトップクラスの貴重品になってしまった。 今では『外』で幻の逸品扱いとなっている。


 実はどんなダンジョンにも『核』と呼ばれる存在がある。 それはダンジョンの存在自身を定義づけるようなもので、場所であったり一見人工物であったり、徘徊するモンスターそのものだったり、と形態は様々だ。 モンスターが核だったりするダンジョンでそのモンスターが倒されてしまうとダンジョンそのものが崩壊してしまうこともたびたび起こる。 そして核に共通しているのはなんらかの形でその時の『ダンジョン内最強』を示すアイテムを定期的に生み出していること、だ。 それがダンジョン最大のお宝である。

 おそらくこの泉はこのダンジョンの核だろう、と彼は推測している。 だからこの金貨は彼が現在の『最強』であることを示しているのだろう。

 ここに住んでるわけじゃねーんだけどなー、と拾った金貨を大事にしまい、彼は軽く伸びをして来た道を戻る。 もう少し上の階層で採れる薬草を見に行かなくちゃ、と考えながら。


 そして・・・その帰り道が彼とその少女の出会いになったり、した。



 いつものように薬草やレアアイテムなんかを回収しながらのんびりと上に向かっていた彼はふ、と何かの気配を感じて物陰に身を潜める。 このあたりに生息しているめんどくさい連中とはぜんぜん違う、どこかすっきりした波動。 これは、『上』で普通に生活している奴だ、と判断する。 その手の連中、彼を見ると身の程知らずにも捕まえようとしたりする。 それはそれでめんどくさいのでやり過ごせるもんならやりすごすつもりだ。 それから力のほどを確認しようとして、目に入った姿に呆然。


 うあ?

 お・・・女の子っ?


 白いブラウス、赤いプリーツスカート。 白いソックスに桃色の運動靴はいて、手にはリボン結んだかごなんて持ってたり。 楽しげな足取りに合わせてぴこぴこと三つ編がゆれている頭にはかわいい猫の耳がついている。 三つ編といっしょにゆれるちょっと太い、長めの尻尾は一本。

 どうみても猫又族。 連れがいる気配も、ない。

 猫又族はもののけの中じゃ、確かにトップクラスの上位種。 尻尾二本の猫又でも、もっといっぱい尻尾を持つ他のもののけと張り合えたりする。 基本値が違うからだ。 力の度合いと尻尾の数が思いっ切り連動しているもののけ界でこれはとんでもない力である。 九尾になられたらもう、無敵と言っていい。 対等の位置にいるのなんて妖狐族だけだよな~と考えて。

 思わず現在位置の確認。 今いるのは・・・最下層から四層上がったところ。 地上からは・・・かなり深い、危険地域。


 ちょ・・・ちょっと待てぇっ!

 武器も持たないあんな軽装でこんなとこで何してんだ、あの猫っ子はぁっ?

 それより、ここまでどうやって来たんだ? しっぽ、一本しかないぞ?!



 無言でわたわたと慌てる。 かなりの力があったり、体力バカだったりしてもここに来るには相当の装備を調えてくる。 なのにあの女の子の格好はどう見たってちょっとそこまでお散歩に、のスタイル。 強力な護符のたぐいを持っているとも見えない。 ほんっとにいったいどうやってここまで無事で来れたんだ、と頭を抱えて・・・彼は隠れていたのも忘れて女の子の前に飛び出していた。


「・・・きゃ・・・!」


 小さな叫び声が上がった時にはもう、彼は女の子を襲おうとしていた魔獣を片手で張り飛ばしている。 普通レベルには荷が勝ちすぎる極悪なモンスターも彼にはなんていうこともない。 一撃してやってにらみつければそれでことは済む。 一瞬、彼を敵と見たモンスターも、やっぱりそうだった。 女の子を背にかばった彼と目が合った途端、へこへこと頭をさげて、何かそこに置いて逃げていったから。 あいつらにしてみれば、彼を怒らせるのだけはいやだろう。 完全に見えなくなるまで視線だけで追っかけて、彼はくるり、と女の子を振り返る。 今は彼がいて間に合ったからいいが、そんな幸運はそうそうない。 無謀すぎる冒険を怒ってやんなくっちゃ、と妙に気合が入る。 だが。


「う・・わぁ~・・・かわいい・・・」


 振り向いたとたんにふわん、と降ってきた女の子の言葉。 かくん、と力が抜けて、ついでにせっかく入れた気合いまでどこかにふっとんだ。 え~と、と彼は困って女の子を見上げる。 ほんとにこぼれて落っこちてきそうな大きな目で、まんま凶器になりそうな太さの片寄せの三つ編を揺らせてうれしそうにこっちを見ている女の子と見つめ合い。 こうして見たら、彼よりはちょっと年上のように見える。 いや、外見は大差なさそうなんだけども、本能が『年上』と告げてるんだな、とか一人で納得してじ~っと見上げ・・・やっとこさ我に返った。


「こんにちわ! 助けてくれて、ありがとう!」


 実にかわゆらしい笑顔に、も一度惚けかけて、いけないいけない、とぺしぺし頬を叩く。 なんにしても伝えなくっちゃいけない。 ここは危ないんだから。 そうして、それを伝えようとして・・・彼は最初のボケをやった。 ここでうろうろする限りは言葉を使う必要がなかったもんだから、つい、声でのコミュニケーションを忘れてしまったのだ。


「え? なぁに? ここは危ないって?」


 無言で身振り手振りする彼に女の子がちょっと首を傾げて尋く。 あ、やべ、とか思ったけれど、まぁやってしまったものは仕方ない。 それに伝えたいことはちゃんと伝わった。 なら、このまま、行ってしまえ。 彼だってこっそりここに来てるんだから、『外の住人』であることがバレないほうがいいに決まってるし。 とか思いつつ、身振り続行。 今度もちゃんと伝わる。


「こんなとこまで下りてきちゃ、だめ? モンスターさんがいっぱい??」


 なんでか「さん」付のモンスターを思い浮かべてへにゃ、と笑う。 笑ってる場合じゃないのだけど。


「へぇ・・・ここ、モンスターさん、いるんだぁ・・・こないだは誰にも会わなかったのに。」


 硬直。


 おい、こらちょっと待て。前にも来たこと、あるのか?


 思わず、胸の内で感謝の言葉を悪態とともにつぶやく。 こんなぽやぽやしたの、よく無事で帰れたもんだ。 一生に一度の大幸運期だったに違いない。


「え~・・・でもぉ・・・」


 そんな幸運、滅多にないんだから来ちゃだめ!と手振りしたら女の子がちょっと唇を尖らせる。 不満らしい。


「これ、ここより下じゃないと取れないのに・・・」


 女の子が示した薬草にいや、そりゃそうだけどよ、と身振りして、だからそ~じゃなくて危ないのに潜るな、だろうが、と一人突っ込みをしてしまったり。

 少女が探している草は副作用のまったくない万能消化剤の原料だ。 だけど、取れる場所が限られている上、その数もあきれるくらい少ない、名実ともに貴重品のひとつだったりする。 その貴重品、ここの最深部から二、三階層のところにけっこう群生してたりするのだけど、それを知る者はあまりいない。

 理由は簡単。

 そこまで潜ってこられるやつは珍しいからだ。


「う・・・ん・・・でも、そんなに危ない? この間来た時はぜんぜん静かだったけど」


 彼の必死の説得に少女が首を傾げて言う。 ネコの耳が片方、きゅっと折れた。

 はぁっと深くため息。 このネコ、絶対一生分の運、使い果たしてる。

 この短いやりとりの間に彼は少女が生粋の猫又族でないことに気づいていた。 たぶん、人の血が入っている。 感じ取れるふわんふわんした微弱な力の波動がそう告げている。 となると少女がこんな下まで降りられたのはやっぱり運だ。 希にとてつもない力を持つ者もいるけれど、大方は弱いのが人という種族。 最強の猫又族といえど、人の血を持つ以上、その最強の力も薄れている。 さらにしばらく説得を試みるけど、やっぱり、だめ。 少女はどうしてもその薬草が欲しいらしい。 ついに彼はあきらめのため息をついて少女の袖をついつい、と引いた。


「?」


 ダンジョンの奥深くの方向へ袖を引く彼に少女はなんの疑いも持たないで素直についてくる。 再び、ため息。 彼が性悪なモンスターだったりしたらどうする気だい、とお人好しにも心配する。 これはもう、探し物につきあって上まで送り届けるしかない。 ここに巣食う連中、『いいひと』のはずがないんだから。

 しばらく行った先でひょい、と道をはずれる。 よっぽど気のつくやつでなければ絶対気づかないくぼみ。 そこが実は秘密の入り口になってたりした。 中はかなり広い空洞だったのだ。 するっと入り込んで少女を振り返り、どうぞ、とそこを指し示す。


「う・・・わぁ・・・・・♪」


 ヒカリゴケの柔らかい灯りに満たされたそこを見るなり少女が感嘆の声をあげる。 広さで言って二十畳くらいの場所には一面に少女の探している薬草が茂っていた。


「すごい、すごぉい! ありがとう♪」


 にこにこと笑って少女がぺこり、と彼に頭を下げて礼を言い、慎重に草を摘み始める。 それを見て彼はおや、と思った。 少女の草摘みが妙に堂に入っている。 やたらめったら摘んだりしないでちゃんと後のことを考えてるのがわかる摘みかただ。 この摘みかたなら草は減ることなくのびのびと芽を伸ばせる。

 思わずくらり、と目眩。 これは・・・思ったよりもずっとたくさん、ここに潜ってる。

 薬草の植生をちゃんと知ってるあたりでそれがわかってしまう。 いったいど~して今まで無事だったんだっ、とひそかにじたじたしたところで少女が小さく笑ってつぶやいたのが耳に届いた。


「ここでこれ、育ってるんなら、・・・ももっと浅いところでみつかるかな?」


 ひきっと全部の動きが凍り付いてしまった。 あやうく聞き逃すところだった、少女がつぶやいた別の薬草の名前。 それは、強力な細胞賦活剤の原料。 それから作られた傷薬があれば深手の傷も致命傷にはならない。 目の前に群生している薬草よりももっと深いところにしかない、貴重な花。


 なんだってそんなもんの存在をこのネコは知ってるんだぁっ!

 いや、それよりなにより、そいつが生えてるような深いとこまで行ってるってことか?

 ちょっと、待てぇっ!


 そんな言葉が頭の中で走り回る。 幻通り越しそうなその薬草はここの住人でさえ近づきたがらないような階層にしか生えてないんだから。 う~、と音にはしないでうなって、彼はぺたん、と座り込む。 いったいぜんたい、どんな強運の持ち主だ、このネコは・・・とため息をつく。


「あら・・? 疲れちゃった? だいじょぶ?」


 地面にのの字を書いてたらいつの間にか小さな手提げ籠を摘んだ薬草でいっぱいにした少女が目の前に正座して覗き込んでいる。 見上げて小さくため息。 ひらひらと手を振ってなんでもない、と告げる。


「ん~・・あ、これ。 これ、あげる。 嫌いじゃないといいんだけど」


 彼の様子をどう思ったものやら、少女がちょっと考えてからポケットから何かを取り出す。 差し出されたのは透明なセロファンできゅきゅっと包んだやさしい色のキャンディーたち。 思わずためつすがめつ、してしまう。


「ね、これ、おいしいんだよ?」


 にこにこと少女が言って、ひとつの包みを解いてぽん、と自分の口に放り込む。 食べてもだいじょうぶだよ、というデモンストレーション。 またもや、感心。 この少女、ここにいる連中がとっても警戒心が強いの、なぜか知っている。 どうやら強運だけじゃないらしい、と思って彼もそのキャンディーひとつ、口に入れる。 ふわっと広がる焦がした砂糖の甘みとすっきりした素性のよろしいミントの香り。

 これは・・・おいしい。

 それが顔に出てしまったらしい。 少女がすっごくうれしそうに彼に笑いかけてさらにポケットからキャンディーを取り出して彼にくれる。 ありったけ、くれる気らしい。


「気に入った? よかった! これの生えてるとこ、教えてくれたお礼にもなんないけど」


 素直でかわゆらしい笑顔にへにゃ、と力が抜ける。 どこからどう見たってモンスターに属する姿の彼に素直についてくるし、いきなりお礼、とかいってキャンディーくれたりするし。 このネコ、警戒心、どこに置いてきたんだ、と思いつつ、どこかでしょうがねぇなぁ、と観念する。 この笑顔の前にはダンジョンの常識も吹っ飛んでしまった。 この様子だとこれからも彼の忠告なんてなんのこと、で少女は潜りに来るんだろう。 こうなったら乗りかかった船だ。 とことん、面倒見てやろうじゃね~か、とか、思ってしまったりする彼だった。



 なんやらかやらですっかり時間が過ぎてしまったのか、キャンディでほのぼのしてたら少女がきゃっと小さく声を上げて立ち上がる。


「いっけない、そろそろ帰らなくっちゃ」


 あわてたようにぱたぱたとスカートの埃をはたいて、それでも律義に彼に向かってにっこり、とご挨拶。


「今日はたくさん、ありがとう!」


 あわてたのは彼も同じ。 つられて手を振ったりしようものならこのネコ娘、ほんとうにここから一人でほてほてと帰ろうとするだろう。 んなこと、させられるか、である。


「え? 送ってくれる?」


 よいせ、と起き上がって上はこっちだ、と案内に立つと少女がちょこちょこと後をついて歩きながら首を傾げる。


「いいよー? ここ、あぶないんでしょう?」


 くてり、と力が抜ける。 危ないからこそ送る、と言っているのに反対に心配されてしまった。 どこまでお気楽にできてるんだろか、このネコはぁ・・とため息。 実際は彼よりも年上なんだろうけど、気分はほとんど保護者だ。 いーからついてこい、俺って強いんだから、と身振りするとふわぁっと少女が笑った。


「うん、強いよねー。 前に遠くで見かけた時にね、ここの主さまかなーって思ったの」


 再度くってり。

 前に見かけた、だ?

 てことは、その時は少女をまったく感知してなかったということか?

 やっぱ、運だけだ、このネコ娘・・・と見えない誰かに感謝する。 このダンジョンにいる、ある一定以上の《力》の持ち主なら、多少離れていようと見逃すわけはない。 だいたい、少女のほうが彼を認めるくらいに近くにいたのだ。 それで気づかなかったということは、『気にする必要もない雑多な存在』と認識したということだろう。

 そうこうしているうちに彼は首尾よく少女をダンジョンの入り口まで案内することに成功する。 ここまで来ればもうだいじょうぶだろう。 ちなみに外はお日さまが傾きかけたところだった。 暗くなるまではまだ時間がある。

 この姿を誰かに見られるのはちょっと遠慮したかったので、折れた柱の影に上手に身をすべりこませて彼はちょいちょい、と少女を手招きする。 少女はあいかわらずの無防備さでとことこと寄ってくる。 背後なんかま~ったく気にした様子はない。 いかに外とはいえ、ダンジョン入り口。 危険なのはモンスターさんではなく、ここに潜ろうとする連中のほうだというのに。

 やれやれ、と思いつつ、きょとん、とこっちを見てる少女にほい、とある物を差し出す。 それは例の金貨。 しかも一番長く身につけて持ち歩いてたやつだ。 当然、元々の守護の力が倍増以上になっている。 これを渡しておけば、彼がいない時に少女がここに来たってだいじょうぶなはずだ、と彼は俺ってあったまいー、とか自画自賛してたりする。


「なぁに? ふわぁ・・・きれい・・・」


 少女がうっとりした顔でそぉっとそれを手に取る。 ためつすがめつ。 そしてきゅ、と片耳を折った。 見ているのは金貨のレリーフ。


「ね、これ、あなたよね? そしたらこれ、あなたのお名前?」


 指し示されたのは古代文字。 格調高い神秘な獣のレリーフに添えられたのは確かに彼の名前だから、おうよ、とうなづく。 どうせ読めやしないだろう、と思って。 この文字、古すぎて専門家の間でさえも読めるのは限られている。 彼が読めるのだって、彼の一族がこーいうの好きで、なおかつ、資料が潤沢にあって教えてくれる物好きがいたからだ。 猫又一族なら資料くらい持ってるだろうが、彼のところと同じで『秘伝』扱いだろう。 となると、少女くらいの弱い猫又じゃぁ、見せてももらえない。 中途半端な力だと危険な文書だったりするからだ。 ところが。


「ん~・・・と・・・ケ・・ル・・・・」


 ぎょっとした。 少女は金貨に刻まれた文字を『音にして』読んでいる。


「ケル・・・プ? ケルプ、ちゃん? そう呼んでもいいかな?」


 にこぉっと笑って少女が尋く。 思わずうなづいてしまってから心底、感心。 このネコ、力はなくても相当な勉強家らしい。 人はみかけによらないってこのことだな、としみじみとうなづく。


「私ねぇ、ねこにゃん、だよ」


 にこにこっと名乗られたのは猫又の女の子としては一般的とも言えそうな呼称。 一般的すぎて最近じゃ誰も使わないくらいには普通だった。 猫又にしろ、彼の一族にしろ、そう簡単には本名は名乗らない。 へろっと名乗ってしまうのはよほど力のない奴か、その正反対か、だ。


「はい、ステキなもの、見せてくれてありがとう♪」


 や~っぱ猫又っぽくねーよな~、とか思っていたらまたまたびっくり。 少女は金貨を彼に差し出してくれた。 普通、ここまでの品、一度手にしたらどんな理屈をつけてでも返さないもんだ、とあきれて見やる。 けど、少女は思いっきり本気らしい。 こいつのお守り効果に気づいてないんじゃなかろうか、と思わずぱたぱたと手を振って、あげるってばさ、とやると、今度は反対側の耳がきゅ、と折れた。


「え? でもこれ、ケルプちゃんのお守りでしょう?」


 ・・・ちゃんと気づいてる。


「それにこれ、すっごく強いお守りだもの。 ちゃんとケルプちゃんが使わなきゃ」


 ・・・レベルもしっかり把握、してる。

 真剣にため息。 人がよいのもここまでくると国宝なみ、とか思ってしまう。 この少女にこれを受け取らせるには・・・


「・・・ケルプちゃん、強い? うん、強いよ。 だから・・・いらない? え? 自分の姿のお守りだから持ってても意味、ない? あ、そうか・・あはは、そうだよね~、普通、お守りのレプリカよりもオリジナルのが強いよね~。 あは、失敗、失敗♪」


 な~んで身振り手振りでここまで正確に通じるかな、とちょっと不思議に思いつつも、だから持ってけ、と続ける。 少女は彼の説明に納得したらしい。 金貨を大事そうに握ってそれはかわゆらしく笑う。


「うん、それじゃいただきます。 ありがとう! すっごくうれしい」


 こっちまでうれしくなるような笑顔にへろへろっと手を振って、早く帰れよー、とうながす。 少女は薬草の入ったかごをしっかり抱えて、金貨、大事に握って歩きだした。


「今度来る時はお弁当、持って来るねーっ♪」


 時々振り返って彼に大きく手を振りながら叫ぶ少女。 びび、違うぞー、と手を振り返しながら彼は少女がこけるんじゃないか、とはらはらしながら見送ったのだった。



 そして、少女の姿が消えて。 さて、と振り向いて再びダンジョン内へと歩き出し。 そこで初めてとある可能性について考えた。


 少女は彼の傍をずっと『平気な顔で』歩いていた。

 このダンジョンの住民たちは決して寄ってすらこない彼のすぐ横を。


 すぅ、と背筋が冷える。

 『外』では凶悪、とされるモンスターたちが彼に寄ってこないのは《力》の差が歴然としているからだ。 多少なりとも《力》を持っている場合、差がありすぎる相手の傍にいることは、体調不良や気持ち悪さを引き起こす。 一種の《力》酔いのようなものだ。 そしてその差が大きくなればなるほど、下手をすると意識混濁や昏倒を引き起こして文字通り命の危険にさらされる。 だから、モンスターたちは彼に寄ってこない。

 ここのモンスターが『凶悪』なのは一部、いや、大部分の冒険者にとってであって、彼のような上位種には大して脅威でもない。 うぬぼれでもなんでもなく、彼の《力》はこのダンジョン程度では桁が違うレベルだから、モンスターたちはその差を敏感に感じ取って近寄らない。 そもそも彼がこのダンジョンに潜るのだって、別にモンスター退治が目的なのでなく、ここに群生する貴重な植物や奥底にある不思議な泉の産物のためである。 当然、道中に見かけるモンスターにケンカを売るような面倒くさいことはしない。 ここでは完全な単独行動、が基本だった。


 だから、気づくのが遅れたのだ。

 『凶悪』なモンスターすら近寄ろうとしない『彼の横を歩く』ことの意味に。


「・・・オレと同じくらい強い、ってか・・・?」


 無意識にいつもの道を踏破し、奥底の泉をじっと見つめてぽつり、とつぶやく。

 その視線の先には。


 いつもの金色の真円の隣に小指の先ほどの猫目石。

 月のような色合いにくっきりとキャッツアイが光る、美しい宝石がころんところがっていた。

 そうっと水に前足を入れてすくいあげる。 なめらかな手触りが心地よい希少な石が放つ波動はつい先ほどまで隣にあったふわふわと柔らかな、こんなダンジョンには似つかわしくない優しいもの。 それでも。


「見かけによらず・・・いや・・・?」


 つぶやいて、ふわふわなネコと歩いた時間を思い浮かべる。 特出した《力》を感じさせなかった、少女。 実際、彼はいっしょに歩いている間、ひたすらに彼女を守ることしか考えなかった。 だが彼とて上位種。 モンスターたちすら感じ取れる《力》を感知できないわけが、ない。


 そう。

 《力》が同程度なのであれば。


 一瞬、目を閉じて空を仰ぐ。

 するすると金色の翼が、獅子の姿が消えていく。

 代わりに彼の背、翼よりも下のほうに現れたのは、金色の毛並みの狐の尻尾。

 数は・・・八本。


「オレ以上・・・いや・・・へたすりゃ族長並み・・・?」


 この世界で少女が属するであろう猫又族と共に最強の一族とされる妖狐族。

 彼はまだまだ子どもとも言える少年でありながら、その妖狐族の中でも一握りしかいない尻尾七本以上の妖狐だった。

 その彼が《力》を感知できないほどの存在。 それは《力》を持たないか、最弱クラスか・・・あるいは自らの《力》を完全に隠蔽できる最強クラスか。

 今まで彼が《力》をいっさい感知できなかった相手は、現在たった一人の九尾の妖狐である彼らの族長のみ。 思いあがってケンカを売ってこてんぱんにのされたのを思い出して身震いする。

 あの少女の《力》はまったくわからなかった。 だが、族長に次ぐ、と言われるほどの実力を持つ彼の傍を楽しそうに気持ちよさそうに半日にわたって歩いていられるほどの《力》の持ち主であるのは確実。 おそらく尻尾だって九本か、それに近い数で単に一本に隠蔽していただけ。 だとすれば。


「・・・猫又族のトップクラス・・・」


 行きついた結論にもう一度空を仰いでへちゃり、と泉の縁に座りこむ。 膝を抱えて今しがた拾った猫目石を手のひらで転がす。 道理でほえほえとこんなところを歩いていられたわけだ。

 でも。


「でもよー・・・ほっといたらぜったい食われそうなんだもんよー・・・」


 ぺしょー、とうなだれてぼそっとつぶやく。

 あまりの無警戒さに、そう見えた。 実際、隠蔽された《力》にだまされたここのダンジョンでは相当強いモンスターに襲われていたし、反撃の素ぶりすら見せなかった。 放ってはおけなかったのだ、彼としては。 そしてその感覚は理論的に『桁はずれ』と認識しても変わらない。 そんな彼を笑うように泉の水面がしゃらしゃらと小波をたてる。


「てめ・・・てめーだってあのネコっ娘の《力》測りかねてたくせによ・・・」


 ぼそぼそと泉に向かって悪態を吐く。 出会う以前にも何度もここに潜っている様子のある少女。 それなのにその少女を表す猫目石に出会ったのは今日が初めて。 それは泉も少女の《力》の隠蔽にだまされていた、ということ。


「オレと歩いててへっちゃらだから、やっとわかったんだろーがぁ・・・」


 泉の小波が一瞬大きくなって跳ねた水が彼の髪を濡らす。 そして水がかかっただけではありえない、ごぃん、という硬質な音。


「! てぇっ! なにしやがるっ!」


 水といっしょに降ってきた小さな猫目石をあやうくキャッチして文句を言う。 本日二個目の宝石は最初の同様ふわふわ楽しげな波動をまとっている。


「・・・わかったよ、ちゃんと回収してやっから金貨作んな。 もう最強はあっちだろ?」


 ぼそっとつぶやいて立ち上がる。

 んー、っと伸びをしてくるん、とジャンプ一回転。 それで金色の獅子へと変化して上層階への道を歩き出す。 変化しているのは単なる無謀な冒険者避けだ。 ここに来る冒険者レベルには妖狐とはいえ、少年の姿は格好のカモに見えるらしいから。


 だから、彼は悟ってしまう。

 あの少女に出会ったらやっぱり今日とおんなじ行動するんだろうな、と。

 あんなふわふわしたの、オレ以上にカモにしか見えないじゃん、と。



「・・・ほんっと、見かけによらねーよな~・・・」


 つぶやいて、ま、いっか、と彼は気合を入れて走り出す。 次に会う時はなに、探しにくるんだろな、と想像しながら。 ほっとく気はさらさらなかったり、する。 力があったってやっぱりぽやぽやの少女はあぶなっかしくって一人でなど歩かせられねー、と自分に言い訳して彼は普通の生活に戻るべく、ダンジョンを駆け抜けた。

 深読みしたらダメですよ?

 力抜けそうなのはいつものことですしっv

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