表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

50/55

第二部・第2話:通う理由

 学校に通うと決めた翌朝、

 柊 翔は、しばらく天井を見つめたまま動けずにいた。


 目覚ましは鳴っていない。

 急ぐ必要も、遅刻を気にする理由もない。


 それなのに、

 身体だけが妙に重かった。


 ――学校。


 その単語が、

 自分の人生に再び出てくるとは思っていなかった。


 ◇


 復讐をしていた頃、

 時間は常に“使うもの”だった。


 調べる。

 考える。

 準備する。


 無駄な時間はなかった。

 いや、

 無駄だと思える時間そのものが存在しなかった。


 だから今、

 こうして何も考えずに横になっているこの状態が、

 ひどく落ち着かない。


 ――何をすればいい。


 ――今日は、何を目標にすればいい。


 答えは、ない。


 ◇


「兄様、起きてる?」


 ノックのあと、

 澪の声がした。


「起きてる」


 そう返すと、

 ドアが静かに開く。


 制服姿の澪が、

 少しだけ様子をうかがうように立っていた。


「……本当に、来るんだよね?」


 確認するような声。


「ああ」


 短く答える。


「どうせ暇だし」


 澪は、

 一瞬だけ困った顔をした。


「暇だから、

 学校に来る人、初めて見た」


「俺も、

 自分がそうなるとは思ってなかった」


 それは本音だった。


 ◇


 支度をしながら、

 鏡に映る自分を見る。


 配信のときとは違う服装。

 アイドルを意識したものでもない。


 ただ、

 “学生として浮かない”程度の格好。


 それだけで、

 妙な違和感がある。


 ――俺、

 ここにいていいのか?


 そんな考えが、

 ふと頭をよぎる。


 復讐者。

 告白者。

 元・時の人。


 それら全部を背負ったまま、

 学校という場所に足を踏み入れる。


 ◇


 家を出る直前、

 元母親が声をかけてきた。


「無理しなくていいからね」


 その言い方は、

 心配でも命令でもない。


 ただの、

 確認だった。


「落ち着かなかったら、

 帰ってきてもいい」


 翔は、

 靴を履きながら答える。


「落ち着くかどうか、

 まだ分からない」


 それでも。


「……行ってみる」


 ◇


 学校への道は、

 澪と並んで歩いた。


 話題は、特にない。


 天気の話も、

 学校行事の話も、しない。


 沈黙が、

 気まずくない。


 それだけで、

 少し救われる。


 ◇


 校門が見えたとき、

 翔は無意識に足を止めた。


 登校する生徒たちが、

 こちらをちらちらと見る。


 視線が集まる。


 ――ああ。


 ここでも、

 もう“何も知らない存在”ではいられない。


 澪が、

 小さく息を吸う。


「……多分ね」


 前を向いたまま言った。


「思ってるより、

 みんな優しいよ」


 翔は、

 その言葉をすぐには信じなかった。


 信じる理由が、

 まだない。


 ◇


 校舎に入る。


 廊下を歩く。


 ひそひそ声。

 でも、

 悪意は感じない。


「……あの人?」


「柊翔、だよね」


 名前を呼ばれること自体が、

 久しぶりだった。


 ◇


 教室に入った瞬間、

 空気が変わる。


 一斉に向けられる視線。


 翔は、

 反射的に表情を作りかけて、

 やめた。


 ――今日は、

 兵器でいる必要はない。


 担任が、

 簡単な紹介をする。


 配信者。

 アイドル志望。

 転入。


 過去の話は、

 一切出ない。


 それが、

 ありがたかった。


 ◇


 席に着くと、

 隣の女子生徒が

 おずおずと声をかけてきた。


「あ、あの……」


 翔は、

 構えずに顔を向ける。


「昨日の配信、

 見ました」


 一瞬、

 心臓が跳ねる。


 でも。


「……すごく、

 ちゃんとしてて」


 言葉を選びながら、

 続ける。


「だから、その……

 来てくれて、

 ありがとう、です」


 その一言で、

 頭が真っ白になる。


 感謝?


 ここで?


 ◇


「……こちらこそ」


 それしか言えなかった。


 隣の女子生徒は、

 ほっとしたように笑った。


 その笑顔に、

 計算はない。


 同情とも、

 好奇心とも違う。


 ただの、

 人としての反応。


 ◇


 授業が始まる。


 ノートを取る。


 先生の声を聞く。


 信じられないほど、

 普通だ。


 そして。


 信じられないほど、

 居心地が悪くない。


 ◇


 休み時間、

 何人かが話しかけてくる。


 配信の話。

 学校の話。


 誰も、

 踏み込みすぎない。


 それが、

 逆に怖い。


 ――俺の過去を、

 知らないから優しいのか。


 ――知っていて、

 それでも優しいのか。


 まだ、判断できない。


 ◇


 それでも、

 ふと思う。


 こんな場所を、

 自分はずっと

 遠ざけてきた。


 信用しないことで、

 守ってきたもの。


 だが今、

 守っていたはずの世界の外に、

 こんな居場所がある。


 それを知ってしまったことが、

 少しだけ怖い。


 ◇


 昼休み、

 澪がこちらを見る。


 目が合う。


 翔は、

 小さく頷いた。


 大丈夫だ、

 という合図。


 嘘ではない。


 まだ、

 何も始まっていないだけだ。


 ◇


 復讐が終わり、

 次に選んだのは、

 戦いじゃなかった。


 日常だ。


 それが、

 どれほど厄介で、

 どれほど壊れやすいものか。


 翔は、

 まだ知らない。


 だがこの日、

 はっきりと理解した。


 復讐以外の時間は、

 思っていたよりも、

 静かで、

 残酷で、

 そして――

 優しい。


 第二部は、

 確かに、

 別の形で牙を剥き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ