第48話:ここで終わりにして
その日は、
何かが起きる予感だけが、
朝からまとわりついていた。
理由はない。
根拠もない。
ただ、
胸の奥が静かすぎた。
翔は、配信を終え、
一人で部屋に戻っていた。
復讐を選び直した。
父に会ったあとでも、
自分で決めた。
だから、
もう迷わないはずだった。
――そのはず、だった。
◇
インターホンが鳴った。
短く、
はっきりと。
澪でも、由衣でもない時間。
翔は、一瞬だけ立ち止まり、
それから玄関へ向かった。
ドアを開ける。
そこに立っていたのは、
見覚えのない少女だった。
年は、十代後半。
どこにでもいそうな、
普通の顔立ち。
けれど。
視線が合った瞬間、
胸の奥が、
きしんだ。
◇
「……突然ごめんなさい」
少女は、静かに言った。
声は落ち着いている。
なのに、
どこか懐かしい。
「少し、
お話をさせてほしいの」
翔は、警戒を解かない。
「誰ですか」
少女は、
一拍置いた。
それは、
言葉を選ぶ間だった。
「……あなたが、
今からしようとしていること」
その一言で、
空気が変わる。
「それを、
止めに来たわけじゃない」
翔の目が、細くなる。
「じゃあ、何だ」
少女は、
まっすぐに翔を見た。
逃げない。
誤魔化さない。
そして、
こう言った。
「ここで、
終わりにしてほしい」
◇
翔は、笑いそうになった。
「……誰の立場で言ってる」
少女は、
首を横に振る。
「意見は、もう割れた」
淡々とした声。
「あなたの言葉は、
ちゃんと届いた」
まるで、
生放送の向こう側を
全部見ていたみたいに。
「ここから先はね……」
少女は、
少しだけ、声を落とした。
「人を平気で殺した人間を止めるために、
あなたがこれ以上、
自分を削る必要はない」
翔の指先が、
微かに震える。
「そんな価値のある相手じゃない」
一拍。
「……少なくとも、
私にとっては」
◇
その瞬間だった。
頭の中で、
何かが、はっきりと噛み合う。
言葉の選び方。
距離感。
視線の置き方。
知っている。
――知りすぎている。
「……証拠は?」
翔の声は、低かった。
「俺の配信を聞いて、
それっぽいこと言ってるだけじゃないのか」
少女は、
否定しなかった。
代わりに、
一歩だけ前に出た。
「あなたが小さい頃、
熱を出した夜」
その一言で、
世界が止まる。
「眠れなくて、
何度も水を欲しがって」
翔の喉が鳴る。
「そのたびに、
『ごめん』って言ってた」
心臓が、
強く打つ。
「私は、
そのたびに言った」
少女の声が、
ほんの少しだけ、揺れた。
「『いいの。生きててくれれば』って」
◇
あり得ない。
そんなはずはない。
でも。
異世界に転移した自分という実例が、
ここにいる。
否定する言葉が、
見つからない。
翔は、
一歩後ずさった。
「……何で」
声が、掠れる。
「何で、
今なんだ」
少女は、
ゆっくりと息を吐いた。
「あなたが、
ここまで来たから」
「これ以上進んだら、
戻れなくなるところまで」
そして、
最後に。
母だった存在は、
確かに母の目で、翔を見て言った。
「もう、意見は割れた」
「あなたの言葉は、
ちゃんと届いた」
「ここから先はね……」
「人を平気で殺した人間を止めるために、
あなたがこれ以上、
自分を削る必要はない」
「そんな価値のある相手じゃない」
少しだけ、
微笑む。
「……少なくとも、
私にとっては」
◇
翔は、
何も言えなかった。
叫びも、
反論も、
怒りも。
全部、
言葉になる前に、
崩れた。
あり得ないだろ。
何で。
こんな――
そう言いかけて、
口を閉じる。
否定できない。
否定する根拠が、
どこにもない。
玄関に、
重い沈黙が落ちた。
復讐編・第一部。
ここで、
確かに終わりを告げていた。
――第二部へ、続く。




