第37話:笑顔のコスト
二次審査の控室は、思ったよりも狭かった。
長椅子が並び、
壁際には紙コップの水。
張りつめた空気というより、
落ち着かない沈黙が漂っている。
翔は、端の席に腰を下ろしていた。
視線を上げると、
数人の女性が小声で会話をしている。
年齢はばらばら。
経験も、たぶん。
「……あの」
声をかけられた。
顔を上げると、
同年代くらいの女性が立っていた。
「さっきの課題、
どうでした?」
普通の雑談。
緊張を紛らわせるための、
よくある入り方。
翔は、即座に“表情”を作る。
「難しかったですね」
声のトーン。
口角の角度。
相手を否定しない距離感。
完璧だった。
「ですよね。
私、ああいう自然体の役、
苦手で……」
「そうなんですか?」
相槌。
適度な驚き。
会話は、つつがなく続く。
相手は、安心したように笑った。
――問題ない。
外から見れば、
ごく普通のコミュニケーション。
むしろ、
感じがいい部類だろう。
けれど。
翔は、自分の内側に
微かな摩耗を感じていた。
◇
会話が終わり、
女性が別の席に戻る。
その背中を見送ってから、
翔は小さく息を吐いた。
――疲れる。
理由は分かっている。
相手を疑っているわけじゃない。
敵だと思っているわけでもない。
ただ、
素で接する選択肢が存在しない。
信頼しない。
踏み込まない。
隙を見せない。
その代わりに、
“正解の反応”を出し続ける。
表情。
声。
間。
全部、計算。
兵器としては、
間違いなく優秀だ。
撃たれない。
刺されない。
距離も保てる。
――でも。
スタミナの消費が、
異常に早い。
◇
神崎 遼の言葉が、
ふと頭をよぎる。
「踏み込みすぎると、見えなくなる」
それは、
相手だけの話じゃなかった。
踏み込まないために作る仮面。
それ自体が、
自分を削っている。
笑顔を作るたびに。
無難な返事を選ぶたびに。
少しずつ、
内側が消耗していく。
翔は、膝の上で手を握った。
――これを続けたら、
どこかで息切れする。
復讐。
配信。
オーディション。
全部、
「表に立つ行為」だ。
なのに、
心を置ける場所は、
まだ限られている。
◇
名前が呼ばれる。
翔は立ち上がり、
もう一度、表情を整えた。
切り替えは早い。
それも、長所だ。
だが。
歩きながら、
はっきりと自覚する。
――このやり方は、
永遠には持たない。
仮面は武器だ。
同時に、消耗品でもある。
どこかで、
素で呼吸できる場所を
作らなければならない。
そうしなければ、
最後まで立っていられない。
翔は、
静かに審査室の扉を開けた。
笑顔は、
完璧だった。
だからこそ、
余計に重かった。




