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第26話:それ、地獄じゃない?

夕方の風は、少し冷えていた。


 朝比奈 由衣は、校舎の非常階段に腰掛け、

 スマホの画面を見つめていた。

 何かを操作しているわけじゃない。

 ただ、画面が暗くなるのを、何度も戻している。


 その前に、柊 翔が立った。


「話がある」


 由衣は顔を上げ、すぐに状況を察した。


「……決まったんだ」


「ああ」


 翔は、階段の手すりに背を預ける。


「表に出る」


 由衣の眉が、わずかに動く。


「名前も顔も?」


「全部」


 少しの沈黙。


「どういう形で?」


 翔は、迷わず答えた。


「好感度を作る。

 攻撃しない。

 誰の敵にもならない。

 性格がいい人間として、認識される」


 由衣は、しばらく何も言わなかった。


 風が吹き、

 階段の踊り場に落ち葉が転がる。


「……それ」


 由衣は、ゆっくり口を開いた。


「地獄じゃない?」


 翔は、即答しなかった。


 その沈黙が、答えだった。


「怒ってるのに、怒ってない顔をする」


 由衣は続ける。


「許さないって決めてるのに、

 優しい人として扱われる」


 一つずつ、言葉を置く。


「本音を隠して、

 好かれるための言葉を選んで」


 由衣は、翔を見る。


「それ、

 ずっと一人で耐えるってことでしょ」


 翔は、視線を逸らさない。


「慣れてる」


「慣れてるだけ」


 由衣は、きっぱり言った。


「向いてるとか、得意とか、

 そういう話じゃない」


 少しだけ、声が震える。


「それ、

 自分を消し続けるやり方だよ」


 翔は、静かに息を吐いた。


「消さない」


 由衣は、首を振った。


「消すよ」


 即断だった。


「みんなが見るのは、

 “性格がいい柊翔”だけになる」


 一歩、踏み出す。


「怒ってるあなたも、

 憎んでるあなたも、

 誰も見なくなる」


 由衣は、そこで言葉を選んだ。


「……それってさ」


 一拍。


「犯人がやってる“被害者面”と、

 構造、似てない?」


 翔の指が、わずかに動いた。


「違う」


 即答だ。


「俺は、被害者だと言わない」


「でも」


 由衣は食い下がる。


「“いい人”を演じるってことは、

 世界に都合のいい顔だけ見せるってことだよ」


 沈黙。


 由衣は、声を落とした。


「私、

 あれを見てきた」


 配信の、あの顔。


「だから分かる」


 視線を逸らす。


「……あなたが同じことをするの、

 耐えられない」


 翔は、少し考えた。


 そして、淡々と答える。


「由衣」


 名前を呼ぶ。


「俺は、救われたいわけじゃない」


 由衣は、息を呑んだ。


「復讐も、

 正義も、

 回復も」


 翔は、続ける。


「全部、手段だ」


 視線が、まっすぐに由衣を捉える。


「俺がやりたいのは、

 放置されない世界を作ることだ」


 由衣は、唇を噛んだ。


「そのために、

 自分が地獄に立つのは、

 構わない?」


「構わない」


 短く、強く。


 由衣は、目を閉じた。


 少しの間、何も言えなかった。


「……ねえ」


 やがて、声を絞り出す。


「それでもさ」


 目を開く。


「あなたが一人でやるなら、

 絶対、壊れる」


 翔は、否定しなかった。


 由衣は、一歩近づく。


「だから、

 私がいる」


 翔の目が、わずかに揺れた。


「私が、

 あなたが“いい人”でいられなくなる瞬間、

 覚えてる」


 由衣は、はっきり言う。


「あなたが何を考えて、

 何を飲み込んでるか、

 私だけは知ってる」


 静かな声。


「それ、

 アイドルの横にいる人間として、

 必要でしょ」


 翔は、しばらく黙っていた。


 やがて、ほんの少しだけ、

 表情を緩める。


「……助かる」


 由衣は、苦笑した。


「でしょ」


 風が、二人の間を抜ける。


 地獄だ。

 間違いなく。


 でも。


 一人で立つ地獄と、

 誰かと並ぶ地獄は、

 同じじゃない。


 由衣は、階段の下を見る。


「……絶対、

 “いい人”に飲み込まれないでよ」


 翔は、静かに答えた。


「飲み込まれそうになったら、

 引き戻せ」


「任せて」


 由衣は、短く言った。


 それは、契約だった。


 性格がいいアイドルと、

 その地獄を知っている幼馴染。


 二人は、同じ段差に立ったまま、

 次の夜を見据えていた。

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