第16話:境界線の内側
その日の朝、管理局からの通知は一通だけだった。
【来訪者向け注意喚起】
【一部配信サービスにおいて、来訪体験の公開が増加しています】
【不用意な接触・言及は控えてください】
文章は丁寧で、柔らかい。
禁止ではない。
ただの“お願い”だ。
柊 翔は、端末を閉じた。
――始まる。
確信というほど強くはない。
けれど、もう「偶然」では片づけられない。
◇
学校では、昼休みの空気が少しだけ変わっていた。
水無月 澪は、由衣の机の周りに人が集まっているのを見た。
騒いでいるわけじゃない。
ただ、耳を傾けている。
「……配信、増えてるらしいよ」
誰かが言う。
「前の世界の話とか?」
「うん。証拠出してる人もいるって」
由衣は、黙って聞いていた。
口を挟まない。
笑わない。
けれど、視線は一瞬だけ鋭くなる。
「……証拠があるなら、信じる人は増える」
由衣が、ぽつりと言った。
その声に、周囲が静まる。
「信じるってことは、
“味方を選ぶ”ってことだから」
澪は、その言葉を聞き逃さなかった。
由衣は続けない。
それ以上言えば、自分が“語る側”に回ると分かっている。
◇
放課後、澪は屋上に由衣を呼び出した。
「さっきの話」
「……なに?」
「配信のこと」
由衣は、フェンスに手を置いたまま答える。
「私は、まだ見てない」
“まだ”。
澪は、その一言に引っかかりを覚える。
「見るつもりは?」
由衣は、少し考えた。
「……ある」
正直だ。
「でも、全部じゃない」
「どうして?」
由衣は、空を見上げた。
「最初の言葉だけ」
澪は、息を飲んだ。
「最初に何を言うかで、
その人が何を守りたいか分かる」
それは、澪が第12話で考えたことと同じだった。
「……もし」
澪は、言葉を選ぶ。
「もし、被害者として語り始めたら?」
由衣は、即答しなかった。
代わりに、こう言った。
「その人は、
もう“謝る気”がない」
断定。
だが、感情は抑えられている。
「許されたいんじゃない。
守られたいだけ」
澪は、胸の奥が冷えるのを感じた。
◇
夜、澪は家に帰り、リビングで翔を見つけた。
「……学校で、配信の話が出てる」
翔は、頷くだけだった。
「由衣も、気づいてる」
翔の視線が、澪に向く。
「どこまで?」
「“最初の言葉”が大事だって」
翔は、短く息を吐いた。
「……同じだな」
それは評価でも、警戒でもない。
ただの事実確認。
澪は、少し迷ってから続けた。
「由衣はね。
被害者として語り始めたら、
その人は逃げ切るつもりだって言ってた」
翔は、何も言わない。
澪は、そこで止めた。
由衣の過去の話はしない。
今はまだ、線の外だ。
◇
その夜、翔は端末を手に取った。
配信アプリのアイコンが、以前より目につく。
おすすめ欄には、
“来訪体験”
“平行世界”
“真実を語ります”
そんな言葉が並んでいる。
翔は、開かない。
開けば、
世界が選び始める。
その前に、
自分の線を、もう一度確かめる必要があった。
許さない。
追わない。
語らない。
その境界線の内側で、
ただ、待つ。
澪も、由衣も、
それぞれの場所で同じことをしている。
嵐の前の静けさは、
もう十分だった。




