第14話:重ならない記憶
昼休みの終わりは、いつも中途半端だ。
騒がしさが完全に消えるわけでもなく、
授業に切り替わるには、少しだけ余韻が残る。
水無月 澪は、教室の窓際でノートを閉じながら、
前の席に座る朝比奈 由衣の背中を見ていた。
由衣は、友達と話しているわけでも、
一人で端末を見ているわけでもない。
ただ、机の上に手を置いて、
何もない空間を見つめている。
――考え事。
そう判断するには、少し違和感があった。
澪は、視線を外してから、もう一度だけ由衣を見る。
同じ姿勢。
同じ距離。
でも、どこか……懐かしむ目をしている。
◇
放課後、澪は帰り支度をしている由衣に声をかけた。
「ねえ、由衣」
「なに?」
返事は、いつも通りだ。
よそよそしくもなく、近すぎもしない。
「前の世界の話、あんまりしないよね」
由衣の手が、一瞬だけ止まった。
「……する必要、ある?」
澪は、すぐに首を振った。
「無理に聞きたいわけじゃないよ」
それは本当だった。
「ただ……
“知ってる前提”で話してる時があるなって思って」
由衣が、澪を見る。
「どういう意味?」
「例えばさ」
澪は、言葉を選ぶ。
「前の世界の学校の話とか、
事件の話とか」
一拍。
「誰かがいた前提で話すことが、ある」
由衣の視線が、わずかに揺れた。
「……そんなこと、ないと思うけど」
否定は早かった。
早すぎる。
澪は、それ以上追及しなかった。
代わりに、別の話題を出す。
「ごめん。気のせいかも」
「……うん」
由衣はそう答えたが、
その後の動きが、ほんの少しだけぎこちなかった。
◇
帰り道、澪は一人で考える。
由衣は、怒りを持っている。
それははっきりしている。
でも、その怒りは――
誰か特定の一人に向いている。
「犯罪者」という言葉を使う時、
由衣の声は強い。
けれど、その裏にある感情は、
抽象的な正義感じゃない。
――失った人がいる。
――答えが出ないまま、時間が過ぎた。
そんな怒りだ。
それだけなら、珍しくない。
けれど。
由衣は、
「知らないはずの距離感」で話すことがある。
澪は、足を止めた。
思い出す。
由衣が言った言葉。
――「黙ってたら、無かったことにされるでしょ」
それは、
ニュースの向こう側にいる人間の言葉じゃない。
同じ教室にいて、
何も言えなかった人間の言葉だ。
◇
家に帰ると、翔はリビングにいた。
端末を置いて、窓の外を見ている。
最近の定位置。
「おかえり」
「ただいま」
澪は、ランドセルを置いてから、少し迷った。
――言うべきか。
――今は、まだか。
結局、すぐには切り出さなかった。
「……学校、どうだった」
翔がそう言ったのは、珍しかった。
「転校生のことで、少しだけ」
翔は、視線を外さずに言う。
「問題か?」
「問題、というほどじゃない」
澪は、言葉を選ぶ。
「ただ……
朝比奈さん、前の世界の話になると、
距離感が変わる」
翔の指が、僅かに動いた。
「距離感?」
「うん。
知ってる人みたいに話す時がある」
それだけ言って、澪は止めた。
断定しない。
決めつけない。
今は、伏線でいい。
翔は、しばらく黙ってから言った。
「……偶然だろ」
否定ではない。
確認だ。
「かもしれない」
澪は、素直に答えた。
「でも、もし偶然じゃなかったら」
翔は、ゆっくりと澪を見る。
「……その時は?」
澪は、静かに言った。
「その時は、
朝比奈さんは“世界の選択”じゃなくて、
兄様の過去を見て怒ってる人になる」
部屋の空気が、わずかに張る。
翔は、何も言わなかった。
それでも、否定もしなかった。
澪は、それ以上踏み込まない。
今日は、ここまででいい。
疑いは、形になり始めたばかりだ。
雨は、まだ降らない。
けれど、
記憶の重なりが、静かに音を立て始めている。
澪は、由衣の名前を心の中で繰り返した。
朝比奈 由衣。
その過去は、
まだ語られていない。
だが、
確実に――
兄の過去と、どこかで重なっている。




