彗星におちる
学祭の最終日。
俺は予定通り校門の警備をしていた。
「あっちー! こんな猛暑日に外で警備とか、まじ最悪!」
静かに額の汗を拭う俺の横で、佐藤は文句を垂れた。
夏の強い日差しが肌を焼き、立っているだけで全身から汗が吹き出す。
「仕方ないよ、係になっちゃったんだから」
「半強制的にな。はぁ。今頃みんな、ゲストのステージ見てる頃だぜ?」
いわれてみれば、校門周辺の人だかりが減っている。
皆、体育館のステージに向かったのだろう。
「ゲストって、誰が来てるの? お笑い芸人とか?」
「はぁ? お前知らねぇの? 今年は〝スイ〟が来んだよ!」
「誰それ?」
「……まっじでアキラって、疎いよな」
佐藤によれば彼女は今をときめくスーパーアイドルで、突如、彗星のごとく現れたことからスイという名前がついたのだとか。
聴く人の心を揺さぶる歌声と歌詞が、一番の魅力らしい。
「くそっ。警備係じゃなけりゃ、絶対見に行くのによ!」
「ファンなの?」
「ったりめぇだろ! ファンクラブも入ってる」
「わお」
俺は適当に相槌をうちながら空を見上げた。
彗星といわれて思いつくのは、この地域に夏の間だけ現れる「ルツィア彗星」だ。
俺が生まれたのと同じくらいの時期に観測され始めたという。
同年代のなかでは知らない者はいない。
ルツィア彗星は願いを叶えてくれる。
そんな迷信を信じ続けた俺は、この歳になっても見つける度に、自然と願いごとを呟いてしまう。
まぁ、叶ったことはないけれど。
「お、あったぜ!」
佐藤の方を見やると、彼はスマホを手にしてスイのライブ映像を流している。
「いや、仕事中……」
「いいんだよ、こんくらい」
佐藤は俺の肩を組み、無理やり画面をみせた。
渋々眺める。
しかし、次の瞬間には画面の中の彼女に目を奪われていた。
『ずっと探している。あなたを。見つけたら、消えてしまうのに』
「くぅー! やっぱこの歌詞いいよなぁ!」
眉を顰め、健気に何かを訴えている。
その姿を食い入るように見ていると、
「スイは、アイドルになるまでの記憶がないらしくてよぉ、本当の自分を探すために歌ってるんだ」
佐藤は涙ぐんで説明した。
「ふぅん」
なんだか胸がもやつく。
「そんなの、意味ないのに……」
俺の呟きは歌声にかき消され、誰の耳にも届くこともなかった。
警備の仕事を終えた俺は屋上へ向かう。
クラスメイト達は、この後の花火を楽しみにグラウンドへ集まっている。
俺も誘われたが、なんとなく断ってしまった。
屋上の扉は壊れたまま放置されている。
あまり知られていないので、俺は一人でいたいときに使っていた。
ドアノブに触れようとして、違和感に気付いた。
数センチほど開いている。
俺は隙間から覗き込んで、屋上を確認した。
そこに、人影を見つける。
体格からして女。だが私服である。
もしや、不審者か。
警戒しながら彼女を観察する。
風になびく長髪は繊細で美しい。
指先まで洗練された動きは上品で、どこか儚い。
近くにいるのに、遠い距離にいるような。
脳内に、彗星の記憶が駆け抜ける。
「ずっと探している。あなたを。見つけたら、消えてしまうのに」
聴きおぼえのある歌声がして、はっとする。
俺は再度、姿を目視して確信した。彼女は――
「スイ……」
思わず声に出すと、彼女は振り返った。
「誰?」
歌声は透き通るように美しいのに、話し声は存外、可愛らしい。
見惚れている俺のもとへ彼女はやってくる。
「こんなところで何してるの? これから花火の時間じゃない?」
言外に、「一緒に観る友達がいないのだろうか」というのが聞こえた気がして、俺は目をそらした。
「別に……なんとなく来ただけ、です」
なんて不愛想な返しだろう。
「あなたこそ。こんなところで、何してるんですか?」
いたたまれなくなって、返事も待たずに問いかける。
「私も、なんとなく」
「そうですか」
「せっかくだし、一緒に花火観ない?」
彼女もまた返事を聞く前に歩き出す。無防備な後ろ姿につい、
「もう少し、警戒したらどうですか?」
なんて言ってしまった。別に何かする気もないのに。
「どうして?」
「俺が、良からぬことを考えているファンかもしれないじゃないですか」
黙って彼女の後に続きながらいうと、スイは振り返って柔和な笑みをみせた。
「君なら大丈夫かなって思ったの。だって、私に興味ないでしょう?」
すべて見透かすような目に、身体が熱くなった。
知ったような口ぶりと、可哀そうなものをみるような視線が腹立たしい。
「興味ならありますよ。記憶がないらしいですね。それを取り戻すために、歌ってるんですって?」
「うん」
「それって、意味あるんですか?」
フェンスの前まで来ると、彼女はそこへ背を向けて寄りかかった。
その横顔はどこか寂し気だ。
「どうして?」
言葉に詰まった。
てっきり怒ると思っていたのに、こうも傷ついた顔をされると途端に罪悪感が押し寄せてくる。
「どうせ、叶わないじゃないですか」
俺の答えは、あまりに子どもじみていた。
昔から俺は、大人になれば何か大きなものになれると信じていた。
皆から必要とされ、愛される存在になるはずだと。
けれど、いざ大人に近づいたとき。
存在していたのは、何者でもない自分だった。
成績は頑張っても中の下。断れない性格は、次々雑用を押し付けられてしまう。
他人を中心に生きてきた俺は、いつしか自分を見失っていた。
本当に好きなものは何なのか。
俺は何がしたいのか、どうなりたいのか。
夢に向かって突き進む周囲と比較して、落ち込んで。すっかり心は疲弊していた。
「――私は、自分が歌いたいから、歌ってるんだよ」
スイの凛とした声が貫いた。
「それで、記憶も戻ればラッキーって感じ。私は私だから。誰に何を言われても歌い続けるよ」
スイの言葉が、心を穿つ。
さっきとは違って、慈愛に満ちた表情をしている。
不思議と嫌な気はしなかった。
むしろ、すべてを委ねてしまいたくなる。
優しい眼差しだった。
「ルツィア彗星って知ってます?」
俺は、突拍子もなく言い放った。
「ルツィア……彗星?」
「この地域に、夏の間だけ現れる彗星です。その光が、あなたによく似ています」
それは、俺の希望だった。
願いを叶えてくれる、というのを真に受けて願い続けてきた。
それで叶ったことはないけれど、どんなに失敗しても見守っていてくれた。
単なる迷信でも、心の支えであったことは確かだ。
そういえば、今年はまだルツィア彗星を見ていない。
そんなことを考える俺の横で、スイの目が大きく見開かれる。
「私……思いだした」
「え……?」
理解が追い付けないでいると、興奮気味の彼女が間髪入れずに言い放つ。
「私は、あなたが願い続けていた、ルツィア彗星」
その言葉が耳奥で反響する。
星が人になるなんて、天地がひっくり返ってもありえない話だ。
何かの冗談か。
それとも、テレビ番組か何かのドッキリ?
一度周辺を見渡し、カメラがないことを確認すると、彼女に向き直る。
息を呑んだ。
何億光年も先を見透かすような目。
記憶を取り戻した彼女の笑顔は、宇宙の何倍も幻想的だった。
「本当に、君があのルツィア彗星なんですか?」
「ええ。あなたが思い出させてくれた。ありがとう」
途端、全身が熱を帯びた。
胸がいっぱいになり、思いがこみ上げる。
こんな俺でも、スイの役にたてた?
〝ずっと探している。あなたを。見つけたら、消えてしまうのに〟
そこではっとする。
あの歌詞がスイのことを指しているのなら――
「あなたは、消えるんですか?」
俺を残して、またはるか遠い空の向こうへ行ってしまうのか。
手の届かない、光年先へ。
「そうだね」
「そんな。一人にしないでください……」
自分でいって驚く。
すらすらと出てきた願いはあまりに単純で簡単だったのだ。
そんな俺を見て彼女は笑う。
「君ならもう、大丈夫だよ」
いま思えば俺の願いは、誰かに必要とされたいとか幸せになりたいとか、至極曖昧だった。
でもそれも、今日で終わり。
自分と向き合うだけでこんなに胸が軽くなるのか。
刹那、空に花火が上がった。
俺の意識が自然と空に向く。
下からは生徒たちの歓声が沸き上がり、火花が夜空へ溶け込むさまを眺めていた。
そこへ、一筋の光が流れる。
「今のって……」
彼女を振り返ると、そこにはもう誰もいなかった。
少し物寂しい気持ちになりつつ、再び空を見上げる。
「これからも、ちゃんと見ていてくださいね」
俺が小さく呟くと、返事をするようにまた光が流れた。