異世界転移したシステムエンジニアがデスマーチして世界を救う話
俺の名前は玄田社。三十歳、独身男性。しがないシステムエンジニアだ。
半年前に凄腕の先輩社員が退職し、加えて進行中のプロジェクトが大炎上。仕事は多忙を極め、ここ数ヶ月デスマーチが続いていた。それも一旦落ち着き、二週間ぶりに自宅に帰った。
というところまでは覚えているのだが――
「召喚成功です!」
気づくとワンルームの自宅から、教会のような場所に俺は立っていた。目の前には修道士姿の女と、ローブを被った老人。足元には青白い光を放つ魔法陣。
「この異世界ファンタジーみたいな展開は……!」
最近アニメも漫画もすっかりご無沙汰だが、いわゆる異世界転生――否、異世界転移というやつだとすぐに分かった。
夢にまでみた展開に震える俺に、修道士姿の女が静々と歩み寄る。僅かな光を反射する金髪、潤んだ大きな蒼眼、通った鼻筋。化粧っ気がなく質素だが、それゆえにかなりの美人さんだと分からされる。
そんな淑女が跪き、俺を見上げ、祈るような仕草で話しかけてきた。
「勇者、社様。召喚に応じていただき、ありがとうございます。私は国王直属魔術団、団長補佐を務めるハート・パワメランスと申します。実は――」
ハートさんの話の要点をまとめると、以下のとおり。
①この国は現在、魔王軍に侵略され滅亡寸前
②国軍もほとんど壊滅。残っているのは国王直属部隊である魔術団のハートさんと、その祖父でもあり魔術団団長のお爺さんの二人だけ
③古の神聖魔術で異世界の勇者を呼び出し、助けてもらうことにした
「なんでもっと早めに③を実行しなかったんですか?」
「当初は国軍でも充分対応できる想定だったのですが、想定以上に魔王軍が強く……。また、召喚には大量の魔石が必要で、国王からは「現状の資源でやりくりせよ」と指示されていました。先日ようやく国王から使用許可が出たのですが、各所へ諸々の申請と、その承認が下りるのに時間がかかってしまい……今に至ります」
異世界でもウチの職場と似たようなことが起こってんのか。ちょっと同情した。
「事情は分かりました。で、なんで俺が? 「異世界の勇者」って話でしたが、俺はただの会社員なんですが……」
「え? 魔術の検索条件に『勇者と呼ばれていること』としたのですが……」
うーん? あ、思い出した。数年前、皆が頭を悩ませていた不具合の原因を、たまたま一瞬で見つけて修正したことがあった。その時、当時はまだ在籍していた例の退職した先輩に「助かったよ。お前はうちのチームのヒーロー……いや、勇者だな」と言われてたっけ。
検索条件ガバ過ぎじゃないか?
言いたいこと、言わなきゃいけないことを中々口に出せない性分の俺だが、さすがにこれは言わねばならない。
「と、とにかく、申し訳ないんですが、俺が勇者として闘うなんて……無理です。殴り合いの喧嘩もしたことないし、階段上るだけで息切れする男ですよ? もう一度、召喚をやり直した方がいいのでは?」
「そんなことありません! 魔術の検索条件に『プログラミングスキル あり』とも入力しましたので!」
……はい?
「プログラミング、スキル? えらくざっくりした条件ですが、それと勇者に何の関係が――」
「え? もしかして、そちらの世界ではプログラミングで戦わないんですか……? であれば、ご説明致しましょう。この世界でのプログラミングというのは――」
ハートさんの話の要点は以下のとおり。
a.この世界の魔法はプログラムでできている
b.プログラム言語は年々新しい言語が出てきており、今はPythonが人気
c.国王直属の魔術団で使っていたプログラム言語は主にJava
ちょくちょく聞き馴染みのある単語が出て来て、吹き出しそうになった。たしかに現在保守しているシステムはJavaベースであるため、人材として俺は適任だろう。
また、この世界のプログラミングも「コードを作る」という行為らしいのだが、それがどう魔法に転換されるのだろうか。具体的なことは魔術団の長に聞いてみるか。
「魔術団の団長さんってことはプログラミングの経験はあるんですよね? どんなのができるんですか?」
「ほっほっほっ、儂のことは気さくに「爺さん」と呼んで構いませんのじゃ。恥ずかしくも古い言語しか扱えず……儂はCOBOLしかできませんのじゃ」
「めっっっちゃ稀少価値あるので、お体大切になさってください。なんならこの件が片付いたら、ウチの世界に来ます? 就職先なら結構紹介できるかも」
「お爺様を逆に引き抜こうとしないでください! とにかく、召喚早々、申し訳ありませんが、既にすぐそこまで魔王軍が来て――キャッ!」
ハートさんが話し切る前に、教会の入り口の扉が轟音と共に爆発した。
爆散した扉、灰色の煙の中から現れたのは頭は犬で身体が人間のような姿の化け物だった。手には大きな三又の槍を持っている。
「ケーッケッケッ、ここに居たのか残党どもぉ」
恐らく、魔王軍の魔物なのだろう。先ほどまで異世界ファンタジーに胸躍らせていたが、実際に化け物を目の前にすると足が竦んだ。目も霞む。……いや、これは十四連勤の疲れのせいか。
「社様! これを!」
そう考えているうちに、ハートさんが何かを俺に投げつけた。無事にキャッチしたそれはビニール傘くらいの長さの杖だった。
「それを手にした状態で、「コンソール オープン」と唱えてください!」
「ステータス オープン」じゃなくて? このセリフを言うの憧れていたんだが……ま、いいか。俺は言われるがまま唱えた。
「コンソール オープン」
すると、杖の上に黒く四角い平面――パソコンのコンソール画面のようなものが出てきた。
「それは古くから魔術団で保持している魔具です! ただ、何もしてないのに壊れたらしく……でも、プログラミングスキルのある貴方なら、そのコンソール画面からソースを修正し、使えるようになるはずです! 頑張ってください!」
凄い無茶振り。俺はチーム配属初日に既存バグの修正を任された時のことを思い出した。あれはキツかった。三日徹夜したっけ。
って、今はそれどころではない。とりあえずコンソール画面を見るが……良かった、コンソール上の文字は英語だ。英語が得意というわけではないが、この世界独自の言葉だったら手も足も出なかっただろう。そして、いつの間にか手元にはキーボードらしきものが浮いている。これで入力しろということらしい。
しかし――
「あー……CLIか。最近GUIばっかりだから、コマンドなんて忘れちゃったなぁ。Googleで検索……ってこの世界じゃ無理か」
文字入力だけのCLIと違い、ボタンやウィンドウが表示され視覚的にも分かりやすいGUI。いわゆるWindowsとかLinuxのデスクトップ画面での操作のことだ。
CLIでの操作は遥か昔にちょっと齧ったことがある程度で、もう使い方は忘れてしまった。フォルダ移動とか、ネタとして禁忌のコマンドなら覚えてるけど。
「まずいな……くそ、Eclipse(※)が使えればなぁ……」
※統合開発環境。プログラミングのツールみたいなもの。
俺がそう呟いた瞬間。杖から出ていた黒いコンソールが光り輝き、キンッという高い音と共に弾けて消えた。――と思いきや、そこには灰色のウィンドウが顕現していた。
ヘッダー部分に「ファイル」「編集」「実行」等々、見慣れた日本語のボタン。その下にはいくつかの分割されたウィンドウ。一つのウィンドウにはプログラムコードらしきものが表示されている。
いつの間にか俺の遥か後ろの物陰に隠れたハートさんと爺さんが驚いていた。
「お爺様! あれは……!?」
「おぉ、あれこそは勇者のみに許された幻のツール、“蝕“……!」
「勇者のみ」て。オープンソース(無料)のツールです。
とにかく、よく分からんがこのウィンドウ上に出ているソースを動かせるようにすれば、解決するのだろう。
「って、こんなことしてる間に、敵に襲われるんじゃ……」
恐る恐る魔物の方をチラッと見るが、魔物も自身の武器上に現れたコンソール画面と睨めっこしていた。
「えーっと、たしかココをこうして……あれ、違う。えーっと……」
魔物は手元のキーボードを指一本でポチポチ押しながら、ブツブツ呟いてる。
「社さん! 今です! 敵が詠唱中に早くその杖を改修してください!」
あれ詠唱って扱いなんだ。まぁ、たしかにコーディング中に何やら呟く人いるけど。
というか、その槍で直接攻撃すればいいのに。いや、余計なことは言わないでおこう。
「ええい、とにかく見てみるか」
俺は無言でウィンドウのソースを見る。
……。
……あぁ、はいはい。なんとなくやりたいことは分かった。
……あー、うん。そういうことか。コメント書けよ、もぅ。
……あー? あ! 分かった。新しく追加した変数と、既存の変数の名前が似てるせいでか、265行目で間違えてインクリメントしてるんだわ。誰だよこれ最後に編集した奴、セルフチェックしたのか? まぁいいや、これを直して――。
俺は一旦プロジェクトをクリーンし、再ビルド。すると無事にビルドが完了したようだ。完了と同時に杖の先が煌々と輝き始めた。
どうやら上手く直ったらしい。またハートさんと爺さんが驚いた。
「「む、無詠唱……!?」」
「普通は無詠唱です。で、もう実行しちゃえばいいんですか?」
ハートさんは首を縦に激しく振る。早速、「実行」ボタンを押した。煌々と光る杖は、更にその光を増し、増し――。
杖先からレーザー光線のようなものが飛び出し、魔物を灼き払った。
■■■□□
教会での初戦闘後、俺は気絶するように倒れ、眠り込んでしまった。目が覚めた時、全て夢かと期待したが、目の前にはハートさんがいた。
そこは滅亡寸前の王都の一等地内。魔術団の本拠地である神殿の一室。
俺はてっきり丸一日ほど寝ていたのかと思ったが、わずか一時間しか眠らせてくれなかったらしい。「さぁ、早く次の魔具の改修をしないと、また魔王軍が攻め込んできちゃいます!」とハートさんは息巻き、俺に改修させる魔具を持ち寄せた。
通常、戦闘で魔法を行使する場合、魔具に組み込まれたコードをその時の状況(敵・味方の数、行使する属性、温度や湿度、etc ...)に合わせて修正する必要があるらしい。長年使い込まれている魔具ほどコードが複雑化――いわゆるスパゲッティプログラムになってしまう傾向とのこと。
そんなスパゲッティ化により誰も手が出せず、動きもしなくなった魔具を、なるべく次回使用時に簡単な修正で済むよう、俺は一つずつ分析し、改修していった。
以下、改修中の俺の詠唱である。
「なんでソースを更新したのに設計書を更新しないかなぁ」
「わーお、これ設計書無いのか。まぁ、それはよくあることだから諦めるとして、ソースにコメントくらい書けよ」
「これ作った奴、ループ文を知らんのか? 同じ処理がコピペされまくってる……」
「『よく分からないけど+1する』。何じゃこのコメントは……。分かんねーなら調べろよ……」
「こんなのデバッグ実行すりゃ分かりそうな不具合なんだけどなぁ……動作確認のやり方を知らんのかな」
――以上、詠唱という名の愚痴でした。
「お疲れ様です! 社様! 進捗いかがですか!?」
「はい、粗方終わりましたよ……」
俺は机に突っ伏しながら部屋の隅に寄せた異世界の魔法道具を指差す。
今更だが、こんな大量の魔具の改修、本当に勇者がやるべき作業なのだろうか? 俺一人が闘うなら、こんな大量の武器は不要なはず。しかし、言いたいことが言えない性分の俺はハートさんのお願いを拒絶できなかった。
あれから実に丸二日間、この魔具の改修作業で稼働しっぱなしだった。元の世界から合わせて十六連勤である。異世界でも俺はデスマーチをしていた。
「流石は勇者様! 見事な働きっぷりです!」
「……」
いや、アンタが「全部直すまで寝るな」って言ったんだろ。それに、転移魔法による元の世界への帰還条件が「魔王を滅ぼし、世界が平和になること」なんて脅し文句までして。
言いたいことが言えない性分の俺が肩を落としていると、ハートさんの後ろからひょっこり魔術団団長の爺さんが現れた。
「ほっほっほっ。相変わらずハートはスパルタじゃのぅ。お陰で毎年魔術団に入る新人は、半年ほどでほとんど辞めてしまうからのぉ」
「もぅ、お爺様ったら〜! 余計なこと言わないでください! プンプン☆」
俺は笑わなかった。笑えなかった。
「さて、魔具の改修もようやく半分終わったことですし――キャッ!」
ハートさんが何やら不穏なことを言い切る直前、爆発音が鳴り響いた。発生元はおそらく神殿の入り口。俺達三人は急いで部屋を飛び出した。
「はーっはっはっは。ここが貴様らのアジトか。魔術団の残党どもよ」
破壊された神殿の入り口に誰かが立っていた。人間かと思ったが、よく見ると背中にはコウモリのような羽根が生え、大きな八重歯が口からはみ出している。そして紳士的なその服装。いわゆる吸血鬼という奴か。
高らかに笑うそいつは俺の姿を見ると笑うのを止めた。
「なるほど、貴様が異世界の勇者か。噂は聞いているぞ。同胞を屠ったのも貴様だな」
瞬間、刺すような鋭い視線と殺気が襲いかかる。
リリース直後にシステムダウンして客先に謝りに行った時のことを思い出した。「どうせ頭を下げるだけなら、入社一ヶ月目のお前が行く方がコスパが良い」という理由で何も知らず謝りに来た新人の俺一人に対し、客先は部長クラスだけでなく社長まで同席し、死ぬほど責め立てられた――あの時の感覚に近い。
「勇者様! よろしくお願いします!」
猛烈な殺気から逃れたハートさんと爺さんは、そう言い残して物陰に隠れてしまった。管理職どもめ……。
吸血鬼のような魔物は殺気立ちながら問う。
「勇者よ、名を名乗れ!」
「……? 『玄田 社』です」
「くくく、そうか」と吸血鬼は呟くと少しだが殺気が和らいだ。そして続ける。
「我は魔王軍の四天王の一角、吸血鬼のカローシなり。わけあって四天王制度が解体され、一天王制度となり我一人になってしまったが……それがどういう意味か分かるか?」
「無茶な組織改編のせいで現場がめちゃくちゃ……ってこと?」
「違うわ! 我こそが四天王の中でも最強だと証明されたということだ!」
そんな凄い役職が単身で乗り込んでくるとは。魔王軍も大変そうだ。
などといらぬ心配をしていると、カローシと名乗る吸血鬼は何かを唱えだした。
「我に名を教えたこと、後悔しても遅いぞ! 喰らえ、我がSQLを!
SELECT * FROM person WHERE ……」
カローシが唱え始めると、その背後に光る英字が宙に浮かび始めた。そして物陰に隠れた爺さんがハッと息を飲み、叫ぶ。
「あれは、古の言語『SQL』! この世界の情報を全て保管する神の帳簿に直接干渉ができるという、伝説の言語じゃ……!」
ほう、SQLもあるのか。しかし、ちょっと情報不足だ。
「爺さん、その神の帳簿について、もっと詳しく教えてくれ」
「う、うむ。この世界に在る全ての生物や物の情報を表形式で体系化したものらしいのじゃが……別名、神託とも呼ばれとる」
Oracleかー。なんだかご都合主義な展開だが、ホッとした。
「そうか、じゃあ俺も使える」
「「「!?」」」
俺の発言にカローシ含め、その場にいる三人が驚愕した。カローシが詠唱を止め、俺に問い詰める。
「き、貴様は『Java使い』ではなかったのか!?」
「Javaも使えるけど、SQLも仕事で使うので」
「二言語使い……!?」
「そんな複数属性持ち、みたいな言われ方されても……。他にもC#も使えますよ。昔はCとC++も触ったっけな」
「「「ば、化け物……!?」」」
三人は腰を抜かした。
いわゆる「俺、なんかやっちゃいました?」って奴か。この程度のスキル、元の世界にごまんといるので口が裂けても言えないが。……一度は言ってみたかったなぁ。
閑話休題。
「えーっと、で、爺さん。もしかして、その神の帳簿から俺の情報を消されると、俺自身も消えちゃう――とか、そういう感じ?」
爺さんは頷いた。なるほど、要は即死系の術か。
俺が確認をとっているうちに、腰を抜かしていたカローシは元の体勢に戻っていた。
「ふ、ふははは。いくら貴様が化け物だったとしても、もう遅いわ! 既に貴様の『キー項目』は抽出済みだ!」
たしかにカローシの背後に浮かび上がった文字を見ると、データベースから俺の情報が引き抜かれた後のようだった。カローシは再び詠唱を始める。
「滅ぶがよい! DELETE FROM person WHERE person_id = "0012315"……」
またカローシの背後に光る文字が浮かび上がる。
マズい、このままでは俺という存在が削除されてしま――ん? いや、ちょっと待て。あのSQL、なんか嫌だ。
「ちょっと待った」
俺がそう言うと、キィンという高い音がどこからか鳴り響いた。同時にカローシの詠唱が止まった。なんかよく分からんが、詠唱を阻止できたようだ。千載一遇のチャンス、俺は思いのかぎりぶつける。
※※↓ここからの台詞は読み飛ばしてOKです※※
「いきなりDELETE文の実行で大丈夫か? バックアップは取ってる?
全人類、いや、魔族も含めると全生物を管理してるテーブルだよな? そのテーブルを更新するならもっと慎重になった方がいい。最悪、間違えて消したくないデータを消しちゃった時のことを考えて、バックアップは取るべきだろ。
あと、それを一人で実行するのも問題ない? ダブルチェック必要じゃないか? 四天王から一天王に人員が減ったのは分かるけど、せめてチェッカー要員として部下の一人でも連れてきた方が良い。今後業務が大変になるなら、部下への引き継ぎと教育も兼ねて、同行させた方が良かったんじゃない?
あと、そもそもそのDELETE文、person_idっていうのがキー項目みたいだけど、ベタ書きで条件を指定してるのも危ない。もしも入力ミスってたら、見ず知らずの人が死ぬんだろ? せっかく俺の名前が分かってるなら、条件に俺の名前も入れるとか、サブクエリで俺の名前を抽出してキー項目を削除の条件にするとか……とにかくもっと正確な条件にした方が良い。
あ、それに、DELETE文を実行する前に同じ条件のSELECT文を実行して、削除したいデータと一致するか確認した方が安全だ。
あと、このキー項目に関連するテーブル、全部調査した? 他のテーブルに俺のデータが残ってたりすると整合性が――」
※※↑ここまでの台詞は読み飛ばしてOKです※※
――と、俺が指摘し続けている時。
「う、うぅ。う……。うああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
カローシが急に震えだし、苦しみだしたかと思うと――爆発四散した。
「うおぉ!? 死んだ!? なんで!?」
「さすが勇者様です!」
物陰から姿を現したハートさんが解説してくれた。
「詠唱中の相手に不備を指摘し、その圧力で相手にその術を跳ね返す、通称『呪詛返し』! お見事です!」
「いや、圧力て。レビューってのはより良いコード作成や作業をするためのコミュニケーションの一つで、そんな攻撃的なもんじゃないんだが……」
まぁたしかに、新人時代に先輩社員から受けたコードレビューはキツイものがあった。しかし爆発四散するほどの圧力だったかなぁ……。
ともかく、四天王もとい一天王との闘いに勝利したのだった。
■■□□□
魔王軍の大幹部を倒してから、国王軍の士気は大いに高まっていった。国王軍は劣勢から一転、攻めの一手へ打って出た。
とは言うものの、この逆転劇は全て俺一人の功績であり、援助したところで勇者様の足を引っ張るだけ、という国王の判断により増援などの支援はなかった。
国王直々の命により、俺とハートさんと爺さんで魔王の討伐へと向かわされたのだった。
あれよあれよと話が進み馬車に乗せられ、揺られること約二日。
「さぁ、目的地まであともう少しです! あとひと踏ん張り、頑張りましょう!」
「……」
俺は言葉を話す気力すらなくなっていた。
馬車での道中も魔具改修を任せられ、ほとんど寝させてもらえなかった。何度か気絶して三十分ほど寝たが、それくらいしか休んでいない。というわけで現在十八連勤中。
過労死のラインが月残業百時間らしいが、この感覚は過去最高の月残業二百時間クラスの疲労度。つまりは二回死んだことになる。
「今月何回死んだ?」「二回死にましたね」「甘いな、俺は二・五回w」という先輩との会話が懐かしい。
「んもー☆ 勇者様ったら、素直に滋養強壮のポーションを飲めばいいのにー」
「……」
ハートさんが差し出すポーションという名の栄養ドリンクを、俺は頑なに拒絶した。
なぜなら俺は仕事中に栄養ドリンクやエナジードリンクの類は飲まない派だからだ。仕事中に栄養を補給する、それすなわち「もっと仕事を頑張ります」というアピールになってしまう。
新人の頃、二徹して満身創痍となったため栄養ドリンクを飲んでいたら「お、やる気マンマンだね。この仕事任せたわ」と課長から無茶な仕事を押しつけられ、更に二徹したことがある。それ以降、仕事中に栄養ドリンクは飲まないと決めている。
ハートさんはポーションを引き下げ、何故が自分で飲み始めた。無駄に元気になったらしく、意気揚々とこの馬車の目的地について語りだした。
「さぁ、もう目の前まで来ている目的地、そこにあるのは聖剣エクスカリバー! 唯一魔王を倒せる伝説の魔具です! 今まで魔術団が改修に改修を重ね、とんでもない難解なコードになっているとの噂ですが……大丈夫! 勇者様ならきっと直せますよ! 二、三人日くらいの工数でいけますよね!」
「……」
なんの根拠もない工数見積もりが一番ムカつく。絶対足りないし。しかし、言いたいことが言えない性分の俺は黙っていた。
それにしても、唯一魔王を倒せる魔具、聖剣エクスカリバーね。分かりやすくて助かるのだが、「改修に改修を重ね」という言葉に怖気が走る。いったい、どんな難解コードになっていることやら。
身体の震えなのか馬車の振動なのか、身体を揺らすこと一時間。目的地に着いたらしい。
そこは小さな山の麓にある、何の変哲もない洞窟だった。よもやここに魔王を倒せる伝説の魔具があるとは、誰も思いもしないだろう。
「さぁ、着きました! この洞窟の奥に聖剣があるのです! 早速、行きましょう!」
元気満タンのハートさんを先頭に、爺さんと俺が続く。時刻は十六時過ぎ。もうそろそろ定時だというのに、今日も仕事が終わる気配は無い。
少しひんやりした洞窟を重い足取りで進み、外の光が届かないところまで来た。先導するハートさんが壁の松明に光を灯して行く。天然の岩の道を進んでいき、突き当たりの壁まで着いた。行き止まりかと思ったが、それは壁ではなく人工的な鉄の扉だった。ハートさんが懐から鍵を取り出して扉を開ける。
真っ暗な空間。ハートさんが一つの松明に光を灯すと、次々と伝播するように松明が灯っていく。全ての松明が灯ると、空間の全容が見えた。
面積はバスケットボールコートほど。天井が異様に高く、鍾乳洞のようにつらら石が垂れ下がっている。最奥部には石座があり、そこに一振りの剣が突き刺さっている。
石に囲まれ厳かな雰囲気の中、この場にそぐわないものがある。エクスカリバーと思わしき剣の傍らに、いくつもの段ボールサイズの箱や紙が散乱している。
「さぁ、勇者様! さっそくエクスカリバーの改修を! 過去の魔術団の努力の結晶が参考になるか分かりませんが……よろしくお願いします!」
石座を上り、エクスカリバーとその魔術団の努力の結晶なる物の前に立つ。
エクスカリバーはどこにでもありそうな普通の直剣にしか見えない。
その近くに数十個ほど箱が雑に積み重ねられており、どれも羊皮紙が突っ込まれている。箱にはそれぞれ名前が書いてあり、「新しい箱(14)」「最新_コピー(2)」などなど、どこか見覚えのある名称だった。箱に入り切らず、床に散乱した羊皮紙を見ると、どうやらエクスカリバーの変更設計書やマニュアルらしい。
その乱雑っぷりは急に仕事を辞めた人のデスクトップ画面のように思えた。正直、自分のデスクトップ画面も似たような状況なので、卑下することはできないが。
テキトーに一番手元にある「新しい箱(14)」を開けてみる。中には「エクスカリバー 設計書 ver1.17」と書かれた冊子が入っていた。ざっと中身を見てみる。
「……駄目だ。たぶん、この資料は古すぎる。この設計書が正しければ、今と昔のエクスカリバーは形がだいぶ違うみたいだけど、本当かな?」
「流石です! 勇者様! そうなのです、昔はエクスカリバーの形も能力も、今とは違っていたのです! 魔王の力や属性も時代と共に変わりますので、それに合わせて改修してきたのです!
ただ、そのため多くの魔術師達が改修に携わってきたのですが、誰も改修内容を整理整頓してくれなかったんですよね。気づいたら皆、バックレちゃって……困ったものです!」
この惨状からどれほどの悲惨な労働環境だったのか、想像に難くない。歴代の魔術師達に合掌。
とはいえ、自分もその炎上案件に投げ込まれているのだ、弔っている場合ではない。ともすれば、自分も同じ轍を踏みかねない。急いで過去の魔術師達の足掻いた跡を見る。
「乱雑ではあるけど、資料は残ってるんですね。今の状態と合っていなくても、とにかく最新の設計書があれば改修の手掛かりになるんですが……」
「なるほど! では勇者様、ひとまずこの「最新_コピー(7)」と書かれた箱の中から見ていきますか? 名前的にこれが最新っぽいですよ?」
「いやいや、ハートよ。こういうのは開発当初に作られた箱に最新の設計書を入れていくもんじゃよ。じゃから、この「設計書」の箱を見て行くほうが良いのじゃ」
そう言って爺さんが箱から取り出した設計書はver1.00と書かれた開発当初のものだった。ハートさんが選んだ箱にはそもそも設計書が入っていなかった。
箱や資料を一つ一つコンソールオープンし、更新日を確認すればいいのだが、それでは時間がかかり過ぎる。ふむ、と俺は考え、積み上げられた箱を一望してからハートさんに問う。
「ハートさん。最後に聖剣を改修していた人の名前と最終勤務日、わかりますか?」
「え? えーっと、なんて名前だっけな。今年の新卒だったんですが……。あ、そういえば退職の時の手紙が残ってたっけ。少々お待ちを。――あ、分かりました。『カエール・テージ』でした。最終勤務日は魔歴236年10月15日ですね」
俺は辺りの箱を見渡し――お目当ての箱を見つけた。手に取り、箱を開けると更に箱が入っていた。それを開けるとまた箱が。
そうしてようやくたどり着いた中には一冊の冊子が入っていた。タイトルは「エクスカリバー 設計書 ver2.76」。コンソールを開き、更新日を確認すると「魔歴236年10月15日」となっていた。
「流石です! 勇者様! まさか一発で最新の設計書に辿り着くとは……! いったいどうやって? 何か探索スキルでもあるのですか?」
「いえ、スキルとかじゃなくて、単なる経験則です。整頓する時間も惜しい時は、たいてい作業フォルダに保存しがちなんですよね。なので、それっぽい名前の箱を探してみたら、作業用を意味する「work」と書いてある箱があったので、コレかなと。
その箱の中には色んな人名が書かれた箱がありました。たぶん、歴代の魔術師達が各々作ったんでしょう。で、「カエール」って名前の箱を見つけて、その中の最新の日付名がつけられた箱を見てみた――ってだけの話です。前任者がキッチリした方で良かったです」
最終勤務日にまで作業フォルダを作っているのが実に嘆かわしい。引き継ぎの資料こそ無いが、設計書の整備だけは最後までやり切ってくれたのだろう。
更に、どうやら整備していたのは設計書だけではないらしい。「カエール」の箱の中に置かれた物を見て、俺は少し感動した。
何故なら――と、その時。
「流石は異世界の勇者。数多の修羅場をくぐってきたとお見受けする」
若い男の声が広い洞窟に木霊する。直後に足音も聞こえ、それがここの入り口からするのが分かった。
入り口を振り返ると、フード付きのローブを着た者がこちらに歩いている。そいつは通路の真ん中で立ち止まると、フードを外し素顔を晒した。
また魔物かと思ったが、どうやら普通の人間の男性らしい。男にしては長い黒髪を後ろでまとめ、顔の整った糸目の青年だった。
「あ、貴方は……!」
驚くハートさんと爺さん。どうやら知り合いらしい。俺が首を傾げるとハートさんが説明してくれた。
「彼なんです。その聖剣の最後の改修担当、カエール・テージは。去年、新卒で魔術団に入り、新進気鋭のエリートと期待されていたのですが……僅か半年で辞めちゃったんですよね。まったく、最近の若い子はすぐに仕事から逃げるんだから……困ったものです」
糸目のその男、カエールという男はどこかで見たことがある気がした。呑気にそう考えている間も、カエールは糸目ながらも怒りの表情でハートさんを睨みつける。
「僅か半年で二年分も働かせた人間に対して、「逃げた」とは随分な物言いだな、ハート。あの頃と全く変わってないんだな」
ハートさんはフンッと鼻で笑い、ゴミを見るかのような目でカエールを一瞥した後、俺の腕に抱きつく。
「あの頃と変わってないのは貴方でしょう。魔術学校でも好成績と聞いたから、名誉ある聖剣の改修をお任せしたのに……途中で逃げ出す卑怯者が! 異世界から勇者様が来て、国軍が優勢になった途端に戻ってきたのですか? 本当に卑怯なんですから!
勇者様! あんな奴が作った設計書なんて、きっとなんの参考にもなりませんよ!」
するとカエールはクククと笑いだした。不気味なその笑いにハートさんは「何が可笑しいのよ! この根暗!」と毒づいた。カエールは笑うのを止めず、俺に向かって言う。
「異世界の勇者よ。その顔色と覇気の無さから、その女に相当こき使われたと見える。その女の発言に、何人もの魔術師が騙されてきたからな……同情を禁じ得ない。
が、その女の今の発言だけは信じても良いぞ。……その設計書を参考にする必要はない。もう既に改修は終わっているのだからな」
「「なっ!?」」
ハートさんと爺さんが驚愕した。俺はただただ静観を貫く。
ハートさんは俺の腕を強く握り締めながら吠えた。
「ハ、ハッタリよ! もしも改修が完了していたなら、魔王を倒し――」
「あぁ、倒したさ。既に魔王は倒した。これがその証拠だ」
そう言ってカエールはローブの中からは一本の杖を取り出した。禍々しい赤い宝石が装飾された黒い杖。それを見るとハートさんは俺の腕からパッと離れ、驚き慄いた。
「ま、『魔王の杖』!? 魔王の証とも言えるその魔具を持っているということは……本当に魔王を倒したのですか!? いや、それどころか、まさか……!?」
「あぁ、そうだ。代理ではあるが、今は俺が魔族の長だ」
どうやら職場の怨恨に収まる話ではなくなってきたようだ。流石に俺も口を挟ませてもらった。
「それなら、なぜここにエクスカリバーを放置しているんですか? 強力な武器をわざわざ手放すなんて、理屈に合わない」
絶句するハートさん達を見て満足そうに笑うカエール。俺の問いに、さもありなんと頷く。
「あぁ、エクスカリバーを直し、単身で魔王に挑み、たしかに俺は勝った。……が、これでいいのかと悩んだ。このまま、国軍が勝ち、人間がこの世を統治するべきなのか? とな!」
ふと、カエールの顔に悲しみの色が見えた気がした。
「国益よりも私腹を肥やすことしか考えない国王とその臣下! 貴族どもと癒着しきった組織! 現場を顧みず責任だけ押し付ける中間管理職! そんなクズ共が統治するこの国が、本当に栄えてもいいのか!?
俺には分からなかった……考えに考え、託すことにしたんだ。別の世界から来る勇者にな。このまま魔族と人間の闘いが続けば、いずれは勇者召喚の神聖魔術を使うだろうと予測していた。思ってた以上に対応が遅かったが……ようやく現れた!」
そう言って俺を見つめる。縋るようなその視線に、俺は少し気圧される。
「異世界の勇者よ。聞かせてくれ、このまま魔族が滅ぶべきか、人間こそ滅ぶべきなのか!」
差し伸べる手は救いを求めているのか、はたまた悪魔の誘惑か。
もう、答えは決まっている。言いたいことが言えない性分の俺だが――この答えだけはハッキリと言わなければ。
「俺はこの世界にまだ数日しか居ない。だからこの世界がどういうものなのか、よく分かっていない。
……けど、これだけは言える。この世界にも、俺が居た世界と同じ人間がいて、みんな一生懸命に生きてるんだ」
「ゆ、勇者様……! グスン」
涙ぐむハートさんと爺さん。
勘違いしてもらっちゃ困る。俺は言葉を続ける。
「だからこそ、こんなクソみたいな国は滅ぶべきだ」
「………………は?」
ハートさんの間の抜けた声を無視して続ける。
「頑張ってる奴が馬鹿を見るのは、俺の世界だけで充分だ。
……俺は元居た世界ではどこにでもいるサラリーマンだ。でも、この世界では違う。こんな俺でもクソみたいな仕組みを壊すことができるなら……喜んで壊そう」
そう言って俺はエクスカリバーのコンソールを開き、あるコマンドを入力する。
「rm -rf」
入力した直後。聖剣エクスカリバーは、音もなく霧散した。
「rm -rf」。これはネタとして覚えていた禁忌のコマンド。簡単に言えば、パソコン内の全てのデータを消去するコマンドだ。それでエクスカリバーの全ての情報を消し去ったのだ。
「なっ! えっ!? あ? ………はぁぁぁぁああああ!?」
絶叫するハートさん。カエールも少し驚いていたが、ホッとしたような、しかし少し悲しそうでもある静かな笑みを浮かべていた。
「やはり……! 俺は間違っていなかったんだな……!」
感極まるカエールを余所に、半狂乱となったハートさんが俺の胸ぐらを掴んだ。
「なに考えてるんですか!? 大切な聖剣が! 我らの国が負けてしまうじゃないですか! それに、こんなことすれば貴方だって元の世界には戻れなくなりますよ!?」
俺はハートさんの腕を振りほどき、冷たく言う。
「それに関しては問題ないです。俺が帰る条件はたった今、満たしたんでね」
すると、突然俺の足元に青白い光と共に魔法陣が現れた。この世界に転移してきた時に見たものと同じだ。ハートさんは理由も分からないといった様子。仕方なく説明してやる。
「帰還条件は「①魔王を滅ぼし、②世界が平和になること」。
①は、カエールさんが魔王を倒していたから既に達成。カエールさん自身はあくまで魔王の代理って言っていたから、カエールさんを倒す必要は無い。
②は、聖剣を失くすことで国軍の勝ち目が無くなり、カエールさん率いる魔族が勝ち、この世は魔族にとっては平和になるので達成。平和を享受するのが誰なのか指定はなかったので問題はないはず。
――以上より、俺は帰還条件を全て満たし、帰還魔術が作動したみたいですね」
ハートさんはワナワナと震えていたが、頭を振り反論してきた。
「たしかに聖剣は失くなったけど、魔王ももういない! まだ国軍は戦えます! それこそ、勇者様が改修した魔具を使ってね! 魔具さえあれば、また安く魔術師を買い叩いて、こき使えばいいだけです!」
ギラギラした目つきで髪を乱し、笑うハートさん。初登場時の淑女らしさはどこへやら。俺はため息混じりで答える。
「それについては……いや、正直、出来心というか、単なるストレス解消の悪ふざけで、後で直すつもりだったんですが……こんな形で役立つとは思いませんでした。
魔具に自壊のコードを仕込んだんです。システム日付が明日の正午になると、全ソースを消去する自爆装置みたいなものです。
自壊のコード自体はシンプルで、ちょっと直せば作動しなくなるんですが……俺以外の人間が今から調べて直そうと思ったら少し時間がかかるでしょう。明日の正午には間に合いません。もしも、貴女が使い捨てた優秀な魔術師が辞めずに残っていたらなんとかなったでしょうけど、今は誰も残っちゃいない。貴女がパワハラで辞めさせたから」
突きつけた事実。ハートさんは膝から崩れ落ちた。そんな彼女を尻目に、俺はカエールと向き合う。
「ま、そんなわけで、アンタに無理矢理仕事を押し付けることになったが……悪いな。
でも、アンタの作業箱を見たら、大丈夫かなと思ったんだ。こんなキッチリ仕事を残す人間、そうそう居ない。過去の改修内容まで綺麗に纏めてあって、感動した。あれを見て、アンタだったら全部任せられるんじゃないかなって思ったんだよ」
カエールは細い目を少し見開き、照れくさそうに笑う。
「退職日に残業してまで作業していた甲斐があった、という訳か。
いや、むしろ押し付けたのはこちらの方だ。綺麗さっぱり精算してくれて、本当に助かった。貴方はこの世界のヒーロー……いや勇者だな」
その台詞を聞いて、ようやく思い出した。このカエールという男、誰かに似ていると思っていたが、先日退職した先輩だ。もちろん、他人のそら似だ。先輩よりも二回りは年が低そうだし。しかし、これも何かの縁だろうか。新人時代の俺の教育担当でもあった先輩に、少しは恩を返せた気がした。
気付けば俺の身体は地面が見えるほど透けてきた。どうやら元の世界に帰る時間のようだ。なんの感慨もない。しかし、良い仕事をした気分だった。
そんな気分を台無しにするかのように、ハートさんは怒り震えた声で俺に呪いの言葉を吐いてきた。
「勇者様……! いや、社ぉ! お、覚えていろ! 私達をコケにした報い、いつか必ず――」
と、ハートさんが言い切る前に俺は手を突き出して言葉を制する。そして、腕時計を見る。時刻は十七時。
嗚呼、言いたかった台詞が、異世界に来てようやく言える。
「すんません、定時なので、お先に失礼しますね」
「や、社ぉぉぉおお!! 逃げるなぁぁああ!!」
ハートさんの怒りの雄叫びを聞きながら、俺は元の世界に帰還した。
■□□□□
プルルルルルルッ、プルルル――。
電話の着信音で目が覚めた。そこはワンルームの自宅、ベッドの上だった。俺は慌ててスマホを確認する。
日付は俺が十四連勤して帰った日。時刻もたぶん同じだ。異世界では四日間過ごしたはずだが、こちらの世界では一秒も経っていないようだ。
もしくは、あの異世界での出来事は、全て俺の夢だったのだろうか? その割には疲労感だけは身体に刻まれている気もするが。
「長かったような、短かったような……まさにデスマーチだったな」
感傷に浸って暫く気付かなかったが、未だに電話が鳴り響いている。どうやら会社から支給された携帯電話が鳴っているようだ。面倒だと思いつつも、会社の鞄から携帯電話を取り出し通話ボタンを押す。
「……はい、もしもし。玄田です」
「おぉ、ようやく出た。寝てたか? 今から会社来てくれ」
電話は課長からだった。理由も言わず指示だけ投げるこの人の悪い癖に、俺はイラッとしつつ冷静に応答する。
「さっき自分の分の仕事は終えて、帰宅の許可も貰ったはずですが……もしかして、私の作業で何かミスがありましたか?」
「いや、お前の作業に問題は無い。別件だ。……いいから早く来てくれ、困ってんだよ」
何故か課長はイライラしているように聞こえる。俺的には異世界転移で四日ぶりの連絡だが、この世界では帰社から一時間も経っていない。理不尽に出社命令をされるこちらの方が苛つきたくなるくらいだ。
いつもの俺ならため息交じりで「分かりました」の二つ返事で出勤していただろう。しかし、今は違う。
今の俺は世界を救った勇者なのだ。言いたいことが言えなかった、今までの俺とは違う。
「おーい、聞いてるかー? チッ、いいから早く来いよ。お前が来ないとみんな迷惑――」
「……めます」
「は?」
「もう、仕事辞めます、つってんだよ! このハゲー!! 俺の作業ミスじゃあねぇんだよな!? 新規で作業が追加になったんだよなぁ!? だったら俺の所為じゃあねーだろーが、ボケッ! 人手が足んねぇのは会社の責任だろうが! 責任転嫁すんじゃねぇーーー!! もうこんな会社辞める! 今辞めた! テメーが今! 最優先でやらなきゃいけねー仕事は、俺の退職金の振り込みだけじゃ! わかったかー!!??」
「えっ、あっ、わぁっ……」
あーあ、俺の怒号と罵声のせいで課長、泣いちゃった! 一生泣いてろ。
俺は力任せに終話ボタンを押して携帯電話をベッドに叩きつけた。
ふぅ、とため息を溢し、天井を見つめる。なんて清々しい気分なんだ。元旦に新品のパンツを履いたような――否、転売ヤーが在庫抱えて大損害を被ったのを知った時のような、ほんの少し悪意を含んだ清々しさだ。
しかし、明日からの生活、どうしよう。
ふと我に戻ったがあまり焦ってはいなかった。なんせ俺はひとつの世界を救った勇者。なんとかなるか。――そう思った時。
ピロン。
再び着信音が聞こえた。今度は会社携帯ではなく、自分のスマホからだ。誰かからメッセージが届いたらしい。漫然とスマホのロック画面を開き、それを見ると――。
「……!」
これも縁かと、俺は自然と笑みが溢れた。
■■■■■
数日後。
俺は駅前の小さなビル、とある部屋に来ていた。部屋の奥には大きな一人掛けのテーブル、部屋の中央にはローテーブルとそれを挟んで二つのソファ。社長室兼応接間のような部屋だ。
シンプルながらも洗練されたテーブルやソファ、壁に掛けられた絵画は、今まで勤めていた会社とは比べ物にならないほどセンスがいい。
そんなところに俺はジーンズにポロシャツというカジュアルな格好でソファに座っている。
課長に電話で「会社を辞める」と言った翌日、俺は本当に仕事を辞めていた。諸々の手続きに数日費やしてしまったが、ようやくここに来ることができた。
俺はこの場で待つこと数分。カチャリと部屋の扉が開いた。
「ごめん、ごめん。ちょっと取引先と電話してた。待ったか?」
「いえ、全然」
扉に入ってきたのは、男にしては長い黒髪を後ろでまとめ、顔の整った糸目の中年男性だった。新人時代の俺の教育担当であり、半年前に会社を辞めた先輩だ。会うのは久しぶりのはずだが、最近似た顔を見たのであまり懐かしくは思えなかった。
「それにしても、まさか二つ返事でOKしてくれるとは思わなかったよ」
信じられないといった様子で笑いながら先輩は対面のソファに座る。
「本当にベストタイミングだったんです。ちょうど課長に「会社辞める」って啖呵切った直後の連絡だったので……渡りに船でした」
そう、あの日、電話の後に来たメッセージは先輩からの連絡だった。退職し、会社を立ち上げていた先輩からの引き抜きの誘いだったのだ。俺はその誘いを迷うことなく承諾し、今に至る。
「あれだけ慎重で我慢強いお前が、課長に啖呵切って翌日退職なんて……なんかあったのか?」
「んー……。まぁ、ちょっと世界救ったくらいですかね」
首を傾げる先輩だったが、深く追及はしてこなかった。代わりに立ち上がり、社長である自分のテーブルに向かい、引き出しから書類を取り出した。入社手続きに関連する書類のようだ。
「社長自ら事務処理をするような小さな会社だが……あのブラックだった会社なんか目じゃないほど、ホワイトで良い会社にしたいと思っている。これからよろしくな、玄田」
書類と共に握手を求める先輩。俺はすぐにその手を取り、強く握り返す。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
今まで言いたいことも言えず、自分の意思と寿命を削りながら働いてきた。そんな自分を蔑ろにする人生はもうお終いだ。異世界の次は、俺自身の人生を救うんだ!
こうして俺の輝かしい人生は新たにスタートした――
――かのように思われた。
「あ、そうそう。「社長自ら事務処理をする」とは言ったが、それも今日で最後なんだ。実は、お前ともう一人、新しく事務員を雇うことになったんだ。今ちょうど、フロアの案内を受けているところで……お、戻ってきたみたいだな」
先輩がそう言うと、部屋の扉が開き、誰かが入ってきた。
突然の来訪者に驚く俺に、スーツ姿の女が静々と歩み寄る。僅かな光を反射する明るい茶髪、潤んだ大きな黒い瞳、通った鼻筋。ナチュラルメイクをしているが、かなりの美人さんだと分からされる。
俺は、その女を見て身体が動かなくなった。似ているのだ、あの女――異世界の魔術団団長補佐、ハート・パワメランスに。髪色や瞳の色は違えど、その他の顔のパーツや品性のある雰囲気がまるで生き写しだ。
先輩はその女に俺を紹介する。「さっきも話した後輩の玄田だ。そして――」と、今度は俺に紹介する。
「この人は今日からウチで働くことになった「原須 心」さんだ。外国で働いてたらしいから、名字じゃなくて名前の「心さん」って呼んで欲しいそうだ。前職ではプロジェクトの管理もしてたらしいから、もしかしたら今後プロジェクトにも参加を――あ、すまない、また取引先から電話が掛かってきた、ちょっと失礼」
そう言って先輩は部屋を出て行った。部屋には俺と心さんだけになった。
そ、そうだ、先輩だって異世界のカエールとはまるで双子のように瓜二つだったのだ。おそらくこの心さんも他人のそら似に違いない――。
気付けば震えていた俺の傍に心さんはそっと歩み寄り、そして、耳打つ。
「今度は逃げないでくださいね……社さん」
俺は、膝から崩れ落ちた。間違いない、奴だ。なぜこの世界に、どうやって――そんなことはどうだっていい。重要なのは、今後はこの女と共に働くという点だ。
「こ、こんな展開、異世界ファンタジーじゃなくて……ホラーじゃないか」
くずおれる俺を心さんはニタリと見下ろしていた。
初めて異世界転移ものを書きました。楽しかったです。
物語の最後に「ホラーじゃないか」と主人公が言っていますが、作中で主人公が語った体験談がほぼ実話ってことの方がよっぽどホラーな気がしています。