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解放の代行者

日が傾きはじめていた。


転移直後の身体はまだ重い。


空腹もあるが、それより、どう動けばいいのかがわからない。




「……まずは、人がいそうな場所を探すしかないか」




加賀谷は草原を歩き始めた。




見渡す限り、森、山、そして遠くに石造りの城壁らしきものが見える。


まるで中世ファンタジーの世界。だが、ゲームのような安心感はない。




地図もない。金もない。


そして、命の保証もない。




胸ポケットに、もう一度あの紙をしまう。


「助けて」と書かれた、羊皮紙の叫び。


何かの“依頼書”なのか、それとも……遺書のようなものなのか。




考えながら歩くこと数時間。


ようやく小さな集落にたどり着いた。




――そのときだった。




広場の中央で、人だかりができていた。


叫び声が飛び交っている。




「罪人を引き出せ!」「逃げた奴に報いを!」




群衆の視線の先には、泥まみれの少女が、縄で縛られ、地面に膝をついていた。


年齢は13~15歳といったところに見える。




「……たすけて……だれか……」




少女のか細い声が風に流れた。




「職務放棄は反逆と同じだ!」


「契約に背いた者に、生きる資格などない!」




男が棍棒を振り上げる。




「待てよ……おい待て!!」




気づけば加賀谷は、駆け出していた。







「やめろっ! それ以上手を出すな!」




広場が静まる。


誰もが、場違いな“旅装の男”を見た。




「誰だ貴様は」


「見慣れん服装だな……傭兵か?それとも異教徒か?」




加賀谷は少女の前に立ち、荒い息を吐く。




「彼女はただ、“辞めたい”って言っただけだろ。


それが、どうして“罪”になる」




一人の老人が言う。




「契約を破ることは、我が国法において“誓約違反罪”とされている。


働き手は、任期が終わるまでは、その職を全うしなければならん」




(……誓約違反罪?)




この国の労働は義務であり、契約は絶対らしい。




「本人が辞めたいと言っても、辞められないのか?」




「その通りだ。


逃げるという選択肢が認められれば、秩序は崩壊する。


それがこの国の基盤だ」




寒気がした。




この世界では、“辞めたい”という言葉が、


“裏切り”として処罰される。




加賀谷は少女を見た。


怯え、震える身体。目には涙。




(……この子は、助けを求めている。


だから、俺が言わなきゃいけない)




「俺が代わりに言う。


この人は、もう働けない。身体も、心も、限界だ」




「貴様にそんな権限があると?」




「ある。


それが、俺の“仕事”だからだ」




その瞬間、視界に光の枠が現れる。




《スキル:契約観察眼》


対象の契約構造を解析しますか?




――えっ?




加賀谷の頭の中に、文字が浮かび上がった。


身体が一瞬だけ、ぞくりと震える。




(マジかよ……どうすれば……いや、でもこれは……)




逡巡する。




だが、目の前の少女が震えているのを見て、心が決まった。




──Yes.




少女の肩口に、淡く光る魔導の刻印が浮かび上がる。


その文様が、加賀谷の視界に拡大されるように広がった。




見慣れない魔術言語で構成された契約構造。


一文ずつ、慎重に読み解いていく。




(……あった)




契約末尾に、たった一文、だが意味深な記述が刻まれていた。




「“この契約は、本人が心から自由を求め、望んだときのみ、その効力を消滅する”……」




加賀谷は唾を飲む。




(心から……自由を求めたときだけ、契約が切れる?)




なのに──




(発動しない……)




契約は、沈黙を保っていた。


まるで少女の中に、ほんのわずかでも“ためらい”があるかのように。




(……心から願ってないというのか? なぜだ?)




加賀谷は少女の方を振り返る。


彼女の瞳は揺れていた。


怯え、縛られ、まだ“逃げていい”と信じ切れていない目だった。




──そのとき、視界に淡い光が揺れる。




《第二スキル:記憶干渉》


対象の契約記憶にアクセスしますか?




選択肢が浮かぶ。




少女の目をまっすぐに見つめながら、加賀谷は思案する。




(……見ていいのか? 本当に?)




記憶干渉──その言葉の重さを噛みしめる。


人の記憶を覗くことは、最も深い領域に踏み込む行為だ。


だが──今、このままでは彼女を救えない。




「……許してくれ。これは“君”を助けるためだ」




加賀谷は静かに目を閉じ、スキルを発動する。




《記憶干渉:対象の過去記憶の断片を視認可能》


──発動。




光が脳内を貫いた。


次の瞬間、加賀谷の意識に流れ込んできたのは、少女、ティアの記憶だった。




最初に見えたのは、小さな家だった。木造の簡素な家。壁の隙間からは風が入り込み、冬には寒さが容赦なく入り込むような、そんな場所。




「ティア、火の番をお願い。お母さん、少し横になるわね……」




痩せた女性が、咳き込みながらティアに毛布を手渡していた。


顔色は悪く、見るからに病に蝕まれている。




(……母親、か)




彼女はまだ若い。だが病のせいで老け込んで見えた。


ティアはそんな母親の肩に毛布をかけ、微笑んで答える。




「うん、あったかくして寝てて」




その声には、幼さと健気さが混じっていた。


まだ幼いはずなのに、まるで母親のように気を配っていた。




そして、もう一人──




「ティアー、おなかすいたー」




ボロボロの服を着た、小さな女の子が柱の陰から顔を出す。


ティアの妹だった。




ティアは笑顔で膝をつき、その妹を抱き寄せる。




「もう少しだけ待ってね。お芋を焼いてるから」




(……妹がいるのか)




そして──映像は次の場面へ。




「……お父さんが……?」




家の外で、大人たちの話し声が聞こえる。


地元の村人らしき男が、申し訳なさそうに頭を下げている。




「森の中で……倒れていて……間に合わなかった。遺体は……この包みの中に」




唇を噛むティア。小さな肩が震える。


母親は放心したように座り込み、妹は意味もわからず泣き叫んでいる。




それでもティアは、母と妹を支えようと必死だった。




(……あまりにも……小さな背中だ)




そして──映像はさらに進む。




「──働くか、契約に違反して家族を路頭に迷わせるか。どちらがいいか、子供でもわかるだろう?」




仮面をつけた商人のような男が、淡々と語っていた。


契約書を目の前に広げ、震えるティアの前に突きつける。




「この契約は“働くことを放棄すれば違反とみなし、扶養対象への罰を執行する”。


つまり、妹と母親に、だ」




「……っ……!」




ティアは唇を噛み、涙を流しながらその紙に指を伸ばす。




「……やります。働きます。だから、家族には……!」




(……こんな……こんなものが“契約”かよ……)




視界が揺れる。


怒りと、やるせなさと、悔しさで、拳が震える。




ティアが、誰にも言えず、ただ“耐える”ことを選んだ理由がわかった。




──ここまでが《記憶干渉》で見えた記憶だった。




記憶が途切れ、加賀谷は静かに息を吐いた。




「……ティア」




思わず名前を口にしていた。




少女──ティアは驚いたように顔を上げた。




「君は、あの時……妹の手を握って、『絶対に、わたしが守るから』って言った」




「……っ」




彼女の瞳が、大きく揺れた。




「でも、もう十分だ。


君は、ずっとひとりで背負ってきた。


それはもう、“契約”なんかじゃない。


“脅し”だ。君が守ってきたのは、家族だろ?」




ティアは、唇を噛みしめた。


だが、その目には迷いがまだ残っていた。




(足りない……まだ、届かない)




そのとき、また光の枠が視界に浮かんだ。




《第三スキル:真言強制しんげんきょうせい》


【発動条件:対象に対し、真実を“心から”伝えようとしたとき】


【効果:聞き手は、発言者が偽りなく語っていることを“本能で”理解する】




(……来たか)




息を吸い、加賀谷はまっすぐティアの目を見た。




「ティア。これは信じてほしい。


“契約を違反”すれば罰はある。


でも──“契約を解除”すれば、君にも家族にも危害は加えられない。


これは、俺が調べて、確認して……そして信じた“事実”だ」




光が走った。


ティアの目が見開かれる。




「……うそじゃ、ないの?」




「ない。俺は、君を救いたいと“本気で”思ってる」




真言強制が、静かに作用する。




ティアの身体が、ゆっくりと震えはじめる。


その震えは、恐れではなく、抑えてきた感情の奔流。




顔を伏せたまま、唇が震えていた。




「……自由……」




ぽつりと漏れた声は、まるで胸の奥にしまっていた願いが、意識より先に漏れ出たかのようだった。




加賀谷は黙って、ただ待った。




やがてティアは、ゆっくりと顔を上げた。




その瞳に、涙がにじんでいた。




だけど、それは怯えからではない。


痛みでもない。




(……希望、だ)




長いあいだ押し込めてきた気持ち。


願ってはいけないと、自分で封じていた想いが、今──




「わたし……」




声が震える。


けれど、もう瞳は逸らさなかった。




「わたし……!」




ティアの両手が、ぎゅっと胸元を握りしめる。


肩が震え、膝が崩れそうになりながらも、彼女は立っていた。




「自由に、なりたい……っ!!」




その瞬間だった。




空気が弾け、肌に刻まれていた魔法の印がまばゆい光を放ち、パリンと音を立てて砕けた。




まるで、長く絡め取られていた鎖が断ち切られたように──




ティアの身体を縛っていた“契約”が、消えた。




「──っ」




ティアはその場に崩れ落ちた。




でも、その表情には涙がこぼれながらも、はっきりと“笑み”が浮かんでいた。




安堵と、喜びと、解放。


何年も閉じ込められていた鳥が、ようやく檻を抜けたような顔。




契約の魔紋が、ゆっくりと消え始める。




青白く浮かんでいた光が、ゆらりと揺れ、やがて完全に消滅した。




「……っ!? い、今のは……!」




騒ぎを聞きつけて現れたのは、この区域を監督する王国契約局の出張書記官だった。彼はティアの腕を見て、目を見開いた。




「これは……まさか……精霊印字が……?」




ザワ……と周囲に緊張が走る。




書記官が震える手でティアの腕に残るかすかな魔素の痕跡をなぞり、やがて唸るように呟いた。




「……間違いない。契約文印が消失している。これは、正式な契約解除の証……!」




周囲にいた兵士や管理者たちも、一様に息を呑んだ。




「嘘だろ……」「本当に、解除されたのか……?」




空気が変わった。




(あの文言……“本人が心から自由を求めたときのみ、その効力を消滅する”……)




加賀谷は静かに息を整える。




(それが今、発動した。つまりティアは──心から、自由を望んだんだ)




ティアの細い体は、小刻みに震えながらも、しっかりと立っていた。




やがて、書記官が厳かに宣言する。




「この解除は、正当な意志によるものと認定する。この少女は、王国契約法第十七条に基づき、すでに拘束の義務を負わぬ者と判断される」




「異議はないな?」




沈黙が広がった。




だが先ほどまで怒声を上げていた中年の男が、忌々しそうに吐き捨てる。




「……お役人がそう言うならな。俺たちにゃ、どうしようもねえ」




他の者も、徐々に加賀谷たちから距離を取っていった。




加賀谷は、そっとティアの肩に手を添えた。




「終わったよ、ティア」




ティアは、小さくうなずいた。




「……ありがとう」




震える声で、彼女は呟いた。




加賀谷はただ、黙って頷いた。




(これが……俺の、やるべきことなんだな)




加賀谷 蓮、三十二歳。


職業、退職代行。




たとえ異世界であっても──


誰かが“働かされている”なら、俺がその鎖を断ち切る。




そんな覚悟が、今ようやく心の底から芽生えた気がした。

■スキル名


《契約観察眼》


■効果


契約状態にある者の身体に宿る“契約の痕跡”を視認できる。

さらに、契約の文面や拘束内容を視覚情報として解析・読み取ることが可能。

(視界に契約内容が文様やテキストとして浮かび上がる)


■発動条件


対象が何らかの“契約”によって縛られている状態であること。

加賀谷が対象を“助けよう”と心から思ったとき、自動発動。


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