表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/16

心の壁

父が去った家は、広く、静かだった。

母はユウトとミコを胸に抱き、玄関の戸が閉まる音を聞いたあの日の夜を、何度も夢に見た。


玄関に置き去りにされた夫の靴。

脱ぎ捨てられたままの上着。

どれもまだ、夫の匂いを微かに留めていた。


母はそれを片付けることができず、ただその前に膝をつき、目を閉じた。

(帰ってくるんじゃないか。今にも、あの優しい声で「ごめん」と言ってくれるんじゃないか……)


でも、時が過ぎても、玄関の戸が開くことはなかった。


***


三毛猫症候群――その悲劇の歴史は、社会を動かした。

最初の少年の死からわずか数年、政府は異例の速さで保護法を整備した。


ユウトが生まれると、すぐに支援が始まった。

医療費は全額公費負担。

家庭訪問の看護師が定期的に消毒や機器管理を手伝い、専用の医療センターから医師が月に一度、家を訪れた。

ミコのための流動食、排泄管理用具、モニタリング機器、保護枕……すべてが無償で届けられた。


母はその支援の手厚さに、何度も胸を打たれた。

(ありがたい……本当に……)

夜の帳の中、ユウトとミコを寝かせた後、窓の外の星を見上げ、母は小さく呟くこともあった。

「あなた……もし見ていてくれるなら……この国は、ちゃんと私たちを守ってくれてるよ……」


けれど、どんな支援があっても、母の孤独は消えなかった。

道端での視線。

公園のベンチに座ると、隣からそっと立ち去る人々。

病院の待合室で交わされる、気づかれないふりをしたひそひそ声。


「すごいわね……本当に生きてるのかしら……」

「怖くないのかしら、あの人……」


母は顔を上げ、ユウトをそっと抱きしめた。

(この子は、何も悪くない。この子は、私の誇り。)


法律がどれほど彼らを守ろうとしても、人の心の中の壁は厚かった。

母はその壁に、毎日静かに、けれど決して折れずに立ち向かっていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ