三毛猫症候群
産室の空気は、静まり返っていた。
遠くで風が窓を揺らし、わずかな音がその場を支配した。
母の頬には涙が伝い、汗に濡れた黒髪が額に張り付いていた。
肌は雪のように白く、細い肩が小刻みに震えていた。
けれど、その瞳には確かに強い意思が宿っていた。
儚く見えるその姿の奥に、母の深く強い決意があった。
その腕に抱かれた赤ん坊――ユウトは、小さな指をわずかに開き、薄いまぶたの奥でかすかに瞬きをした。
産声の余韻に喉を震わせ、その顔はまだ赤く、湿り気を帯びていた。
ユウトの頭に刺さるように癒合した三毛猫――ミコは、小さな耳を動かし、瞳を細め、静かに息をしていた。
濡れた毛並みは白と茶と黒が絡み、血に濡れながらも柔らかく光っていた。
その小さな体は赤ん坊とともに鼓動し、まるでひとつの命のようだった。
医師はしばらく無言のまま赤ん坊と母を見つめ、そしてゆっくりと口を開いた。
「……三毛猫症候群です。」
声は低く、冷静だった。だが、その奥に微かなためらいがあった。
「世界で数例、日本では戦後初めてです……脳と血管、神経と癒合しています。……取り除くことは……不可能です。」
母の視界が滲んだ。
(知ってる……知ってた……)
妊娠後期、医師たちは「頭部に陰影がある」「確認を続けよう」とだけ言っていた。
そのときから母は、不安の中で名前を決めていた。ユウト――「優しい人になりますように」と。
「……猫の寿命とともに、この子の命も終わる可能性が高いでしょう……」
母はうつむき、小さく呟いた。
「この子は、生きます。私が、守ります。」
ミコが、赤ん坊の頭の上でかすかに喉を鳴らした。
その声だけが、産室に残った唯一の温もりのようだった。