第5話〜ひとつの夢と四つの柱〜
◆◇◆ 前書き ◆◇◆
帝国の闇が蠢く中、辺境の村では今日も鍬をふるう音が響いている。
謎めいた力、重すぎる宿命、そして……収納スペース不足。
静かに、しかし確かに村は動き出します。
一見“地味”なこの一歩が、未来を変える大きな流れのはじまりになる――はずです。
夕暮れどき。
今日も農地の整備と開墾の手伝いを終え、館に戻った俺を、セリアが待っていた。
「お疲れさまです、ルノス様。少し、お話を」
「ん? 何かあったか?」
俺が問い返すと、彼女は手元の資料を軽く持ち上げて見せた。
「村の状況が、目覚ましく変化しているのはご存知のとおりです。
オルト様の鍛冶場も軌道に乗り、農具の量産が進んでいますし――
ユルグ様の指導で、畑の拡張作業も各所で始まっています」
「ああ、だいぶ形になってきたな!
俺も毎日、手伝いに行ってるし……正直、これだけ人が前向きに動いてくれるなんて、思ってなかったよ」
言いながら、自然と口元がゆるんだ。
鍛冶場に火が戻り、弟子も育ち始めている。
開墾班は三つに増え、交代制での作業も機能し始めた。
村が少しずつ、だが確実に生き返っている――そんな手応えがある。
しかし、セリアはその流れを受け止めつつ、静かに言った。
「その点について、ひとつ懸念があります」
「懸念?」
「収穫物の保管場所です」
セリアは窓の外――夕日に照らされる畑の方角に目をやった。
「この村では、長らく自家消費程度の栽培しか行われておらず、干し芋や豆など、長期保存できるものが主でした。
保存といっても、納屋の隅に積む程度で十分だったのです」
「ああ……そういう暮らしが続いてたわけか」
「ですが今は、畑が本格的に機能し始めています。
種類も量もこれまでとは桁違いですし、初期に植えた作物がすでに育ち始めています。
このままでは、せっかくの収穫が傷んでしまう可能性もあります」
セリアの声は穏やかだが、明らかな危機感が滲んでいた。
俺は腕を組んで、考えを巡らせた。
(たしかに、農地拡大にばかり気を取られてたかもしれないな……)
その時、不意に頭の奥で〈ピンッ〉という感覚が走った。
そして――視界の隅に、光の粒が収束し始める。
気づけば、目の前に青白いウィンドウが開かれていた。
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《スキル:建築技術:貯蔵庫》解放済み
・物資の長期保存が可能な倉庫を設計・建設可能になる
・通気、遮熱構造を自動考慮し、劣化を抑制
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「……あっ」
思わず声が漏れた。
(やべ……すっかり忘れてた)
オルトとの鍛冶の指導を終えた直後、あのとき確かに解放されていたスキルだ。
農具に集中していたせいで、すっかり意識の外に追いやっていた。
だが、今になってようやく腑に落ちる。
「その件なら――ちょうど、準備を進めていたところだ」
「……準備、されていたんですか?」
セリアが目を細めて、わずかに怪訝そうな表情を浮かべる。
だが、それ以上は何も言わなかった。
「分かりました。では、体制を整えましょう」
「ああ。とにかく人手が必要だ。
大工や若い奴らを中心に、動ける人を集めておいてくれ。詳しい指示は、俺が現場で出す」
「承知しました。手配しておきます」
セリアが静かに頭を下げ、足早に去っていく。
――さあ、次は“備え”だ。
村の成長を確かなものにするために。
俺はゆっくりと腰を上げた。
◇ ◇ ◇
村の東側――畑の端で、若者たちの掛け声が響いていた。
「石をどかしたぞ! そっちはもう整ったか?」
中心に立っていたのはユルグだった。土埃にまみれた顔は引き締まり、周囲に的確な指示を飛ばしている。
鍛冶場で作られた農具が行き届き、働き手が増え、開墾の進み具合は目覚ましい。畑は、毎日少しずつ、確かに広がっている。
遠くからその光景を見届けた俺は、すでに別の場所にいた。
村の南端。これから貯蔵庫を建てる予定地だ。
(さて――こっちも、そろそろ始めるか)
その時、視界の隅に、薄く輝く文字が浮かび上がる。
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《クエスト発生》
【クエスト名】備えの礎を築け
【達成条件】貯蔵庫を建設し、物資の備蓄体制を確立せよ
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セリアとの会話で、“すっかり忘れていたスキル”を思い出したのはつい先日。
《建築技術:貯蔵庫》――まさに今の状況にぴたりとはまる技術だった。
倉庫の構造が頭の中に自然と浮かぶ。湿気を逃がし、温度変化を抑え、風を通す設計。保存効率の高い内部構造。それらを、素人にも伝えられるよう仕上げる図面まで、自動的に整っている。
(やるべきことは、すでに決まってる。あとは、人を集めて実行するだけだ)
「――集まってくれてありがとう。今日から、貯蔵庫の建設に入る」
俺の言葉に、集まった十数人の村人たちが顔を上げた。
顔ぶれは、ここ数日で手伝いに来てくれていた若者たちを中心に、ユルグが紹介してくれた力自慢の男たちだ。
「まずは位置決めと整地。それから柱の基礎を組む。図面は俺が描くが、誰にでも分かるようにしてある。確認しながら進めよう」
「はいっ!」
「任せてくれ、領主様!」
顔つきが頼もしくなってきた連中の返事に、俺は小さくうなずいた。
と、そのときだった。
「おうおう……なんだ、ずいぶん整った“若衆”揃えてるじゃねえか」
土の上をどしどし踏み鳴らしてやって来たのは、年季の入った中年の男。
腕は節くれ立ち、腰には折れた差し金と木槌を下げている。
「俺ぁ、ケルベ。建築屋だった……いや、今でもそのつもりでいるよ」
「ケルベさん、建築の経験があるんですか?」
「おうよ。二十年やった。倉庫も家も柵も井戸もな。……にしても、お前さん、若ェのにえらく場慣れしてるな?」
少しだけ挑むような視線を寄こしてくるその男に、俺は迷わず図面を差し出した。
「ちょうど助けが欲しいと思ってました。これ、見てもらえますか?」
ケルベは眉をひそめつつも、興味深そうに図面を手に取る。
数秒、無言で目を走らせ――その口元が、にやりと吊り上がった。
「へへっ、こりゃあ……やるじゃねえか、若ェの。いや、こいつはマジで筋がいい。
誰かと思や、こりゃ現場叩きの監督サマだな。いいぜ、乗った。付き合うよ、旦那ァ」
笑いながら、肩をどんと叩いてくるケルベの手は、分厚くて温かかった。
◇ ◇ ◇
午前中には、敷地の整地と基礎石の配置が完了していた。
そこから先は、まさに“職人の出番”だった。
「おい、梁は水平出てっか。そっち、支柱の下に石詰めろ。……よし、そこ固定!」
ケルベの声が飛ぶたび、現場が動く。
指示は的確で、しかも言葉の選び方が素晴らしい。職人の専門用語を使いつつも、簡易な言葉に縮めて伝える術を持っていた。
若い衆の動きも、見る間に変わっていく。
最初はおっかなびっくりだった手元が、数時間も経たずに道具の扱いに慣れ、声が通り、動きにリズムが生まれていく。
俺はその様子を眺めながら、ぽつりと告げた。
「……これが、“現場を回す”ってことか」
その言葉に、横から低く笑い声が返ってきた。
「へへっ、ちげぇねえ。けどな、旦那ァ。おれが回してんのは半分だけだ」
振り返ると、ケルベが図面を手に、あごをしゃくって基礎のあたりを指した。
「見ろよ、この通気層の設計。
湿気を逃がすために床下に空間を取って、さらに外壁からの風も通す構造になってる。
……こんな発想、俺でも思いつかねえよ」
「気温が高いと、中の作物が蒸れて腐るらしいんです。ちょっとした対策です」
「ちょっと、ねぇ……」
ケルベは感心したように図面を指でなぞりながら、ふと俺の顔を覗き込む。
「お前さん、どっかでこの建物、見てきたクチか?」
「――まあ、そんなところです」
(実際にはスキルの産物なんだが)
ケルベはしばし唸るように頷くと、急に大声を張り上げた。
「よし野郎ども、耳かっぽしってよく聞け!
四人で梁を上げる、アルト、釘打ちは慎重にな!」
その掛け声に、若者たちの返事が力強く返る。
材木の運搬、骨組みの設置、壁材の取り付け、屋根の葺き作業――
すべてが一糸乱れぬ連携で進んでいった。
そして日が傾く頃――
立派な貯蔵庫が、村の南に姿を現した。
「……たった一日で、ここまで仕上がるとはな」
俺は、夕焼けに染まる蔵を見上げながら、自然と感嘆の息をもらした。
丸太の骨組みは均整が取れ、風除けの漆喰が丁寧に塗られた壁が夕陽に映える。
屋根には乾いた茅が重なり、内部は高床と通気口を備えた理想的な構造だ。
「へへっ。これが“職人の仕事”ってやつよ。なあ、旦那ァ」
隣で、ケルベが笑いながら俺の背中をバンと叩いた。
豪快なその手には、力強さとどこか温かみがあった。
そのときだった。
目の前に、青白い光が浮かび上がる。
⸻
《クエスト達成》
【クエスト名】:備えの礎を築け
【達成報酬】《探知【生命反応】》
周囲の生命体の気配を探知し、距離と方角を直感的に把握することができる
⸻
俺はウィンドウをそっと閉じた。
「どうした、若ェの。ぼーっと突っ立って」
「いや……ちょっと、考え事をしてただけです」
「そうか。まあ今夜くらいは祝杯といこうぜ。蔵が立ったんだ、立派なもんだ」
「ええ。そうですね」
夕食は、作業を終えた若者たちと村の広場で囲んだ。
ささやかな打ち上げの場――その一角、俺とケルベは少し離れた場所で腰を下ろしていた。
肉の香ばしい匂いと焚き火のぬくもりが心地よく染み込んでくる。
「……なあ、若ェの。お前さん、この村をどうするつもりだ?」
ケルベの問いに、俺は一瞬、手を止めて顔を上げた。
「どう……って?」
「“蔵”を作ったってことは、ただ物を詰め込んで終わりじゃねぇ。
貯めるってのは、集めるってことでな。集めるには、道がいる。
運ぶには、場所がいる。保存するなら、管理する奴が要る。
――つまり、これは“流れ”を作る第一歩ってわけだ」
「……“流れ”?」
思わず聞き返していた。
確かに、蔵は必要だと思って建てた。
でも――それが“流れ”になる、なんて考えたこともなかった。
「……ただ食い物をしまうだけじゃねぇ。
蔵ができれば、物を集めて、蓄えて、分けられる。
そうなりゃ人が動くし、仕組みが生まれる。畑、井戸、住まい――そういう“点”を“線”でつなげるんだよ」
ケルベの目は、焚き火に照らされて静かに光っていた。
もう俺を試すような色はない。
そこにあるのは、同じ未来を見据える、職人としての誠実なまなざしだった。
「……なるほど。蔵ってのは、ただの“倉庫”じゃないんですね」
俺は小さく息を吐いた。
蔵を作ったことで、終わったつもりになっていた。
けれど、それは始まりだったんだ。
「だろ? だったら、これから作るべきものも見えてくるはずだ。
畑と蔵をつなぐ道。雨でぬかるまねえように砕石を入れてやる。
作業場には屋根をかけて、家と家の間に通路をつなげる。
人が動く道を、最初から形にしておくんだ」
そう言いながら、ケルベは傍らにあった古びた板を取り出し、
土の表面を指でなぞるようにして簡単な線図を描いてみせた。
蔵から畑へ。蔵から井戸へ。作業場と住居――それぞれをつなぐ道筋。
なるほど。俺の中でも、ようやく視界が“線”になってきた。
(……いずれは、集荷所や加工場を……
流通路を整えて、定期市を開いて、他の村ともつながっていく――)
ふくらみ始めた構想に、胸が少しだけ高鳴る。
「ま、全部が一気にできるもんじゃねぇ。
だが、考えるだけならタダだ。――あんたの役目だろ、領主様」
からかうような口ぶりだったが、その声にはどこか期待が滲んでいた。
「……ええ、そうですね」
思わず口元がゆるむ。
道が見え始めた今、俺はようやく“考える余裕”を手に入れたのだ。
館へ戻る足取りは、不思議と軽かった。
◇ ◇ ◇
貯蔵庫が建ってから数日。
村の景色は、静かに、しかし確実に変わりつつある。
畑の広がりに、行き交う人々の足取り。
井戸から流れる水が、農地へと導かれ、育てた作物が蔵へと運び込まれる。
いつの間にか、“流れ”ができていた。
思い返せば、最初にこの村で得た信頼は、水だった。
枯れかけていた井戸を復旧させ、水路をつなぎ、暮らしの基盤を整えた。
そこから少しずつ、俺の言葉に耳を傾けてくれる人が増えていった。
鍛冶場の火が灯り、畑が広がり、倉が建ち、人が集まってくる。
それぞれが、自分の役割を持ち始めた。
村人たちの変化は、きっと俺一人の力じゃない。
けれど――もし、俺の行動がその背中を少しでも押したのなら、それは嬉しい。
毎日の暮らしに精一杯だった彼らが、今は“次”を見ている。
鍬を握る手に、未来を描く余裕が生まれてきている。
――夢を語れるようになった。
(だったら、俺の方も、応えなきゃな)
任せるべき人間には、しっかり任せる。
その代わり、名前をつけよう。役目を与えよう。
それが、村の仕組みを強くしていく第一歩になる。
俺は立ち上がり、扉を開けた。
控えていたセリアが静かに振り返る。
「どうかされましたか?」
「ああ。ユルグ、オルト、ケルベ。三人をここに呼んでくれ」
少しだけ驚いたように瞬きし、それから微笑を浮かべてうなずく。
「承知しました。すぐに手配いたします」
◇ ◇ ◇
集まったのは、館の広間。
質素な空間だが、外から差し込む光と、整えられた資料棚の静けさが、どこか厳かさを与えていた。
セリアが扉を閉め、振り返る。
「皆さま、お揃いです」
顔を見合わせる三人。
ユルグは気だるげな様子で片手を腰に当て、オルトは黙って佇み、ケルベは腕を組んで立っていた。
「今日は、話しておきたいことがあります」
俺の言葉に、三人の視線が集中する。
「ここまで、皆さんのおかげで村はずいぶん変わりました。……本当に、ありがとうございます」
真っ直ぐにそう告げると、ユルグが鼻を鳴らした。
「なんだよ、改まって……背中がむずがゆくなるぜ」
「フン……俺は、たまたま手が空いてただけだ」
オルトもぼそりとつぶやきながら、どこか誇らしげな顔をしていた。
「礼なんざいらねえさ。こっちとしても腕の見せどころだったしな?」
ケルベがにやりと笑い、全員の表情がどこか和らいだ。
その空気の中、俺は一歩前に出て、姿勢を正す。
「ですが、それだけでは終わりにできません。
村をさらに発展させていくには、しっかりとした“仕組み”が必要です」
三人の表情が引き締まる。
「そこで、皆さんに正式な役割をお願いしたいと思っています。
“責任ある立場”として、任命させていただけますか」
まず、ユルグの前に立つ。
「ユルグさん。これまで農作を引っ張ってくださいましたが、これからは“農務長”として正式にお任せしたいんです。
畑の拡張や作物の管理、若者たちへの指導まで含めて、今後も力を貸してください」
ユルグは頭をかきながら、少し照れくさそうに笑った。
「……ったく、肩書きなんざ柄じゃねえけどな。
けど、まあ……あんたがそう言うなら、やってみるさ。どうせ俺の畑だしな」
「ありがとうございます」
俺も笑みを返し、続いてオルトの前へと向き直る。
「オルトさん。鍛冶場が動き出したことで、村の基盤がようやく固まりました。
今後は“鍛冶長”として、工房の管理と、弟子たちの指導をお願いしたいと思っています」
オルトはしばらく無言のまま視線を落とし、ふと、口元だけで笑った。
「……まったく、領主様は人使いが荒ぇな。
けど、鍛冶場に火が入ったからには、やるしかねぇか。……弟子の面倒くらい、見てやるよ」
「心強いです」
そして、ケルベへ。
「ケルベさん。貯蔵庫建設の手腕には、本当に驚かされました。
村の道や建物を整えていくには、あなたの知識が必要です。
“建築長”として、インフラ整備をお引き受けいただけませんか」
ケルベはふっと息を吐き、腕を組み直す。
「へっ。まいったな……そう言われちまったら、断れねぇじゃねぇか。
まあ、俺の仕事は“造る”こと。昔っから変わらねえ。それをやるだけだ」
最後に、セリアへと向き直る。
「セリア。これまでずっと俺を支えてくれていたけど、
これからは“執務長”として、政務全般や村全体の管理を引き続き任せたい」
セリアは一礼し、静かに微笑む。
「承知しました。……ようやく、名乗る役職ができましたね」
「これからも頼りにしてる」
その瞬間――
視界に、淡く光が灯る。
⸻
《スキル獲得:任官の才》
・役職を授けることで、その人物の能力を活性化させる
・任官対象に対し、作業効率と教育効果が上昇する補正を付与
⸻
(――人を信じて、託す。それが、この力の源か)
光が消えるのを見届けながら、俺は小さく息を吐いた。
それぞれが、それぞれの場所で動き出す準備が整った。
ようやくこの村は、本当の意味で――“動き始めた”のだ。
◆◇◆ 次回更新のお知らせ ◆◇◆
初回は【金・土・日】の3日連続更新!
明日は【20時10分】に【6話】を公開します!
ぜひ続きもご覧ください。
◆◇◆ 後書き ◆◇◆
おかげさまで、フェルザ村にもようやく“流れ”が生まれてきました。
貯蔵庫も完成し、頼れる棟梁ケルベも正式任命。
農務長、鍛冶長、建築長、執務長――と、肩書きが村に増えていく中で、
それぞれが“動く役割”を持ち始めた感じがあります。
……え? 村長のボロスさんは、って?
うーん、あの人は……「見守る係」ということでどうでしょう。
たぶん今も、集会所の縁側でお茶すすってます。元気です。たぶん。
ついに次回、女性枠が登場します。
名前はリリィ。狩人の娘。責任感の強い、とてもいい子。
そしてセリアさん、まさかの肉弾戦参加――⁉︎
ルノスにとっては、スキルより大事な“命のやりとり”が試される一幕になるかもしれません。
内政も、命がなきゃ始まらない。
◆次回:第六話〜震える手の先に〜
それではまた、森の奥でお会いしましょう!