13話〜踏みとどまる者たち〜
塔のすぐ前、
土と血と汗にまみれた戦場のただなか。
一人の青年が、肩ほどもある鉄の大盾を構えたまま、息を荒くして立っていた。
――そのとき、不意に塔の上から声が響いた。
「北東から、魔物が十体!
崖沿いの道を回って、この塔を目指して突っ込んできてる!」
混乱の戦場に割り込むように届いた声。
だが、風の音と怒号にまぎれて、その全貌は聞き取れなかった。
(……今の、領主様の声か?)
南側の応戦に集中していた意識が、わずかに揺らぐ。
「北東から魔物が十体」――そう、確かに言っていた。
それだけは、はっきりと聞こえていた。
(北東? あっちからなんて来れないはずだろ……。
谷がある。崖もある。なのに、なんで――)
この南側だって、すでにギリギリだ。
盾の裏で膝をつきかけてるやつが何人もいる。
(ここを突破されたら、村が終わる……
それなのに、他にも来てるって?)
考えがまとまらないまま、俺は歯を食いしばった。
額の汗が目に入り、視界が滲む。
(……ちくしょう。いったいどうなってる……!)
そのときだった。
――ガン、と鈍い音。
俺の横で、崩れる気配。
「しまっ――!」
振り返るより早く、視界の端に見えたのは――
隣で盾を構えていた“鍛冶場の弟分”、レオンが、
魔物の圧力に押されて後退しかけている姿だった。
足元が滑り、体勢が崩れかけている。
魔物の前脚が振り上げられる。
考えるより先に、俺は飛び出していた。
「おらああッ!!」
吠えるように叫びながら、全力で横から割り込む。
振り下ろされかけた爪の間に、俺の巨盾を叩き込んだ。
――ガンッ!!
盾と魔物の腕がぶつかり、火花が散る。
手首が痺れる。でも、止めた。
それでも、盾は砕けなかった。
――親方たちと、命を懸けて鍛えた盾だ。
「くそっ……! 動けるか!?」
「……た、助かった……クルト兄、ありが……っ」
「大丈夫だ、少し休め。落ち着いたら、周りの援護に回ってくれ。
――ここは、俺に任せろ」
俺はまだ震える弟分の肩にぐっと手を置き、
力を込めて後ろへ押し返した。
その勢いのまま、自分が一歩、前に出る。
目の前――血塗れの魔物が牙を剥いている。
距離は、一歩。
俺は盾を構え直した。足を踏ん張る。逃げ道なんてない。
(……ここで通せば、後ろがやられる)
(村も、仲間も――守るって、決めたんだろ)
だったら――
「来いよッ!」
吠えた声が、自分でも驚くほど、まっすぐに響いた。
盾を握る手に力を込める。腕が、唸るようにきしむ。
「俺の盾は……誰にも、通させねえ!!」
その瞬間だった。
――ドンッ!!
魔物の巨体が突進してくる。
地を裂くような勢いで滑り込んできたその質量を、
俺は真正面から受け止めた。
鉄の盾が悲鳴を上げる。足元の土がめり込む。
「今だッ! 上――撃てッ!!」
叫ぶと同時に、肩をわずかに引いて魔物の頭を視界から外す。
刹那――ズガン、と乾いた破裂音。
塔の二階から放たれた矢が、魔物の眼窩に突き刺さった。
ぐらりと傾いだ巨体が、俺の目の前で崩れ落ちる。
息を吐いた。ひとつ、乗り切った。
けれど、安堵する暇などない。
視界の端で、新たな影が地を蹴っていた。
「……次が来るぞ!!」
叫んだ直後だった。
土煙を蹴り上げて、影が飛び込んでくる。
(……速い!)
視界の端で捉えた瞬間には、すでに距離を詰められていた。
鉄の盾を構えなおす暇もない。
「ッ……!」
とっさに腕を滑らせ、半身をひねって盾を立てる。
――ドガァンッ!
鉄と肉がぶつかる音が、耳をつんざく。
衝撃で、肩がきしんだ。腕の骨が、内側から悲鳴を上げる。
だが倒れない。
この場に倒れてしまえば、すべてが終わる。
巨体が押し込んでくる。
後ろには、村のみんながいる。
その一線を越えさせるわけには――
絶対にいかない!
足を踏ん張る。盾にかかる体重が、全身を軋ませる。
矢をあてる隙を作る余裕などない。
盾を外せば、その瞬間に喰われる。
目の前の魔物は、吠えもせず、ただ、無言で圧してきた。
鋭い爪が、上から、横から、執拗に叩きつけられる。
どれも致命の一撃。
防ぐので精一杯だった。
(……くそ、早すぎる)
塔の二階からの援護も、呼べない。
動けない。下手に隙を見せれば、そのまま喉元を裂かれる。
盾の向こうで、魔物の息遣いが近い。
獣のそれとは思えない――冷たい、息。
(なんなんだ、こいつは……今までのとは、まるで別物だ)
無意識に、奥歯がきしんだ。
腕は痺れ、足は滑り、背筋には汗が冷たく流れる。
だが、踏みとどまった。
この瞬間、ただ――“死なない”ことだけを考えて。
(耐えろ……俺が、ここで耐えるんだ……!)
肩に突き上げる衝撃。腕がちぎれそうだった。
だが、歯を食いしばって、ただ盾を構える。
それしかできない。
それだけが、自分の役割だった。
魔物の爪が、再び容赦なく振り下ろされる。
盾の表面に、バキリと裂け目が走る。
「……ったく、少しは休ませてくれよ……!」
盾に爪が叩きつけられるたび、腕が軋む。
「……村一番の怪力って話、返上かもな……」
口をついて出たのは、誰に向けるでもない、乾いたぼやきだった。
それでも、膝は沈まず、盾は折れない。
そのとき――
「兄貴ィィ!!」
背後から響いた叫びとともに、横合いから飛び込んできた影が、
魔物の脚にタックルを叩き込む。
「ガアッ!?」
魔物の体勢がわずかに揺らぎ、爪の軌道が逸れた。
「……お前、バカ野郎!」
怒鳴る声に、息を切らせた返事が返る。
「俺だって、立ってます!
兄貴一人に、やらせません!」
盾を引きずるように構えたのは、
鍛冶場の弟分で、昔馴染みのノラン。
太くたくましい腕と、泥まみれの顔。
その姿は傷だらけでも、瞳だけは決して折れていなかった。
「……でも助かった。ちょいと一休みしたいとこだったしな」
にやりと口元を歪めながら、俺はそう言って盾を構え直す。
「いいタイミングだ、ノラン。合わせるぞ!」
「任せてください!」
二人で肩を並べ、鉄の盾を構える。
直後、魔物が地を蹴って突っ込んできた。
――ズドン、と地鳴りのような衝撃。
踏みとどまる。必死に盾を支える。
……ノランの腕も震えてる。
俺の肩にも、鈍い痛みが走る。
(くそ、重てえ……!)
それでも、止めた。
魔物の爪が、咆哮が、顔の目の前で止まっている。
――だが、それだけだ。
抑えはしている。だが、押し返せない。
前には出られず、後ろに下がるわけにもいかず、
じわじわと足場を削られていく。
魔物は、ひたすらに攻撃を繰り返す。
まるで、こちらの疲弊を測っているかのように――
次第に腕が痺れてきた。足も滑る。
盾を構えた姿勢のまま、時間が過ぎていく。
(……二人がかりで、これかよ)
クルトはきしむ腕を見下ろしながら、奥歯を噛み締めた。
(このままじゃ、ジリ貧だ……)
「ノラン、このままじゃ、そのうち力が入らなくなる。
俺が渾身の一撃で奴を押し返す……!
その隙ができたら、お前が一撃叩き込め!」
ノランの目が見開かれたが、すぐに頷いた。
「任せてください!」
俺は大きく息を吸い――そして吠えた。
「うおおおおおッ!!」
全身の力を盾に乗せ、真正面から魔物にぶつかる。
鉄と肉が衝突し、魔物の巨体がのけ反った。
(……なんだ、今の感触。軽い?
まさか、こいつも疲れて――)
思考の途中。
「くらええええッ!!」
ノランが吼えた。盾を振りかぶり、
一直線に魔物の側面へ突っ込む。
風を裂く勢いで、鉄の縁が振り下ろされ――
だがその瞬間、
誰もが“異変”に気づくことになる――
◆◇◆ 次回更新のお知らせ ◆◇◆
6/29(日)また一気に投下しようかと思います!
朝9:10スタート。
そこから1時間おきに、ぽつぽつと。
日曜の朝、もしお時間あれば、のんびり覗いてやってください。
◆◇◆ 後書き ◆◇◆
お読みいただき、ありがとうございました!
今回は――
塔の前線、鉄の盾と覚悟で踏みとどまる若者たちの戦いを描きました。
登場したのは、鍛冶場仕込みの筋肉青年・クルト兄貴と、弟分ノラン。(あとレオンくんも)
二人の盾が、村の境界線に食い込む魔物たちを受け止めます。
「通させねえ」
その一念だけで耐える攻防戦。
剣も魔法も出てこない、ただの“盾の一撃”が、
これほど熱くなるとは、作者も想定外でした。
◆次回:偽りの隙
ほんの一瞬の空白。
それが“隙”かどうかなんて、気づいたときには――遅いのかもしれません。
引き続き、どうぞお楽しみに!