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朔の日  作者: Style Creis
3/5

Unfinished Story…

ー翌朝ー


「おいっ!起きろ!!」


いつの間にか昨夜は眠ってしまっていたようだ。

昨夜の僕は簡素なベッドも牢に置いてあったが眠る気にもならず、小さな鉄格子から見える僅かな空を眺めていた。そのまま冷たい石の壁に体を預けたまま眠っていたようだった。


看守に呼ばれて目を覚ました僕は膝を抱えて眠っていたせいか、体を動かすたびに軋むように痛んだ。覚束ない足取りで牢の外に出ると、昨夜、取り調べを受けた机の上には宿に預けた荷物がまとめられていた。どうやら勾留されている間に宿から回収されたようだ。


「飲むか?」


看守から差し出されたカップには水がなみなみと注がれている。

それを見て、昨夜の食事から水分を摂っていなかった僕の喉は急激に渇きを訴えてきた。


「いただきます…」


ーズキッ!!!


門番に殴られた時に口の中を切ってしまっていたようだ。あの時は彼女が結婚すると聞かされたせいで、怪我のことにも気が付かないほど動揺していたようだ。


「それを飲みながらで構わない。もう一度詳しく事情を聞かせてくれ。昨夜のお前はあまり話にならなかったからな。」


そう告げる看守に僕はこれまでの経緯を話し始めた…


-------

-----

---


「なるほどな。事情は大体分かった。それにだいぶ頭も冷えたようだな。昨夜はずっとブツブツと女の名前を呼んでいるだけだったからな。」


彼女が結婚すると聞かされた直後の僕は相当に酷かったらしい。今でも疑問は尽きないが、多少は外に目をやる余裕も出てきた。


「それで、僕はいつ釈放されますか…?」


思い返すと昨日の僕は不躾すぎた。改めて彼女の家の人にも謝罪して、彼女と面会させてもらえないかと頼むにもひとまずここから出なきゃいけない。


「は?昨日、話をちゃんと聞いていなかったのか??

あの様子なら仕方ないが、お前はこのまま街を追放だ。お屋敷の方から20年、街への立ち入りを禁止するように通達も来ている。もし破った場合には犯罪者として鉱山への強制労働が課せられることになる。」 

「そんな…」


看守の言葉に絶望を覚える…

なんとかならないかと追いすがるがどうしようも出来ないらしい。自分の身分が低いことに、ここほど嫌気がさすことになるとは思ってもみなかった…


「さぁ、ほら荷物を持って。門まで連行しなきゃならない決まりになっているんだ。」


その言葉に逆らうわけにもいかず、僕は荷物を持って歩き始めた。だが、足取りは重くなかなか歩が進まない。

我ながら諦めが悪いと思う…


ーーー


「それじゃ、ここをくぐったらお前は20年の立ち入り禁止だ。まぁ、なんだ。貴族のお嬢様なんて本来お前とは天と地ほどの差がある。縁が無かったと思ってきっぱり諦めるんだな。違う身分なんて苦労するばっかりだぞ。」


看守は慰めるように言葉をかけてくれた。

たしかに看守の言う通り、結婚したところで苦労することばかりなんだろう。僕は礼儀作法やマナーなんてものは何一つわからない。今置かれている状況もあるのだろう。冷静に、また客観的に自分の立場や状況を俯瞰すると頭が冷えていくのがわかる。それでも諦めきれないと、心の奥底で燻っているものも確かに感じている。


「はい…お世話になりました。ご迷惑をおかけしました。」


そう言い残すと僕は街を後にした。

道の途中で街の方へ振り返る。昨日まで希望の象徴のようだった街は、今はその高い壁が僕を拒絶しているように感じられた…


-------

-----

---


コンコンッ


「はいよ。ってなんじゃ、お前さんか。その様子だと上手くいかなかったようじゃな…」

「はい…ちょっと急ぎすぎました…」

「まぁ、疲れたじゃろ。茶を入れてやる。とりあえず入ってそこへ座って待っておれ。ざっくりで構わん。あらましを聞かせてくれんか?」


街からの帰りの道すがら、お世話になったニコライさんに報告することにして彼の小屋に立ち寄った。

もう急ぐ理由もない…彼の言葉に甘えて少し休ませて貰うことにした。


ーーー


「で、どうじゃった?」


お茶を啜りながらニコライさんが訊ねる。僕もお茶に口をつけて一息つくと、ここを飛び出してからの出来事を語った。

無事に街へ辿り着いたこと。教えて貰った彼女のお屋敷へ辿り着いたこと。そこで門番と一悶着を起こしてしまったこと。その結果、牢へ勾留され街への20年の立ち入りを禁止されたこと。身分の差を実感したことを彼に語った。


ーズズッ


話を聞き終えた彼はお茶をまた一口啜り、口を開いた。


「…馬鹿なことをしたもんじゃな。」

「はい。僕もそう思います…」

「…お嬢様がご結婚なさるか。あやつはそんなこと、ワシには一言も教えてくれなかったの…」


『あやつ』とはニコライさんにお茶を売りに来ているというお屋敷の人のことだろう。かつてニコライさんが言っていた理由は知らないというのは本当だったみたいだ。


「それにしても、お前さんにしては短慮が過ぎたの。ワシのところへ何度も通ったようにじっくり腰を据えれば結果も変わったかも知れんのに…」

「…もうすぐまた手が届くと思ったら頭に血が上ってしました…でもこれで彼女に接触する手立ても無くなってしまいました。元々身分違いだったんです…きっぱり諦めて分相応の暮らしをまた始めようと思います。ニコライさんにはお世話になりました。お茶、ご馳走様です。ここへ来るのはもう辞めようと思います。」

「あぁ、そうじゃな。そのほうが良かろう。ひと月ほどじゃったが楽しかったよ。達者でな。」


彼のその言葉を受けて僕は小屋を後にした。

ここは彼女の気配が強く残りすぎている。どうにもならない彼女の事を思い出すのは辛かった…

彼に頭を下げ、僕は村への道を進み始めた。


(いい男だったんじゃがの…よく気も利くし、あの活発なお嬢様様とお似合いじゃと思ったんじゃが…身分の差はなんともならんかったか。それにしても結婚か。次にあやつが茶を売りに来た時に詳しく事情を聞いてみるかの…)


老人はそう思い、頭を振ってため息をつきながら小屋へと戻った。


-------

-----

---


街を出てから、道中の村で食料を調達したり、ボロボロの体を休めたりとで1週間ほど空けた村は、出発前と何も変わらず穏やかな空気が流れていた。


(疲れた…)


気力が漲っていた出発前とは違い、帰ってきた今は絶望感と喪失感を抱えていた。暫く姿を見せなかったこともあってか、心配して声をかけてくれる村の人への応対もそこそこに自宅へ戻る。

倒れ込んだベッドにはもう彼女の温もりなんて微塵も残っていない。彼女の甘い香りももう、残ってはいない。

いっそのこと彼女のことは忘れてしまおうと思うが、怖い。

この喪失感には覚えがあった。かつて自分の両親を喪ってしまった時、似たような感覚を覚えたのを思い出した。

しかし、亡くなってしまった両親の時は親は子供より先に死ぬもの、死は神の定めたものとして受け入れる事に抵抗は無かった。しかし、今回は違う。彼女は僕より2つ歳下で、しかも生きている。絶対に会えない訳では無い。ただ、会う手段がない。そのことが喪失感より無力感を僕に与えていた。


(***に会いたい…)


そんな思いを抱えながら僕の体は休息を求めるように眠りに落ちていく。その中で僕は祈った。


(早く忘れられますように…)


冷たい布団が僕の体温で次第に暖まっていく。

少しづつ変わっていく心地よい感覚に侵されながら僕は目を閉じた。


-------

-----

---


「おい!×××××!帰ってきたなら顔を出せよ!で、***さんはどうした?一緒に帰ってきたのか?」


翌朝、顔を洗おうとした僕は瓶に溜めていた水を切らしていた為、井戸へやってきた。

そこへ隣のアントンも牛に与える水を汲むために井戸へやって来たようだった。


「あぁ。すまない。落ち着いたら顔を出そうとは思っていたんだ。」

「で、さっきも言ったけど***さんは?」

「***とはもう会えない。別の街の領主の息子と結婚するらしい。それも半月ほど後に。」

「なんだって?***さんが結婚??なんでそんな話に…お前たち、結婚の約束をしていたんじゃないのか?」

「わからないよ!!僕だって信じられないさ!でも、彼女の実家の屋敷まで行ったんだ!そこで屋敷の人間に直接そう告げられた!もともと身分も違う。これ以上どうしろって言うんだ!!」


アントンの言葉に思わず僕は声を荒げた。

純粋な心配から言ってくれたのだろうということは頭では理解出来ていた。しかし、それを上手く流せるほど僕はまだ吹っ切れてはいなかった。


「すまん…そんなつもりじゃなかったんだ。気分を害したなら謝る。」

「あ、いや、すまない。声を荒げるつもりは無かったんだ…」


なんとなく気まずい空気が流れる。

耐えきれなくなった僕は口を開いた。


「心配してくれてありがとう。まぁ、また彼女のいなかった頃の生活に戻るだけさ。僕は大丈夫。落ち着いたらまた酒にでも付き合ってくれ。」

「…あぁ!1人で飲みに行こうとするとうちのかみさんがうるさいからな!楽しみにしてるぜ!」


お互いにこれ以上、この話はすまいと暗黙の了解を得て、それぞれの場所へ行くことにした。


(次はイワンのところか…気が重いけどあいつにも世話になったし行かないわけにはいかない。それに買い物をするって約束もしてるしな…)


そう思うと汲んだ水を瓶に満たすために一度自宅へ戻り、財布を持って彼の露店を訪れる為に市場へと足を向けた。


ーーー


ガヤガヤガヤガヤ…


「まいどありー!またのご贔屓に!」

「やぁ、イワン。」

「あん?おっ!×××××じゃないか!」


買い物客の相手が終わったイワンに僕は声をかけた。

彼と会うのは1ヶ月ぶりだろうか。彼のおかげで***の手がかりが手に入ったのだ。感謝しても感謝しきれない。


「で、暫く顔を見せなかったけど…どうなった?うちに来たってことは***さんは戻ってきたのか?」

「いや、***は戻ってこないよ。」

「あー。すまない。やっぱりあの時の情報は間違っていたのか?」

「いや、見た女っていうのは***だったよ。ただ、その後***の事を知っているという人に出会ったんだ。そこで彼女からの伝言を貰ったんだ。さよならだってさ…まぁそれから色々あったんだけど、もう彼女と会うことは叶わないみたいだ…」

「そうか…」


イワンは気の毒そうに、また残念そうに僕の顔を見た。


「まぁ、そういうことだから。イワンには世話になったから報告と、あと約束通り何か買おうと思って店に来たんだ。」

「バカ野郎…たんまり買い物しろってのは***さんが帰って来たらって言っただろ。わざわざ気を使ってくれなくていいさ。」

「…そうだったな。でもついでだから何か買っていくよ。何か掘り出し物とか無いか?」

「やっぱりお前はバカだな。そういうことなら、そうだな…これとかどうだ?」


イワンが差し出したものはどこの家庭でも使っているロウソクだった。ただ、何かハーブようなものが練り込まれているのだろう。少し緑がかっていい香りがする。


「これは?」

「リラックス効果のあるロウソクだってさ。結構人気なんだぜ?お前、疲れた顔をしてるからよ。それにロウソクだったらあっても困らないだろ?」

「あぁ。そうだな。そうしたらこれを貰っていくよ。」


気遣ってくれようとする心遣いがありがたい。

僕はそのままイワンの勧めるロウソクを購入した。


「それじゃまぁ、あんまり気を落とすなよ?愚痴ぐらいならまた聞いてやるからよ。」

「あぁ、ありがとう。それじゃまた。」


そう言い残し、僕は彼の店を後にした。


-------

-----

---


(ふぅ。疲れた…)


家へ帰ってきた僕は夕飯を作るために台所に立った。

何もやる気が起きず、ベッドに倒れ込みたいがお腹は空く。ついでに市場で食材を買い込んだ僕は久しぶりに自分の台所へ立った。しかし鍋を取り出そうとして棚の上を探すが見つからない。暫くして背の低い***に合わせて調理器具は全て彼女の届く範囲へ移動させた事を思い出した。


(…この鍋、もう僕しか使わないんだな。また使いやすいように配置を変えるか。)


こうして少しづつこの家から***の居た痕跡が消えて行くのだろうと少し寂しく思った。だが、いつまでも彼女のことを引きずる訳にはいかない。ろくに手入れもしていなかった畑の野菜達もほとんど駄目になっているであろう。幸いひと冬を越える為の蓄えならある。春になる頃には忘れられるさ。と思い、こうして僕は少しづつ日常に戻っていった。


ーーーーーーーーーーーーー


-------

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---


「おとうさーん!」

「ルシアス、走ったらまた転ぶぞ?どうした?」

「みてみて!ちょうちょつかまえた!!」

「どれどれ?お、よく捕まえたな!凄いぞ!」

「えへへっ!」


あれから十数年の月日がたった…


少しづつ立ち直った僕は彼女のいなかった生活へと戻っていった。時折***のことを思い出して、夜にはうなされて、そしてその度に諦めて…もう愛する人も出来ないだろうと思い、1人で生きていくつもりであったが数年経った後、村長の紹介で見合いをした。相手はアンネさんの遠縁に当たる人で、独り身の僕を心配したアンネさんが村長に口利きをしたらしい。無下に断る訳にもいかず、ひとまず会ってみると不思議と気が合い、そのまま結婚することにした。ありがたい事に子供にも恵まれ、先祖代々から受け継いだこの畑を潰す心配もしなくても良くなった。


「あなた。そろそろ休憩にしましょう。」

「あぁ、そうだな。休憩にするか。」


そう妻のシャッテが僕に声を掛ける。


「そういえば村長さんがあなたを探していたわよ?なんだか焦っていたみたいだけど。」

「村長が?なんだろう。急ぎの用事かな?ちょっと行ってくるよ。」


そう言い残し、村長の家へと向かった。


-------

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---


コンコンッ


「村長、何か僕に用事があると聞いたんですが、どうしましたか?」

「おぉ。×××××か。元気にやっとるようだな。よく来た。ちょっとそこへ座れ。」

「はい。で、どうしましたか?また村の畑になにかトラブルでも…?」


数年前、この村近辺の一帯は近年まれにみる異常気象による不作に見舞われた。

夏になっても気温が上がらず、それどころか地面にうっすらと雪がかぶった日すらあった。

そのせいで村中が大騒ぎとなったが、どうしようも無くなり、なんとかしようとしてニコライさんが庭師だったことを思い出して藁にも縋る思いで彼を頼った。

もう会わないと言った僕が再び訪ねたので驚いていたが事情を伝え、そこで冷夏の際の植物への対処を教えてもらってなんとか事なきを得たというものだった。

そして、それからまた、かつてのように相談相手兼、話相手になって貰っている。


「領主様からお前宛てに手紙が届いてな。ほれ、何年か前に夏に雪が降った年があったじゃろ。あの時の対処が素晴らしかったとして褒美を与えるとのことじゃ。それで街に顔を出すようにと手紙を預かっておる。」

「はぁ。でも以前にお話したように、僕は街への立ち入りが禁じられていますが…」

「手紙によるとその禁も解くとのことじゃ。」

「…わかりました。呼び出しに応じないのも失礼に当たるので街へ向かいます。」

「うむ。この手紙を持っていくといい。街に着いたらこの手紙を門番へ見せて指示を仰げ。とのことじゃ。」

「わかりました。」


そう手紙受け取ると僕は自宅へ戻った。


ーーー


「ただいま。」

「おかえりなさい。」

「おとうさんおかえりー!」


妻と息子が迎え入れてくれ、そのまま息子を抱き上げると妻が訊ねる。


「遅かったのね?何かトラブルでもあったの?」

「いや、数年前に不作になりかけた年があっただろ?その対処が素晴らしかったと、領主様からお褒めの言葉をいただくことになった。それで明日、街へ出発するよ。4、5 日家を空けることになる。」

「まぁ、凄いじゃない!ルシアス、お父さんが領主様からお褒めの言葉をいただくんですって!」

「おとうさんほめられるの?すごいね!」


妻も息子もそう祝福してくれた。

二人の笑顔を見ると僕も嬉しくなり、抱きかかえていた息子を高く掲げた。


「それじゃ、夕飯は少し豪勢にしましょう!せっかくならお祝いしなきゃ!」

「あぁ、そうだな。ルシアス、今晩はご馳走だぞ!」

「やったー!」


妻と息子の笑顔に包まれ、その日の夜は賑やかに過ぎていった。そして翌朝…


「それじゃ行ってくるよ。」

「えぇ。道中気をつけてね!いってらっしゃい。」

「おとうさん、いってらっしゃい!」

「いってきます。ルシアス。お父さんがいない間、ルシアスがお母さんを守るんだぞ!」

「うん!わかった!」

「よし。それじゃ、約束だ。」


そう息子と妻に告げると僕は街へと向かった。


-------

-----

---


(久しぶりだな…もう一度この街を訪れるとは思っていなかった…)


そんな懐かしさを感じながら旅人や商人で列を成している、街へと続く門への道に並んだ。


「よし。次!通行税は小銀貨5枚だ。もしくは街へ入る許可書が必要だが持っているか?」


暫く並んだ後に僕の番になり、そう門番に尋ねられて領主様からの手紙を差し出した。


「ふむ…よし。お前はこっちだ。着いてこい。おい!こいつを待機所まで連れて行くから変わりにここを頼む。」


そう同僚に言い放った門番は街の中へと歩を勧めた。

遅れないように僕も後を追う。彼の横顔には見覚えがあるような気がした。


ーザッザッザッザッ


「…久しぶりだな。元気でやっていたか?」

「えと、すいません。以前お会いしたような気がするのですがどなたでしたか?うちの野菜を買ってくれている商人のお知り合いでしょうか?」

「おいおい。まぁ、十数年ぶりだからな。俺も手紙を読むまでは忘れていたんだが。昔、お前がこの街でやらかした時に門まで送った看守だよ。」


偶然にも先導する門番は以前、この街で捕まった時の看守だった。


「あぁ。あの節はご迷惑をおかけしました。」

「いや、あれが仕事だったからな。それにしても20年の立ち入り禁止が解かれるなんて、お前何をやったんだ?」

「数年前に夏に雪が降った年があったでしょう?その時に村の畑が全滅しそうだったんです。そしてその時に上手く対処しまして。その功績を認めて褒美をいただけるとのことです。」

「はぁ。やるなぁ。10年ほど門番に就いてるけどそんな奴初めてみたぜ。」


そんな雑談を交わしながら彼と街中を進んでいく。

暫く歩くと一軒の宿の前に辿り着いた。


「この宿でしばらく待っていてくれ。俺はお前が到着したことをこのまま領主様に伝えてくる。宿代は心配するな。領主様が出してくださるってよ。」

「そうなんですね。僕は字があまり読めないので手紙になんて書いてあるのか分からなくて…」

「まぁ、農民にはあまり文字の読み書きは必要ないからな。それじゃあ俺は行く。多分、後でお屋敷の人間がお前を尋ねてくるからどうすればいいか、その時に詳しく聞いてくれ。」

「はい。ありがとうございました。」


そう言い残すと彼は歩き去っていき、宿に入った僕は部屋に案内された。以前泊まった宿よりいい宿のようで寝心地の良さそうなベッドが据え付けてある。

少し休もうとベッドに寝転んでウトウトしていると、お屋敷の人であろう、初老の紳士が訪ねてきた。


「失礼します。×××××様でお間違い無いですか?」

「はい。この度はご招待いただき、ありがとうございます。」

「ふむ。領主様との面会は明日の朝になります。また明日の朝にお迎えにあがりますので今晩はこの宿でお休みください。食事等も自由にとってもらって結構ですので。」

「わかりました。」

「では。」


要件を伝えると彼は去っていった。

どことなくニコライさんを思い出させる雰囲気があった。彼を見送った後、ふと用事が終わったらお礼も兼ねてニコライさんを尋ねてみようと思った。


ーーー


翌朝、いつも通りに日が昇り初めたと同時に目を覚ました僕は顔を洗い、いつ迎えが来ても大丈夫なように準備をする。宿の食堂で軽めの食事をとり、そわそわしながら迎えを待った。


ーガラガラガラ…


外で荷車より重たい車輪の音が聞こえた。

暫くして、


コンコンッ


「×××××様、起きていらっしゃいますでしょうか?」

「はい。今出ます。」

「おはようございます。お迎えにあがりました。」

「ありがとうございます。宜しくお願いします。」


昨日と同じ男性が迎えに来て、促されるまま馬車に乗り込んだ。馬車の中では特に話すことも無かったが、同乗している初老の紳士はまじまじと僕の顔を見ているようだった。


「あの、何か顔に付いているでしょうか?」


気になった僕は顔を触りながら彼に尋ねる。

そうするとふっと微笑み、


「いえ、ニコライからあなたのことを何度か聞いていまして。街への立ち入りを禁じられていると聞いていたもので会う機会は無いだろうと思っていたのですが、思わぬ機会に恵まれましたので。失礼しました。」


そう言って彼は頭を下げる。


「いえ、それよりニコライさんのお知り合いなんですね。」

「えぇ。彼がお屋敷の庭師を辞めてからもたまに会っていますよ。彼は紅茶が好きなんですが市井ではあまり手に入らないらしく、私が譲りに行っているのです。」


その言葉を聞き不意に別れた***のことを思い出したが、

最近はもうあまり思い出すことも無くなってきていた。

彼女は今どうしているのか?と聞きたくなったが、今更聞いてもどうしようもないと思い、出かかった言葉を飲み込んだ。そして暫く談笑をしていると馬車が一軒の屋敷の前で停車した。それはあの時、彼女を追いかけて尋ねた屋敷であった。


ーーー


「どうぞこちらへ。」


開け放たれた馬車の扉から屋敷の中へと案内される。

まさかこんな形でこの屋敷に踏み入る事になるとは思いもよらなかった。そして、初めて***の正体を知った…

貴族の出だとは聞いていたけれど、てっきり1代限りの男爵や領地もない下級貴族の出だとばかり思っていたので、まさか領主の子女だったとは夢にも思わなかった。

しばらく廊下を進むと艶のある重厚感のある扉の前に辿り着いた。


ーコンコン


「失礼します。×××××様をお連れしました。」

「あぁ。入れ。」


先導する紳士が扉をノックして声を掛けると中から男の声が聞こえた。ゆっくりと扉が開かれ、そこには僕とさほど年が変わらないであろう男がいた。


「初めまして。×××××と申します。」

「あぁ。私はアルフォンスと言う。このエインズワース家の当主だ。」

「この度はお招きいただきましてありがとうございます。」

「あぁ、堅苦しいあいさつはいい。それより報告を受けてはいたが、異常気象に対する対処は見事だった。もっと早くに褒美を出すべきだったのだがな。色々あって遅くなってしまった。」


貴族とはもっと横柄なものだとばかりと思っていたが、彼は少し違うようだった。そして、どことなく***の面影を感じた。


「いえ、勿体ないお言葉です。」

「それにかつて我が家で庭師をしていたニコライとも既知の仲らしいな?色々と話を聞かせて欲しい。」


ーーー


そうして僕はアルフォンス様と色々な話をした。

まずは褒美の件もあって、冷害対策について。これは領内の他の地域でも手法を伝えて次の機会に備えるらしい。次にニコライさんについて。アルフォンス様の子供の頃に庭師として働いていたようだ。彼の奥さんが亡くなった時に職を辞してしまったらしい。前領主だったアルフォンス様の父上もそのことを気に掛けていたようで、行く宛の無かったニコライさんにあの小屋を譲って定期的に様子を見に行かせていたらしい。また僕の生い立ちや家族についても色々と話をさせてもらった。

そして…


「あの、ひとつお伺いしてもよろしいですか?」

「ん?どうした?」

「この家に***と言う名の女性が居たとこ思うのですが、彼女は今どうしていますか?」

「…他の領地に嫁いでそこで務めを果たしている。」

「そうですか?」

「***と知り合いなのか?」

「以前少しお話させていただいた機会があったもので、お元気にしていらっしゃるかな?と思っただけです。」

「そうか。」


少し歯切れの悪い回答だったが、あの時聞いたように彼女は他の領地へ嫁いでしまったようだった。


「もし、***様と会う機会があれば×××××は元気にやっているとお伝え願えますか?」

「…わかった。伝えておこう。さて、あまり長話をしてもあれだな。褒美だがお前の村の近くに新しく畑を開拓中だ。そこの一角を任せよう。」

「土地をいただけるのですか!?」


思いもよらぬ話に驚き、次に妻のシャッテと息子のルシアスの顔が浮かんだ。これでもっと楽をさせてやれると思い、思わず頬が緩んだ。


「そろそろお開きとしようか。有意義な時間だったよ。帰りにニコライのところへ寄るならばアルフォンスがまた立ち寄らせて貰うと言っていたと伝えて貰えるかな?」

「わかりました。」

「それでは土地の権利書類は追って届けさせよう。」


ーーー


長いような短いような面会が終わった。

そして長らく僕の心に引っかかっていた小さなトゲが落ちたような気がした。


(***も元気で過ごしているようだね。もう僕の事なんて忘れたかも知れないけど。もしも、まだ覚えていて気にしているのであれば、僕は十分に幸せに過ごしているから忘れて欲しい。)


「君の未来に僕はいない。

それでもただ、幸せでいてくれ。」


そう心の中で思い、そして空に向かって呟いた。

僕は一度宿に戻り村へ帰る準備を始めた。

おそらく彼女の兄であろう、アルフォンス様と話し込んですっかり辺りが暗くなった空には半分に欠けた月が輝いていた。

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