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朔の日  作者: Style Creis
2/5

I'm still…

「***ー!!」


思わず飛び出した僕は辺りを見回した。

しかし彼女の姿は無い。

どこへ行ったのか?何故いなくなったのか?考えても考えても答えは出ない。

この真っ暗な夜の中、手がかりもなく彼女を探すことは非常に困難だった。


ードンドンドンッ!ー


「おーい!!開けてくれ!!」


ーギィ…ー


「うるさいぞ!こんな夜中に誰だっ!って×××××じゃないか。一体どうした?」


まだ村に来てそこまで年月が経っていない彼女にとって心を許していると言える人間はあまりいない。

彼女が一番仲が良かったのは隣のアントンの奥さんのアンネさんのはずだ。

一縷の望みをかけてアントンの家を訪問していた。


「…夜遅くにすまない…***が来ていたりしないか?」

「はぁ?***さん??こんな深夜に押しかけるような人じゃないだろう?一体どうしたんだ?」

「…いなくなったんだ。」

「なんだって!?いつの話だ?」


-------

-----

---


ーーー

「…というわけなんだ…。」

「…すまないな。心当たりはないよ。もう一度家の中を探してみたらどうだ?」

「…あんた、どうしたんだい?」


戻ってこないアントンさんを不審に思ったんだろう。

彼の奥さんのアンネさんも玄関まで出てきてくれた。


「実は…」


-------

-----

---


「…すまないねぇ。全然心当たりがないよ。」


アンネさんにも心当たりが無いようだ。

アテが外れて僕は肩を落とした…


「…村の警備の詰め所をあたってみたらどうだ?仮に村の外へ出るなら一度は通らなきゃならねぇ。警備の人間なら何か知ってるかも知れないぞ?」

「あんた、そんな他人行儀な…」

「いや、良いんだ。深夜にすまない。迷惑をかけた。」

「あー、いや、事情が事情だし構わないけどよ。それよりお前、足から血が出てるぞ。一度戻ってちゃんと家の中を探せよ。それでもいなけりゃちゃんと靴くらい履いてこい。」


無我夢中で飛び出したせいで全然気づかなかった。

指摘されて傷を自覚するとジクジクとした痛みが襲ってくる。


「あぁ。そうするよ。」


「私らも明日になったらご近所さんに聞いてみるわね。あんたも仕事に行く途中に聞いてあげなよ。」

「わかったって。まぁ、そういうことだから、すまねぇな。」


不安そうな顔で見送るアントン達を背中にして僕は家へと戻ることにした。


ーーー


「***?戻ってきているか?」


暗闇に声を掛けるが相変わらず返事はない。

ついでに、もしかしたら彼女が何か手がかりを残しているかもと思って家の中をひっくり返したが、貯蓄もすべて手つかずで、彼女に贈ったブローチだけがない。

いなくなったことを改めて自覚して、警備詰め所へ向かうことにした。


-------

-----

---


ートントンッー


「はいよ。ちょっと待ってくれ。」


ーーー


「ん?×××××じゃないか。詰め所に来るなんて珍しいな。それもこんな夜中に。一体どうしたんだ?」

「***がいなくなったんだ。何か知らないか…?」

「***さん?お前のところで一緒に暮らしている***さんか?」


怪訝そうに警備の人間は答える。

その様子から心当たりは無さそうな様子が伺えた。


「おーい。ロイ!×××××のところに美人さんが一緒に住んでただろ?***さん。見ていないか?」


後ろでくつろいでいたもう1人の警備に声をかける。


「あん?ジョセフ、なんだって?***さん?いや、見てないなぁ。そもそも満月の夜ならいざ知らず、こんな月の無い夜にうろつくなんてやつは盗賊くらいのもんさ。女が1人で出歩くなんて危なくて考えられねぇよ。」

「そうだよなぁ。悪いな。俺もこいつも見てないよ。で、いなくなったのか?いつ?」

「多分、ほんの数時間前。同じベッドで寝ていたんだ…違和感を感じて起きたらいなかった。てっきりトイレか何かだと思ったんだけど、いくら待っても帰ってこなかったんで探しているんだ…」

「…そうか。何か事件とか、物盗りとかの線はないのか?」

「いや、それは無いと思う。貯蓄も寝る前と変わらなかったし、荒らされた形跡も無かった…***と彼女に贈ったブローチだけが消えていたんだ…」


そう答えると2人は気の毒そうな表情を浮かべた。


「とりあえずもう夜も遅い。明日になったらひょっこり戻ってくるかもしれないだろ?それにお前ひどい顔をしているぞ。一回家に帰って寝ろ。朝になったら何か痕跡が見つかるかも知れないし、俺達も警備の仕事があるから今はここを離れられない。夜が明けたら調べてやるよ。」

「あぁ。頼むよ…」


そう告げられ、意気消沈したまま僕は家へ帰ることにした…


-------

-----

---


「***、戻ってきてるかい?」


やはり返事はない…

僕は混乱したまま警備の2人に言われた通りにベッドに入った。

自分の体温とは違う温もりが微かに残っている。

それが彼女がいなくなったことを僕に知らしめている様だった。


(***、どこへ行ってしまったんだ…)


考えても答えは出ない。

ベッドからだんだんと消えていく彼女の温もりが僕の心を冷やしていった…


-------

-----

---


(朝か…)


ベッドに入ったものの、眠る事が出来なかった僕は一睡もせずに朝を迎えた。

以前として彼女は戻ってこない…自分で荒らした部屋を一瞥してため息をついた。


(***、何処にいるんだ…)


考えても考えてもわからない。夜にはわからなかったが足跡や何か痕跡が微かにでも残っているかもしれないと思い、僕は外へ出た。

いやに綺麗に輝く太陽が恨めしかった…


ーーー


「おい!×××××!***さんは戻ってきたのか?」


そこには牛を引き連れたアントンの姿があった。

僕は無言で頭を振る。


「いや、一晩中待ってたけど戻ってこなかったよ…あの後、警備の詰め所にも行ってみたけど当番のロイもジョセフも見ていないってさ…」

「そうか…俺も仕事の道中に何か無いか様子を見ておくよ。」

「すまない。頼むよ…」


そう言い残しアントンは去っていった。

あの様子だと、あの後アントンのところへは彼女は訪れていないようだ。

僕は少しでも手かがりを求めて市場のほうへ向かうことにした。


-------

-----

---


まだ朝になったばかりということで昼間ほどの活気が無い市場へ僕はやってきた。

ここで彼女はよく食材の買い物をしていたし、夜の店もある。もしかしたら見かけた人がいるかも…という思いもあった。


ーガラガラガラ…


「あれ?×××××じゃないか。こんな朝早くに珍しいな?今日は畑のほうはいいのか?」


そこには以前彼女へのプレゼントのブローチを購入した店の店主。幼なじみのイワンが開店の為に荷車を引いてやってきたところだった。


「あぁ。イワンか。実は…」


ーーー


「大変じゃないか!ちょっと待ってろ。この辺りで夜でも開けてる店はいくつか心当たりがある。聞き込みに行ってきてやるよ。」

「あぁ。ありがとう…でもお前、店はいいのか?」

「バカ野郎!幼なじみがそんな顔して困ってるってのに店なんて開けていられるか!うちのかみさんだって事情を話せばわかってくれるさ。」

「すまない…ありがとう。」

「いいってことよ。それより無事に見つかったら、うちでたんまり買い物していけよ?」

「あぁ。その時は一番高い商品でもなんでも買わせてもらうよ。」


そう言うとイワンは颯爽と走り去っていった。

彼が置いていった荷物の番をしながら徐々に増えていく人混みの中に、彼女の姿が無いものかと通り過ぎる人々を見つめていた。


(どうか彼女が無事に見つかりますように…)


ーーー


ぼんやりとイワンのことを待っている間に彼女が出ていった理由を考えていた。


(やっぱり***と僕とじゃ釣り合わなかったのかな…あの夜の***の様子はちょっとおかしかったな。もっとしっかり話を聞くべきだったのかな…体調も崩していたんだ。もっと***を気遣ってあげるべきだったのかな…それともあの時のことかな。いや、もしかしたらあの時のことが…)


待っている間に嫌な想像と後悔だけが僕の心を埋め尽くしていく。

イワンがこの市場に何件もない店に聞き込みに行っている時間もそう長い時間じゃない。

それでも悔いるには十分すぎるほどの時間があった。


「おーい!×××××!」


戻ってきたイワンが僕の名を呼んだ。その姿を見て僕は彼に詰め寄った。


「***は?彼女の手がかりは何かあったか?」


焦りを隠せない様子を見て彼は僕をなだめる。


「ちょっと落ち着けって。残念ながら***さんを見かけたってやつはいなかったよ。でも有力な情報かどうかはわからないが、夜中に酔いざましに夜風に当たっていたらフードを目深に被った女が通りすぎたのを見た。ってやつがいたよ。でもそれが***さんかはわからねぇ。なんせ時間も時間だし、ただの商売女だったかもしれない。」


それを聞き、僕の体に少し力が入ったのを感じた。


「それでその女はどっちに行ったんだ!?」

「だから落ち着けって。この通りを真っすぐいった所だよ。でもこの先は娼館か酒屋しか無い。***さんの確率は物凄く低いぞ?」

「それでもやっと得た手がかりなんだ。探してみるよ。」


彼に礼を述べ、僕は彼の示したほうへ歩き出した。


ーーー


(***が本当にこの辺りにいるのか?)


そう思うほど陰鬱とした空気が漂っている通りに出た。

夜は煌々と明かりを灯し、酒を酌み交わして騒いでいる店もその様相を潜めている。寒気すら覚えるほど静かな通りは彼女の雰囲気とは似ても似つかなかった。


(いや、そもそも彼女がこっちへ来た確証も無い。イワンもそう言っていたじゃないか。)


僅かな望みにかけて周囲を探す。

そこで柵の一部が壊れているのを見つけた。


(こんなところに壊れているところがあったのか…)


警備の人間も夜に人がいるところまでは余程のトラブルが無い限りは立ち寄らないのであろう。

それよりも盗賊に備えて村の正面入り口の警備のほうが大事なのは当たり前だからだ。


(もしかしてここから?)


方角的には以前に聞いた彼女の実家の方向へと続いている。この壊れた柵は僕を誘っている様に思えた。


(行ってみるか。)


村の安全の為に外へは正規の手続きを取った上で、正面から出なければならない決まりになっている。

もし不当な方法で出入りをすると罰則が課せられるが、もはやそんなことはどうでもよかった。


(***、無事でいてくれ…)


彼女の実家の正確な場所も知らない。彼女が実家へ戻ったかも定かではない。そもそも酔っ払いが見かけたのは彼女ですら無いのかもしれない。それでも僕は足を止められなかった。


-------

-----

---


しばらく歩き通して僕は1軒の小屋を見つけた。この辺りにこんなものがあるなんて聞いたことも無かったが、彼女がいるかもしれないと思い、窓から中を覗き込んだ。すると、


「誰じゃ?」


後ろから人の声がして、そちらを見ると老人が佇んでいる。


「すいません。僕はこの先の村の農夫の×××××と言います。昨夜、この辺りで女の人を見かけませんでしたか?名前は***と言います。髪の毛はプラチナブロンドで腰までくらいの長さがあって、もしかしたら胸に翠色の石が付いたブローチをしていたかもしれません…」


一気に捲し立てると彼は少し驚いた様子で彼女のことを口にした。


「お前さん、***お嬢様の知り合いかね?」


その言葉に僕は驚き、彼は話を続けた。彼の名はニコライというらしい。


「***お嬢様はもうここにはいないよ。行き先も教えられん。ただ、自分のことを探しにやってくる者がいるかもしれん。その時はさようならと伝えてくれと言付けを預かっておる。」

「そんな…」

「諦めるんじゃな。わしにはどうすることも出来ん。」


何度か彼女のことを教えてくれと彼に縋るが、その老人の目には硬い意志が宿っており、これ以上はどうする事も出来ず、僕は一度村へ戻ることにした…


-------

-----

---


「あ、ようやく戻ってきたな。で、どうだ?***さんは見つかったか?」

「あぁ、アントンか。」


夕方になって家に戻ってきた僕のことを心配してくれている様子のアントンの姿がそこにはあった。


「***は見つけられなかったよ…ただ、彼女のことを知っている人を見つけることが出来た。それで伝言を聞いたんだ。さようならだってさ…」

「そりゃあ…なんと言っていいのか…」

「すまない。しばらく1人にして欲しい…」

「あぁ。わかったよ。でもあんまり気を落とすなよ?お前には親から引き継いだ畑が残っているんだ。そいつは守らなきゃいけねぇ。」

「あぁ。そうだな…心配をかけてすまないな。それじゃ、また…」


僕は彼へそう言い残し、***のいなくなった家へと入って行った。


ーーー


(疲れた…)


それもそうだろう。なにせ一睡も出来ず、ろくに食事も取らずに彼女を探し続けたのだ。

1日中歩き続けた僕の足は僕の意志とは裏腹にベッドへ誘い、ベッドに倒れ込んだ体は深く沈み込んだ。


(なんでなんだ…***…)


彼女の行動の理由を考えても答えは出ないまま、疲れた体は休息を求めて動くことを辞めた。意識を保とうとしても次第にまぶたは閉じていく。

昨夜はたしかにあった彼女の温もりがすっかり抜け落ちた、冷たいシーツの感触だけが僕を包みこんでいた。


ーーー


疲れすぎたせいか夜中にふと目を覚ました僕は、何かの気配を感じた。まだ眠ろうとするまぶたをこじ開け、顔をそちらに向ける。


おぼろげながら部屋の片隅で揺れる影が目に入り、僕の頭は一気に覚醒した。


「***!」


影からの返事はない。

よくよくその影見てみると、外の木の影が少しだけ顔を出した月明かりで部屋の中に入り込み、風で揺れているだけであった。


(やっぱり***ともう一度ちゃんと話をしたい。その為にもう一度あの老人を訪ねてみよう。)


そう決意した僕は鋭気を養うべく、再び眠りにつくのであった。


-------

-----

---


翌日、再び僕は老人の元を訪ねてみることにした。

昨日は無我夢中で気付かなかったが、老人の小屋までの道は鬱蒼とした木々が生い茂り、陽の光も落ちてこないほどであった。


(どうりで今までこんな小屋に気づかなかったはずだ…)


ートントンッ


「ごめんください。」

「こんな村外れになんの用じゃ?って昨日の若造か。」

「彼女の行き先を知りたくて…」

「昨日も言ったがおまえさんにお嬢様の居場所は教えられんよ。そもそもおまえさんはお嬢様のなんなんだ?」

「彼女…***は僕の恋人です。」


そう答えると老人は寂しそうに瞳を伏せた。


「そうか。なら尚の事おまえさんには教えられん…」

「なら、何故彼女が僕の前からいなくなったかを教えて貰えませんか?」

「…それも教えられん。と言うより詳しい事情はわしも知らん。」

「そうですか…ところであなたは彼女とどういう知り合いで?」


***の行き先も気になるが、目の前の老人の、彼女のことをよく知っているような口ぶりが気になり、素性を尋ねてみることにした。


「わしか?わしはお嬢様の家の元使用人じゃよ。庭の手入れをしておった。お嬢様は花が好きでの、それでよく庭の手入れをしているところに遊びに来ては話し相手になってくれたもんじゃ。」

「あぁ、あなたがそうでしたか。彼女に幼少期の思い出を聞いていたときによく話に出てきましたよ。」

「そうか。…少しで良ければわしの知っているお嬢様のことを話してやろう。立ち話もなんだし入ると良い。」

「いいんですか?」

「かまわん。但し、お嬢様の行き先だけは教えられんがの。」


そう言うと老人は小屋の中へ入って行った。

その背中を追うように僕も彼の後をついていく。


ーカチャカチャ


「おまえさんも飲むか?」


老人の手には飲み物の入ったカップがあった。


「いただきます。」


そう答えると、何やら水差しから透き通った赤茶色の液体が注がれていく。湯気が立っていることから温かい飲み物のようだ。


「…あの、これは何ですか?」

「あぁ。これは紅茶というもんじゃ。植物の葉を乾かして湯に浸したものでの、それを昔のツテで手に入れておる。そうホイホイ飲めるようなもんでは無いんじゃがまぁ、今日は特別じゃ。」

「…不思議な香りがしますね。」

「お嬢様もこれが好きだったからの。庭仕事の合間にこっそりとわしの元に持ってきてくださって、それからわしも好物になった。」


老人の顔には昔を懐かしむ顔が浮かんだ。


「知らなかったな…そんなに好きなら買ってあげたのに…」


そう僕がポツリと呟くと目の前の老人はカカッと笑った。


「そりゃ無理じゃろう。この茶一杯でお前さんの月の稼ぎが吹っ飛ぶわ。」


その言葉にカップを口に運ぼうとした手が止まる


「え…?これ、そんなに高いんですか…?」

「そうさの。お前さん、農夫と言っておったな?そうすると月の稼ぎが大銀貨1枚ってところかの。小銀貨だと5〜60枚ってことろじゃな。この茶は大体小銀貨30枚ってところじゃな。」


その言葉に僕は青ざめ、改めて彼女と釣り合いが取れていないことを思い知らされた。


「まぁ、老人の道楽じゃ。気にせんでもええ。」

「そう言われても…」

「なんじゃ。いらんなら捨てるぞ?」

「いや、いただきます。」


口をつけると水やエールとは違う、不思議な香りが腔内を満たし、鼻から抜けていった。


「美味しいです。」

「じゃろう?さて、お嬢様の昔の話じゃったな…」


-------

-----

---


「おっと、少し話しすぎたようじゃな。日が傾いてきておる。」

「いい話を聞けて楽しかったです。…やっぱり彼女の行き先は教えて貰えませんか?」

「それは出来んと言ったはずじゃ。」

「そうですか…」

「じゃが、またお嬢様の昔話を聞きに来るだけならまた来ても構わん。」

「わかりました。また来ます。」


そう言い残し僕は小屋を後にした。そしてその後ろには老人が僕を見送っていた。


(お嬢様の想い人に会うとはの…全く、このまま老いさらばえて死ぬだけかと思っておったが、面白い人生になったもんじゃ…)


-------

-----

---


あれから僕は何度か老人の元を訪ね、その度に彼女のことを少しづつ教えてもらった。

好きな服や好きな食べ物。これらは僕の稼ぎじゃどうにもならないくらい高価なものだった。

また、彼女の家のこと。良いところのお嬢様だとは初めて会った時の仕草や食事の作法から思っていたけれど、僕の想像なんて全然追いつかないくらいだった。

話を聞くたびに新しい彼女を知れて嬉しい気持ちと、惨めな気持ちが同居していくのを実感する。

それでも老人の話から伝わる彼女の優しさは僕の知っている彼女そのものだった。

そして、好きな花はやっぱりアネモネだった。


ーーー


「こんにちは。ニコライさん。」

「またお前さんか。諦めないやつじゃな。」


老人は呆れたような表情を浮かべる。


「何度来てもお嬢様の行き先は教えられんと言うのに。それにこれまでの話で自分との身分の差を思い知ったじゃろ?」

「…それでも、僕は彼女ともう一度会いたい。好きな紅茶も買ってあげられないかも知れないけど、やっぱり彼女を愛しているから。」

「…そうまでしてお嬢様と会いたいのか?」


今までと違い、老人の様子に少し変化が見られた。


「会いたい。会ってもう一度愛していると伝えたい。

それまで何度でも僕はここへ足を運びます。」


その言葉を聞き、彼は深くため息をついた。


「…お嬢様のご実家はここから北へ2日ほど行った街のお屋敷じゃ。敷地の外からでも花が沢山咲き誇っているのが見えるから簡単に見つけられるじゃろう。あの夜は偶然お屋敷の人間がワシのところへこの紅茶を売りに来てくれていての。その時にお嬢様は一緒に屋敷へ戻っていったよ。」

「!!!それは本当ですか!?」

「…あぁ。ただ、行っても会えるとは限らんぞ?」

「十分です。ありがとうございます!」


そう老人に言い残すと彼女の元へ向かうべく、一度家へ帰って準備をすることにした。



(***、もうすぐ会いに行くよ。)


彼女がいなくなってからもうすぐひと月が経つ。

準備を終え、眠りに就こうとする僕の目には三日月が映っていた…


-------

-----

---


ーザッザッザッ…


気が急いていたのもあったのだろう。

2日分の食料や飲み物を市場で買い込んだ僕は予定よりも早く、ニコライさんに教えて貰った彼女がいると言う街へたどり着くことが出来た。

なんとか夜になって街の門が閉じる前に到着することが出来たので、ひとまず宿を探すことにした。


ーーー


宿を確保した僕は歩き続けたせいで疲労が溜まっていたのだろう。ちょっと休憩するつもりでベッドに倒れると意識を失った。しばらくすると下の階から賑やかな声といい香りが漂ってくる。外はすっかり暗くなっており、仕事を終えた職人達が食事や酒を求めて、食堂になっている1階に集まったようだった。

小腹の空いた僕も席に着き、軽く食事を頼む。

そこでついでに宿の女将さんにお屋敷の場所を聞くことにした。

彼女の実家の屋敷はこの街では有名なお屋敷のようで、あっさりと教えてもらえた。それにずっと家出をしていたお嬢様が戻ってきたという話も聞くことが出来た。食べ終えると夜も更けてきてはいるが場所を確認しようと思い立ち、彼女のいるという屋敷へ向かうことにした。


ーーー


(凄い…)


夜にも関わらず、屋敷から溢れる明かりでわかるほど絨毯の様に敷き詰められた花がその屋敷にはあった。ぐるりと敷地を囲う鉄柵の切れ目にお屋敷へと続く道がある。明日、改めて訪ねようと踵を返すと不意に彼女の名前が聞こえ、声の出どころを探すとそこは明かりを持って周囲を警戒している門番が2人立っていた。


「すいません。ここに***はいますか?」

「なんだお前は?」


門番は彼女のこと尋ねる僕に眉をひそめ、怪訝そうな顔を向けた。


「僕は***の恋人の×××××です。南の村で農夫をやっています。彼女と一緒に暮らしていましたが突然いなくなり、この屋敷にいると聞いて訪ねてきました。」


そう告げると門番は怪しい人物を見るように警戒を強めたのを感じた。


「たしかにこのお屋敷には***というお嬢様がいらっしゃる。ただ、貴様のような農民風情とは身分が違うんだ。わかったら警備の邪魔をするんじゃない。さっさとどこかへ行くんだな。」


冷やかしだと思われたのだろう。邪魔ものを追い払うように門番の男は手を振った。


「嘘じゃありません。彼女に会わせて貰えればわかるんだ!」

「貴様、優しく追い返していれば調子に乗るんじゃないぞ。衛兵に突き出してやろうか!?」


威嚇するように語気を強める門番へ更に僕は続けた。


「***とは結婚しようと誓い合ったんだ!もし一目見て彼女と別人であればおとなしく帰ります!」


その言葉を聞いた門番は先程までの態度とは打って変わって、僕を憐れむような、馬鹿にする様な表情で見下ろしてくる。


「はぁ?貴様が***お嬢様と結婚??ははは。笑わせるな。お嬢様は次の満月の日に隣街の領主様のご子息との結婚が決まっているぞ?冗談なのは分かったからほら、帰った帰った。」


(は?結婚する??誰が?***が??僕との結婚の約束は…??)


呆然と立ち尽くした僕を邪魔に思ったのだろう。門番に軽く胸を突かれて僕はたたらを踏んだ。そして、


「***ー!!」


僕は思わず大声で屋敷へ向かって叫んだ。

もしかしたら彼女が気付いて出てきてくれるかもしれない。そんな思いも心のどこかにあった。


「このっ!」


ードガッ!!


「貴様、いい加減にしろよ?変な噂が立ってお屋敷に迷惑がかかると思って穏便に済まそうとしてやっていたのに。このまま衛兵に突き出してやる!!」


僕を殴り倒した門番はそう告げると僕の腕を後ろ手に取り、衛兵の詰め所へと連行された。

そこで事情聴取を受け、一晩牢へ拘束されることとなった。明日の朝になって街から追放されるようだ。


(***…結婚ってなんで?…)


彼女の屋敷とは違う、冷たい石造りに鉄格子のはまった牢から見える空は、僅かな星だけが輝き、月はその姿を隠していた。

まるでもう二度と***とは会えないんだと告げているかのようだった…

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