Prologue
原案.監修/渚 作/sin
---なんてことの無い平凡な毎日だった。
早くに先立った農家の両親の後を継ぎ、今日も僕は畑を耕す。
いずれ普通の奥さんをもらって、子を成し、育て、そして僕の両親もそうしたように、自分の子に土地を譲り、やがて看取られて死ぬ。多くの人がそうであるように、自分もそうであると信じて疑わなかった。いや、疑うということすら考えなかった。
あの日、彼女と出会うまでは…
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チュンチュン…チチチチ…
サァー…
玄関の扉を開き、柔らかい日差しを浴びながら振り返って彼女に話しかける。
「***!今日は暖かいね。雪も溶けてきてそろそろ野菜の作付けが出来そうだ!」
「今年の冬は寒かったものね。私もいっぱいお手伝いするわ!きっと今年は豊作よ!」
彼女は優しく笑った。
肌に触れる風は少し冷たく、冬の名残を残しながらそれでも確かに春の訪れを感じた。
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ジリジリ…
日に日に1日が長くなり、畑に出る前からすでに体が汗ばんでいる。
空は吸い込まれそうなほど青く、大きな雲が少しでも日を遮ってくれないものかと恨めしげに空を仰いだ。
「×××××!毎日暑いけどお仕事頑張ってね!今日は市場へ買い物に行ってくるから、今夜の食事はあなたの好きなものにするわ!」
「そう言われると頑張らなきゃね。それに君のお父様お母様に早く認めて貰えるようにならなくちゃいけないしね!」
そう彼女に発破をかけられ、気怠い体に気合を入れる。
彼女の頬に軽くキスをして、僕は今日も畑へと向かった。
きっと好物と一緒に僕の好きなエールを用意して彼女は帰りを待っていてくれるのだろう。
そう思うだけで頑張ろうと思う僕はなかなか単純だと思う。
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やぁ、おたくの畑の作物はどうだい?
うちは豊作だよ!
お前さんのところはどうだい?
うちも豊作だよ!
こりゃ今年の収穫祭が楽しみだな!!
…
暑い季節を乗り越え、十二分に手をかけただけあって満足のいく出来となった作物を眺めながら隣に立つ彼女に話しかける。
「***!今年は沢山作物が実ったね。このカボチャもいい出来だ!君の実家のお屋敷でスープとして出てくるかも知れないよ?そうすると「このカボチャの生産者は誰だね?」ってなって2人のことを認めてもらえるかもね!」
「ふふ。そうだといいわね!さ、早く収穫しましょ。次は村長さんの畑の麦の作付の手伝いがあるんだし、あんまりのんびりしてると村長さんに「遅いぞ!!」って怒られてちゃうわ!」
そう言って頭1つ分、僕より小さい彼女は屈託のない笑顔で僕を見上げた。
確かな手応えと重みを感じ、僕は心の中で神様に感謝を捧げながら2人で1つずつ丁寧に収穫していく。
(また来年も宜しくお願いします)
ぶわっ
応えるように急に一陣の風が吹き抜ける。
落ち葉が舞い上がり、顔を上げると遠くに見える山々は徐々に色づき、季節の移り変わりを告げていた。
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シンシンシン…
わぁー!おかあさんみて!ゆきだよ!
あら、本当ね。どうりで冷えると思ったわ
あしたはつもるかな?
どうかねぇ?さぁ、おうちへお入り。温かいスープを飲んで体を冷やさないようにするんだよ
はーい!
…
収穫祭も終わり、村の雰囲気も次第に落ち着きを取り戻していく。
今年の税も納め終わり、他の出来のいい作物も物々交換や行商人に売ることができた。
あとは形が悪いものがいくらか残ったがこれは自分で食べる。毎年の出来事だが今年は少し違う。
「×××××!見て!雪が降ってきたわ!これじゃ畑仕事も満足に出来ないわね。どうしましょうか?」
「そうだね。たしかにこの調子だと暫く作業は出来なさそうだな…よし、バタバタしていてちゃんと農具の手入れが出来ていなかったから綺麗にしようかな!***も手伝ってくれるかい?」
「ええ!任せてちょうだい!」
隣にいる彼女を誘う。
興味津々とばかりに着いてくる彼女と手を繋いで、他愛もないことを話しながらいつも通り、畑への道を歩いていく。
1人だった時の冬と違う、繋いだ左手の確かな温もりに僕は顔を綻ばせた。
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−とある満月の夜−
ーカチャカチャ
いつもより静かな食卓に食器の音が響く。
普段は明るい彼女もその顔に少し陰を落としていた。
「今回も君のご両親には面会もさせて貰えなかったね…」
「仕方がないわ。お父様もお母様も頑固だもの!それに本当に認めていなかったらとっくに連れ戻されているわ!だからきっと大丈夫よ!」
「そうだね。よし!もっともっとお金を稼いで、来年こそはきちんと認めてもらえるといいね!」
「そうね!これからも2人で頑張っていきましょう!」
お互いに誓い合い、また少しづつ会話に華を咲かせていく。そしてだんだんと夜も更け、話疲れた2人はベッドへと潜る。
窓からは優しい月明かりが差し込んでいた。
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サァー………
ザッザッザッ…
ガラガラガラガラ…
季節は巡り、また冬の名残を少し残した柔らかい風が2人を撫でる。
去年が豊作のおかげで蓄えに余裕があったこともあり、新しく荷車を買った僕はいつもの畑へと引いていく。
「村長さんの畑の麦の穂、だいぶ大きくなってきたわね!そういえば隣のアントンさんのお宅、仔牛が産まれたんですって!今度見せてもらう約束をしたの。もしかしたら牛の乳も少し分けてもらえるかもしれないわ!」
そう鼻歌交じりに語る彼女はいつもより機嫌が良さそうだ。
「そりゃいい!にしてもちゃんと前を見て歩かないと危ないよ。慣らしてあるとはいえ、領主様の館の前みたいな綺麗な道じゃないんだから。」
「平気よ!子供じゃないんだから…あっ!!」
躓き、尻もちをついた彼女の手を引っ張り上げる。
「ほら、言わんこっちゃない。ちゃんと前を向いて歩きなよ!」
「はーい。以後気をつけます!」
いたずらがばれた子供のようにちょっぴり拗ねた彼女に苦笑しつつ、また並んで歩き出す。
少しづつ溶け出した雪が小さな川を作り、キラキラと陽の光を反射していた。
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もうすぐ収穫祭の季節がやってくる。
いつもと同じ繰り返しのはずなのに1年がこんなに早く感じるなんて、彼女と出会ってからというもの初めての経験ばかりだ。
「ふぅ。今日はこんなところかな。今年もいい出来で良かった。これなら貴族様の館に納品していただけるかもしれないな!」
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…ガヤガヤガヤ……
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今日は肉が安いよ!
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そこのお兄さん!彼女にプレゼントするならこれがオススメだよ!
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奥さん!たまには旦那に贅沢させてやるってのはどうだい?
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「やぁ、×××××!今日は作物の納品かい?」
あたりをキョロキョロ見廻していた僕は市場で雑貨屋を営む幼なじみに声をかけられた。
「やぁ、イワン!そうさ。さっき卸してきたよ。出来が良かったもんで少し色をつけてもらったんだ。それで***に何かプレゼントをと思って市場を物色しに来たんだよ」
僕がそう答えると、彼はにやにやとした表情を浮かべる。
「相変わらずお前は***さんと仲が良いねぇ。ま、あんな美人でよく出来た人だもんな。羨ましい限りだよ!と、そういうことならこれとかどうだい?彼女の髪によく映えると思うぜ?」
陳列してある商品の中の一つを摘み上げ、目の前に差し出した。深い翠色の石がはめ込まれたそれに、思わず僕の目は吸い込まれていた。
「あぁ。確かに***の髪によく映えそうだな。いくらだい?」
「へへ。まいどあり!こんなもんでどうだい?」
「買わせてもらうよ。」
喜ぶ彼女の顔を思い浮かべながら値段を聞き、代金を支払うと、ふと売り場の端の1輪の花が目についた。
「あ、この花は売り物かい?」
「ん?いや、仕入れついでに摘んできたやつだよ。うちのかみさんにでもと思ったんだが?」
こともなさげに答える彼に思わず言葉が飛び出した。
「売ってくれないかな?***が好きな花なんだ。」
「まぁ、お前はお得意様だしな。代金はいいぜ。オマケしといてやるよ。」
彼は今度は呆れた顔をしながら手早く花を包んだ。
「ありがとう。また近々顔を出させてもらうよ!」
「いいってことよ。***さんと仲良くな!」
そうしてプレゼントを受け取った僕は市場を後にした。
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ーギィ…
空がオレンジから紫に差し掛かる頃、ようやく帰り着いた僕は明かりの灯った家の扉を開ける。
「ただいま。」
「おかえりなさい。今日は納品だけだったのに時間がかかったのね?」
普段とは違う帰宅時間に彼女は疑問を抱いたようだ。
心配をかけたかな?と思いつつ市場に立ち寄ったことを告げると、
「何か良い食材でもあったの?」
僕が食材の買い物をすることもある為、去年の今頃を思い返し、何かあったかな?と彼女は思い浮かべているようだった。
そんな彼女の喜ぶ顔が見られるかな?と思いながら、後ろ手に隠したプレゼントを差し出した。
「あぁ。とても良いものがあったよ。***に似合うと思って買ってきたんだ。」
「ブローチ?嬉しい!ありがとう!でも、高かったんじゃないの?」
喜びと驚きが混じったような顔を浮かべたが彼女は満足そうに受け取ってくれた。
「作物の出来が良かったんで仲買商人が色をつけてくれたんだ。それとこれも。」
「なに?わっ!アネモネ!?どうしたの!?」
先程よりもさらに驚きに目を見開き、満面の笑みを浮かべた。
「イワンの店で見つけたんだ。***の好きな花だったよね?」
ーぎゅっ
胸に飛び込んできた彼女を抱きしめると潤んだ瞳で彼女が僕を見上げて、再び胸に顔をうずめた。
「×××××、本当にありがとう!一生大切にするわ。愛してる!」
「***、僕も愛してる」
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〜♪〜♫〜♪
「こんにちはアンネさん。」
「あら、***さんこんにちは。なんだか今日はとてもご機嫌ね?」
市場への買い物の途中、私はお隣のアントンさんの奥さんに出会った。
昨夜、×××××からプレゼントを貰ったことを話したけれど、そんなことよりどうやら傍から見てもわかるくらい私は浮かれているようだ。ちょっと恥ずかしい…でも嬉しいんだから仕方がない。
「とても似合ってると思うわ。×××××さんは細かい気遣いが出来て良いわねぇ…それに比べてうちの人ったら…」
「アントンさんも素敵じゃない。この間はアンネさんが怪我したって聞いて、仕事放り出して心配してとんで帰ったって聞いたわよ?」
ため息交じりに愚痴を言う彼女だけど、本当は旦那様のことをとても愛していることを私は知っている。
何かと会うたびに旦那様の自慢話が始まるのだ。
私も×××××のことを自慢するのでお互い様ということでとても仲良くなった。
「まぁね。全然大したことないのに慌てちゃって…ま、そういうところが可愛いんだけど。」
「お互い素敵な人で良かったわね!」
さりげない惚気を聞かされて、そしてお互い顔を見合わせて笑い合う。
こんな日常が私は堪らなく大好きなのだ。
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「おーい、×××××。聞いたぞこの色男!***さんにプレゼントしたって?」
「やぁ、アントン。」
休憩中に声をかけられ、振り向くと牛を引き連れたアントンに出会った。
ーーー
「で、おかげでうちのかみさんにプレゼントねだられちまってよぉ…まったく。困ったもんだぜ。」
「ははは。でもうちもおまえが優しくて素敵だってアンネさんから惚気られて困ってるって言ってたぞ?」
「ええ?あいつ外でそんなこと言っているのか…しょうがないな。仕事終わりにちょっと市場でも覗いて帰るか。」
照れくさそうに笑う彼につられて僕も思わず笑みがこぼれる。
「あぁ。それがいいよ!きっと喜んでくれるさ。」
「だといいけどな!おっと、そろそろ牛舎に向かわないと。そろそろ仔牛が産まれそうなんだ。」
「あぁ。この前***から聞いたよ。とても興味津々だったから産まれたら見せてあげてくれ。」
鼻歌交じりに笑う彼女のことを思い返しながら彼にお願いをする。
「わかった。それじゃあまたな!」
「あぁ、また!頑張れよ!」
「お互い様にな!」
そうして別れた後、先ほど不意に告げられた彼女の喜ぶ様子に僕の心が弾むのを感じる。とても大切にしてもらっているようだ。早く帰って彼女の顔を見たいけれど、サボるととても怒るのでぐっと堪えて作業の続きを行うことにした。
(帰ったら彼女を抱きしめよう)
そんなことを思いながら再び僕はクワを振りかぶった。
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ザーッ………
季節外れの長雨が降り続く中、しばらく調子を崩している彼女の看病をしている。
「***、今日は体調はどうだい?普段丈夫な君がこんなに寝込むなんてやっぱりおかしいよ。やっぱりお医者様に診てもらおう…豊作続きだったおかげで蓄えも増えてきたしお金の心配をしているなら大丈夫だよ?」
「お医者様なんて大げさよ。ちょっと疲れちゃっただけだから暫く寝ていればすぐ治っちゃうわ!だからあなたは心配しないで畑の様子でも見てきて。ね?」
気丈に振る舞う彼女だが、かなり体力を消耗しているのかその顔に生気は感じられず、それがますます僕の不安を煽っていく。
しかしそれを隠そうとする彼女の気持ちも無下にするわけにはいかなかった。
「…わかったよ。ただし、本当にちゃんとベッドで横になっていること!なるべく早く帰るからゆっくり休んでおくんだよ。」
「ありがとう×××××。それじゃ、お言葉に甘えて横になっているわ。いってらっしゃい。」
「…いってきます。」
少し外に向かって歩を進める。やはり心配が勝ってしまい、彼女のほうへ振り返るとひらひらと手を降って送り出してくれているのが目に入った。
−トントントントン…ギィ…バタン…−
雨具を羽織った僕の足取りを遮るかのように、雨が止む気配が無い空は僕の心を表しているようだった…
ーーー
ケホッ…ケホッ……
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「***!熱も下がったし元気になったみたいでよかった!」
「ふふ。だから大したこと無いって言ったじゃない。お医者様なんて大げさなんだから!」
「君が体調を崩すなんて滅多に無いから心配しただけだよ。でも暫く無理しちゃ駄目だからね!」
あれから数日後、すっかり以前のように彼女は元気を取り戻したようだった。
「わかってるわ。あなたこそ暫くちゃんと寝ていなかったでしょ?今夜はぐっすり眠ってまた明日から頑張って働きましょう!そういえば仔牛、見られなかったわね…すぐ買い手が見つかったって…」
「残念だったね。きっと来年もまた新しい仔牛が生まれるさ!」
産まれた仔牛を見るのを楽しみにしていた彼女だったがタイミングが悪く、仔牛は売れてしまったらしい…
彼にも生活があるので僕らのわがままで引き留めるわけにもいかず、見ることが叶わなかった彼女は少し落ち込んでいるようだった。
「そうね。次こそは見たいわ。その時は×××××も一緒に見に行きましょう!」
「もちろんだとも。そろそろ暗くなってくるからその前に帰ろうか?」
気を取り直して明るく振る舞う彼女になにかしてあげたいと思うが、さすがに牛を飼うほどの余裕は無い。牛舎だって必要だし、飼料も必要だ。
小鳥くらいなら飼えるかな…?と頭の中で思案する。
「そうね。あ、その前に井戸でお水を汲んでくるわ。寝込んでいたから瓶の水が残り少なくなっていたの。」
「手伝おうか?」
「大丈夫。それよりあなたは先に家に戻って薪を割っておいて貰えると嬉しいわ!」
「わかったよ。でもまだまだ無理しちゃ駄目だからね」
「ありがとう。それじゃ後でね!」
タッタッタッタッタッタッタッ……
そう言い残し、彼女は井戸へ駆けていった。少し心配ではあるが少しくらい体を動かしたほうがいいかな?と思い僕は彼女の背中を見送った。幸いにもうちから井戸まではそれほど遠くはないので、程なくして彼女は戻ってくるだろう。
(さっさと終わらせて、彼女が帰ってくる前に軽く家の掃除でもするかな?)
病み上がりの彼女の負担を少しでも減らそうと僕は帰路に着いた。
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薪割りを終え、掃除が済んでも彼女が帰ってこないことを不審に思った僕は心配になり、彼女を迎えに井戸へ向かおうと玄関へ向かった。
(やっぱりまだ体調が戻りきっていなかったんだ…一緒に水汲みに着いていくべきだった…)
後悔の念が僕の心を支配していく。居ても立ってもいられなくなって玄関へ向かおうとしたその時、
ーギィ…
「ただいま!」
「遅かったね。心配で井戸まで様子を見に行こうとしてたところだよ。」
手にはなみなみと水が入った水桶を持った彼女が立っていた。
少し疲れているようにも見えたけど、きっと先程までの僕の不安と焦りがそうさせるのだろう。
「隣の奥さんに捕まっちゃって…ほら、暫く寝込んでいたでしょう?それで体調を心配してもらっていたの!それよりお部屋が綺麗になってる。掃除してくれたの?ありがとう!」
どうやらアンネさんに捕まっていたらしい。
心配が杞憂に終わり、僕はホッとして胸を撫で下ろした。
「薪割りが早く終わって暇を持て余していただけだよ!さ、それより早くご飯の準備をしよう!今日は君の快気祝いだし、普段より少しだけ豪華にね!」
「そんなことで贅沢してたらすぐお金無くなっちゃうわよ?でもその気持ちはとても嬉しいわ。×××××ありがとう。愛してる。」
おどけて笑ってみせる彼女の顔を見て、今度は安心感を覚えた僕はアントンから分けてもらった牛の乳を使ってシチューを作ることにした。
(シチューは色々なものが食べられるから体に良いんだよ。それに美味しいものを食べると人間、元気で過ごせるものよ!)
かつて亡くなった母が豪快に笑いながら言っていた言葉を思い出しながら僕は彼女と共に夕食の準備に取り掛かった。
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「すっかり元気になったね!あの時はこの世の終わりかと思って神様に必死にお祈りしたよ!」
「ふふ。何度も言ってるけど大げさよ!それよりあの時のあなたの顔のほうが見ていられなかったわよ。まるで子供みたいだったもの!」
ケラケラと朗らかに笑う彼女は寝込んだことを感じさせないほど元気になっていた。
「それだけ君のことが心配だったんだよ。まだご両親にもちゃんと認めて貰っていないしね!」
「でも、そろそろ認めてくれると思うわ。だってあなたはこんなに働き者なんですもの!」
「そうだと嬉しいな。ちゃんと認めて貰えたら子供も沢山作ろう!賑やかな家庭を作りたいんだ。」
「そうね。あなたとの子供ならきっと元気いっぱいで可愛いもの!」
(彼女を失いたくない。もう1人で過ごす夜なんて考えられない…)
いつからだろう。彼女のいない生活なんて僕は考えられなくなっていた。そして将来のことを今までより強く意識するようになっていた。
「***、愛してる」
そう彼女へ告げ、抱きしめると彼女も同じように抱きしめ返してくる。
「私も愛しているわ。×××××」
その言葉を聞き、僕は彼女の体をより強く抱きしめるのだった。
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……ゴホッゴホッ!!
「***、気分はどう?」
「平気よ。きっと今回もただの風邪よ。最近冷えてきたからかな?もうちょっと早くお布団を足しておくべきだったわ。」
山から木々の鮮やかな色が抜け落ち、冬の足音が聞こえ始めた頃、彼女は再び体調を崩した…
「確かに急に冷えてきたからね。ところで欲しいものはあるかい?」
「ううん。大丈夫よ。それより一緒の部屋にいてあなたに伝染っちゃうと大変だから、あなたは畑の様子を見てきてね。折角今年も沢山作物が実ったんだもの。駄目になっちゃう前に市場に売りに行かなきゃ!」
前回のこともあって不安を感じないわけではないけれど、きっとすぐに良くなると思うことにした。
彼女の言う通り放っておくと折角の作物が駄目になってしまう。それにもうすぐ雪が降る。本格的に冬がやってくる前に準備をしておかなければ冬を越せなくなってしまう。
「そうだね。それに将来子供が出来たときに不自由させたくないからね。それじゃ畑へ行ってくるよ。」
「えぇ。行ってらっしゃい!ごめんね…頑張ってね。」
その言葉を聞き、離れたくない気持ちをぐっと堪えて僕は畑へ向かうことにした。
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トントントントンッ---グツグツグツグツ…
「ただいま。」
ひと仕事を終えて家に帰ると小気味よい包丁の音が聞こえ、良い匂いが漂ってくる。
「おかえりなさい。」
「駄目じゃないか。ちゃんと寝ていないと。」
隣の奥さんが様子を見に来てくれたのかな?と思ったが、そこには仕事に行く前にはベッドに伏せっていた***がキッチンに立っていた。
「もうすっかり平気よ。熱だって下がったし体も動くんだから働いてきたあなたの為に食事くらい作らなくっちゃ。」
「ありがとう。でも本当に無理はしちゃ駄目だよ
?」
そう言われるとそれ以上責めるわけにもいかず、ふと良い匂いのする鍋を覗き込んだ。
「あれ?それは何を作っているの?」
「あなたが仕事をしている時に隣の奥さんが様子を見に来てくれて、その時にお裾分けを頂いたの。それで子供の頃私が好きだった料理を作っているの。香辛料は高くてあまり買えないから似たようなものだけどね!」
思い返せばなんだかんだとずっと慌ただしく日々がすぎていったこともあり、昔話もする余裕も無かったことに気が付いた。
「そうなんだ。君の子供の頃のこと、ちゃんと聞いたこと無かったね。もっと知りたいな。教えてくれる?」
「ええ。もちろん!もうすぐ出来上がるから食べながらお話しましょう!」
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---とある新月の夜---
「さっきは君のことが沢山知れて嬉しかった。今度は僕が子供の頃の話を聞い欲しいな。」
「ええ。私もあなたのことをもっと知りたいわ。今まではバタバタしてこんな風に思い出話をする余裕なんて無かったもの。」
ベッドに横たわりながら彼女の髪を撫でると少しくすぐったそうに彼女は身をよじった。その姿を見るだけで愛おしさが込み上げてくる。
「そうだね。蓄えにも余裕が出てきたし、君のご両親への面会許可も降りた。やっと本当の意味で一緒にいられるようになるね。」
「ありがとう。あなたと一緒に過ごせて本当に私、幸せだわ…」
「急にどうしたの?まるでいなくなっちゃうみたいな事を言って。」
月明かりが無い為に上手く彼女の表情は見えないが、目元には涙が浮かんでいるように見えた。
よく見ようと顔を覗き込もうとすると彼女は顔を伏せてしまった。
「ううん。なんでもないの。でも私、あなたと出会わなければきっと違う領地のご子息との政略結婚の道具になっていたわ。でも自分で好きになった人と一緒にいられることが嬉しいの。」
「まだまだこれから一緒に楽しいことをしよう!もちろん辛いことや喧嘩だってすることもあるだろうけど、それでも僕は君を世界一愛しているよ。」
きっともうすぐ何もかも上手くいく。彼女もきっとそれを実感して感極まったんだろうと、涙の理由に納得することにした。
「ありがとう。私も世界一あなたを愛しているわ×××××」
「そろそろ寝ようか。元気になったといってもまだ病み上がりだしね。」
「ええ。おやすみなさい。また明日。」
「おやすみ***。愛しているよ。」
「私も愛してるわ。×××××」
そうして夜は更けていった……
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スッ…
彼が眠りについたことを確認すると、起こさないように私はそっとベッドから抜け出した。
足音を立てないようにドレッサーへと近づき、彼から貰った一番大切なブローチを静かに引き出しから取り出し、上着を羽織った…
そして
ーキィ…パタン……
もう一度最後に彼の顔を見つめ、私は何も言わずに静かに彼の元を後にした。
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もぞもぞ…
普段と違う感覚に僕はうっすらと目を開けた。
「ん、あれ?***??トイレかな?」
隣で眠っていたはずの***がいない。
暫くすれば戻ってくるかと思い、僕は再び微睡みに身を任せた。
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おかしい。消えない違和感となんとも言えない不安感に、僕は目を開けて体を起こすことにした。
(戻ってこないな?もしかしたら具合が悪くなって動けなくなってるのかも…)
ロウソクに火を灯し、家の中を見て回ることにする。
「おーい。***?……あれ?いない…」
彼女を呼ぶが家の中は変わらず静寂に包まれている。
ギィ…
「***ー?どこだ?おーい。」
彼女からの返事はない。
スッ…
「ん?」
その時、不意に彼女が使っていたドレッサーが目に入った。何かがおかしい…
(あの引き出し、***がプレゼントしたブローチを入れていたところだ。なんで開けっ放しになっているんだ??)
几帳面な彼女が開けっ放しにするなんてことは滅多に無く、それも僕がプレゼントしたブローチを大切に閉まっていた引き出しが開け放たれていた。
(あれ?ブローチがない?なんで?まさか出ていった?なんで??いや、攫われた?まさか…いや、さっきまで一緒に寝ていたはずだ…なら、なんで?)
ふと玄関を見ると、彼女の上着も無くなっていることに気が付いた。
バタン!!
「***ー!!」
靴を履くことも忘れて僕は家を飛び出した。
月明かりのない空は僕の不安な心を写したかのように黒く染め上げられていた……