【短編】私の婚約者が人気過ぎてつらいのですがっ!? 〜恋敵はまさかの彼と同性です?〜
今日も私は、令嬢達の背に庇われていました。
その壁の向こうから私の婚約者であるアルヴィが、悲痛な表情を浮かべてこちらを見ております。
その顔は見るからに憔悴しており、目の下には隈が出来ていましたが、私はアルヴィから向けられる視線を避けるよう、顔を逸らし俯きました。
「お願いだよ、ティアナと話をさせて欲しいんだ」
「お断りしますわ」
「今更なんだと言うのかしら」
「全くですわぁ。さぁティアナ様、こちらに」
アルヴィと私との間には、間違いなく亀裂が入っているように見えるでしょう。
そうして私は令嬢達に導かれるまま、彼に背を向けました。
後ろで「待って、ティアナ!!」と必死に私を呼ぶ声がします。
けれど私は振り返ることなく、その場を後にしました。
(胸が痛い……。けれど、今はまだ……)
私は胸を押さえ涙を堪えながら、令嬢達と共に普通科の教室へと足早に向かいました。
私、ティアナ・サーレラは伯爵家の次女として生まれ、今年、国立ノブルアカデミーの普通科に入学しました。
そして同い年である婚約者のアルヴィも同じタイミングで入学しましたが、彼は剣術の試験に見事合格し、騎士科に在籍することになったのです。
それぞれ別のクラスでの日々を送りながらも、時には一緒に下校したり寄り道をしたり出来るのではと、私は密かにそんな期待を抱いておりました。
しかし、現実はそう上手くはいきませんでした。
騎士科の令息達は残って訓練をする方々が多く、普通科の私とは帰宅の時間が全く噛み合わなかったのです。
自主練習で残る生徒と残らない生徒が居たとすれば、当然残る生徒の方が教師からの評価も高くなるでしょう。
それに、強くなりたいと切磋琢磨するアルヴィの気持ちを考えると、私のために時間を作って欲しいなど言えるはずもありません。
教室や図書室で自主学習をして待つことも考えましたが、訓練を終えた他のご令息達がいらっしゃるところに私が水を差すのは気が引けます。
ですから放課後は仕方がないと諦め、それなら休日には会えそうかと伺いに、週末彼の教室へと赴きました。
すると「ごめんね、今週末もクラスのみんなと練習をすることになってしまって……。これからもこうして急に訓練が決まってしまうかもしれない」と悲しげな表情で断られてしまったのです。
私は「そうなのね。どうか無理はしないで」とだけ笑って伝え、教室を後にしました。
同じアカデミーに通っていても、思っていた以上にアルヴィと過ごせる時間が取れないかもしれない……。
そんな風に少し寂しく思いながらも、研鑽を積む彼を応援しなくてはと自分に言い聞かせ、私はめげずに毎週末、彼の教室を訪ね、予定を聞きに行くようになったのです。
アルヴィは最初の頃、月の休日の半分ほどが令息達との訓練や予定で埋まり、残りの休日に自身の休息を入れつつ、私との時間を作ってくれていました。
ですが、クラスメイト達と親しくなればなるほど週末の予定が増えていき、三ヶ月が経つ頃にはとうとう毎月定例のお茶会の日しか会えなくなってしまったのです。
まさかアカデミーに通い始めて、通い出す以前よりも会えなくなるなど、誰が想像出来ましょうか。
(相手がご令嬢ではないだけ救いだと思うべきなの? それにしたって、みんなしてアルヴィを誘いすぎじゃないかしら! 毎週毎週私が予定を伺っている姿を見ているでしょうに、少しは遠慮していただきたいわ!)
休日にも訓練や演習をするだの、騎士団の見学に行くだの、乗馬の練習がてら遠乗りに行くだの……。
声をかける度に、彼の友人達が「ごめんな、サーレラ嬢。もうアルヴィと約束してるんだ」と言うのです。
私は周りの令息達に理解のある婚約者だと思ってもらうため、顔を引き攣らせながらも「まぁ、そうなんですね」と笑うしかありませんでした。
アルヴィはフルスティ侯爵家の令息なのですが、嫡男ではないため家が保有している爵位を貰うか、自分の力で身を立てていかなければいけません。
長男のスペアになることもない三男である彼は、幼い頃から騎士を目指していました。
そうして念願の騎士科に入学出来たのですから、応援したい気持ちは山々です。
ですからアルヴィの友人達から「休日にも鍛錬を欠かさず、騎士の先輩達に顔を覚えてもらうことが重要なんだ」と言われれば、確かにそうかもしれないと私は諦めざるを得ませんでした。
ですが、その毎週入る予定に、いつしか悪意を感じるようになり始めたのです。
それを強く感じるようになったのは、アルヴィとの会話に一番割って入ってくるエスティオ・キーヴェリ侯爵令息の存在でした。
彼にはアルヴィの婚約者だからと名を呼ぶことを許されましたが、私にとっては異性で、アルヴィにとっては同性だというのに、まるでエスティオ様は私の恋敵のようでした。
なにせ、アルヴィを休日に連れ回している半数以上は、彼が占めているのですから。
エスティオ様は騎士科所属だけあって体格がよく、私が子猫であったなら、間違いなく彼は大型のトラを彷彿とさせる威圧感があります。
そんな彼はわざとらしくアルヴィの肩を抱き「今週も俺と約束してるんだよ」と私を見下ろしてくるのです。
しかもその向けられた笑顔が、他の令息達の素直な謝罪や申し訳なさそうな言葉とは違って、何処か嫌らしさを孕んだ表情だったのです。
それに気付いてしまった私は「ぐぬぬ……っ!」とエスティオ様を睨め付けます。
(恋敵が婚約者と同性ってどういうことよ! でも誰よりもあの男が恋敵に間違いないのだけれど!?)
そんなことを何度も繰り返しておりました。
それでもアルヴィは私を蔑ろにしているわけではないと、きちんと理解しておりました。
毎月一回のお茶会は必ず守ってくれておりましたし、その日はアルヴィにとっても貴重な休みであるはずなのに、しっかり丸一日予定を空けてくれるのです。
屋敷で共にゆっくり過ごすこともあれば、街へのお出かけの時、アルヴィ自身は甘いものがあまり得意ではないのに、よく流行りの甘味のお店に連れて行ってくれます。
他にも私が好きそうな雑貨屋や、興味があると話していた分野の書籍を扱う本屋など、きっと訓練に明け暮れる忙しない日々の中で、私のために調べ、考えてくれたのだろう様子が伺えるのです。
そんな彼を責めることなど出来ません。
それに何より、これまで積み上げてきた二人の時間があったため、私はアルヴィを信頼していたのです。
私には兄が一人、姉が一人居ます。
三番目の私は乳母に任せきりにされ、両親から気にかけてもらえないことが多かったのです。
両親は決して私への愛情がなかったわけではないのでしょうけれど、上の二人がやんちゃで手がかかるからと、それどころではなかったのだと思います。
両親に構ってもらえる兄姉を羨みながらも、私は何も訴えられずに一人ぽつんと過ごしておりました。
そのせいか、私はとても口数の少ない子供に育ってしまったのです。
そんな私の発育に不安を抱いた両親によって、私はアルヴィと出会いました。
彼にも兄が二人居て、私の境遇と同じくアルヴィも放ったらかしにされがちだったようです。
誰か友人でも見繕って宛てがっておけばいいだろうと考えたそれぞれの両親は、屋敷からすぐ通える範囲で身分の近しい私達二人を引き合わせました。
それが当時、五歳の頃だったと記憶しております。
親からの愛情が受けられない寂しさを埋めるように、私達は一緒に過ごすようになりました。
お互い拙い言葉ながら、側に寄り添い続けたのです。
頻繁にどちらかが相手の家に訪問する日々。
そして両親の代わりに、何処へ行くにも護衛が側に控えてくれていました。
私はそんな護衛の騎士を見て「いつも側で守ってくれていて、とても素敵よね」と何気なく言ったようなのです。
その言葉をきっかけに、アルヴィは剣術の稽古に力を入れるようになりました。
貴族令息の嗜みとして剣術の稽古があると、兄の姿を見て知っていた私でしたが、アルヴィは会う度に怪我が増えていき、私は大層心配に思っておりました。
ですが「稽古をしていると、どうしても怪我をしてしまうことはあるからね」と言われ「今は剣術を頑張りたい気持ちがとても強いんだ」と輝くような笑顔を向けられたのです。
そこまで言われてしまっては、止められるはずもありません。
私はアルヴィを応援するため、ハンカチに刺繍の練習をしてみたり、飾り紐を編んでみたりと、不器用ながら必死で彼に贈り物をしました。
そして稽古を始めて数年、剣術の先生から評価されるようになると、彼は騎士を目指すと言い出したのです。
「いつもティアナを守るのが、僕だったらいいな」
私はその時のアルヴィの表情、声、景色の全てを忘れることはないでしょう。
心地よい風が吹き、花びらがふわりと舞う中で紡がれた言葉と、春めいた色が移ったかのように淡く頬を染め、私にはにかむ彼の姿を。
騎士を素敵だなんて言ったことなど、その時の私はすっかり忘れておりました。
だというのに、アルヴィは私の言葉を聞いて剣術の稽古に励み、騎士になりたいと言ってくれたのです。
そんな純粋で真っ直ぐな言葉に、胸を撃ち抜かれない令嬢が居るでしょうか。
私は感極まって泣いてしまい、アルヴィを酷く困らせてしまいました。
その日の記憶は私にとって嬉しいものであると同時に、少し恥ずかしく苦い思い出なのです。
護衛からその報告を受けたフルスティ侯爵様は、その後すぐ私の父に婚約の打診をしたそうです。
それから私達二人は婚約者となりました。
私は内心しょんぼりしながらも、アルヴィの将来のために必要なのだからと、休日に彼が訓練に行くこと自体は納得しておりました。
エスティオ様が実に腹立たしいことこの上なく、周りの令息達ももう少し気遣ってくれれば宜しいのに……と憤る気持ちもあります。
けれど、彼がそうして積み重ねた努力の日々が、いつか私達の将来を照らしてくれるはず……。
ですから私も一人の休日を、いつか騎士になったアルヴィを支えられるようにと、技術や知識を身に付けるための自己研鑽の時間として費やして過ごしていました。
しかし、急展開を迎える出来事が起きたのです。
それはひと月の夏季休暇も越え、入学してから七ヶ月が過ぎ、秋の深まる頃。
クラスメイトのへレディ様から「わたくし、騎士団の見学によく行くのですけれど、フルスティ様が別の女性と一緒に居るところを見たんですの……」と聞かされたのです。
へレディ様は公爵令嬢なのですが、逞しい男性が好きだからと騎士団の方々によく差し入れを送り、見学をなさっている方なのです。
へレディ様からアルヴィの話を聞かされ、令嬢と居たなど寝耳に水の私は、これまでの信頼がガラガラと音を立てて崩れていくような気がしました。
その週、私はこれまで通い続けてきたアルヴィの教室に行くことが出来ませんでした。
きっと騎士団の関係者の令嬢か、同じく見学していた方に声をかけられたか、何か事情があるはずだと……そう思う気持ちの方が勝っているはずなのです。
ですが、行けば「誰と居たの?」と問い詰めてしまいそうで、もしそれで「最近よく会う人で」などと言われたら余計に勘繰ってしまいそうで、私はアルヴィの元へ向かうことが出来ず、その週の終わりを迎えました。
いつも元気にアルヴィの教室へと突撃しに行く私の姿を見ていたクラスメイト達は、苦しそうな私に励ましの声をかけてくださいました。
その声に我慢の限界を迎えてしまった私は、これまでの気持ちを涙ながらに語り、それでも彼を疑うようなことは言いたくないと泣いてしまったのです。
それを見た令嬢達は怒りを顕にし、アルヴィ本人や彼を連れ回す令息達に嫌悪感を抱いたようでした。
次の週、憂鬱な心持ちのまま登校すると、校舎に入る入口でアルヴィが待っていたのです。
何故かその後ろにエスティオ様もいらっしゃり、二人で私の元へとやって来ました。
「ティアナ、先週は教室に来なかったけれど、何か予定があったの?」
アルヴィから何でもなさそうに問われた私は、言葉を詰まらせながら後退りました。
いやに音を立てる心臓を鎮めるべく、胸元をぎゅっと掴みます。
(こんなにも普段と変わらない態度なんだもの。本当にただその時ご令嬢とご一緒だっただけとか、その程度のことだったのよ。なのに、どうして……? それを聞けばいいだけだと頭では分かっているのに、どうしてこんなにも言葉が出てこないの……?)
目を逸らし俯く私を見て、アルヴィは様子がおかしいと気付いたようでした。
「どうしたの? ねぇ、何かあった?」
慌てた声で手を伸ばそうとするアルヴィとの間に、それを見付けた令嬢達が間に割って入ってきました。
へレディ様を含めた、同じ普通科の令嬢達が私を守るように立ちはだかります。
「まぁ、なんだか耳障りな声が聞こえますわね」
「本当に。一体どういうつもりなのかしらねぇ」
「ティアナ様、気にすることはありませんわ。さぁ、わたくし達と教室に行きましょう?」
そう言って、まるで二人を無視して私は連れられていきます。
ちらりと目だけで振り返ると、アルヴィは驚愕しており、その後ろに立つエスティオ様はニタリと嫌な表情を浮かべていました。
突然の出来事に「え!?待って、ティアナ!」とアルヴィは叫んでいましたが、私は振り返ることなく令嬢達と校舎へと入っていきました。
その日から昼休み、放課後の訓練前、アルヴィは何度も私の教室まで来ていたようでした。
けれど、彼が私の元へと辿り着くことはありませんでした。
クラスメイトの多くの令嬢達が「これまでずっと、健気に騎士科に向かうティアナ様を応援していたのですわ! だというのに!!」と憤慨し、私の味方をしてくれたのです。
彼女達は「フルスティ様にお会いになりたい?」と聞いてくださり、その上で「今はまだ……心の整理がつかなくて」と私が言ったため、果敢にアルヴィを追い払ってくれていました。
その週もまたアルヴィの教室に行かず、次の週を迎えました。
クラスメイトの多くの令嬢達はこの休日中に情報収集をしてくれたようで、彼女達の話を聞いた私は驚きの連続でした。
アルヴィと一緒に居たのは、実はエスティオ様の妹だったそうです。
それなら兄と共に騎士団の見学に来て、たまたま居合わせただけだったのかと安心しておりますと、そうではないとへレディ様が顔を横に振りました。
なんでも、エスティオ様の妹はとあるお茶会で「アルヴィ様ってとっても素敵。あんな方に一生側で守っていただきたいわ」と公言していたそうなのです。
まだアカデミーに入学していないエスティオ様の妹は、私達には知られないよう年下達とのお茶会でだけ、そんなことを言い触らしていたと言うのです。
エスティオ様の妹と同じ年頃の妹が居るという、伯爵令嬢のアネルマ様がそう教えてくださいました。
更にその話に追従するように、たまたま私達の会話が聞こえたクラスメイトの令息達が「おい、じゃああの話って……」と言い出しました。
令息達が言うには、いくら騎士科に在籍していたとしても、毎週毎週予定が入ることはないのだそうです。
「騎士科の友人達と普通科の自分達とで街に出かけることもあるし、婚約者の居る人だって居るから、予定はある程度調整していると思うんだ。自宅で自主練習を多少するくらいはあっても、体の休息のために一日自宅でゆっくり休む日もあるはずだよ」
令息達からそう言われ、では私のこの数ヶ月は一体何だったのかと目眩がしました。
毎週アルヴィの所へ行き、断られて帰ってくる私の姿を見て、令息達はアルヴィのことをとてもストイックな人なのだろうと思っていたようなのです。
ですがつい先日、エスティオ様が騎士科の令息に「来週アルヴィに予定を入れてやってくれ」と言っていたのを聞いたのだそうです。
ストイックなアルヴィを面倒見良く誘っているのだろうと考えていた令息達でしたが、この話を聞いて全ての印象が変わったと言い始めました。
それから話を聞き付けた他の令息達も、続々と話に加わってきたのです。
「おかしいと思っていたんだよ。サーレラ嬢があんなにも誘いに行っているのに、いくら騎士科の令息達でも気遣えないような馬鹿な奴ばかりじゃないはずだからさ」
「俺は、キーヴェリ様が『妹の恋を応援してやって欲しい』って言っているのを聞いたぞ。それってサーレラ嬢の存在を分かった上で、わざと二人を遠ざけるように予定を入れさせていたってことか? 彼女に対してあまりにも失礼じゃないか!?」
そうして令息達も怒りの声を上げ始めました。
それをきっかけに、クラスメイト全員が知り得る情報を出し合い、事の全貌を暴き出したのです。
全員の情報から分かったのは、エスティオ様の妹が最初にアルヴィの名前を語り出したのは、もうかれこれ五ヶ月も前ということでした。
入学二ヶ月目の頃であれば、まだアルヴィの予定は週末全て埋まっているような状況ではありませんでした。
クラスメイトの令息達が言うより少し約束が多いくらいの予定量で、まだ私にも時間を作ってくれる余裕がありました。
ですが、三ヶ月経過した頃には、定例のお茶会以外会えなくなってしまいました。
この時既に、エスティオ様の思惑が介入し始めていたのでしょう。
騎士団の見学でエスティオ様に付いて行った妹が、一緒に居合わせたアルヴィを気に入ったそうで、それがきっかけだったようです。
エスティオ様は毎週末必ずアルヴィに予定が入るよう、自分だけでなく騎士科のクラスメイト達にも根回ししていたことも、令息達の見聞きした情報を繋ぎ合わせて察することが出来ました。
「本当に許せませんわ! 婚約者が居ると知りながら、妹の恋を応援するために耳あたりのいい理由を取ってつけて、二人を引き裂こうだなんて!」
「周りの令息達も同罪ですわよ! 毎週フルスティ様の予定を聞きに来るティアナ様を見ていながら、キーヴェリ様に加担するなんてっ」
「流石に許せないな。俺達がもっと早く気付いてあげられていれば……。すまない、サーレラ嬢」
クラスメイト達の怒りは最高潮に達していました。
そこでスッと手を挙げたのは、ご自身の妹から話を聞き出してくれたアネルマ様でした。
「わたくし達は彼らが如何に非道な行動をしたのか、思い知らせてやらねばなりません。身勝手な行為には、それ相応の対応をして然るべきです」
「まぁ、アネルマ! 何か良い策があるというのね?」
へレディ様は嬉々とした表情でアネルマ様へと視線を向けられました。
私はもう自分の力では収拾が出来ない状況に翻弄されながら、ただ話を聞くしかありません。
「わたくしの婚約者は騎士科に属しております。皆様の中にもそういった方がいらっしゃるのではありませんか?」
アネルマ様が視線を動かすと、何人かの令嬢達が「私の婚約者も騎士科ですが」「わたくしもですわ」と声を上げました。
「婚約者と学年の違う方も多いでしょうから、その方には強要は出来ません。ですがわたくしと同様に、もしこの学年の騎士科に婚約者がいらっしゃるのなら、彼からの予定を全てお断りいただき、冷たい態度を取っていただきたいのです」
「えっ!?」
私は驚きのあまり、反射的に声を発していました。
まさか自分達だけではなく、他の婚約者達にまで飛び火してしまうとは思わなかったのです。
他のクラスメイト達も目を丸くしています。
「勿論全員ではないでしょうけれど、彼らはティアナ様を知りながら、クラスメイトの妹という他人の道ならぬ恋路を応援することに加担したのです。わたくしの婚約者は伯爵位ですから、侯爵令息であるキーヴェリ様から頼まれて断れなかったのかもしれませんわ。ですが、ティアナ様を蔑ろにしたことに変わりはありません。そうですわよね、皆様」
「え、えぇ……そうよね」
「数ヶ月もティアナ様を見ていながら、そんなことが出来るだなんて許せませんわ」
アネルマ様は周りからの同意を得ると、しっかりと頷きます。
「もし仮にその件を知らなかったとしても、ティアナ様が居るのにあまりにも誘いすぎではないかと訝しんだり、申し訳なさを感じると思うのです。ティアナ様と同じクラスの婚約者であるわたくしや、他の婚約者であるご令嬢、友人の令息、どなたかに相談することだって出来たはず……。そんな話を聞いた方はいらっしゃいますか?」
その問いかけに令息令嬢達は顔を見合せた後、ゆっくりと首を横に振りました。
「さて、この一件を追及せず、有耶無耶に終わらせたとしましょう。そうなればティアナ様と同じことが、いずれわたくし達の身に起きてもおかしくないということではありませんか?」
「まぁ! なんてことっ」
「でも確かに、そうだよな……。婚約者が居るのを知っていて、それでも他人の恋路に力を貸すような真似をしたり、明らかにティアナ嬢への配慮に欠けていたり、そんな相手を軽んじる行為をしているのに悪いという自覚もないんだろう。もしこのままこの話が何も咎められなければ、いつか誰かが同じような状況に陥る可能性は十分ある」
私はその言葉に、いやいやと首を横に振りました。
こんな苦しく悲しい思いを、他の誰にも感じて欲しくないと、私は手を握りながら顔を歪めます。
「わたくし達の婚約者との今後にも関わるのですから、ティアナ様は何も引け目を感じなくていいんですよ。彼らは自分達の身勝手で人の恋路を応援し、友人であるはずのフルスティ様の婚約者であるティアナ様を蔑ろにしたのです。もし加担していなかったとしても、その異様さを見て見ぬふりはしていたでしょう。わたくし達がそんな婚約者を、人として信用に値しないと突き放し、友人を優先したっておかしくはありません」
アネルマ様の言葉に令嬢達は頷きます。
「その通りですね。私ももし彼がそれに加担しているのだとしたら、絶対に許せません!」
「わたくしもですわ! 彼らが身勝手な行動をしているのですから、こちらも相応の対応をしても文句を言われる筋合いはございませんわよね?」
騎士科に婚約者が居るという令嬢達はアネルマ様に賛同を表し、クラスメイト達は彼女達の言葉に頷いています。
「わたくしの婚約者は学年が二つ上の騎士科に在籍しているのですが、キーヴェリ様や騎士科の令息達のことを許せないとお話ししてみようと思います」
「そうですわねぇ。私の婚約者にも『騎士というのは婚約者を守ってくださる存在ではないのかしら?』と聞いてみましょう。私の婚約者は大真面目な人ですから、大層驚いて話を聞いてくれそうですわぁ」
別の学年に騎士科の婚約者を持つ令嬢達も、別の方向から攻めるような提案を始めました。
婚約者からそんな話を聞かされ、騎士というのはそんな非道な人間なのかと問われれば、先輩方は騎士そのものを汚されたと間違いなく怒ることでしょう。
そこにパンッと軽快な音が鳴り響きました。
音の方向へと視線を向けると、手を鳴らしたのはへレディ様のようでした。
彼女は全体を見渡すように、ぐるりと視線を行き渡らせます。
「カイヴァント公爵家が長女、へレディ・カイヴァントの名で宣言します。貴方達自身が非道な行動をしないこと。これを遵守してくださるのなら、全面的にわたくしが皆様方を支持致しますわ。やるなら徹底的におやりなさい! 自分達がした行いがどういうことか彼らに悔い改めさせ、そして何よりエスティオ様とその妹君がどれほど多くを巻き込んだのか、思い知らせて差し上げましょう!!」
その言葉にクラス中が湧き上がりました。
それでも私は申し訳なさと、これからどうなっていくのかが恐ろしくて、目を伏せることしか出来ずに居ました。
そこへへレディ様やアネルマ様、多くの令嬢達が私の側へ寄ってきました。
「大丈夫ですわ、ティアナ様。エスティオ様がいかに妹と接点を持たせようと試みても、アルヴィ様は当たり障りない会話しかされていなかったようですから」
「そうです。いくら周りが外堀を埋めようとしても、ティアナ様とフルスティ様との縁や仲睦まじさが失われるわけではありませんから、どうか心を強く持ってくださいね」
そう言われ、私は久々に笑顔を浮かべました。
まだ気持ちの整理はつきませんが、もし全ての話が事実であるのなら、アルヴィの意志とは関係なく拗れてしまった現状があるのかもしれない……。
そう思えるようになっていきました。
これまで毎週末必ず教室に押しかけていた私が、二週続けて騎士科を訪れなかった件は、どうやら騎士科のクラスでも気にされていたようです。
アルヴィは私と会えないせいか、見るからに憔悴していたとクラスメイトから聞きました。
けれど私は心配する気持ちをぐっと堪え、もう一週そのまま過ごすことにしたのです。
もう二度とこんな愚かな諍いが起きないようにするためには、同じような想いをする令嬢を生まないためには、どうすればいいだろうか――。
私はそう考え続けておりました。
その週は、アカデミー全体がピリピリとした空気に包まれることになりました。
週の初め、一学年の騎士科に在籍する令息が、私のクラスメイトである婚約者の令嬢に「一緒に昼食でもどうか」と誘いに来ました。
しかし、彼女は昼食の誘いだけでなく今後の予定もつっけんどんにあしらい、彼を放置して立ち去って行きます。
何が何だか分からない令息は、何か怒らせるようなことをしただろうかと、かなり困惑していたようでした。
それを皮切りに、同じような対応をする令嬢達が現れ始め、令息達は憤慨したり焦燥したりしていました。
また、騎士科の先輩に婚約者を持つ令嬢達が、私の名を伏せながら今回の件を話したそうです。
騎士とはそんな人達なのかと問われた婚約者は、顔を青くしながら否定し、何処のどいつだとお怒りになられたと聞きました。
クラスメイトの令息達も、仲良くしていた騎士科の令息達を見付けると、訝しむような視線を向けてそそくさと立ち去り、距離を置くようにしているようです。
そのようにして、一学年の騎士科生徒はアカデミー内でどんどんと立場を悪くしていったようでした。
そうして各所で波紋は広まっていき、事態が噂されるようになりました。
『親族の恋路を応援するため、婚約関係にある令息令嬢の関係に割って入るような、愚かな真似をしている一学年の騎士科の令息が居る。そしてそのクラスの何人もが、その愚かな令息を支持しているらしい』
その話は瞬く間にアカデミー全体で囁かれるようになったのです。
まるでその話を知らず、エスティオ様に加担していなかった令息達は、方々に自分達は無関係だと弁明を始められました。
その令息達はアルヴィを誘っていた令息達の名を上げ、主に彼らが協力者に違いないと、情報を提供したそうです。
そんな彼らはこちらにもその情報を共有しに来てくれた上で、私に「申し訳ない」と頭を下げられました。
無関係であるはずなのに謝罪された私は驚いて「どうか頭をお上げください!」と慌ててしまいました。
けれど、彼らはずっと頭を下げておられました。
「彼らがそんな愚行をしていたなんて思いもしませんでした。彼らはいつも一緒に訓練をしていて仲が良く、だから週末も純粋に練習に励んでいるのだとばかり……。サーレラ嬢は非常に不快な想いをされたことでしょう。
クラスメイトとして気付くことが出来ず、大変申し訳なかった」
そう真摯に謝られ、私は騎士の正しい在り方を見た気がしました。
「私はここにいらっしゃる方々を許します。騎士として、いち令息として、そのように謝罪してくださってありがとうございます。ですが、どうか気に病まないでくださいませ。その真っ直ぐな姿勢のまま、立派な騎士になってくださいね」
私がそう言うと、彼らはくしゃりと顔を歪めながら、再び一礼して去っていきました。
きっと彼らのクラスはこれからギクシャクするに違いありません。
ですがきっと、正しい方向へと導いてくださる……。
そう信じてその背中を見送りました。
再び週末を迎える前日、校舎に入る前の入口で待っていたアルヴィは、あの日とは違い、今度は一人で私の元へやって来ました。
きっと噂を聞き、私達のことだと気が付いたのでしょう。
ですが、彼は私に近付くことは出来ません。
今日も私は、令嬢達の背に庇われていました。
その壁の向こうから私の婚約者であるアルヴィが、悲痛な表情を浮かべてこちらを見ております。
その顔は見るからに憔悴しており、目の下には隈が出来ていましたが、私はアルヴィから向けられる視線を避けるよう、顔を逸らし俯きました。
「お願いだよ、ティアナと話をさせて欲しいんだ」
「お断りしますわ」
「今更なんだと言うのかしら」
「全くですわぁ。さぁティアナ様、こちらに」
アルヴィと私との間には、間違いなく亀裂が入っているように見えるでしょう。
そうして私は令嬢達に導かれるまま、彼に背を向けました。
後ろで「待って、ティアナ!!」と必死に私を呼ぶ声がします。
けれど私は振り返ることなく、その場を後にしました。
(胸が痛い……。けれど、今はまだ……。今、アルヴィの元に駆け寄っては、全てが台無しになってしまう。もう二度とこんなことが起きないように、全てを明らかにしてからでなければ。――待っていて、アルヴィ。エスティオ様の思惑から、絶対貴方を取り戻してみせるから……っ!!)
私は胸を押さえ涙を堪えながら、令嬢達と共に普通科の教室へと足早に向かいました。
胸元を掴む手のように、固く強い意志を抱いて。
エスティオ様に加担していなかった騎士科の令息達は、時折共有のため話を伝えに来てくれました。
話を聞けば聞くほど、アルヴィは純粋に訓練に励み、騎士団に赴いては真っ直ぐその剣技を見学し、己を磨いていたのだと知ることが出来ました。
エスティオ様は外堀を埋めつつ私との時間を奪い、その間に妹と近付けさせる算段を立てていたのでしょう。
しかしその思惑は中々上手くいきませんでした。
アルヴィは私と会う時間が減っても余所見をせず、私と過ごす以外の時間は実直に騎士になるための日々を過ごしていたようでした。
ですからその話を聞いた私は、すぐにでもアルヴィを抱き締めに行きたかったのです。
ですが、この一件がどれだけの人に影響を与え、多くの令息令嬢達の今後に関わるのか、身に染みて感じたのです。
恋路を応援する――その言葉だけを見れば、とても聞こえがよく素晴らしいことのように思えます。
けれど、その相手に決まった方はいないのか。
人として不義理や非道な行いに加担していないのか。
良くない行為だと分かっていても、それを許すような人柄なのか――。
相手の為人を暴くには、とても良い機会だったと言えました。
一学年の騎士科に在籍し、その件に加担していた令息達は、噂を聞いて自分達がどんなことをしていたのか、漸く気付いたようでした。
私のクラスに婚約者の居る騎士科の令息達は、昼食前に揃って婚約者の令嬢達に謝罪をしに来たのです。
けれど彼女達は更に怒りを顕にしました。
その先頭に立っていたのはアネルマ様でした。
「わたくし達を呼び出して謝罪をする前に、先に謝るべき方が居るのではなくて!? それすらも分からないような方だったなんて、心底見損ないましたわ!!」
見事な平手打ちの後、アネルマ様はそう言い放ちました。
それからアネルマ様は取り付く島もなく、婚約者の令息を置き去りにして食堂へと向かって行かれました。
その他の令嬢達も嫌悪感を隠すことなく、婚約者の令息達を睨み付けて各々去っていきます。
真っ赤な手形を頬に散らしたまま、アネルマ様の婚約者は肩を下げて教室へと戻って行かれ、他の令息達もその後を追うように駆けていきました。
恐らく何組かの婚約は解消されるでしょう。
私は胸を痛めましたが、けれど彼女達に言われたのです。
「きちんと反省が出来る方なら、わたくし達は許します。けれど自分の保身しか考えず、碌な謝罪も出来ないような人なのであれば、さっさと婚約を解消して新しい方との縁を結んだ方が、家のためにも、そしてわたくし自身のためにも良いのです」
そう言われると、確かにそうかもしれないと私は頷きました。
無関係であるのに謝罪してくれた令息達のように、真摯な態度が見て取れるのであれば、彼女達の思う今後の憂いも払えたでしょう。
しかし、己が婚約者に許されることだけを優先した彼らは、また何かが起きた時、本質を理解せずに自己都合で同じようなことを繰り返すかもしれません。
そう考えれば、私を守ってくれた友人達を、そんな方々と婚約させたいとは思えませんでした。
私はこの数週間で、多くの人達の人柄に触れました。
その方々から多くを学び、自分自身の心とも向き合い続けました。
そして何より、朝に見た辛そうなアルヴィの顔を思い出し、へレディ様にある相談を持ちかけたのです。
「いいじゃない。舞台は整えて差し上げますから、コテンパンにしておやりなさいな」
へレディ様はそう言うと、ニタリと意地悪く笑われました。
私は「ありがとうございます!」と伝え帰宅し、その準備をすべく週末を迎えました。
週が明け、私はいつも通りに登校し、校舎入口を通り過ぎました。
左右に視線を向けるも、そこに想う姿はありませんでした。
――アルヴィは、あの日の朝から姿を見ていません。
きっと私を怒らせてしまったと、嫌われてしまったと、誤解をさせていることでしょう。
彼がどのような気持ちでこの数週間を過ごしていたのか、それを考えるだけで胸が張り裂けそうなほど痛みます。
しかし、私がこの一件を安易に許したように見えてしまっては、次に似たような事件が起きた時、同じように軽く許されるものと令息達に思われかねません。
私はぐっと拳を握り締め、教室へと向かいました。
教室に入ると、へレディ様が私を見て一度頷かれました。
私はそれで察し、席に座って授業開始を待ちました。
暫くして教室に入ってきた担任の先生が「今日は授業ではなく、講堂に集合するように」と言われました。
私は手に包みを持ち、立ち上がります。
その時、へレディ様から軽く肩を叩かれ「楽しみにしておりますわよ」と言われました。
私はその言葉に勇気付けられ、講堂へと向かいました。
講堂には全生徒が集合していました。
突然授業が取り止められ集められた生徒達は、何故だろうと囁き合っています。
その中で一学年の騎士科の生徒達は、多くの先輩方から嘲笑や侮蔑のような視線を向けられており、居心地悪そうに顔を伏せているようでした。
その中に窶れた顔でありながら、真っ直ぐ前を向いて立つアルヴィの姿を見付けました。
私達一学年の普通科生徒は、一学年騎士科と二学年騎士科に挟まれるよう、間に整列します。
アルヴィは普通科が入ってきたと気付いてこちらを向き、私を見付けると泣きそうな表情を浮かべていました。
その口は小さく「ティアナ」と呟いているようでした。
私は鼻の先がツンとして、目元が熱くなっていくのが分かります。
けれど、今泣くわけにはいきません。
アルヴィにこれまで与えてしまった不安を少しでも払拭すべく、彼に向かって精一杯の微笑みを返します。
そして目を見開くアルヴィの横を通り過ぎ、私は前へと歩いていきました。
暫くして壇上に立たれたのは、三学年のオルシアン・ユリハルシラ第二王子殿下でした。
そして殿下はへレディ様の婚約者でもあり、この機会を作ってくださったのでしょう。
演台に設置されたマイクに向かって、殿下は話し始めました。
「授業を取り止めてもらい、全員に集まってもらったのは他でもない。昨今噂になっている件により、アカデミー内の秩序の乱れをみなも感じていることだろう。無関係である者達にも、嫌な視線が向くような事態になり始めていると聞いている。このアカデミー全体が疑心暗鬼に陥る前に、件の収拾をしたいと集ってもらったのだ」
その言葉に、ザワリと空気が揺れました。
私は顔を上げ、真っ直ぐに壇上の殿下を見つめます。
「さて、この舞台に三人の人間を招きたいと思う。名を読み上げられた者は速やかにここへ上がってきて欲しい。まずは――一学年普通科所属、ティアナ・サーレラ伯爵令嬢」
名を呼ばれた瞬間、クラスメイト達の視線が一斉に私へと向きました。
それに釣られるように、左右に並ぶ騎士科の令息達の視線も私に集まります。
「大丈夫?」「一体これは……?」
そう心配してくれるクラスメイト達に「大丈夫です。どうか見ていてください」と伝え、私は姿勢を正して壇上へと歩き始めました。
「次に、一学年騎士科所属アルヴィ・フルスティ侯爵令息。同じく、一学年騎士科所属、エスティオ・キーヴェリ侯爵令息」
呼ばれた二人もまた私に続くように歩き始めたようです。
先輩方からは二人の名前が呼ばれた後「あれが噂の……」などの囁き声が広がっていきます。
壇上に上がると、殿下は私を見て「話は聞いている。上手くやりたまえ」と小声で言われました。
多くの感謝を述べたかったのですが、あまり長く話してしまうと、私と彼ら二人が平等に呼ばれたように見えなくなってしまいます。
私は「ありがとう存じます」とそれだけを伝え、指示された位置に向かいます。
私は一学年が並ぶ位置に近いところに立ち、向かい合うようにエスティオ様が高学年からよく見える位置に立たれました。
エスティオ様は明らかに顔色が悪い様子です。
その中間、演台から離れた位置にアルヴィは立っています。
これから何が起こるのかと、心配そうにこちらを見つめているようでした。
殿下は演台を従者に撤去させると、乗せられていたマイクだけを掴み、話し始めました。
「さて、まずは流れている噂の真偽を確かめよう。 『親族の恋路を応援するため、婚約関係にある令息令嬢の関係に割って入るような、愚かな真似をしている一学年の騎士科の令息が居る。そしてそのクラスの何人もが、その愚かな令息を支持しているらしい』 こういった話が出回っていて、それがフルスティ侯爵令息とサーレラ伯爵令嬢、そこにキーヴェリ侯爵令息が割って入っていると聞き及んでいる」
殿下が一度言葉を区切ると、生徒達は静かに頷きました。
多くの生徒に広まっていることを確認した殿下もまた頷き、言葉の続きを語られます。
「だが、噂は噂である可能性もある。これが根も葉もない噂であるのなら、キーヴェリ侯爵令息にとっても不名誉なことだろう。さぁ、どうだろうか?」
殿下が問いかけたタイミングで、再び殿下の従者が舞台袖から現れました。
その手には三本のマイクが持たれ、私、アルヴィ、そしてエスティオ様へと配っていきます。
マイクを手にしたエスティオ様は、キッと私を睨みます。
「殿下、この噂は全て言いがかりです!」
「ほう、そうなのか?」
「えぇ。全くもって許し難い噂です! 私はただ親しみを込めてアルヴィを訓練に誘っていただけであり、クラスメイトの令息達も同じでした。だというのに、こんなにも話を大きくしたのは――そこのサーレラ嬢のせいです!!」
エスティオ様はそう言って私を指差しました。
その言動には全く反省の色が見えず、それどころか私を悪者にするような発言をし始めました。
「そもそも騎士科生徒が、自主練習や休日訓練をするなど普通ではありませんか。それなのに毎週毎週アルヴィの予定を聞きに来て、それで断られたからと不貞腐れてこんな噂を流すなんて。不愉快極まりない! 侯爵家として抗議したっていいんだぞ!!」
「エスティオ! 何を言うんだ!!」
「アルヴィだって、毎週サーレラ嬢に断りを入れることが苦しいと言っていただろう? お前だって煩わしかったんじゃないのか!?」
エスティオ様の言葉に私は目を見開き、アルヴィを見ました。
まさかそんな風に思っていたなんて……と、私が心を痛めるよりも先に、アルヴィがエスティオ様に近付いてその胸倉を掴みました。
普段温厚なアルヴィが吠えるような声で叫びます。
「ふざけるな!! 僕が苦しく思っていたのは、断ることに辟易としていたからじゃない! わざわざ予定を聞きに来てくれるティアナに、悲しませることを伝えなければならないから申し訳なかっただけだ!! ティアナを煩わしいなんて思ったことは一度だってない。僕の気持ちを勝手に語らないでくれ!!」
私はエスティオ様から言われた言葉など全て掻き消され、アルヴィの言葉に胸を打たれました。
エスティオ様はまさかアルヴィがそこまで怒るとは予想していなかったのでしょう。
「アルヴィ……?」と後退り、掴み上げられた顔はみるみる苦しそうに変貌していきます。
殿下が「どうどう」と言葉で割って入ったことで、アルヴィはその手を離しました。
そしてそのまま真っ直ぐ私の側まで歩いてきました。
彼は私の足元に跪くと、見上げるように私を見つめてきます。
「僕はこれまでも、これからも、ティアナ以外には考えていないよ。教室に訪ねてくれる、たった短いその時間でさえ愛おしくて、週末鍛錬に励む僕を気遣ってくれたり励ましてくれるその時間が、とてもかけがえのないものだったんだよ」
アルヴィは瞳を潤ませて、そう言い募ります。
私は少し屈んで声を拾われないよう、アルヴィのマイクを下げさせました。
そして私もマイクを遠くに離し、
「分かっているわ。私もアルヴィ以外には考えられないもの。だからもう少しだけ付き合ってくれないかしら?」
と言うと、アルヴィはきょとんと目を丸くしました。
まさかこれが私の思惑など考えていなかったのだろうと見て取れます。
私達の声が聞こえなかったために「二人は何を話しているんだ?」と会場がザワつき始めました。
私はアルヴィに元の位置に戻るように言うと、彼は放心した状態で離れていきます。
見ていた生徒達はアルヴィの言葉を聞いていたため「まさかフラれたのでは?」という声が聞こえてきます。
私はマイクを手に「皆様、少しお話をしても宜しいでしょうか?」と声を発しました。
途端に講堂がシンと静まり返ります。
「私はこの数ヶ月、アルヴィの予定を聞くため、毎週末一学年の騎士科の教室まで訪ねておりました。始めの二ヶ月くらいは休日の半分より少し多いくらいの予定が入り、クラスメイトとの訓練や騎士団の見学に行くと伺っていました。ですが三ヶ月を過ぎた頃から、月に一度のお茶会でしか会えないほど、アルヴィはクラスメイトとの予定で埋まるようになったのです」
あの頃を思い返すように少し俯きながら話すと、そこかしこから「月一回だけ?」「そんなに休みって取れないものなの?」と聞こえてきました。
私はその声の後、先輩方へと視線を向けました。
「そこで、二学年や三学年の先輩方にお伺い致します。騎士科に所属する方々は、月に八日から十日ほどあるはずの休日で、たった一日しか婚約者に時間が割けないほど、休日に予定が埋まるものなのでしょうか?」
私がそう尋ねると、二学年、三学年の騎士科の令息達はこぞって首を横に振ります。
「アークラ、話をしてもらっていいか?」
殿下は三学年の騎士科で、最前列に立っていた生徒を指名されました。
すかさず従者がマイクを渡しに向かわれます。
「勿論です、殿下。私は三学年騎士科在籍のアークラ伯爵家が四男、マウリ・アークラといいます。先程のサーレラ嬢の質問に答えるのであれば、答えは間違いなく否です」
アークラ様はきっぱりと否定なさいました。
先輩方を見ながら、目だけでエスティオ様をちらりと伺うと、唇を噛んで顔を歪めていらっしゃいます。
「私は週末二日ある内の一日は、短くとも少しでも婚約者との時間を作れるよう心がけています。そういった日でも自宅で朝に軽度な運動をし、昼間婚約者と過ごし、夜にも鍛錬を行うことは十分出来ますからね。どうしても二日続けて予定を入れたい時は、彼女に断りを入れるか、夕食だけでも共に出来ないかと都合を聞きに行きます。私は毎週末、二日の内どちらかは婚約者との時間を作れるようにしていますが、少なくとも二週間に一度くらいなら、体の休息のためにも時間を作れておかしくありません」
アークラ様の言葉に、学年問わず多くの騎士科の生徒達が頷きました。
普通科の生徒からも「婚約者に会う時間が全く作れないほど休日にも訓練していたら倒れてしまうわよね」「息抜きは必要だよな」という声が上がります。
「そもそも婚約者の居るクラスメイトを誘う際は、そちらとの予定が問題ないか配慮をするのが普通です。サーレラ嬢が居るのを知った上で、しかも毎週予定を伺いに来ている姿を見ていながら、みっちりと予定が埋まるような誘い方をしているのなら、それは非常識と言えるでしょう。気遣いが全く出来ておらず、配慮に欠けているのは明白です」
アークラ様の言葉を聞いて、一同はエスティオ様へと視線を向けられました。
たじろぐ彼を尻目に、私はアークラ様に感謝を述べます。
「アークラ様、わざわざお話しくださりありがとうございました」
「いえ、私の話がお役に立てたなら光栄です」
私とアークラ様は会釈するようにお互い頭を下げます。
そしてその後、私はひたりとエスティオ様を見据えました。
「今のアークラ様のお話の通り、毎週末に予定が入るのは非常識なのだそうです。それはエスティオ様と同じクラスの、この件に関わっていらっしゃらない方々が同じように仰っておりましたが、アークラ様からも同様のお話を聞けて信憑性が増しました。やはり皆様方の誘い方が配慮に欠けるものだったというのは、疑いようのない事実のようですね」
エスティオ様は私の言葉に負けじと言い返してきました。
「だ、だったら何だ! 確かに行き過ぎた誘い方をしていたのかもしれないが、それとこれとは話が別だ! 私は騎士としての今後のためにアルヴィを誘っていただけであって、君達の仲を引き裂くために無理やり予定を入れていたわけではないっ!!」
そう言ってエスティオ様は憎々しげにこちらを睨み付けてきます。
よくもそんな態度が取れたものだと、私は少し溜息を吐いてしまいました。
そして嫌悪感を隠すことなく、クラスメイトの方々から得た情報を明かします。
「私のクラスメイト達が多くの情報を集めてくれました。エスティオ様はそうして否定なさいますが、他の学年の方々にも調べてもらえば、すぐに分かることです。それでもまだ否定をされるつもりですか?」
「な、なにを……」
「エスティオ様が『アルヴィを誘え』と声をかけていた騎士科の令息達から話を聞くことも出来るでしょうし、そのやり取りをたまたま聞いていた方もいらっしゃるでしょう。それに、まだ入学されていない令息令嬢がいらっしゃるご家庭であれば、誰がお茶会でどんな話をしていたかを聞くことなど、容易ではありませんか?」
その言葉で気付いたのか、エスティオ様はハッとした表情を浮かべられました。
アルヴィの予定を埋めるように声をかけていた令息達には、エスティオ様自ら口止めすれば良かったのでしょう。
ですがそれを聞いていた方々や、彼の妹がお茶会で語っていた内容を知る者達全てを黙らせることは、いくら彼が侯爵令息であろうとも簡単ではありません。
既にアネルマ様の妹から話が回り、その話を聞いたという他の年若い令嬢達からの裏取り、エスティオ様の妹がそう言い触らしていたお茶会の場所や日付など、しっかりと記録させていただいています。
「既に学内だけではなく、そのお茶会に参加していた令嬢達の間でも話は広まり始めています。実際に見聞きした方がいらっしゃるのに、その全てが嘘だと、そう仰るおつもりですか?」
「…………っ」
エスティオ様はみるみる顔が青くなっていき、こちらを見ることが出来ないのか、徐々に顔が俯いていきます。
どうやらもう反論出来ないようです。
「私はアルヴィの婚約者です。いつか騎士になる彼を支える、そんな妻になるのです。エスティオ様の妹がどのような方か存じませんが、私は誰に何と言われても、私がこの世で一番アルヴィを想っていると断言出来ます」
そう言って床に置いていた包みを開き、私はたった一歩ですが大きく踏み出し、エスティオ様に迫ります。
そして手にしたそれらを散らすように撒きました。
多くの紙が宙を舞います。
その内の何枚かは壇上より下にヒラヒラと飛んでいきました。
手前の生徒はそれを拾い上げ「……これ、凄くないか?」と周囲に見せ始めました。
それはこの何年もの間、アルヴィと共に生きていく未来を想って、私が学び続けてきた全てを記録してきた紙の束でした。
――厳密には私含め、屋敷の者達総出でこの週末に複写させたもののため、原本ではない上にこれでも一部ではあるのですが。
「傷んだ服をすぐに繕えるよう、裁縫や刺繍を。健康や体型を維持するための食材の知識や栄養学。体の疲労回復に役立つマッサージやリラクゼーション。そこから更に体の臓器や筋肉の仕組み、そして応急処置や治療支援など、これまで多くを学んできました。いつかアルヴィの身に何かがあった時、私が側で支えられるように……そう思って生きてきたのです」
私はチラリとアルヴィへ視線を向けました。
今はどんな勉強をしているのか――アルヴィと過ごす時間で、私は嬉々としてそれを話していました。
ですからそれを知るアルヴィは、殊更柔らかな表情で愛おしそうに私を見つめています。
「彼の見た目なのか優しさなのか、何に惹かれたのかは知りません。アルヴィは私の自慢の婚約者ですから、彼の魅力に気付く方が一人や二人居てもおかしくはないでしょう。ですが、騎士を目指すアルヴィの婚約者として宣言します。彼の隣に立ちたいと望むのなら、姑息な手段を使わず正々堂々私を越えてから言いなさい! 受けて立ちます!!」
私が声を荒げると、講堂の生徒達はワッと湧き上がり、囃す声や拍手で溢れました。
怒りなのか羞恥なのか、エスティオ様はふるふると体を震わせながら顔を赤らめておられます。
眉間に皺が寄り、その口が動き始めたと思った時にはもう、彼は私の目前に迫っていました。
「お前さえ居なければっ!!」
振り上がる拳はスローモーションのように見えました。
私のような小さな体でこの拳を受けたなら、果たしてどれほどの怪我を負うのだろうか、怪我だけで済むのだろうか……と、息を飲みながらぼんやりと考えておりました。
ですが、私にその手が届くことはありませんでした。
その拳を掌で掴むアルヴィが、私を庇うように前に立っていました。
そして拳を掴んだ反対の手で、思い切りエスティオ様の頬を殴り付けたのです。
アルヴィの拳を諸に受けたエスティオ様は吹き飛び、元々立っていた場所あたりで倒れていました。
それは一瞬の出来事でした。
生徒達は今まさに本物の舞台でも見ているかのように、息を飲んで私達を見守っています。
エスティオ様は上半身を起こし、悲しそうな顔をアルヴィに向けていました。
「ア、アルヴィ……ッ」
「僕は今回の噂を聞いて、ティアナに悲しい思いをさせてしまったことは心から申し訳ないと思った。それでも、みんなから誘われて訓練した日々の全てを否定するつもりはなかったんだ。僕に声をかけてくれて本当に嬉しかったし、訓練や騎士団の見学に行っていたことは嘘じゃない。君達の思惑は別として、一緒に励んだ日々まで偽りだったのではと周りから疑われるのなら、それは逆に否定するつもりだったんだ。君達と騎士を目指し、充実した時間を過ごしていたと、そう言うつもりだった」
私からはアルヴィの顔は見えません。
しかしその声から彼がどんな表情をしているのか、目に浮かぶようでした。
怒りではなく悔しさや悲しさの滲んだ声に、私は涙がせり上がってきました。
「それなのに、お前の言動はどうだ!? 自分の立場が危うくなりそうだからと、家の肩書きを笠に着てティアナを侮辱し、こんな小さな僕の婚約者に殴りかかるなんて……っ! 騎士の風上にも置けない行為だ!! エスティオ・キーヴェリ! 僕はお前を絶対に許さないっ!!」
その咆哮に、誰もが身を竦めています。
直接それを当てられたエスティオ様は、アルヴィにそこまで言わせたことで心が折れたのか、がくりと項垂れました。
もう動く気力もない様子に、私は漸くこの姑息な策士との角逐が終息したのだと、そう感じられました。
エスティオ様にもう興味はないと言わんばかりにアルヴィはこちらを向き、私の頬に手を添え、視線を合わせるように覗き込んできました。
「怪我はない? 心は辛くない……? 僕は……全然気付けなくて、きっと、これまで沢山悲しい思いや我慢を、君に……ッ」
さっきまでの勇ましさはそこにはなく、アルヴィは今にも泣き出しそうな表情で声を震わせていました。
私は背伸びをして、その首に腕を絡めます。
「守ってくれてありがとう、アルヴィ」
そう言って頭を擦り寄せると、力強く抱き締められました。
感極まって言葉が出てこないのか「ティアナ……ティアナッ」とずっと名前を呼び続ける彼の頭を、私は優しく撫で続けていました。
それから――。
殿下だけでなく教師達にも個別に呼び出されたエスティオ様は「今度こそ嘘偽りなく全てを話せ」と睨まれ、観念して全てを語られました。
後日、私とアルヴィは当事者だからと、殿下からエスティオ様の供述を聞かせていただきました。
エスティオ様は、騎士になりたいと愚直に努力するアルヴィを、友人として心から尊敬し慕っていたそうです。
訓練の時間を大切にしているアルヴィに、毎週末予定を聞きに来る私の存在は彼にとって目障りだったのでしょう。
アルヴィが私との時間ではなく、騎士としての時間を優先出来るようにと、ありがた迷惑かつ身勝手な考えでアルヴィを訓練に誘っていたと聞かされました。
その上、彼の妹がアルヴィを気に入ったことで、私との婚約が解消されれば尊敬するアルヴィが義弟となり、彼と家族になれると思い至ったようで、私達の婚約を解消させる目論見が始まったのだそうです。
私よりも侯爵令嬢である妹の方がいいに決まっていると言ったり、妹の相手としてもアルヴィなら安心だなどと、エスティオ様は自暴自棄になって好き勝手に喚いたようで、それを聞かされたアルヴィの顔はどんどんと顰めっ面になっていきました。
結果としてクラスメイトの令息達も巻き込み、私を追い返すために予定を埋め続けたのだそうです。
授業を取り止め、全生徒を集める事態にも発展したとして「それ相応の処罰は覚悟してもらう」と言われ、殿下や教師達はエスティオ様に一時停学の処分をされました。
今回の一件、問題解決に名乗りを上げたのが第二王子殿下だった手前、エスティオ様は殿下の御前で嘘偽りを述べたとすぐさま広まっていきました。
そのため、暫くして彼は自主退学し、領地にて監視されることが決まったそうです。
またエスティオ様の妹であるご令嬢も、婚約者のいる令息の名を言いふらし、兄に頼んで横槍を入れさせていたと広まってしまい、上位貴族の令嬢にも関わらず爪弾きにあっているようです。
可哀想に思う気持ちもありますが、こればかりは身から出た錆としか言いようがありません。
予定では私達が最高学年になる頃、そのご令嬢が入学してくる頃合だと思いますが、恐らくそれをアルヴィ然り、フルスティ侯爵様もお許しにはならないでしょう。
しかもご令嬢は「デタラメだわ!」とエスティオ様のように否定されたそうです。
そのため、私の父であるサーレラ伯爵やフルスティ侯爵様、更にはへレディ様のお家のカイヴァント公爵様も力添えくださり、多くの証言を突き付けられました。
そうして追い詰められ、言い逃れが出来ないと分かると「たかが伯爵令嬢より、わたくしの方がアルヴィ様にふさわしいに決まっているじゃない!」と悪態を吐いたと聞き、私もアルヴィも眉間に皺を寄せました。
キーヴェリ侯爵様は反省の色を見せない娘の様子を見て、エスティオ様同様、領地送りにする方向で動いていらっしゃるそうです。
また、一学年の騎士科に婚約者を持つアネルマ様やその他のご令嬢達は、ほとんどどころか全員婚約を解消されることになさったそうです。
理由としては、何よりもエスティオ様に加担し、婚約者である私を蔑ろにするような騎士にあるまじき行為をしたという点が多かったのですが、中には
「ティアナ様が騎士の妻になるため積み重ねられた日々を聞いて、わたくしも同じように彼のために努力したいと思えるかと考えましたの。けれど、あのようなことをなさる方を献身的に支えるだなんて、わたくしには無理ですわ」
と、どうやら私と同じように出来るだろうかと考えられた方も多かったようです。
そのため全員婚約を解消され、私とアルヴィのようにお互いが尽くし合えるような方と結ばれるべく、新たな相手を探すとのことでした。
アネルマ様は「婚約者がいらっしゃるから、大きな声で言ってしまうと今回のことのようになってしまい兼ねませんが、あの日殿下に指名されて堂々と発言されていたアークラ様のように、婚約者のことを大切に考えてくださるような方と結ばれたいですね」と仰っていらっしゃいました。
するとその数日後、二学年の騎士科に在籍されているアークラ様の弟であるデリス・アークラ伯爵令息とアネルマ様がお見合いのような顔合わせをされることになったと聞き、また他のご令嬢達は、どうやらあの時エスティオ様に加担していなかった真摯な令息達と親しくなったようです。
アネルマ様からそういった話を聞いている時、ふと視界に入ったへレディ様と目が合いました。
したり顔を浮かべている表情を見て、どうやらまた裏で彼女が手を回されたのでしょうと、私はくすりと笑ってしまいました。
「ティアナ様、今週は何のお勉強をなさるの?」
「そうですね……。そろそろ私自身で簡単な薬が作れるようになれないかと考えておりましたので、次は薬学を学びたいと思っておりますの」
「まぁ、薬学?そんな専門的なことまで学ばれるのですか?」
「本当に勤勉で素敵ですわ!わたくしもティアナ様みたいに想ってくださる相手と結ばれたいです」
「うふふっ!あの一件以来、ティアナ様は可愛く勇ましい令嬢として注目の的ですものねぇ!」
「……お恥ずかしい限りです」
そうなのです。
私が壇上でエスティオ様に宣戦布告した姿を、多くの方は好意的に受け取ってくださったようで、学年問わず令息令嬢達に影響を与えたのだそうです。
へレディ様が面白がって『ティアナファンクラブ』なるものを作ったところ、想像以上に人が集まっていると聞かされ、私はそれ以上は触れまいと耳を塞ぎました。
「わたくし、是非ともティアナ様とお勉強したいですわ!」
「私も、その姿勢を学ばせてください!」
今日もこうして令嬢達に掴まり、校舎の入口目前で苦笑しながらどうしたものかと頭を悩ませていると、私の後ろを見た令嬢達が突然きゃあきゃあと黄色い声を上げ始めました。
何事かと後ろを振り返る頃には、私はアルヴィの腕の中にいました。
公衆の面前で抱き締められてしまったのです。
「あ、アルヴィ!?」
「妬けちゃうな。君は半年以上もずっとこんな気持ちだったの?はぁ……、こんなにも人気になってしまって」
私の悲鳴を無視して、アルヴィはぎゅうぎゅうと私を抱き締めます。
そして言われた言葉がまさかのそれで、私は笑ってしまいました。
「婚約者が人気だと貴方はつらいかしら?」
私が腕の中で見上げながら意地悪くそう問いかけると、アルヴィは目を瞬いた後に柔らかく微笑みました。
「ははっ、妬けちゃうけど最高に嬉しいよ。なにせ、僕の自慢の婚約者様だからね」
その言葉に周りの令嬢達は、更に悲鳴のような声で私達を羨み褒めそやします。
そんな中、私達は寄り添って校舎に入り、それぞれ別々の教室へ向かうために分かれます。
あの件があってからも、アルヴィは変わらず休日にも訓練に出る日々を続けており、会える時間は差程増えてはおりません。
それでも先輩方から教えていただいたように、夕食だけ一緒に食べる日や、私もアルヴィと一緒に騎士団の見学に行くなどして、お互い一緒に居られる時間を作るようになりました。
ですから、もう私達を引き裂こうとする愚かな人達は居ないでしょう。
それに教室が違っても、放課後や休日に会えなくても、誰かが私達の邪魔をしようとしても……私はアルヴィを、アルヴィは私を、常に想って行動しているのだと実感出来ました。
「ティアナのために、立派な騎士になりたいから」
「アルヴィのために、素敵な騎士の妻でありたいから」
だからもう、怖いものなんて何もありません。
私の婚約者が人気でも、大いに結構です。
だって、彼を心から支えられる人間は私以外には居ないと、今なら胸を張って言えますから!!