婚約破棄:アンジェの場合⑤
アンジェの意識は戻ったようだった。
一人彼女達を見守る母親は涙を拭うこともせず二人を見守っていた。
(本当にこれで良かったのだろうか?
アンジェにとってあまりにも酷いことが起こった。
そしてこれからアンジェに起こることは救いようがないことだ。
だから、さっきまでは、意識は戻らない方が良いと思った。
今も、あの少女でもあれほどの高額のお金が準備できるとは思えない。
本当は助ける方法なんてないかもしれない。
だのに、なぜかあの少女を信じてしまった。
少女の目が真剣だった。
そうだ、助けたいという少女の真剣な眼差しがあった。
そして今アンジェを正気に戻すほどの真剣さが伝わってくる。
あの少女は本当にアンジェを助けようとしていた。
私はアンジェを貶めることに加担した。
そして、最後は抱きしめるしかできなかったのに・・・
あの少女は本当にアンジェを助けるという意思を持っている。
イリアさん・・・・アンジェは本当に良い友達を持ったわ)
正気を取り戻したアンジェ。
だがアンジェはイリアを心配する。
「イリア、ありがとう・・・でも・・・
でも無理、借金がある、お父様やお母さまが兄弟に迷惑が掛かります
逃げ出すことも、死んでしまうことも許されない私です。
わかっています、もう今の段階では私を助けることは無理ですよ。
私・・・娘一人の命に匹敵するほどの大金よ。
イリアにそんな無理はさせられないし、借りるにしても私には返せないわ。
気持ちはありがたいのだけれど、友達にそんな無理はさせられない。
良いの、今のままで、運命なのよ。
このまま・・・このままで・・・」
アンジェの声は掠れ、目を伏せ顔を下に向けた。
通路で聞いているサルカ君と私は心配だった。
アンジェがあれほど心配するほどの金額、娘一人に匹敵する金額。
そんな金額をイリアはどうやって捻出するというの?
アンジェは正気に戻ったが、大きな問題点が解決しておらず絶望的な状況は変わらないのでは?
もしかするとアンジェはあのまま意識が戻らなかった方が良かったんじゃないかと思った。
横にいるサルカ君も心配そうだった。
今回のアンジェは養子ということにはなっているが、違法な人身売買だ。
本人の望まない周りの人のために仕組まれる高額な養子縁組・・・
その養子縁組はアンジェの人生を奪うことに間違いなかった。
だが次の瞬間私たちやそこにいるもの達は驚かされる。
「あら、お金のこと?
心配しないで、アンジェは私が買うのよ」
「えっ?、買う、私を買うの?
えっ?買ってどうするの?」
「そう、アンジェ、あなたを私が買うのよ。
最も実際に買うのは我が婚約者の親戚。
安心して、優しいお婆さんだから。
その親戚がオーク山の山頂に牧場を持っているの。
その牧場には私の婚約者の遠い親戚、それもさっき話した通り老齢の女性が働いているの。
もう歳なので代わりに働いてくれる人を探しているのよ。
あなたにそこの養女になってもらいたいのよ。
内祝金は弾むわ」
アンジェはその話を聞いて少し元気になったが顔は暗かった。
「でも本当に良いの?
私が貰わなければならない『内祝金』は相当な額なのよ。
普通の養子縁組で、そんな大金は簡単に出せないわ」
「お金のことなら大丈夫よ。
あんな変態が払うお金なんか比べものにならないわよ。
ただし、条件はあるわ。
実は牧場は特殊な場所で『ほいほい』といける場所ではないわ。
今いる親戚はこれまで一度として帰ってこなかった。
だからそこに行ってくれる人には牧場が相当なお金を出すのよ」
「帰れないの?」
「そうね、あなた次第だけど・・・
アンジェ、婚約破棄という仕打ちを受けた貴方にはもう居るところが無くなった。
そんなところにいることはないわ。
牧場でのんびりチーズや蜂蜜なんか作って暮らしたら親戚みたいに長生きできるわよ」
出られない。
帰れない。
その言葉がアンジェの頭の中で回っていた。
「大丈夫よ。
婚約者はあそこは竜宮城だと言っていたわ。
そうね、親戚が居るのは不思議でしょ。
それも人が来て欲しいとかの話が来るというのも不思議でしょ?
そうなのよ、なにも出れないわけではないし全くの孤立した世界でもない。
乳製品や蜂蜜なんかが特産品で結構高級なものを作っているのよ。
あそこは由緒正しき場所、尤も私も詳しくは知らないけど。
遠い昔、魔物と戦があった。
その時にオーク山には異空間が作られた。
異空間なので出入りは難しくて、十年に一日だけ開く門が作られた
その門を使えば人が出入りできる。
やがて異空間の解析が進んでゲートが作られたのよ。
でも今でもゲートからは生きたものは出入りできないという制限付きなのよ。
だから、ゲートからはチーズとか乳製品や蜂蜜と言った生産品を送ることができる。
それ以外にも手紙や絵、羊の毛皮なんかもやり取りをできるのよ」
アンジェは聞いたこともない話に、不思議そうな顔をする。
「出れないというのは一日しか門は開かないからよ。
だってオーク山は麓から門まで一日以上かかるのよ。
一日しかないので旅行にも里帰りにも行けないのよ」
下を向いて無言のアンジェ。
「どうしたの?」
「今は生きていることが辛いんです
ならば酷い目にあってもこのまま・・・・」
「あなたはもっと生きてみたいと思わない?
それとも惨めな短い人生を送りたいの?
私は貴方に生きてほしい。
そう思っている人は他にもいるの
その人のことが貴方には分かるかもしれない
貴方はなにかに気がついて意識が戻ったんじゃないの?」
そう言われてアンジェは匂いに気が付いた。
意識を集中しその匂いをかぎ分けていた。
懐かしいその香料のにおいの主を知っている。
そうか、すぐ傍に居ると気が付いた。
そして、「生きてほしい」という望む人が居るという言葉の意味が分かった。
涙が溢れ、言葉がかすれた。
アンジェは理解した。
「アンジェに生きて欲しいと望む人」がいることを。
そしてその人達のために生きたいと思った。
それが理解できるとアンジェは一生懸命懇願する。
「お願い、私は生きたい。
そう生きてほしいと望む人が居るなら。
私にも生きる価値があると言うのであるなら。
生きていきたい」
「そうそう。
生きて良いのよ。
義務婚なんて馬鹿なもので死んでどうするのよ。
はい、契約成立ね。
あなたはしっかり牧場経営のノウハウを勉強してね。
そして牧場を運営できるようになったら、経営に関して私にも協力させてね」
「えっ?」
「いや何でもない。
そうそう、安心して。
ゲートがある限り手紙や物ならやり取りできるからあなたは一人じゃない」
「ありがとう」
アンジェはその言葉を言いながら、視線はイリアの上がって来た穴の方に向いていた。
イリアはアンジェの母親に話しかける。
「お母さん話はついたわ。
でもご主人の罪は消えないわ。
アンジェの容姿の話をするために、婚約者と明日来ます。
そうそう、これを渡しておいてください」
そしてイリアは穴の中に戻って来る。
通路を戻りながらサルカ君は泣いていた。
「あなたの香水は特殊ね、多分アンジェは気が付いていたのね」
「生きて欲しいと願う俺の気持ちに彼女が答えてくれたことが本当にうれしい。
それ以外に今は何も望まない」
「でも、どうして最初に両親に合わなかったの?
その方が話は早いのに」
「簡単よ彼女の両親、特に父親には娘を変態に売ろうとしたことの責任を取ってもらうのよ。
あの手紙には彼女の両親がやったことで私がある人に話をすれば牢獄で暮らすことになると書いてあるのよ。
それ以外にも脅し文句がたくさん書いてあるの。
何度考えてもハラワタが煮えくり返る。
本当に娘だからと言って、女を何だと思っているのかしらね。
まずはアンジェに謝れと書いたの、そして私の恩を忘れるなって書いたのよ。
あれでアンジェの両親も私に頭が上がらなくなるわ」
その言葉を聞いて安心した。
やっぱりアンジェのために頑張っていたのねと思った。
ただ、彼女の「私に頭があがらなくなる」という言葉が気にかかった。
「最後はサルカ君の母親ね」
「えっ?
サルカくんのお母さんまで?」
「元凶だからね。
良いわよねサルカ君。
あなたの大事なアンジェをあんなに苦しめたんだから」
「ああ、仕方ないだろうな。
あ、でも殺したりしないよね」
「そんなことはしないわ。
ただ私に逆らえなくするだけ」
その言葉を聞いて私は確信した。
イリアは今回の件であらゆることを全てイリア自分の権力を増大させる方向に導いている。
でも、そんなことが可能なのだろうか?
イリアの計り知れない何かが恐れとして私の心に湧き上がって来た。