第4話 無一文、英雄の名を語る【挿絵入り】
― 大都市ネゴル 道具屋 ―
その晩はお言葉に甘えて、先ほどの通りの近くにあるエルフの道具屋の娘、アンの家に泊めてもらった。
昨晩の笑い話だが、アンの父親はアンがヒューマンの男を連れてきたので、驚き、「俺はお前を認めないぞ」という第一声から始まった。
…どうやら彼氏を連れてきたと思ったらしい。
アンは確かに見目麗しいエルフの女性だった。
母親はアンが幼い頃に亡くなったようで、道具屋を営んでいる父親のリョーと2人暮らしをしている。
おかげでリョーはアンのことになると冷静さをかなり欠く、「娘大好き親父」となってるらしい。
アンがこうなった経緯を慌てて説明し、俺はなんとか家から追い出されずに済んだ。
あてがわれた客室で、翌朝、目が覚めると、昨日の衛兵の処置が的確だったからか、あれほど痛んだ左肩と血が止まらなかった右腕はもうすっかり良くなっていた。
多分、左肩は骨折していたと思うし、右腕は何針も縫うレベルの傷だと思ったのだが、薬草とは凄いものだ。
右腕を開閉して完全に回復していることを実感する。
麻の服1着しかなかったため、リョーのエルフの服を借り、リビングの木製のテーブルでアンが作った野菜のシチューをいただく。
その姿をニコニコと眺めるアンを見て、同じテーブルについていたリョーがチッと舌打ちする。
「記憶がないと聞きました。名前、必要ですよね」
「ん、ああ、そうだな」
ヨーゼフと名乗ろうかとも思ったが、なんか嫌だなと、昨日夕方であった美しいが相当変な女の顔を思い出して、口を開くのを止める。
「…オルロ、はどうですか?」
(イラスト:画伯)
「オルロ?」
「…おい、アン」
リョーがアンの提案を止めようとする。
「いいじゃない」とアンはリョーの言葉を遮り、俺の目をじっと見つめる。
「…オルロって名前は特別なんです。この世界にとっても、あなたたちヒューマンにとっても」
アンは椅子から立ち上がって、本棚から一冊の本を取り出す。
「オルロ冒険記」というタイトルの本だった。
「この本には冒険者オルロという英雄の話が書かれています。ご存じですか?」
「いいや」
俺は首を横に振る。
アンは「オルロ冒険記」について語りだす。
好きな本なのか、本を開かずにスラスラと物語を語り始める。。
概要はこんな感じだ。
昔、この世界は魔神ウロスの下僕である魔物たちによって支配されていた。人類の大半は滅び、毎日怯えながら暮らしていた。
その中でオルロという男の冒険者が仲間を集い、魔物たちと戦いながら世界を旅する。魔物に支配されていた土地を奪い返し、徐々に人類の領土を拡大していった。
オルロは決して弱い者を見捨てなかった。どんなに困難な状況でもあきらめず、そして必ず最後には彼が勝った。
そんな彼は女神アマイアすらも魅了し、味方につけた。彼は女神の力を借りて、魔神ウロスを封印することに成功する。
オルロ冒険記は、その様子を間近で見ていた仲間たちが後世へ伝えるために執筆したものだといわれている。
「…いやいやいや、滅茶苦茶、恐れ多いよ!」
話を聞き終わった俺は、第一声、そう叫ぶ。
アンは首を振る。そして俺の手を両手で握って見つめてきた。
「いいえ。あなたは私にとって英雄です。それに、私が見たあの一撃…あれは女神アマイアに愛されているとしか思えません」
「あ、見てたんだ」と思いながら、俺も我ながら凄い威力のラッキーパンチだったと思い出して心の中で頷く。
「そ、そうか?」
「…おい、離れろ。殺すぞ」
美人のエルフに手を握られて鼻の下を伸ばしていたら、父親が凄い目で睨みつけてきた。
俺は慌てて自分の手を引っ込める。
「ということであなたは今日からオルロです!」
「ええ~~~…」
「…おい、てめぇ、アンのつけた名前が気に入らねぇってか?」
ダンッ、とテーブルを殴りつけて威嚇するリョーに気圧され、
「いえ、はい、ありがたく頂戴します」
俺は首を激しく縦に振る。リョーは面白くなさそうに舌打ちをし、「ちょっと待ってろ」と席を立ち、自室に戻っていく。
しばらくしてガチャガチャとなにやら荷物を運んでくる。
「…持ってけ」
そういうと、荷物をテーブルにドンッ、と置く。
「…英雄の名前を名乗るのに、そんな恰好じゃ、カッコつかねぇだろ」
そこにあったのは弓矢や盾、剣、ローブ———いわゆる冒険者の装備一式だった。
「いや、俺は多分農民で…」
「お前の素性なんか知らねぇ。だが、お前は自分の故郷を探してるんだろ?腕っぷしも強いし、冒険者になって仲間と旅をしながら探した方がいい。だから持ってけ。今ならうちの薬草もつけてやる」
俺は渡された剣を引き抜く。銅ではなく、鉄の剣…。
剣の良し悪しはわからないが、昨日のギラギラと光る銅のナイフよりもはるかに切れ味が良さそうだ。
手入れも行き届いている。
「…まぁ、あれだ。昔、道具屋をやる前に冒険者を少しやってたことがあってな。死んだ嫁はこの街で出会ったんだ。…もう随分前の話だが…」
「え、知らないその話」
アンが目を丸くする。リョーは決まりが悪そうに頭を掻き、「まあ、あんまり向いてなかったんだ」とぶっきらぼうに言う。
「お前が昨日倒したごろつきたちはこの辺では結構有名で、なりたての冒険者でも被害にあってる。アレを撃退できるならお前はその辺の冒険者よりも向いていると思うぜ」
「…」
この剣はよく手入れがされているが、細かい傷などがある。
きっと色々な冒険を潜り抜けてきたのだろう。
冒険者として引退しても大事に手入れをしてきた品だ。
それを見ず知らずの俺に渡すなんて、なかなか簡単なことではない。
俺はぐっと湧き上がるものを抑えて、剣を鞘に納める。
「…わかった。大事にするよ。ありがとう」
「大事にすんな。壊しても構わねぇ。…いいか。冒険者に必要なのはまず全員で生き残ることだ。それ以外はすべて二の次だ。道具はいくらでも代わりがある。だが、死んだらどうにもならねぇ。それだけは覚えておけ」
リョーが真剣な顔で俺にそう伝える。
「2~3日はここに置いてやる。ただ、あんまり長居してもお前のためにもならねぇ。アンに手を出されても困る」
「ちょっとお父さん!」
アンが顔を赤らめて抗議の声を上げる。
「今日の日中はアンにこの街の案内をしてもらえ。この街の物価の相場や常識を教えてもらうんだ。夕方からは俺が最低限の武器と防具の使い方を教えてやる。…基本だけだ。向いてなければやめちまえ。後はてめぇでなんとかしろ」
リョーはそっぽを向きながらぶっきらぼうにそう言った。
態度は乱暴だが、その言葉から俺のことを真剣に考えてくれていることが伝わる。
「…何から何までありがとう」
俺はポツリ、と気持ちを込めて感謝の言葉を伝える。
「…娘を救ってくれた英雄様だ。最低限、最初の冒険で死なないようにはしてやるさ」
リョーは照れを隠すように「調子が狂う」と舌打ちして答えた。
― 大都市ネゴル 道具屋 3日後 ―
そして、3日間、俺はアンにこの世界の常識を、そしてリョーには冒険者の基本を教わった。
リョーには結局かなわなかったが、「俺はレベル2だ。レベル1にしてはお前は上々だ」と褒められた。
そして、出発の日がきた。
「冒険者ギルドの場所はわかるな?」
「大通りをずっと行った先のあの大きな建物だろ?アンに教えてもらったからわかるよ」
俺は頷いた。
「俺の紹介状だ。持ってけ。冒険者になるには素性の証明が必要だ。…元冒険者で、現道具屋の俺が保証してやるから審査は問題なく通る筈だ。いいか?冒険者は信用が第一の職業だ。絶対に依頼を受けたらこなせ。ただし…」
リョーが言葉を区切る。
「…自分の命を最優先に、だろ?」
その先を俺が続け、ウィンクする。
「よくわかってんじゃねぇか。生意気だな」
リョーがニヤリ、と笑う。
「これ、良かったら持って行ってください」
アンは俺に携帯食を渡し、そして、ハグする。
柔らかな胸の感触と、鼻孔をくすぐる甘い石鹸の匂いがした。
「あ!」
リョーが叫ぶ。
「…頑張ってくださいね。街に戻ったら必ず顔を出してください」
「わかってる」
俺はアンをそっと抱き返した。
(…滅茶苦茶良い匂いがする。幸せ!)
思わず顔が緩む。
だが、いつまでもそうしていると、リョーの目がどんどん怖くなってくるので、ゆっくりと優しく、彼女の身体を自分から引き離す。
「仲間ができて、稼ぐようになったら絶対に俺の店に連れてこい。そして1人5個は…いや、10個は薬草を買っていけ。ついで有名になったら宣伝しろ。いいな?」
「そんな有名になるかな…」
「なります!絶対に!」
アンが大きく頷く。この娘は俺を買いかぶりすぎだ。
「お、おう、ありがとよ。それじゃ、アン、リョー、行ってきます」
「行ってこい、オルロ」
「行ってらっしゃい、オルロさん」
こうして俺、オルロの旅は始まった。
(イラスト:画伯)