第5話 思ったよりも馬が合う?
― ザカー平原 初日 午後 ―
<依頼期限まで残り6日>
ギルドで必要物資を手に入れたパーティは、すぐに大都市ネゴルを出発した。
受付嬢の言っていたように半日かけて北上すると、ザカー平原にたどり着いた。
身長120cmくらいのユージンの腰に当たるほど伸び茂った草が一面に広がっている。
午前中にうっすら雨でも振っていたのか、地面はしっとりと濡れていて、歩くと靴がぐにっ、と土に沈む。
「うぇ…チクチクする。土もなんか濡れてるし。不衛生だ。信じられない…」
ユージンが顔をしかめてうんざりしたように不平を漏らす。これまでの人生でかつてこんなに草に身体が埋まった経験は彼にはなかった。
同じくらいの身長のルッカもきっと同じように思うだろうと彼女の横顔を見やると、ルッカは涼しい顔をしている。
森育ちの彼女にとってはこの程度は悪路どころか見晴らしが良くて快適なくらいだった。
(しかし、エルフって綺麗だな)
夕日に照らされたルッカの横顔を見てユージンは思わず息を飲んだ。
まだエルフとしてはかなり若い方なのだろう。10代前半にしか見えないあどけない顔立ち―――しかし、将来ヴァルナにも負けない美女になることは間違いない。
そんな彼女に気を取られ、
「うわっ!」
ぬかるみに捕まってバランスを崩した。みるみるうちに目の前に生い茂った草が飛び込んでくる。
(さよなら俺の衛生状態…)
ユージンの頭の中に走馬灯が走る。野蛮な外界に足を踏み入れてしまったがために、自分は泥まみれになって、うじゃうじゃと細菌に侵され、病気になって死ぬ―――。
その時、ガシッ、とユージンの腕が大きな手に掴まれた。
「ちょっと大丈夫?」
「…!?」
ユージンの鼻先に草の先端が触れ、地面からむわっと青臭い匂いが立ち昇る。
声の主は狼の獣人のグラシアナだった。
強い力でぐい、と引き起こされ、泥まみれになるところを危うく回避する。
「あ、ああ…ありがとう」
グラシアナに礼を言う。その時、ユージンの視界にイチゴウが飛び込んできた。
ユージンが泥まみれになると考えたイチゴウはいち早くルッカに飛び移り、難を逃れていたのだ。
(コイツ…!!)
ちゃっかり自分だけ安全な位置にいるトカゲへ恨みがましい視線を送った。
その後も何度か悪路に慣れないユージンは体勢を崩し、最後にはとうとう…
「「「あ…」」」
べちっ、と前のめりに倒れ込み、泥まみれになった。
身体がこれほど汚れた経験のないユージンは最初、パニック状態に陥ったが、やがてその心の動揺を地面への怒りへと変換する。
「くそ!なんで舗装されてないんだこの道は!!!」
(((平原だからだよ)))
オルロ、グラシアナ、ルッカが同時に心の中でつっこむ。
先頭を歩いていたヴァルナが「ん?」と悪態をつくユージンに気づき振り返る。
「なんじゃ?もう泥まみれか。元気じゃのう」
「元気じゃない!全ッッッ然、元気じゃない」
ユージンはヴァルナをキッ、と睨む。
「そうか。…儂がお主をおぶってやろうか?」
「え…」
ヴァルナはニヤニヤと笑いながら荷物を地面に下ろすと、形の良い尻をユージンに突き出し、しゃがみ込む。
黒いポニーテールが揺れ、地面から立ち昇る青臭い草の匂いの間から甘い魅惑的な匂いが「おいでおいで」とユージンの鼻孔をくすぐった。
抗いがたい魅力があるが、ユージンにもプライドというものがある。ここで彼女の手を借りてしまえば仲間にも格好がつかない。
「こ、子ども扱いするなよ。全然平気だし」
ユージンは顔を少し赤らめながらヴァルナを睨みつけた。
「はっはっはっ!その調子じゃ。もう少し頑張れ」
ヴァルナはユージンの頭にぽん、と手を乗せて笑う。
「や、やめろ!」
ユージンは顔を見上げて彼女に抗議の声を上げた。
その後3回地面に転がることになり、やっぱりヴァルナに背負われた方が良かったのではないか、と少し後悔したのだった。
― ザカー平原 初日 夜 ―
見晴らしが良く、草も短い場所を見つけたオルロが仲間たちに声をかける。
「そろそろ日も暮れる。ここで野営をしよう」
冒険者セットから道具を出し、オルロが野営を宣言する。足の感覚が無くなりかけていたユージンはそれを聞いてほっとした顔をする。
「ぬ?せっかく近くまで来たのじゃ。このまま調査を始めても問題なかろう?」
ヴァルナが「儂はまだまだ行けるぞ」という顔をする。ユージンは「バカ、余計なことを言うな」と睨み、口を開こうとするが、
「それはやめといた方がいいわね。前衛の私たちはまだいいけど、暗いところだと、遠くから攻撃することになる後衛のルッカやユージンは攻撃が当てにくくなるし…。そもそも後ろから奇襲されたらお終いよ」
グラシアナがヴァルナに夜の戦闘の危険性をわかりやすく説明する。
「ふむ。そうか。ならば良かろう。今日は休むとするかの」
ヴァルナは納得した、とばかりに大きく頷く。そして、視界の端でルッカがナイフで木を削って尖らせているのに気づいた。
「…なにしてるのじゃ?」
「わっ…!」
急に声をかけられたルッカはびっくりして、ナイフの手を止める。そして尖った木を見せた。
「皆、携帯食だと物足りないかな、と思って。暗くなる前にちょっと簡単な矢を作っておいて、明日は時間があるときに狩りでもしようかなと思ったの」
「ふむ…」とヴァルナは頷く。そしてニッ、と白い歯を見せて笑った。
「お主、良い奴じゃの。―――儂も明日付き合おう」
「ほんと!?」
それを聞いたルッカは目を輝かせる。
「あ、それなら俺も行かせてくれ。俺も弓を使えるから」
オルロは設営をしながらルッカに声をかける。ルッカはオルロの申し出も喜び、「ありがとう」と声を弾ませて返事をする。
設営の手伝いをしていたグラシアナはルッカの喜ぶ姿を見て微笑んだ。人見知りの彼女がパーティで馴染めるか少し心配だったが、どうやら杞憂だったようだ。
ユージンはそんな仲間たちから少し離れたところで、火種に火打石で火をつけようとしていた。しかし、なかなかうまく着火しない。
「くそ…なんだ、おらっ、点け!…くそ、魔法なら一瞬なのに…なんで、こんなに、原始的な、生活を…あー、もうっ!!!」
そして、勢いよく火打石で指を挟んでしまい、「うー…」とうめいた。
野営なんて初めての経験だ。ここにきて数日が経つが正直、まだまだ慣れない。しかし、これからはこういう日々の連続なんだろうと思う。
(地獄だ…ここは地獄だ)
「…ちょっと貸してみろ」
いつの間にか後ろに立っていたオルロが、ユージンから火打石を取り上げる。
「あ…」
「これはさ、ただ打ち付けても火花出ないんだよ。こう…打ち付ける時に若干スライドさせてやる…ほらな」
オルロはスムーズに火種に火をつけ、息を吹きかけて火を大きくする。さらに手際よく枯れ葉や枝などを加えていく。
「記憶はないのに、こういうのはなんか覚えてるんだよな」
パチパチと音を立てて燃える焚き火を見つめながらオルロはポツリと呟く。
「…手続き記憶か」
身体にしみこませた動作、例えばナイフやフォークの持ち方や歯の磨き方などは記憶を失ってもやり方を覚えている場合が往々にしてある。それを「手続き記憶」という。
オルロは記憶を失う前、火を起こしたりすることが多かったのかもしれない。
「うん、これでよし」
焚き火の炎が安定したのを確認したオルロは満足そうに頷く。
「いや、助かったわ、オルロ。アンタがいなかったら私たち、まともに野営できなかったかも」
グラシアナが素直に礼を言う。それを見たユージンはグラシアナが自分にウィンクしたことに気づく。
「アンタもお礼をいいなさい」と言われた気がした。
「…ありがとう」
「おう」
なんとなく照れくさくて、ユージンはオルロに対し、ぶっきらぼうに礼を言う。それに対し、オルロは屈託のない笑みを返した。
そのまま会話を続けようにも、話題も特に持ち合わせていないので気まずい感じがして、ユージンは火の粉が飛ばないように気を付けながら古ぼけた本を開いた。
相変わらず中身はなにが書いてあるのかさっぱりだが、なにか法則性があるのではないか、と考えながら文字と睨めっこを始めるといつの間にか周りの音が聞こえなくなっていった。
「ユージンのやつ、難しそうな本を読んでるのぅ」
「そうだねぇ」
ヴァルナが感心したように声をあげ、近くにいたルッカが頷く。
ルッカもまた自分の手元の枝を丁寧に削り、どこからか拾ってきた羽で、矢羽根をつけて黙々と矢を増やしていた。
「ん…」
ルッカがナイフをヴァルナに渡す。
「ふむ?」
ナイフを渡されたヴァルナはキョトン、とした顔をする。
「ヴァルナも手伝って」
ルッカはヴァルナに慣れてきたのか、暇なら手伝えと要求する。
ヴァルナは「うむ。任せよ」とにやり、と笑ってナイフを受け取る。
2人も黙々と作業始めた。
「…意外とまとまってきたわねぇ」
見張り役をしながら新しい仲間たちの様子を見ていたグラシアナがフフフ、と笑う。
「そうだな。どうやら思ったより相性が良いらしい」
携帯食を差し出しながらオルロがグラシアナの横に座る。
グラシアナは携帯食を受け取りつつ、先ほどから動き回るオルロに感心する。
「アンタ、本当に気が利くわね。そして良い男。ダーリンがいなかったら惚れてたかもしれないわ」
「あはは…ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ」
オルロは笑いながら携帯食をかじる。
そして、パーティとしての最初の夜が更けていった。
― ザカー平原 2日目 午前 ―
<依頼期限まで残り5日>
「ヴァルナは右のやつを、グラシアナは左を」
「了解じゃ」
「OK」
ユージンが短く指示を叫び、相対している2匹のソシアの担当を割り振る。
ヴァルナはこちらから見て右にいるソシアに、グラシアナはその左隣にいる魔物に飛び掛かる。
「せいっ」
ヴァルナの鉄の剣がソシアを一撃で斜めに斬り裂き、血の雨を降らせる。
剣は刃こぼれ一つせず、骨ごと綺麗にソシアを断ち切っていた。どしゃ…、と水袋を地面に落としたような音とともに切断されたソシアの上半身が斜めに崩れ落ちる。
一方のグラシアナはソシアの右腹に強烈なボディーブローを叩きこみ、ソシアの身体を浮かせた。
パキッとなにかが折れる音が聞こえたので、恐らくソシアの肋骨をグラシアナの拳が粉砕したのだろう。
「オルロ、今!」
「了解」
ユージンの合図と同時に前衛に上がったオルロが、グラシアナのパンチで浮き上がったソシアに鉄の剣を突き立てた。
「左方向からソシア4体来るよっ」
ルッカが後衛から周囲を確認し、敵の接近を知らせる。
「OK。数が多いから、詠唱始めるよ。オルロは後退して中衛。撃ち漏らしのカバーを頼む。ヴァルナとグラシアナ―――足止めよろしく」
「「「了解」」」
この午前中のパーティでの戦闘でわかったのは、ユージンの状況把握能力の高さと作戦立案の速さだ。
敵の数や状況に合わせて作戦を変えるのはもちろん、彼の指示には迷いが全くなかった。
その事実が彼の指示への信頼を生み、パーティの連携を強める。
彼は個々の特徴をよく把握しており、活躍させるのがとにかくうまい。
攻撃の要であるヴァルナの使い方はもちろん、決定力がやや落ちるグラシアナと中衛のオルロをうまく連携させる。
また、「神官」は一般的に攻撃呪文を持たないので、回復の出番がないと、棒立ちになりがちだが、ユージンはルッカの視力の良さと洞察力に目をつけて、パーティの目としての役割を与えた。
彼女も狩りの経験があるためか、索敵が早く、的確に仲間へ情報を伝達する。
「オルロ、矢、1本使って」
ユージンが詠唱を開始すると、足元に魔法陣が展開される。
魔法は強力だが、展開に時間がかかるのが弱点だ。そして魔法を詠唱している間はユージンは指示が出せなくなる。
「わかった」
大切なのは魔法発動までの時間稼ぎ。
ユージンの指示で、オルロが中衛から弓を構える。
ふっ、と息を吐くのと同時に、迫りくる4体のうち手前の1体のソシアの頭を撃ち抜いた。
一撃で頭を撃ち抜かれたソシアは首を変な方向に曲げながら地面に倒れる。
「ギギィッ!!」
倒れた屍を踏み越えて、ソシアの1体が鋭い爪を閃かせ、ヴァルナに襲い掛かった。
「はっ、甘いわ」
ヴァルナはその爪を左の剣で受けると、銅のブーツでソシアの腹を蹴りつける。
怪力の彼女の蹴りは強烈だ。ソシアは身体をくの字に曲げ、口から吐しゃ物を吐いて後退する。
その後からさらに2体のソシアが飛び出してくる。
グラシアナがそのうち1体の側頭部に回し蹴りを叩きこんだ。
蹴られたソシアは受け身が取れず、地面に叩きつけられる。
最後の1体は前衛を突破し、ユージンへまっすぐ向かっていった。
「させるかっ」
オルロはすでにその展開を予想しており、弓から剣と盾に持ち替えていた。突進してくる1体のソシアとユージンの間に入り込み、盾でソシアを弾く。
「ギッ!!」
盾で殴られたソシアが衝撃で後ろに後退ったところで、ユージンの詠唱が完了する。
「エネルギーショット!!」
魔法陣が水色の輝きを放ち、同色のエネルギー弾が地面を削りながら弾丸のような速度で、オルロが弾き飛ばしたソシアの胴体に大穴を開ける。
ヴァルナとグラシアナに攻撃をされて生き残っていた2体も、各々が責任をもってきっちりと片づけていた。
「これで何体?」
ユージンがルッカにソシアの撃退数を確認する。
「えっと、今6体、今まで倒したのが5体だから11体」
「うーん…やっぱり聞いている話通り、多いね」
ユージンはギルドから依頼受注時に聞いた普段の遭遇率と比較して頷く。
その時、ユージンの肩に乗っていたトカゲがピクリ、と頭を動かしてグラシアナの方を見た。
「どうしたのイチゴウ?あ…姐さん、気をつけて!まだ生きてる」
トカゲにつられて視線を向けたルッカは、グラシアナに向かって叫ぶ。
グラシアナの足元からいつの間にか離脱したソシアが逃げ出そうとしていた。
「あら、しぶとい」
グラシアナがソシアを認め、追撃しようとする。
「あ、グラシアナ、ストップストップ」
「!?」
ユージンに声をかけられ、グラシアナはソシアを追いかけようとした足を止めた。
「…ちょっとアイツをつけてみようよ。良いことがあるかもしれない」
ユージンはにやり、と笑った。




