第1話 「魔法」
光の中に包まれ、溶け込み、混ざり合う―――
温かい―――
自分の意識が眠りにつくように一瞬、落ちて…
そして再浮上した時、そこには懐かしい背中があった。
――― 創世紀(Before Amaia)???年 ミュール大聖堂近辺 ―――
赤い髪に大きな背中…
背中には弓を背負い、左手には木の盾、右手にはボロボロの剣を持っている。
装備はボロボロだが、その背中からは充実した気を放っていた。
「オルロ…」
「?」
懐かしい背中に声をかけると、赤髪がチラリと肩越しにこちらに視線をやった。
「何だ?アル、わりぃ、うまく聞き取れなかった。なにか良い作戦、思いついたか?」
「ギィィィッ!!!」
「…ッ!っとぉ」
首筋に噛みつこうと飛びかかってきたソシアを赤髪が盾で弾き、頭を蹴り飛ばす。
「あ…、いや…」
僕は首を横に振り、自分の持つ杖―――「ウォールウッドの杖」を見て、我に返る。
これは僕自ら、魔力を僅かに帯びるウォールウッドの木を切り出し、自分の魔力を込めながら作った「魔法」を行使するための試作品だ。
(―――今の状況は…)
僕は周囲を素早く見回す。
ここはミュール大聖堂の正門を出てすぐのところだ。
眼の前にはざっと30体くらいのソシアたちが僕たちを囲んでいる。
表に出て一緒に戦っていた兵士たちは地面に血を流して倒れており、生きているのは僕や赤髪を含め、5人だけだ。
赤髪のヒューマンの男性―――レンナルトは先程、蹴り飛ばしたソシアの首に剣を突き立てるが、ソシアの皮膚は硬く、剣の方が砕けて、舌打ちをする。
それでも多少は痛かったのか、剣を突き立てられたソシアは首を擦りながらこちらに背を向けて群れに戻っていく。
真ん中にいた群れのボスと思われる明らかに体格の良いソシアが戻ってきたソシアの頭を苛立ちながら殴り飛ばすのが見えた。
数年前に突然出現した人間に似た形をした化け物―――魔物が街を襲い始め、人類はこの短期間であっという間にその数を減らした。
軍事訓練を積んだ兵士たちですらソシアたちには敵わなかった。
理由は簡単。ソシアたちの身体能力が人間のそれを凌駕しており、その皮膚はあらゆる攻撃を通さなかったからだ。
人類の抵抗も虚しく、今や主要な都市はほとんど占領され、それらは魔物の巣窟のとなっている。
僕たちはこの数年間、ただただ魔物に遭遇しないことを祈りながら静かに生活し、魔物に見つかっては数を減らしながら新しい住処を求めて旅をしてきた。
後ろにある大聖堂の中で僕たちを含め、魔物たちに追われた86人が密かに生活していたのだが、ここも今日、とうとう見つけられてしまったらしい。
僕とレンナルト、スサナ、アードレ、ゴドフの5人はいつかこの日が来るとわかっていたから準備をしてきた。
魔物たちと戦うための準備を…
僕は杖を握りしめ、レンナルトの問い対し、
「ごめん、ちょっと寝てたみたいだ」
と悪びれなく舌を出す。
「おいおい、リーダー、余裕だなぁ。状況わかってんのか?」
それを仲間たちをリラックスさせる冗談だと受け取ったレンナルトは苦笑する。
「ねぇ、あのデカいやつ、来るよ!」
右手にいた女狐の獣人―――スサナが短く叫んだ。
ボスと思しき身体の大きなソシアが仲間たちに「見てろ、人間はこうやって襲うんだ」とばかりに「ゴルゥ…」と唸り、こちらに向かって大きな拳を振り上げて突進してくる。
自分の力に自信のあるヤツは駆け引きなんかしない。力ずくで突破してくるはずだ。
「スサナ、石」
「えええ…当たるかなぁ…」
スサナは自信無さげに小さくぼやきつつも、僕の指示にしっかりと従い、地面に落ちていた石を拾う。そして大柄なソシア目掛けて石を投げつけた。
石は大柄なソシアの左目に真っ直ぐ飛んでいき、バシィッ、と大きな音を立てて、命中する。
「あ、当たった!」
というスサナの嬉しそうな声とほぼ同時に大柄なソシアが目を押さえてよろめく。
流石に目は硬くないのか、石でも攻撃は通るらしい。左目からパタパタと黒い血が流れるのが見えた。
「ゴドフ」
「おうよ、大将、任せとけ」
近くに控えていた大柄で髭面のドワーフが僕の呼びかけに頷き、大盾と共によろめいたソシア目掛けて体当たりをかます。
筋肉の塊のようなゴドフのタックルで重心を崩したソシアが尻もちをついたところに
「アードレ、今だ」
「は、はい!…えいっ」
エルフのアードレが細い手でガラスの瓶を投げつけた。
瓶が大柄のソシアにぶつかり割れると、その中に入っていた水溶液が空気に触れ、爆発を起こす。
薬の知識を持つアードレが調合した爆薬だ。
「ガァァァァアアア!!!!」
大柄のソシアは驚いて自分の身を焦がす燃える水溶液を必死で振り払おうとするが、抗えば抗うほど炎は身体を飲み込んでいく。
「「「「「?!」」」」」
突然上がった爆炎に周囲にいたソシアたちも驚き、何体かは尻もちをついて失禁する。
「うっわ、強力…」
スサナがその様子を見て小さく呟く。
「ガァァァ!!!!ギャゥギャウ!!!!」
「熱い、なんとかしろ」とでも言っているのか、大柄のソシアが叫ぶと何体かが恐る恐る近づいてくる。
近づいてきたソシアたちのうち2体の身体を大柄のソシアが左右の手で掴む。
「「ピギャッ!?」」
掴まれたソシアたちは驚いて必死で抵抗しようとするが、大柄のソシアは構わず腕に力を込め…
「おいおい…」
「マジか、あのクソ野郎」
レンナルトとゴドフが同時に声を上げる。
ブチッ…
という音と共に2体のソシアの上半身が潰れ、その黒い血液を気持ちよさそうに浴びる大柄のソシア。
身体を包んでいた炎が大量の血液によって消火され、左目の潰れた大柄のソシアは身体からブスブスと煙を上げながらこちらを睨めつけた。
「ギギィグルゥ」
「やりやがったな?」とばかりに怒りの形相を浮かべたソシアは亡骸となった2体のソシアを地面に放ると、ゆっくりとこちらに向かってくる。
(目に攻撃は通る。なら…)
「レンナルト、右目を」
「―――了解」
レンナルトは心得た、と背中から弓を取り出し、向かってくるソシアの残された右目へ向けて矢を…
「ギッ!」
その時、ビュンッ、となにかがレンナルトへ向けて飛んできた。
「痛…ッ!」
なにかがレンナルトの頭にぶつかり、思わず弓を取り落とす。
彼の額からは血が流れていた。
「レンナルト様…ッ!!」
頭を抑えながら蹲るレンナルトにエルフのアードレが駆け寄る。
僕が地面に転がったものに目をやると…
「石だ…」
先程のスサナの投石を真似し、1体のソシアが石を投げたのだと悟る。
ソシアの1体が「ギャッヒ!」と嬉しそうな声を上げ、投石が有効だと理解した他のソシアたちも一斉に石を拾い始める。
僕も仲間も顔からさっと血の気が引く。
「…チッ」
レンナルトとアードレの眼の前に迫る大柄のソシアの間にゴドフが大盾を持って割り込んだ。
「グギャゥ!!!!」
大柄のソシアが拳を振り下ろすのをゴドフが大盾で受け止めるが…
バキッ!!!
木製の盾は拳によってあっけなく砕け、そのままソシアの拳がゴドフの胸を強く打った。
「ガハッ!!」
ゴドフが大きくもんどりを打って地面に転がる。
大柄のソシアが震えながらレンナルトを守ろうと立ちはだかるアードレを見て、ソシアは舌舐めずりする。
その大きな腕をアードレに向かって伸ばした時、
「アードレ、しゃがんで!!」
僕が大声で叫んだ。
「!!」
アードレが頭をレンナルトに抱きつきながら地面に伏せた瞬間、僕の足元に魔力で描かれた文字が展開される。
魔力をどのように動かすか、どのような形でどのような軌道を描くかなどを詳細に設定した文字―――魔法陣と僕が名付けたものだ。
魔法陣を伝って、身体を循環する魔力を効率よく収束させるために僕が考案した杖―――僕の作った「ウォールウッドの杖」に魔力が収束していく。
魔法陣と杖を使えば、理論上、身体の中を流れる魔力を自在に操ることができる。
それを僕は「魔法」と名付けた。
「吹っ飛べッ!!」
魔法陣を伝って杖に収束し、顕現した水色の弾が僕の声と共に発射される。
それは矢よりも早い魔法でできた矢―――。
実践での魔法の使用は初めてだったけど、無事に成功だ。
「!!!!?」
一直線に発射されたそれは大柄のソシアの右肩に大きな風穴を開けた。
「~~~~~~ッ!!!!!ウギャァァァァァァ!!!!!!」
人間から予想外の反撃を受けた大柄のソシアが悲鳴を上げながら肩を抑えて後退る。
「あのソシアの皮膚を貫いた?!すごい…」
アードレが喜びの声を上げるが、
「…くそ、外れた。計算が甘かった」
僕は喜ぶことができない。
本当は頭か身体を吹き飛ばし、絶命させる予定だったが、狙いが逸れた。
ゴドフはうずくまったまま動かないし、レンナルトも頭に怪我をしている。
戦えるのは僕とアードレとスサナ。
正直、肉弾戦なら僕とアードレは全く役に立たない。
爆薬はあれ一つ作るのが精一杯だった。
すぐに僕は魔法の詠唱をもう1度開始するが、おそらく2発目は間に合わない。
このままもし戦闘が続けば、負けるのは僕たちかもしれない。
「う~~~~~~!!!!があああああぁぁぁぁ!!!!」
その時、スサナが突然牙を剥いて大声を出した。
ボスである大柄のソシアが得体の知れない攻撃によって大怪我を負った今、スサナのこの威嚇は彼らの戦意を喪失させるのに十分だった。
「ギャァッ?!」「ギギギ?!」「ギャアギャァ!!!」
後方に控えていたソシアたちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
大柄のソシアも失禁しながら彼らを追って逃げ帰っていく。
「…勝った」
少し経って僕が呟くと、スサナが僕に飛びつく。
「やった!やったよ!アル!」
「…ああ!そうだ、ゴドフは」
「このくらいなんでもねぇよ。…ッ!!」
むくっと起き上がったゴドフが腹を抑えてうずくまる。
「ゴドフ様、無理なさらないで。折れているかもしれません」
アードレが駆け寄り、ゴドフの怪我の治療を始める。
「この勝利に比べりゃ、骨の10本や20本安いもんよ、なあ大将」
ゴドフはがははは、と笑う。
「それ、普通に致命傷ですよ」
アードレが笑顔で突っ込む。
「…」
「…」
頭に包帯を巻いたレンナルトと目が合い、僕は彼に向かって歩いていく。
レンナルトが拳を突き出してきたので、僕も自分の拳を突き出し、合わせた。
「やったな」
「うん」
この日、恐らく世界で初めて人類が魔物に勝利を収めた。
それ故に、僕らの運命はこの日を境に大きく変わることになる。
ここミュール大聖堂は魔物の手から人類の住処を奪い返す戦いの最前線となったのだ。




