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女神のサイコロ  作者: チョッキリ
第7章 新世界
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第1話 新しい1330年の始まり

― アマイア暦1330年水仙の月(1月)6日 昼 ―

     <大都市レンス 地下室>



悪臭の立ち込める暗い地下室の(おり)の中に少女はいた。


もうずっとこの中に閉じ込められている。


冷たく、暗い狭い空間の中で、少女はうずくまり、やせ細った身体を()き抱く。


最後にまともな食事をしたのはいつだろうか?


少女は口の中に指を突っ込み、歯に挟まっていた茶色い光沢のある甲殻類の羽を取り出してじっと見つめる。


(おり)の中を素早く()うこの茶色い虫が一番美味い。


美しい見た目のエルフや女ドワーフ、ヒューマンなどと違い、醜い少女にはまともな食事は与えられない。


時折、奴隷商が気まぐれで(おり)に放り込む残飯は彼女にとって大の御馳走(ごちそう)だが、それにありつけるのはごく(まれ)だ。


大半は壁に鎖で繋がれた少女の眼の前で、同じ醜い容姿をした奴隷の仲間たちが残飯を奪い取っていく。


彼女ができることは仲間たちの排泄物(はいせつぶつ)吐瀉物(としゃぶつ)の中から未消化の食べ物を探すことくらい。


だから彼女は美味しい茶色い虫が好きだった。


もっとも彼女に「毒耐性」という固有スキルが備わっていなければ、あっという間に病気や食中毒などで死んでいたかもしれないが…。




「おい、もっと安い奴隷はいないのか?!」




不意に上の階から乱暴な男の声が聞こえた。


「…?」


少女は猪の耳をピクリ、と震わせる。


聞き慣れない足音とカンカン、という甲高い音が、聞き慣れた足音に続いて階段を降りてくる。


恐らく先程の声の主だろう。


「醜い化け物でよろしければ何匹かはこちらに」


聞き慣れた足音の主が()びた声を出しながら地下室の鍵をガチャガチャと回す。


ガチン、と音がして()びついた(じょう)が開き、外の新鮮な空気がギギギ…と(きし)蝶番(ちょうつがい)の音とともに流れ込んでくる。


外の匂いだ。


「ウル…」


少女は豚のように潰れた低い鼻をひくつかせ、声を上げる。


「さあ、どうぞ、お入りくださいませ」


聞き慣れた足音の主がどこか試すような声音で後ろにいる人物を中に招き入れる。


聞き慣れた足音の主は奴隷たちの主―――奴隷商だ。


まともな教育を受けていないせいで言葉をほとんど喋ることができない少女でも自分たちに(えさ)を与えてくれる相手くらいは覚える。


彼の声を聞きつけて(おり)の中の奴隷たちが残飯を貰えるのではないかと期待して入り口に一斉に目を向けた。


「う…、こりゃひどい匂いだな。肥溜(こえだ)めか、ここは」


奴隷商に招かれて地下室の中に足を踏み入れたのはでっぷりと太った(みにく)いドワーフの男だ。


顔には大きく目立つ(あざ)があり、右耳は刃物で切り刻まれたような切れ込みがいくつもある。


左手は肘の先がなく、断面の上を革のベルトで(おお)っていた。


彼は右手で口元を覆いながら(しか)め面をする。


「ささ、汚いところですが、どうぞ奥へ」


()びるような声を出す奴隷商に「ふむ」と返事をし、ドワーフの男は招かれるままに地下室の奥へと進む。


右足も悪いのか、石床を杖で叩きながら、ゆっくりと品定めするように奴隷たちを眺め回した。


「刀傷だらけのドワーフの老婆に、片目がやけに大きなトントゥのガキ…はっ、論外だな。コイツは…両足と右手がないヒューマンか。右手に蛆が()いているな…。そこのエルフは…ふむ…」


ドワーフの男が両足の無い、顔半分に酷い火傷を負ったエルフを眺めている時、


「う…うあ…」


少女の(おり)の中にいる奴隷の一人が、男の声に反応し、指の無い手を格子(こうし)の間から突き出す。


彼女は気がおかしくなったヒューマンだ。


腹が減りすぎて自分の指を(かじ)っているうちにとうとう右手の指をすべて食べてしまった。左指は辛うじて中指と親指が残っているが他の指は全て彼女の胃袋の中に消えている。


「あ…う…ううう」


腹をすかせた彼女は食べ物をねだるように格子の間から必死に手を伸ばす。


「…邪魔だ」


醜いドワーフの男は眉を(ひそ)め、杖でその手を乱暴に払った。


「ああっ!旦那様、大変失礼しました。ほら、失せろ!!」


奴隷商はドワーフの男に奴隷の粗相(そそう)()びる。そして、その直後、格子の隙間から足が飛び出し、ヒューマンの女の顔を蹴り上げた。


蹴られた女は()け反り、「ぎゃんっ」と悲鳴を上げる。


彼女は「いいいいい…」と恨めしそうに顔を抑えながら、奴隷商の足が届かないように(おり)の奥へと引っ込んでいった。


「…ん?コイツは…」


醜いドワーフの男は(おり)の中で唯一、鎖で拘束された少女に目を向ける。


「珍しい。獣人のなりそこない(・・・・・・)か?」


「左様でございます。珍しいトントゥと(いのしし)の獣人のハーフです」


「ふうん」


ドワーフの男は少女の体を無遠慮にジロジロと眺め回す。


背の低い痩身(そうしん)の少女。


ろくに栄養が取れていないせいで(あばら)が透け、手足も鶏ガラのように細い。


頬はこけ、そばかすだらけ。


髪は脂が固まり、(ほこり)や土にまみれてボサボサ。


「ウルルル…」


少女は値踏みするような視線を送るドワーフの男が気に入らず、歯垢(しこう)にまみれた歯並びの悪い牙を()き、威嚇(いかく)する。


彼を(にら)む小さな目にはくっきりとクマが刻まれていた。


(いのしし)の特徴を反映した小さな潰れた鼻も相まって…


「これは醜いな」


自分のことは棚に上げ、醜いドワーフの男は鼻で笑う。


これ(・・)だけなんで鎖で繋いでいる?」


少女に興味を持ったのか、ドワーフの男は少女を指差し、奴隷商に尋ねる。


これ(・・)は少々問題がありまして…。その…放っておくと共食いを始める可能性がありますので」


奴隷商は苦笑いをしながら応えた。


「もし興味があるようでしたらお安くしておきますが」


「いくらだ?」


「そうですね。4000…いや、特別に3000Gでお(ゆず)りしますが」


「冗談だろ?こんな死にかけのクズに3000G?!」


ドワーフの男は奴隷商に大きな声で聞き返す。


「いや、しかしですね。(えさ)代もかかっていますし、生かすだけでも大変なんですよ」


「嘘をつけ。この様子だとろくに餌なんてやってないだろうが」


「ははは…」


ドワーフの男の強気な姿勢に奴隷商は決まり悪そうに苦笑いする。


「どうせ元手はタダ。買って明日にでも死ぬかもしれないクズなら1000Gで十分だろ」


「1000G!?それは旦那様、流石に…。せめて2000Gで」


「1200Gだ。気に入ったらまた買ってやる」


「…仕方ありませんね」


奴隷商は小さくため息をついて頷いた。


少女の眼の前で命の値段の値切り交渉が終わる。


1200G。一般市民のひと月の平均収入に満たない額で少女の引き取りが決定したのだ。


(おり)の錠前が外れ、(えさ)を求めて寄ってくる奴隷たちを蹴り飛ばして、奴隷商は少女に近づく。


「ほら、(えさ)だ」


奴隷商はパンを少女の手の届くギリギリの位置に置く。


すぐさま他の奴隷たちが殺到(さっとう)しようとするが、少女は奪われる前に手を伸ばし、すぐさまパンを口の中へと放り込む。


久しぶりの人間の食べ物だ。


あまりの美味しさに少女の目に涙が浮かぶ。


「んふっ!?」


口の中がカラカラなせいで、パンをうまく飲み込むことができず、喉をつまらせる。


しかし、吐き出してなるものか、と必死で胃の中にパンを押し込んだ。


そして、すぐに自分の体の異変に気づいた。


「う…あ…?」


真っ先に唇に(しび)れを感じた。


その痺れは鼻の下から頬へと広がり、首、肩、腕、指先…(またた)く間に全身を支配する。


地面に卒倒(そっとう)する少女を見て、ドワーフの男は「なにをした?」と(おり)の外から奴隷商に尋ねた。


「危険ですので少々(しび)れ薬を。これ(・・)には『毒耐性』はありますが、『麻痺耐性』はないので」


奴隷商は動けない少女の鎖を外し、身体を縄で縛ろうとした。


その時…


「痛っ!!!」


一瞬の隙をついて少女が奴隷商の首筋に()みつく。


食べ物に薬を盛られたことはわかった。


頸動脈(けいどうみゃく)を食いちぎってやるつもりで噛んだが、(しび)れが強く、(あご)に力が入らなかった。


「このっ…!!!」


奴隷商は首に噛みつく少女の髪を掴み、引き離すと地面に顔を叩きつけた。


「ギャンッ!!」


少女はたまらず悲鳴を上げる。鼻を地面に打ち付けたせいで鼻血が出た。


「お前が今売れなければ殺してるところだ。旦那様に感謝するんだな!!」


顔を真っ赤にして怒鳴る奴隷商。


言葉の意味は理解できないが、噛みついたことに腹を立てたことは少女にもわかる。


だが、少女は自分の鼻から出た温かい血を舐め取るのに必死だった。


味がするものをそのまま垂れ流すのはあまりにももったいない。


髪を(つか)まれ、(おり)から引きずり出される間も少女は無抵抗のまま、自分の鼻の下をペロペロと舐めていた。


身体をしっかりと縄で縛られ、ドワーフの男の前に(ひざまず)かせられる。


「おまたせしました」


奴隷商がドワーフの男に支払いを催促する。


「…やめだ」


ドワーフの男は少女を見て首を振る。


「へ?」


予想外の反応に奴隷商は間の抜けた声を上げた。


「これほど反抗的だと飼い慣らすにも時間がかかる」


「し、しかし…」


破談したと理解した奴隷商は慌てて続ける。


「ご、500Gでどうです?」


少女の命の値段をさらに低く提示する。


だが、ドワーフの男は首を振り、別の(おり)を指さした。


「代わりにアレ(・・)を買う」


その指の先にいたのはエルフの女だった。


ただし、両足はガタガタに切り取られ、顔の半分は酷い火傷を負っていて、美しいのは顔のもう半分だけだ。


エルフの女は虚空を見てブツブツと呟いている。


アレ(・・)なら5000Gはいただかないと…」


「さっきの様子で、お前の商品の扱いはよくわかった。どうせこのエルフもソシアの巣から冒険者に助け出されたところをタダ同然で仕入れたってところだろう?譲歩して1500Gだ」


ドワーフの男はニヤリと笑う。


「しかし…」


「こうした非合法の商売は買い手も限られている。悪い噂を広められたいか?」


「ぬぐ…」


元々この男はエルフを買うつもりだったのだろう。だが、少女を欲しがるふりをして、問題を起こさせ、値段交渉を有利に運んだのだ。


奴隷商も自分がドワーフの男の策略にまんまとはめられたと気付き、顔を(しか)める。


そして、ドワーフの男に頷いた。






「お前のせいで…!お前のせいで…!!!」


ドワーフの男が去った後、身体を拘束された少女は奴隷商に馬乗りにされ、殴られていた。


奥歯が砕け、骨が折れる程の力で繰り返し、小柄な痩身(そうしん)が痛めつけられる。


少女は口の中いっぱいに広がった自分の血を砕けた歯ごと飲み込む。


「あのエルフは本当なら5000Gで売れるところだったんだ。それを!お前のせいで」


奴隷商が少女の首に手をかける。


「処分だ。処分してやる」


奴隷商の指に力が加わり、少女の首を乱暴に締め上げていく。


身体を拘束された少女は為す術もなく身体を持ち上げられ…




ヒィィィィィィン…




その時、耳鳴りのような高い音が少女の耳を貫いた。


それと同時に眼の前が真っ白になり、意識がゆっくりと遠退いていく。


だらん、と力の抜けた少女の身体から、ストン…、と拘束していた縄が落ち、床を叩いた。


「?」


縄の結びが甘かったのか、それとも奴隷商の乱暴によって縄に切れ目が入ってしまったのか…。


いずれにせよ、少女が死体となるまでにもう(いく)ばくもない。今更拘束が解けたところで、と奴隷商が油断した次の瞬間、


少女の右手が奴隷商の首に伸びた。


「ふッ?!」


幼い手とは思えない万力のような力で奴隷商の首が締め上げられる。


思わず奴隷商は少女の首から手を離し、自分の首を締め上げる右手を両手で引き剥がそうと抵抗する。


だが、その手はびくともしない。


「かふっ…」


いつの間にか奴隷商は膝をつき、腕一本で首を締め上げる少女を見上げていた。


少女は先程とはまるで別人のような知性に(あふ)れる顔をしていた。


無表情に、まるでゴミでも見るような顔で奴隷商の顔を見つめ、首に込める右手の力をゆっくりと強めていく。


「…ようやくリスタートだと思ったら、なんだいこれは。胸糞が悪いね」


人語を喋れない筈の奴隷が流暢(りゅうちょう)に共通語を発音する様を見て、奴隷商は青ざめる。


真っ青になった奴隷商の顔を見て、少女は初めて薄く笑う。


「助けて欲しいかい?」


奴隷商は小さく何度も頷く。


「一応、私、女神だし、君たちの主神だけどさ。―――こういう美しくないのは好きじゃないんだよね。だからダメだ」


少女は笑顔で首を横に振り、右手に込める力を一気に強める。


直後、コキッ…と骨が折れる高い音が地下室に響いた。






「設定を一部変更して1330年分やり直し、か。…まずは状況を確認しないとなぁ」


少女は物を言わぬ肉塊となった奴隷商から右手を離し、「んん~」と伸びをして呟いた。



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