第15話 乱入者
「なんだ?お前…」
「なに、貴女?」
エドヴァルトとルシアの声が重なる。
突然目の前に現れたドワーフの美女に対し、2人は眉を顰めた。
赤い衣を纏う短い黒髪の美女は魔神教の幹部2人を前に堂々と立つ。
彼女の長い振り袖をよく見ると、彼女の右肩から先がないことがわかる。
さらに服の隙間から、彼女の右半身にある大きな火傷の痕が見え隠れしていた。
ユージンの希望に満ちた目を見ればそれなりの実力者であることは予想できる。
しかし、一般的には、同レベルの冒険者で実力を比較すれば、レベルが上がれば上がるほど、腕を一本失ったことによる差は大きくなる。
隻腕の剣士など普通に考えれば取るに足らない存在…。
その筈だが、エドヴァルトとルシアの顔には強い警戒の色が浮かんでいた。
なぜなら彼女は明らかにシエラやシュネル、オルロとは異なる―――まるで巨大な危険生物を人の姿に縮めたような―――圧倒的な存在感を放っていたからだ。
「状況は…あんまり良くなさそうじゃのう」
その美女の形をした危険生物はホールを見回してぽつりと呟く。
「ヴァルナ…俺…」
「なんじゃ、情けない声を出すな。大丈夫じゃ。儂に任せておけ」
ヴァルナと呼ばれた美女はユージンを振り返り、胸を張って笑う。
バチッ…!!!
「…っと」
直後、金属が激しくぶつかる音がして、ヴァルナが小さく声を上げる。
赤い衣がはためくはるか上空を、紫色の刀身のナイフが舞い、地面に音を立てて転がる。
ナイフの刀身は砕け、宿っていた魔剣の魔力が霧散していく。
「…あ?」
一瞬の間に場所を移動したエドヴァルトは痺れる自分の左手を見つめ、驚きの声を上げた。
彼女が一瞬視線を外した隙をついて、オルロから魔剣で奪った「影踏」を使用し、「加速した時」の中で確かに女へナイフを叩き込んだ筈だった。
自信満々で現れたドワーフの美女の身体が魔剣「エグジオン」の呪いによって、白と黄緑色の膿を撒き散らしながら破裂する…。
そんな素敵な光景が目の前に広がるはずだった。
だが、ナイフを彼女に向かって突き刺そうとした瞬間、エドヴァルトの意志に反して「加速した時」が解除され、ナイフが弾かれた。
(…あの時、確かに時は止まっていた筈だよなぁ?)
エドヴァルトは予想と違う結果に首を傾げる。
「ぬ?なんじゃ?突然現れおって…」
一方、篭手で振り向きざまにナイフを弾いたヴァルナも驚いた顔をする。
彼女の左手を守るのは竜を退治した際に手に入れた竜燐を使って作成した「竜燐の篭手」。
アギン鋼に並ぶ物理・魔法の防御性能に加え、攻撃した剣や杖を摩耗させる冒険者殺しの特徴を持つ竜燐。
それをふんだんに使った至高の防具。
篭手の留具には、リベカの武闘大会のスポンサーも務めた道具屋「ホークランド」のトレードマークである鷹のロゴが輝いていた。
「…偶然か?」
「エドヴァルト、油断しないで。あれが恐らく竜を殺したっていう…」
ドワーフの美女は左手を右の袖の中に入れる。そこから現れたのは赫々と輝くひと目見て宝剣とわかる波打った剣。
竜の核を斬り、血を吸って神器に限りなく近い域へと達した竜殺しの宝剣『炎鷹』だ。
「『竜殺しのヴァルナ』…」
「あ~~~~、なるほどぉ~。コイツがそうかぁ…」
エドヴァルトは大きく頷く。彼女の噂は流石のエドヴァルトも耳にしていた。
大都市テベロを滅ぼした竜を1人で退治したという女剣士。
彼女の数々の偉業は遠く離れたリード帝国にも伝わっている。
「切り刻みがいがあるじゃねぇか。…なぁ!!」
「ヴァルナ!!…気をつけろ。男の方は…」
ユージンがエドヴァルトの情報を美女に伝えようと口を開いた瞬間、「加速した時」が時間を静止させる。
「ハッ!それ喋っちまったら面白くねぇだろうが」
「加速した時」の中でエドヴァルトは笑う。
そして、ルシアの方にふと顔を向けると、既に彼女も「魔神の雷」を発動させ、ヴァルナの眼前にまで迫っていた。
「―――こりゃ、俺の出番はねぇか?けどよ…」
エドヴァルトは腰からオレンジ色に輝く大ぶりのナイフを抜き放つ。
魔剣「ディーナス」は斬りつけた相手の傷口に卵を残す。その卵は宿主の体内で爆発的な速度で成長する蛆虫の卵だ。
エドヴァルトのナイフで掠り傷でも負えば、あっという間に全身が蛆虫たちの苗床と化す。
「エグジオン」も良いが、「ディーナス」も悪くない。
「ルシアにぶった切られるよりも、ヨハンくんの眼の前でこの女が蛆虫だらけになった方が絶対楽しいよなァ」
邪悪な笑みを浮かべた。
そして正面から美女に近づこうとして…
「―――いや」
ぴたり、とエドヴァルトは足を止める。
「一度は止められたんだ。ひょっとすると、ってこともなくはないよなぁ…」
狂気と慎重さを兼ね備えるエドヴァルトは、美女との間合いを保ったままルシアとは反対側へと移動する。
隻腕の彼女は左右からの攻撃には対応できまい。
「じゃあバイバ―――」
キキキンッ!
エドヴァルトがナイフを振り下ろそうとした瞬間、「加速した時」がまたもや強制解除され、攻撃の先にいたドワーフの美女が独楽のように回転する。
彼女の持つフランベルジュがルシアの黒雷を纏った槍斧とエドヴァルトのナイフをほぼ同時に弾いた。
「…ッ!!」
「…偶然じゃ、ねぇ」
奇襲攻撃を完璧に防がれたルシアとエドヴァルトは後ろに飛び退き、女から大きく距離を取る。
「―――言った通りだろう?防御は重要だ、と」
その時、ホールの出入り口に繋がる通路から男の声が聞こえ、次の瞬間、女の背後に大柄な獅子の獣人が降り立つ。
獣人の着地によって、ホールの地面にビシリ、と亀裂が入る。
「…フン、今のは『堅守』を使った儂の判断を褒めるべきじゃろ。気の利かぬ男よ、モテぬぞ」
「…」
重厚な鎧を纏った獅子の獣人は女の軽口に顔をしかめる。
そして背負ったバスタードソードをゆっくりと引き抜いた。
「おい、なにする気じゃ?儂1人で十分じゃろ。邪魔をするでない」
女はそれを見て露骨に嫌そうな顔をする。
「…そう言うな。片腕で2人相手は大変だろう。はぁ…だからマゴーニの言う通り義手を作れと言ったんだ」
「はぁ?お主は今のを見てなかったか?全然問題なかったじゃろうが」
魔神教の幹部を目の前にして、まるで父親と反抗期の娘のようなやり取りが行われる。
「大体、儂は身体に訳のわからんものをつけるのは嫌じゃ」
「防具となんら変わらないだろう」
「嫌じゃ。大体、その浮いた金でお主の鎧が用意できたのじゃからいいじゃろうが」
女は獅子の獣人の身につけている鎧をチラリと見て言い放つ。
「だからこそ、この鎧はお前を守るために使う」
「ええい、わからんやつめ!」
女は子どものように地団駄を踏むが、どうやら獅子の獣人の方が舌戦は上手のようだ。
「万が一ということがある。建国前に王に死なれてはこちらも困る」
「~~~~!!…ええい、ならば勝手にせよ」
最終的には女は獣人に丸め込まれ、はぁ、とため息をついて渋々頷く。
「言っておくが此奴等、とんでもなく疾いぞ」
「…見ていればわかる」
女の忠告に獅子の獣人はゆっくりと頷いた。
「『剣獣』ベステル…。確か、竜災で大怪我を負って引退したんじゃなかったかしら?」
ルシアが隙なく大剣を構えた獅子の獣人の姿を見て首を傾げる。
「…」
「ふうん、私とは話さないってことね。貴方、無駄に敵を作るタイプよ」
返事をしない獅子の獣人に対し、ルシアはスッと目を細める。
「それにしても驚いたのう。お主、『巨人殺し』のベアトリクス、じゃろ?まさかミンドル王国の英雄にこんなところで会うとはの」
「…べあとりくす?」
ルシアは小首を傾げ、少し間を置いてから「あぁ」と頷く。
「…この器の前の持ち主のことかしら」
「?」
「…私はそこにいる子と一緒で、器の中身を入れ替えた合成生物よ。…どうやらヨハンは器に身体を奪い返されてしまったようだけど」
ルシアはユージンをちらりと見て悲しそうな顔をする。
(やはりルシアの正体は…)
ユージンはヴァルナとルシアの会話の中で自分の予想が正しかったと心の中で呟く。
英雄オルロの子孫であり、竜と並ぶ災厄レベルの巨人を倒したというミンドル王国のSランク冒険者『巨人殺し』のベアトリクス―――それが魔神教の幹部「司教」ルシアの正体だ。
合成生物の研究を進める中で、ユージンは魂の移植という技術はまだ確立されていないと確信している。
十中八九、彼女はユージンと同じく、イレーネに記憶を奪われ洗脳されているに違いない。
(ならば彼女は治すことができる)
イチゴウがかつてヨハンから「ユージン」の記憶を復元したように、ルシアもまた「ベアトリクス」に戻ることができる。
それだけでもこの世界に来た価値があった。
脱出のタイミングを遅らせれば、エドヴァルトとルシアに対抗し得るヴァルナが到着する。
ルシアはうまく無力化することができれば記憶を復元し、味方につけることができる可能性がある。
(もう十分だ)
ユージンは目を閉じ、身体の内側に潜む魔神の力を探る。
(もうこれ以上はこの世界には居たくない。―――皆のいない世界には…)
ユージンの想いに呼応するかのうように、突然、ユージンの周囲に紫色の禍々しい魔法陣が展開される。
「「「「!?」」」」
武器を構えて睨み合っていた4人の視線が一瞬でユージンへと向いた。
「あれは…ウロス様の?!ってことはあの子も…」
唯一その魔法陣がなにを意味するのか理解したルシアが目を見開く。
「ハッ、おいおい、ヨハンくんよぉ、んだよ、それは。かっけぇなぁ、おい!!!」
エドヴァルトは嬉しそうな声を上げながらも、さらに距離を取ろうとして…
足が思うように動かないことに気づく。
(「影踏」を連発した反動かぁ…)
「…チッ」と自分の足を見て、エドヴァルトは小さく舌打ちをした。
「なんじゃアレは…」
「わからん。だが、あまり良い予感はしないな」
ヴァルナの呟きに精緻な魔法陣の中心に刻まされ黒い時計の針を見てベステルが応える。
その時…
ミシ…
ホールの壁に小さな亀裂が走る音がした。
直後…
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…
「「「「「!?」」」」」
ホール全体に大きな揺れが走った。
「な…なんじゃ!?」
天井から崩れ落ちてくる石片を避けながらヴァルナが叫ぶ。
「閣下!」
「あん?」
その時、少女の声がホールに響く。
エドヴァルトが出入り口に続く階段に目を向けると角を生やした少女が立っていた。
「大変だです。見たことのない数のソシアの軍勢がルムス平原に侵攻してきてやがるです。合成生物部隊とオーガ部隊が交戦中。さらに機械人形の軍勢の動きも…」
「どういうことだ?」
「わからねーですが、とにかく早く皆のところへくるです。まもなくディミトリの軍勢もきやがるです。閣下がいないと流石にヤバいのです」
少女は首を横にぶんぶん、と振り、両手をばたつかせてエドヴァルトを急かす。
「…」
エドヴァルトはホールに倒れているグラシアナ、シュネル、オルロ、そしてルッカを順番に見、それからヴァルナとユージンにゆっくりと目を向けた。
ユージンが地震に驚いたためか、地面に展開していた紫色の魔法陣は詠唱が中断され、消えている。
「…まんまと囮にかかっちまったってわけかぁ」
「ディミトリに転がされていたってわけね」
エドヴァルトとルシアは目を合わせて頷く。
「命拾いしたなぁ、ヨハンくん」
エドヴァルトはユージンににやりと笑いかける。
「また会おうぜ」
そういうと3人は背を向け、出入り口に向かって歩いて行く。
「こら、待たんか!!」
ホールから去ろうとするエドヴァルトたちを追いかけようと足を踏み出したヴァルナの肩をベステルが掴み、引き止める。
「待て」
「離せ!これからがいいところじゃろうが!」
「負傷者の治療が先だ。まだ息がある者もいるだろう」
ベステルに諭され、ヴァルナは「~~~~」と一瞬悔しそうな顔をした後、「…うむ」と冷静さを取り戻し頷く。
ホールでこれだけ暴れ回ったにも関わらず、なぜか各ブロックと繋がる通路で信者たちが包囲する気配はない。
不気味なほどに静まり返ったホールで、残された3人はそれぞれ倒れた仲間たちの元へと向かっていった。




