第13話 僕は彼女を◯した
「やめろ!」
まず言葉が出た。
頭の中で「すぐに『ムーブ』を発動しろ」と1人の自分が叫ぶ。「今ならまだ間に合うはずだ」と。
しかし、その一方で別の自分が「今からでは間に合わない可能性が高い」と冷静に分析する。「魔力を無駄撃ちせず、その魔力はこの状況を打開するために使うべきだ」と頭の中の自分はユージンに言い聞かせる。
それは冷酷で常に正しい選択をするもう一人の自分…。彼の判断はこれまでいつもユージンを生かしてきた。だが…。
「…ッ」
1秒に満たない逡巡…
しかし、刹那の迷いが彼女の死を確定する。
「ゆーじん…」
一瞬、ルッカとユージンの視線が交差する。
彼女がユージンの名を呼んだ気がした。
「ごめんね」
その口の動きだけが読み取れた。
それとほぼ同時に…
パンッ!!!
乾いた音と共にルッカの頭がまるで棒で叩き割ったスイカのように血飛沫を上げて爆ぜた。
空を舞う肉片と脳の欠片。
美しかったエルフの少女の顔が槍斧によって打ち砕かれ、肉塊へと変わる。
茶色がかった銀色の髪は赤く染まり、砕けた頭蓋とともに潰れたグリーンガーネットのような瞳が地面へと落下する。
疑いようのない死。
確定した絶望。
奇跡の介入を許さぬ残酷な現実がユージンの眼の前に広がる。
はぁ…はぁ…はぁ…
「……………る…ル、ルッカ?」
ホールに間の抜けた男の声が聞こえた。
状況を全く理解していないかのような間抜けな声だ。
少し遅れてその声が自分の口から漏れ出たとユージンは悟る。
間の抜けた愚鈍な救いようのない大馬鹿…
(選択を誤ったな)
頭の中で「『ムーブ』を発動しろ」とアドバイスした自分がユージンを責める。
(お前が躊躇したからだ、ユージン)
はぁ…はぁ…はぁ…
間に合わない可能性など考えず、飛び込むべきだった。
致命的な判断ミスを犯した。
取り返しのつかない事象が目の前で起こってしまった。
誰のせいだ?
俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ僕だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ僕だ僕だ僕だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ僕だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ僕だ僕だ僕だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ僕だ
なんのために「アンドゥ」を行ったなぜ未来を知っているのにこうなったもっとうまく立ち回れた筈だ使えるものをもっとうまく使えば…手段なんて選んでいる場合じゃなかったオルロやシュネルやグラシアナがいたのになぜこうなったなんでオルロもグラシアナも倒れてる?エドヴァルトのせいだルシアのせいだ…いや、違う僕のせいだ僕がもっとうまく立ち回っていれば皆はこうならなかった筈だエドヴァルトはまだ動かないのか?なにをしている?シュネルはなにをしていた?なぜルッカを守ってくれなかった!いや違う僕がさっさと「ムーブ」を使わないから僕が躊躇ったから彼女を殺したのは僕だ僕だ僕だ僕が彼女を殺した僕が彼女をまた殺した前の世界でだってそうだ僕が彼女を逃してしまったから彼女を1人にしてしまったからこうなったまた僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
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また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
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また僕は彼女を殺した…
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また僕は彼女を殺した…
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また僕は彼女を殺した…
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また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
また僕は彼女を殺した…
ま
た
僕
が
殺
し
た
はぁ…はぁ…はぁ…
涙で視界がぼやける。
息が苦しい。
ユージンは気づけば拳を握り、自分の首元に強く押し当てていた。
拳を固く握っているせいで手の平に爪が食い込み、肉が抉れて出血している。
はぁ…はぁ…はぁ…
先程から荒い息遣いが聞こえてくる。
頭の中に息遣いが響き、とても不快だった。
心臓が早鐘を打ち、全身から冷や汗が吹き出す。
その息遣いが自分のものだとようやく気づく。
(カウンセラーから習った呼吸法で落ち着かなくては…)
頭の中で咄嗟に昔、通っていたギルドの相談室でカウンセラーから習った呼吸法の存在を思い出すが、頭が痺れて、やり方が思い出せない。
その時、鮮血と脳漿を浴びたルシアがこちらを見て穏やかに微笑んだ。
「もう…大丈夫よ」
彼女はそう言ってユージンに向かって槍斧を持たぬ方の手を伸ばす。
なにが大丈夫なのか全くわからない。
だが、「大丈夫」という言葉は混乱した今のユージンにとってひどく心地の良いもので、彼女にすがりつきたい気持ちになる。
「さあ…」
「…」
たった数秒でまるで別人のように憔悴し、老け込んだユージンは彼女の手を取ろうと自分の手を伸ばす。
「ダメだよ」
伸ばした手を白く細い腕が後ろから引き止める。
「…?」
ユージンが後ろを振り返るとそこにはミントグリーンの髪色の中性的な顔立ちの美青年が立っていた。
「ダメだ。ユージン」
シュネルはゆっくりと繰り返し、ユージンに言い聞かせる。
「…なぜ邪魔するの?シュネル」
ルシアがシュネルの行動にぴくり、と眉を跳ね上げる。
「ルシア様…すみません」
シュネルは真っ直ぐルシアの目を見つめて呟く。
「…モード『全武装』」
途端にシュネルの全身が輝きを放つ。
「!! なにしてるの!?やめなさい、シュネルッ!!!」
シュネルが何をしているのか理解したルシアが青ざめた顔で制止する。
だが、もう既に変化は始まっていた。
「!?」
ルッカの死を目の当たりにして意識が朦朧としていたユージンもシュネルの輝きを目にした瞬間、我に返る。
「バカ!シュネル…約束が…」
「―――僕は君を守るためならなんでもするよ」
シュネルはユージンに背を向けながら穏やかに言い放つ。
「…大丈夫。必ず生きて君の元に帰る」
「ダメだ。約束しただろ」
「約束………そうだね」
シュネルは小さく頷いた。
そのシュネルの背中を見て、唐突にユージンは自分の足場が突然無くなったような浮遊感に襲われる。
彼は死ぬ気だ。
「これではなにも変わらないじゃないか」と心の中の自分の1人が叫ぶ。
前の世界となにも変わらない。
侵入者の発見も、ルッカとシエラの脱走も、ルッカの死も、オルロの死も、グラシアナの死も…。
順番や時間は異なれど、前の世界で起こった全ての結果が再現されている。
そしてシュネルも今、再び「全武装」を使用する。
―――ということは彼もまた、死ぬのだろう。
「アンドゥ」でやり直してもなにも結果は変わらない。
未来は変えられない。
強い無力感に襲われ、足の力が抜けたユージンはその場にへたり込む。
なにもできない歯がゆさ。
(僕はまた間違えた)
いつもそうだ。あの時、女神の言葉なんか信じなければ…。
不意に脳裏に水色の剣を受け取る赤髪の剣士の光景が浮かぶ。
(あの日のことを僕は一体何千回、何万回…いや何億回後悔しただろう)
ユージンはシュネルの背中を見上げて右目から涙を流した。
「ユージン…」
光に包まれながらシュネルは背後にいるユージンの事を想う。
エドヴァルトとルシアのせいでユージンの古い仲間たちはもういない。
彼はこのままでは間違いなく「アンドゥ」を使うだろう。
だが、魂の1/3を魔神ウロスに譲り渡す「アンドゥ」を2回使えば、もう半分以上は魔神ウロスのものだ。
次の「アンドゥ」をさせるわけにはいかない。
だから今の彼を支える代わりが必要だ。
彼が依存し、甘えられる存在が。
彼がこの世界を手放したくないと思える程、愛することのできる存在が…
「僕がいる」
「!!」
シュネルは身体の形状を変えながらユージンに伝える。
「僕が彼らの代わりに君の側にいる。君を守る。君の願いを叶える」
「シュネル…」
命を燃やす…
「全武装」を発動させている今…今、この瞬間だけは絶対に彼はシュネルの事を見ている筈だ。
背中に注がれるユージンの視線を感じてシュネルはゾクゾクする身体を掻き抱く。
久しぶりに彼の世界を独占する感覚。
それだけで股間が熱くなるのがわかる。
ユージンを再び独占する最大のチャンス…!!
仮にユージンが2度目の「アンドゥ」を使って、もう一度世界をやり直したらこのチャンスは2度と巡ってこないかもしれない。
だから絶対にこの機を逃すわけにはいかない。
ユージンの心をここで必ず射止めて見せる。
「僕は君との約束を必ず守るよ」
シュネルは精一杯の愛を込めてユージンに想い伝える。
ルシアとユージン、驚く2人の中心に立ったシュネルは身体中にイメージを走らせた。
(身体の構造はシンプルに…)
先程のエドヴァルトの鬼の姿を思い出す。
鬼の身体はソシアの外見に非常に似ていた。恐らく身体の構造のベースはソシアと同じなのだろう。
ソシアの肉体は強靭で人間のそれに近い。
故に人間から鬼への変化は比較的負担が軽い。
全身を「武装」に変えるならばベースはソシアが正解だろう。
(装備は最低限に…)
ルシアの攻撃もエドヴァルトの攻撃も当たればシュネルの防御力など容易に上回るだろう。
ならば防御は必要ない。
(必要なのは疾さ。圧倒的な疾さ…)
眼の前からまるで消えたように移動するオルロとエドヴァルト。
雷のような速さで動くルシア。
この戦場では疾さが求められる。
彼らに一太刀入れられるような疾さが…。
バネのようにしなやかな筋肉が必要だ。
両足はシュネルが「捕食」した中で最速の魔物―――弾丸兎。
弾丸兎は、海の鮭、陸の兎と呼ばれる程の脚力を誇る。
数年に1回、人間の身体に兎のめり込んだ死体が発見されることがあるが、その兎こそが弾丸兎だ。
衝突すると危険なだけで経験値が低く、食用にも素材にも向いていないため、冒険者は見向きもしない魔物だが…
(捕食しておいて良かった…)
シュネルはこの偶然に感謝する。
身体構造自体を遺伝子レベルで変化させ、任意の形に変化させることのできるシュネルですら小さく、足の疾いだけの弾丸兎は使いこなせなかった。
しかし、全身のサイズまで再構築できる「全武装」の今ならば…
シュネルの足が変化し、シュネルの身長に合わせたサイズの弾丸兎の足が生成されていく。
その時…
「!!!」
全身の形状が一瞬波打つ。
「シュネル、もうやめなさいッ!!!」
ルシアがシュネルの姿を見て悲鳴に近い声を上げる。
暴走の予兆だ。
だが、シュネルは歯を食いしばり、頭の中でイメージする。
(ここを乗り切り、ユージンを助ければ僕がヒロイン。僕がヒロイン…)
そう念じながら願望を脳裏に描く。
それは素敵なイメージだった。
白髪に紫の右目と金色の左目を持つ小柄なトントゥ…
彼の微笑む先には僕がいる…
少し照れて視線を逸らすユージンの手を取り、温かい日差しの下、お花畑を一緒に歩く。
お花畑デート!なんて幸せなのだろうか…。
夜は彼と一緒に大都市ネゴルのバーで酒を飲むのもいいだろう。最初は飲み慣れなかったウィスキーも今では好きな銘柄ができた。
「君の瞳に乾杯!」なんて言われたらどうしよう!鼻血が出るかもしれない。
そうしたら彼は僕を宿屋の部屋まで運んでくれるだろうか。
そしてそして…その後は…♡♡♡
彼の興味に合わせて一緒に研究をしてもいい。彼は「足手まといだ」と嫌がるかもしれないが、僕でも知識の豊富な彼のウンチクを聞きながら雑用くらいならできる筈だ。きっと楽しい。
大陸から離れて「組織」に見つからないところで静かに暮らしても良い。監視用ドローンを破壊できるユージンならば、それもできるだろう。彼のために毎日手作り料理を振る舞うのも幸せだ。
ここを乗り切ればイメージは現実になる…。
そう思うと力が溢れ出るのがわかった。
「僕は…ヤグソグを…守ル」
波打っていたシュネルの身体の形状が安定し、輝きが収まっていく。
それは例えるならば等身大のうさぎの人形。
元のシュネルの細い身体のラインに沿ってピンク色の体毛がふさふさと生えている。
しかし、その体毛の内側には弾丸兎の足とその速度に耐える人間よりもはるかに強靭なソシアの肉体が隠れている。
高速で移動する世界でも知覚を保つために頭も弾丸兎に置き換わっている。
顔は愛らしいが、そのフォルムは妙にスリムで、人間に近いシルエットが不気味だ。
言葉を選ばず表現すれば、兎の皮をかぶった変態。それが「アンドゥ」後の世界のシュネルの「全武装」の姿だった。
「…」
「…」
「…」
ルシア、ユージンだけでなく、先程から見物を決め込んでいるエドヴァルトまでもが目を丸くして予想外の変身を遂げたシュネルの姿を凝視する。
奇異な目を向けられる当の本人は左手を腰に当て、スラリと長く細い右手の人差し指でルシアを指差し、高らかに宣言する。
「ユージンは僕のものだ!!!」




