第2話 リスタート
― アマイア暦1330年 桜の月6日 午前 ―
<ルムス大平原南 魔神教アジト Cブロック>
“その道を左ッス”
ユージンの皮膚に触れた部分から振動でニゴウの声が聴こえてくる。
ニゴウのナビに従って複雑な通路を進んでいく。
“でも、本当にこっちでいいんスか?アンタのお姫様はCブロックにはいないッスよ?”
「いいんだ。頼む」
ユージンは小声でニゴウに応える。
「?」
シュネルは様子がおかしいユージンを心配そうに見つめるが、黙って後ろをついてくる。
スパイであるニゴウがいるため、シュネルにはまだアンドゥ前の状況を共有できていない。
せめてCブロックまでの道がわかればタイミングを見計らってニゴウを破壊すれば―――。
(―――いや、破壊したところでサンゴウが現れるだけだったな)
ユージンは心の中でその事実を思い出し、舌打ちする。
この監視ドローンは世界中に放たれており、常にユージンを見張っているのだ。
向こうがこちらを監視するのを止めない限り、情報は収集され続ける。
アンドゥをする前の世界で、ルッカを救出した際、ニゴウはディミトリ派とイレーネ派の戦争という目的を達成し、少なくとも表向きは、ユージンの前から姿を消した。
しかし、「アンドゥ」という全ての事象を否定する魔神ウロスから手に入れたスキルを発動したこと―――つまり、ユージンがこのルムス大平原南のアジトへ潜入する体験が2回目だということが知られればどうなるだろうか?
記憶を持ったままやり直しを行っているユージンは間違いなく危険な存在である筈だ。
バレれば、監視はこれまでよりも強くなるだろう。いや、それどころか、ユージンの監視をやめて、ディミトリ派が一斉に襲いかかってくる可能性だってある。
(そもそも…)
ユージンは自分の右腕の痣をチラリと見る。
魔神ウロスの力を借り、世界のありとあらゆる出来事を「否定」した結果、その対価として魂の3分の1を魔神ウロスに明け渡してしまった。
おかげで栗色だった髪色は真っ白に抜け落ち、右腕、右肩から腹、右足にかけて真っ黒な痣で染まってしまった。
さらにシュネルの話では、エドヴァルトに抉られた右目の白目は黒く染まり、その瞳はアメジストのような紫色になっているという。―――まるで昔ルッカが感染した「羽つき」の「黒目化」のようだ。
(突然、こんなに姿が変わったら普通怪しむよな)
ユージンの肩に乗り、頬に手を添えて二足で立つトカゲに視線を向けると、目の奥でカメラのレンズがキュィィィィ、と動いた。
少なくともニゴウがいる限り…いや、監視ドローンがいないと確証を得ない限り、ユージンが「アンドゥ」をしたことは誰にも話せない。
(…くそッ)
先程、手を跳ね除けられたことを気にしているのか、シュネルは地面を見つめながらついてくる。
シュネルに話すことができれば、二人でこの先起こることへ警戒できるのだが、ニゴウがいる限り、それは難しい。
ユージンは歯がゆさを感じながらも、Cブロックにいる筈のオルロと合流するまでに思考を回し続けることを選ぶ。
まず、「アンドゥ」する前に得た情報を整理すべきだろう。
この巨大な魔神教のアジトはソシア・ロードの巣をベースに作られている。
そしてアジトは少なくともAからFまでのブロックが存在しており、アリの巣のように枝分かれしているようだ。
1つ1つがとても入り組んでおり、ブロックによっては権限が一定レベル無いと入ることが許可されないところもある。
今わかっていることはA6ブロックに機械人形の生産工場があるということ、Cブロックのどこかにオルロがいるということ、F5ブロックにルッカが囚われているということ、F8にはヴァルナの剣や恐らくルッカの装備が格納されているということ―――。
Fブロックへ行くのは簡単だ。恐らく警備隊長である「オーケル」という者の指示で警備の強化を言い渡されたと言えば、恐らく信者たちはそれを信じる。
今はイレーネ派の司教ルシアが乗り込んでくるという異常事態で混乱が起きているからだ。
気をつけなければならないのは、Cブロックでオルロが暴れると、どこかのブロックにいる「ハクロウ」という司教に応援が要請されることだ。
「オーケル」はFブロックにはいる様子はなかったので、恐らく機械人形の生産工場のあるA6ブロック、あるいはルシアの攻撃に備えた位置にいると思われる。
「ハクロウ」も恐らく「オーケル」と同じか、「オーケル」がいない方に配置されていると考えるべきだ。…それ以外にこのアジトに守るべき重要なものがないと仮定すれば、だが―――。
そして、ルッカをFブロックで助けた後、入り口から階段を降りた最初の分岐路がある広い寝室―――仮にホールと呼ぶとしよう―――に戻ると、なぜか陽動している筈のルシアがホールにいて、ルッカと戦っていた。
(そもそもなぜ、ルシアはあの時、ホールにいたんだ?)
ユージンはいつもの癖で左目を押さえながら考える。
アジトの内部構造がわからない以上、陽動は出入り口から離れた場所で行わねば、脱出の時も苦労するし、外から増援が来た場合、背後から奇襲を受け、挟み撃ちにされるリスクがある。
実際、オルロは青フードの男に奇襲を受け、殺された。
『目覚めた時、『ルッカ』って言ってたわよね?…『双極星』のルッカ。『組織』の天敵。ロザリーとボニファを殺した『女神のサイコロ』の一員…。たった今、私が殺した相手…』
その時ふと、ルシアがホールでルッカを殺した直後、ユージンの反応を見て、言い放った言葉を思い出す。
記憶が戻ったあの日、ルッカの名前を呼んでいるのをルシアに聞かれ、ルシアはそれをイレーネに報告した。
それを聞いたイレーネは念の為、と再びユージンの記憶を奪おうとした。イチゴウとシュネルの協力によって記憶を奪われるのは回避したが、それでイレーネとルシアの疑念は晴らせた筈だった。
だが、あの言葉を考えるとルシアはユージンがなんらかの方法でイレーネが記憶を奪うのを回避したと疑っていたことになる。
それは確信に至る程ではなかったようだが、ユージンの「記憶を再び奪われたヨハン」のフリに違和感を覚えていたということだろう。
(ならば、なぜ俺とシュネルから離れて陽動を買って出た?)
彼女は「ヨハン」が「ユージン」に戻ったことを認めたくなかったから見て見ぬふりをしていたのだろうか。
だからユージンとシュネルを信じて任せた?
(仮にも司教がそんな甘い考えを持つだろうか?)
ユージンは頭の中に浮かんだ仮説をすぐにかき消す。
当初、ルシアとシュネルとユージンの3人で立てた作戦では、ルシアが最初にこのアジトに訪問し、なにかしら理由をつけてアジトの責任者と会い、機を見計らって暴れて敵の注意を引き付ける予定だった。
ユージンたちを疑っていなければ、彼女がホールにいるわけがない。
だが、敵対勢力の幹部である彼女を責任者が1人で戻すわけがない。彼女がルッカとホールで戦っていた、ということはあの時点で責任者を倒していたのは間違いないだろう。
責任者と想定よりも早く出会って、すぐに殺したのか?
それとも責任者にこちらの陽動作戦を悟られ、ホールへ戻ったところで戦闘になったのか?
ユージンはホールの様子を思い出して首を振る。
確かに死体はいくつか転がっていたが、それほど多い数ではなかった。
機械人形の生産工場があるアジトであれば、恐らく責任者は司祭もしくは司教クラスの人間だろう。イレーネ派の幹部がやってきているこの状況下で、この規模のアジトを管理する人間が、自分の周りにあの程度の数の部下しか配置しないとは考えがたい。
そもそも暴れたのであれば、あれだけ警戒レベルを上げていたのだ、すぐに信者たちが集まってきてもおかしくない筈…。
その時、ふと、「赤髪」がCブロックで暴れているという話を思い出す。
(そうか…、オルロが本来ルシアの行うべき陽動を結果的に引き受けてしまったのか)
ルシアが責任者を早々に殺し、暴れまわったとしても、Cブロックのオルロの対応や、Fブロックの応援に人員が割かれ、思ったよりも人が集まらなかった。そう考えれば、辻褄は合う。
(それに、それ以外にもホールに戻るメリットはある)
アリの巣状に広がるこのアジトの場合、ルッカのいたFブロックのように区画ごと閉鎖できるポイントがありそうだ。
となると、奥まったところで下手に陽動を行うと閉じ込められたり、脱出できなくなる危険性がある。
ならば脱出路を確保するために、とホールにルシアが戻るのは自然な流れなのかもしれない。
ルシアの戦いを思い出すと寒気がする。
ルッカとシュネルを連戦にもかかわらず彼女は正面からねじ伏せてみせた。そしてあの「墨染」という謎の力―――。
並の信者が何人かかろうとも彼女には傷一つつけることは叶わない。
故に、彼女がホールで暴れれば、陽動にもなり、ユージンたちの退路確保にもつながる。
(それに俺がもし不穏な動きをしても必ず鉢合わせる…ってことか)
流石は司教。もしユージンの考えが正しければ彼女はなかなか曲者だ。
「アンドゥ」する前の世界ではルシアと戦ってルッカとシュネルが殺され、オルロが参戦した。
オルロはルシアを倒したが、青フードの男に不意打ちをくらい、命を落とした。
その後、ユージンは青フードの男に殺されかけたが、懐かしい匂いのする謎の人物の介入によって一度は助けられた。
だが、逃げている最中に結局は青フードの男に追いつかれ、死ぬギリギリにところで「アンドゥ」を発動し、やり直しを行った。
つまり、現在このアジト付近で注意しなければならない人物は、ディミトリ派は警備隊長のオーケル、司教のハクロウ、アジトの責任者。…もっともそのハクロウがアジトの責任者の可能性もあるが…。そして、イレーネ派は司教のルシア、エドヴァルトがいることになる。
時間的にオルロとルッカと合流すれば、ホールでのルシア、エドヴァルトと遭遇することは避けられない。
しかし…
オルロがルシアを一瞬で斬り伏せた時の光景を思い出す。
オルロが…彼がもしエドヴァルトの不意打ちを受けなければ、あの時の結果は変わっていたかもしれない。
「―――で、オルロ、お前は一体なにをしてるんだ?」
ユージンは呆れた声を上げる。
その男が目の前にいた。変わらぬヘソナイト・ガーネットのような色合いの赤髪を結わえ、口髭と顎髭を蓄えた「女神のサイコロ」のリーダーが、そこに。
―――Cブロックの天井から上半身だけを出して。
「んん?誰だお前………ってその声はユージン?!お前、もしかして、ユージンか?!」
「アンドゥ」を経て変わり果てたユージンを見て一瞬しかめるも、声と口調でかつての仲間だと気づき、男は顔を綻ばせる。
「いきなりで悪いが助けてくれ。ちょっとはまっちまってるんだ。ちなみにここはどこだ?」
「…バカ」
困ったように笑うオルロを見て、ユージンは口の端を吊り上げた。




