第5話 ツンデレメガネとこれからのこと【挿絵入り】
ユージンは左目を押さえ、潰れた眼球を持ってフラフラと歩く。右手には大切な古ぼけた大きな本をしっかりと抱えたままだ。
トカゲ君1号は潰されないように安全なところに隠れていたようで、今更ながら服から顔を出し、ユージンの頭の上によじ登る。しかし、ユージンはそんなトカゲ君1号の動きに気を留める余裕もなかった。
死にたくないという気持ちが全身を支配している。
どこをどう歩いたのかはわからない。
とにかく、ほとんど無意識に歩き続け、しばらくすると大通りに出た。
大勢の人たちを目の前にして、ユージンは緊張がほどける。
(助かった。助かった助かった助かった…)
「生きてる…」
ユージンはその場に崩れ落ちて、涙を流す。すれ違う人々は左目から血を、右目からは涙を流すトントゥに驚く。
(怖かった。死ぬかもしれないと思った。生きていて良かった…)
涙が後から後から止まらない。ユージンは子どものように泣きじゃくった。
「おい、お前、大丈夫か?」
唐突に頭の上から声がかかる。戦士の恰好をしたヒューマンの男性だ。
「目、怪我しているみたいです。マリッサ、『ヒール』を」
魔法使いの恰好をしたトントゥの男性がヒューマンの女神官を呼ぶ。
「…ッ!酷い傷…。でももう大丈夫ですよ。…『ヒール』」
女神官が女神アマイアの力を借りて、癒しの力をユージンに使う。ユージンの左目の血がみるみるうちに止血されていく。
「…左目をえぐられたか。酷いな。誰にやられた?」
武闘家の恰好をした熊の獣人がユージンの空洞になった左目を見て尋ねる。
しかし、ユージンは泣きじゃくるばかりで返事ができない。
助かった…自分は助かったのだ…と緩んだことで、後から後から感情が溢れてくる。
怖かった、痛かった、辛かった、不安だった、悲しかった、絶望した、死ぬかと思った、助かった、生きてる、嬉しい、安心した、感謝している、生きてる、生きてる、生きてる、生きてる…
いつもなら自分の格好悪いところなど人に見せるタイプではないユージンも今日ばかりは感情の洪水を制御することができない。
「ジュスト…」
マリッサと呼ばれた女神官が、リーダー格と思われる熊の獣人に視線を送る。
「ああ、とりあえずギルドに連れて行こう」
― レイル共和国 大都市ネゴル ギルド 相談室―
「…伺った話をまとめると、不審なヒューマンの男を尾行していたら、見つかってしまい、左目を抉られた、と。男は青いフードつきのローブを着ていて、奇妙な模様の入った仮面をしていた。それと、手には短剣を持っていた。…うーん…それだけだと個人が特定できませんね。顔とかは覚えていませんか?」
ギルドの相談室にて、左目に包帯を巻いたユージンとギルドの男性カウンセラーが向かい合って話す。カウンセラーは落ち着いたトーンの声で、ユージンの話を丁寧に確認していく。
「…遠かったし、後ろ姿ばかり追っていたから素顔はあまり見ていないんです。男だということはわかるんだけど…」
ユージンは首を振る。頭の上にいたトカゲ君1号は振り落とされないように慌ててユージンの肩に這い降りる。
ジュストたち冒険者パーティーに連れられてギルドに来てから、すぐにギルド専属の神官による治療を改めて受けた。
左目に関しては視神経が完全に切断されており、魔法の力を持ってしても回復は難しいと言われた。
ギブラへ戻れば遺伝子から培養し、新しい自分の眼球を手に入れることも可能だろうが、外界では難しいだろうということはわかっていた。
しかし、想像以上に視界が半分奪われるというのは恐ろしい体験だった。
左目に少しでも関係がある情報が一瞬でも入ってきただけで、鮮明に先ほどの青いフードの男の笑い声と血まみれの短剣が思い起こされる。
ユージンは何度も過呼吸を起こしては、カウンセラーに「ゆっくり口から息を吐いて…そう。それからゆっくりと息を吸う…」と落ち着いた声で呼吸の仕方を教わる。
「辛いことがあった直後に根掘り葉掘り聞くようで申し訳ない。正直カウンセラーとしては語れる段階になってからお話を聞きたいのですが、あなたを襲った犯人はまだこの辺にいると思われます。だからギルドとしてはこの犯人を捜す必要があるんです。衛兵や受付嬢があなたに事情を伺うよりはまだカウンセラーが聞いた方がマシだと思ってはいるのですが…」
カウンセラーはユージンに申し訳なさそうに謝る。
「…はぁ…はぁ…大丈夫です。それに状況の整理にもなりますから」
呼吸を整えながらユージンは返事をする。自分を救ってくれた冒険者4人も一緒に面談に立ち会ってくれていることが心強い。
状況をカウンセラーに整理してもらいながら語ることで、ユージンも随分冷静さが戻ってきた。
「仮面をこっそり彼に渡した子連れの女は青いフードの男の仲間のようでした。子連れの女たちも仮面をつけていました。子どもの方が「早く行こうよ。こんなやつに構ってたら遅れちゃうよ」と言っていました」
頭の中であの時の光景が鮮明に思い起こされる。
あの時の絶望、血の匂い、恐怖、血の温かさ、男の笑い声、血が流れていく、転がる左目の眼球…血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血。
「!?―――フーッ…」
フラッシュバックする光景、加速する思考で身体が凍えるように冷たくなる。
意識が遠のき、ここにいるのに遠く離れたところにいるようなふわふわした感覚が襲う。
心臓が口から飛び出しそうなくらい勢いよく脈打つ。
頭の中は凍り漬けにされたような、なんとも表現しがたい不快な感覚がある。
それら全てを断ち切るかのようにユージンは目をつぶって、息を吐いた。
(…大丈夫。俺は大丈夫。もう助かったんだ。ここは安全…)
「…」
カウンセラーはユージンが自力で深呼吸をし、感情をコントロールしようとする様子を心配そうに見つめる。しかし、落ち着くまで口を出さずに根気強く見守った。
ユージンの後ろで同席している4人の冒険者たちも黙って見守る。
数分後、呼吸を整えたユージンはゆっくりと目を開けた。
「すみません。もう大丈夫です」
カウンセラーはユージンと目を合わせ、ゆっくり頷く。
「先ほどの話、仮面をつけた子どもが『遅れちゃうよ』と言っていた、ということは仮面の集団がどこかで集まる予定だったということでしょうか」
「…俺はそう思います。噂に聞く魔神教ではないか、と」
カウンセラーの問いにユージンはゆっくりと頷いてみせた。
「魔神教…」
カウンセラーの眉がぴくり、と上がる。なにか知っている感じがした。今度はユージンが尋ねる。
「先生はなにか知っているんですか?」
「これはギルド内では公の事実だから話しますが…実は、ここ数か月、ギルドに魔神教に里を襲われたという話を持ち込んで、何度か調査している方がいるんですよ」
「!? それはどこですか?」
「…コルト樹海というところにあるエルフの集落の一つです」
カウンセラーは少し迷ったような顔をした後、口を開いた。
ユージンは目を見開き、カウンセラーの言葉の続きを待つ。
コルト樹海は確か大都市ネゴルから東に進んだ先にある、一度入ったら二度と出てこれないと噂される大樹海だ。他の種族との交流を嫌うエルフたちが隠れ住んでいると聞く。
「…ただ、不思議なことに訴えのあった場所に行っても里があった痕跡がなかったんです。その方も確か黒いフードに仮面をかぶった集団に襲われた、と。あなたの話と似ているところがありますよね」
カウンセラーが静かに続ける。
「その話は依頼主の勘違いではないか、とギルドでは処理されました。でも私はその依頼主が嘘をついているようには思えなかったんです。今回のあなたの話を聞いて、魔神教かどうかはわかりませんが、少なくとも仮面をかぶった集団の被害は他にもありそうな気がしてきました。…このことはギルドの報告書に書いても?」
「…お願いします」
ユージンは頭を下げた。少なくとも自分以外にも似たような被害がある。
魔神教かどうかはわからないが、仮面をつけた良からぬ集団の情報が入ったのは大きい。
トカゲ君1号もユージンのおじぎに合わせて頭を垂れる。カウンセラーはその姿を見てふっと笑みを浮かべた。
「ありがとう」
相談室を出て、ユージンは改めて4人の冒険者に頭を下げる。
「いいって、気にすんな。それより、そろそろ『それ』、外してみたらどうだ?」
フィオと呼ばれていたヒューマンの男戦士がユージンの左目の包帯を指さす。
「…」
ユージンは言われるまま、包帯を外す。
そこには義眼が収まっていた。
「全然違和感はないですね。言われなければ義眼だってわからないですよ」
仲間からはダルコ、と呼ばれている魔法使いのトントゥがうんうん、と頷く。
「…正直、異物感というか、目が収まっていたところに別のなにかが入っているって感覚に全然慣れないんだけど…。なんか目が乾いているような感じもするし」
ユージンは何度も瞬きする。
(イラスト:Bu-bu)
「まあ、そうだろうさ」
ヒューマンの男戦士は頷く。
「見てみてください。どうぞ」
マリッサと呼ばれていた女神官が自分の手鏡を渡す。
トカゲ君1号が服からユージンの腕へ飛び移り、ユージンとともに鏡をのぞき込む。
「…」
確かに一見わからない。外界にしては大した技術だ。
ギルドについて治療を受けてすぐに、技師がユージンの目に合うように義眼を作ってくれた。
冒険者の仕事上、手足や目などの負傷は多く、義眼や義手、義足などの需要が非常に高い。そのため、ギルド専属の技師がおり、在庫の中から客に合わせたサイズを見繕い、目の形に合わせて調整を行ってくれる。
視神経に接続する高機能義眼もあるが、これは非常に高価で、ユージンの手持ちでは手が出なかった。代わりに、それでもかなりの値段だが、1000Gの視神経に接続しないただの義眼を購入した。
眼帯も考えたのだが、メガネをかけるのに邪魔になるので、泣く泣く手持ちの金を大部分つぎ込んだ。
「…さて、もう大丈夫かな」
ジュストと呼ばれていた熊の獣人がユージンをのぞき込む。
「我々は明日、早いのでそろそろ失礼する」
「ああ、ありがとう」
熊の獣人は無言でうなずく。恐らく、早朝からギルドの依頼をこなしにいくのだろう。そんな日の前日に随分引き留めてしまった。
「フィオ、ダルコ、マリッサ…行くぞ」
「「「了解」」」
仲間の冒険者たちはリーダーの呼びかけに揃って答えた。
「…ふぅ」
翌日、ユージンは宿を出て大通りを歩いていた。顔は凄く疲れている。
外界のベッドは恐ろしく不衛生だ。細菌まみれ、埃もあるし、安宿だったせいか、隙間風も入ってきた。信じられない。
昨晩はそんなことを考える余裕もなかったが、朝になって発狂しかけた。
しかし、それでも、そんなことで悩めることが幸せだと思える。
ユージンは本を持っていない左手で義眼に触れる。
片方の視界がないことにはまだ慣れない。左右の目で把握していた遠近感が、片目になったことで掴みにくくなり、奇妙な感じだ。
左目の傷は治療によって完全に癒えている筈だが、じくじくと左目の奥が痛むような気がする。
その痛みから気をそらすように、これからのことを思案する。
外界に出た目的は魔神教の調査と新技術、新資源の獲得だ。
腕に抱えた大きな本は、興味深い資料ではあるものの、新技術、新資源かどうかはわからない。
魔神教の調査に関しては、自分では正直継続できるか、まだ自信はなかった。
脳裏に焼き付いたあの青いフードの男の笑い声がフラッシュバックする。
「…」
左目の借りもあるし、仮面の集団と魔神教の関連を調べていきたいところではあるが、そうするとあの男と遭遇する可能性もある。
むしろ、仮面をつけた者に遭遇した際、自分がパニックにならないとも限らない。
(俺は果たして魔神教の調査を本当に続行できるのだろうか…?)
そのような疑問が浮かんでくる。
そこに唐突に声がかかった。
「おい、そこの者」
なにも悩みのなさそうな通る声に思考が遮られ、イラッとする。
「…なに?」
ユージンは不快感を隠さずに、声の主を睨み上げた。
そこには背中に2本の剣を差した女ドワーフがいた。
女性の中でも長身な方で、ユージンとはかなりの身長差がある。
豊満な胸のせいでユージンの角度からだとほとんど顔が見えない。
「儂の臣下にならぬか?」
その女はいきなり失礼なことをユージンの遥か頭上からのたまう。
「いや、ならないけど」
低い声でその偉そうな勧誘を跳ねのける。ふざけんな、と唾を吐きかけてやりたいくらいの苛立ちだ。
もちろん、そんな野蛮なことはしないが、この胸に栄養がいってそうなドワーフは一体なんなのか。
いや、もう構うまい。昨日から変な奴と絡んでロクなことなどなかった。
「じゃあ…」と立ち去ろうとすると、女は「まあ待て待て」とユージンの肩を掴む。
「儂は国を作って王になりたいのじゃ。王になるには有名になる必要がある。そして王には賢い右腕が必要じゃ。お主は見るからに賢そうじゃ。力を貸せ」
「え?嫌だけど…」
知らねーよ、とユージンは女の手を振りほどき、再度立ち去ろうとする。
女はその反応が意外だったのか、一瞬キョトンとした後、すぐに追いすがってくる。
「待て待て。儂の直観がお前じゃ、と言っておる。せめてどうしたら有名になれるかだけでも知恵を貸してくれんかの?」
先ほどよりは下手に出てくる。面倒臭い。でもこれを無視したら地平線の彼方まで追いかけてきそうな気がする。
ユージンはため息をつく。早めに満足させてさっさと距離を取りたい。
「それで離してくれる?」
「わかった。約束しよう」
ドワーフの女は素直に頷いた。有名になりたいのであれば…と考えて昨日のギルドが思い浮かんだ。
あそこは情報の宝庫だ。そして活躍すればするほどより重要な情報が得られる。
逆に言えば、そうした情報を任せられるものはそれなりの信頼や名声を持っている。
「…そんなに有名になりたいならさ、ギルドに行って冒険者にでもなれば?」
「そ、それじゃー!!!!」
女は名案だ、とばかりに大きな声を上げた。…とてもうるさい。
とはいえ、ユージンもまた、自分が今後どうすればいいか、ヒントをもらった気がした。
そうか、自分も魔神教のことや新技術、新資源などの獲得を考えるのであれば冒険者をすべきではないだろうか。
お礼代わりにこの変な女にも冒険者登録の仕方を教えてやることにする。
「…冒険者になるならギルドに行けば手続きの仕方を教えてもらえ…あれ?もういない。なんだよ、アイツ」
ユージンが女に冒険者へのなり方を伝えようとした時にはすでに彼女の姿はなかった。
「変な女…」
この出会いの翌日、ユージンは「ドワーフの二刀流女剣士ヴァルナが、ハイ・ソシアを倒し、死体を引きずって街を歩き、ギルドの門を叩いた」という噂を聞いた。そして彼女に冒険者を勧めたことを猛烈に後悔することになる。




