第32話 遡行者ユージン
――――― アマイア暦1330年 桜の月6日 午後 ―――――
<ルムス大平原南 魔神教アジト近辺>
白い光から意識が戻った瞬間、ドスッ、と背中が強い衝撃に見舞われる。
「がっ…」
「ひゃははははははは!!!!!!!!お待たせぇ!!!迎えに来たぜ、ヨハンくん。いや?送りに来た、が正解か?」
耳障りな笑い声と共になにもない空間からフードをかぶった男が姿を現す。
相変わらず無色で、ノイズの走った視界だが、その男の声だけでエドヴァルトだとわかる。
ユージンを捕まえるために追跡してきたのだろう。いつの間に接近されたのかは全く気づくことができなかった。
先程、オルロに奇襲をかけたのと全く同じ現象だ。
いくら直前まで魔神に意識を奪われていたとはいえ、ユージンも警戒してここまで逃げてきた。
レベル5であるユージンの警戒を抜けて攻撃できるとすれば、シエラの『姿隠し』と同系統の隠密スキル、あるいは、『半熟卵の英雄』ボイルのような知覚できない程の超スピードで放つ攻撃のどちらかと考えていいだろう。
「狩人」の戦闘スキル「ハイド」の可能性もあるが、ただの「ハイド」でここまでの奇襲攻撃ができるとは思えない。
だが、「やはりか…」と刺されたユージンは落ち着いていた。ウロスから呼び出された時、何者かがこの後襲撃するのだろうな、と予測していたからだ。
そしてその相手はエドヴァルトである可能性が高いとも思っていた。
ウロスが直前に『そろそろお客さんがくる』とヒントをくれていなければ、心の準備もできなかっただろう。
ユージンが数秒後に攻撃を受けることを知っていたからウロスはわざわざ場所を変えたのだ。
「ルール」とやらに則った上でできるギリギリのヒントなのだろうか。
それを抜きにしても、ウロスはユージンが自分の撒いたヒントに気づけるかどうかを楽しんでいるふしがある。
もし、ヒントに気づけず死んだとすれば、『ヒントはやった。気づかなければゲームオーバー。そこまでの男だったってことだな』と彼は言うだろう。
「…ぐぅぅぅぅぅううう」
ユージンは泡を吹きながら必死で背中の痛みに耐え、痺れる足で、なんとか地面を踏みしめる。そしてスマートワンドを左手で握り締め、エドヴァルトに向き直った。
「痛いか?痛いよな?痛いだろ?痛い筈だ!そりゃそうだ。内臓はいっぱい神経が通ってるからなぁ。即死しないところを選ぶのがコツだ。だって、一番痛いからな!」
「ひゃははははははは!!!!!!!!」と大声で笑う。
エドヴァルトの笑い声による振動が鼓膜を打つだけでも、失神しそうな程の痛みが脳を刺す。
だが…
ここで倒れるわけにはいかない。
せっかくウロスと新たな契約を結び、力を得たのだ。
ここで諦めれば全てが終わってしまう。
背中の傷は間違いなく致命傷だ。もう間もなくでユージンの命は終わるだろう。
だが、恐らく「魔神の加護」は発動しない。なぜならこれは運命との駆け引きだからだ。
「コ、コマンド…○○○○」
痛みに必死で耐えながらスマートワンドを起動させ、魔法を設定する。
スマートワンドのライトが輝き、戦闘スキル「○○○○」の詠唱をユージンの代わりに開始する。同時にとんでもない魔力量を杖に吸い上げられる。
魔力を吸収された瞬間、全身が脱力する。ユージンの命は残りは本当に残り僅かだということが本能的にわかる。
後は詠唱が完了するまでユージンが生きてさえいれば…。
―――いや…ヤバい…
ユージンは背中に突き刺さったナイフを思い出し、青ざめる。
今、「○○○○」が詠唱を開始できたということは魔力はしっかりあったということだ。
―――それなのに、なぜ背中にナイフが刺さっている!?魔法障壁はどこへいった?
「魔法使いはさぁ~、魔法障壁なんてもんがあるから良いよなぁ。安心しきっちまって痛みの耐性が低いのなんのって…。さっきみたいにそれを強引にぶち破るのも楽しいんだが…こんな便利なナイフもあるんだよ。『ウォールキラー』っていうんだけどさ…よいしょっと…」
「~~~~~!!!!!!」
ユージンの背中からナイフを引き抜き、「これこれ~」と血で真っ赤に染まったナイフを見せつける。
「なぁ、死ぬ時って、死ぬ前に魔法障壁が消えるのかな?それとも死んだ後に消える?もしくは同時?」
エドヴァルトは首を傾けてナイフを見つめて素朴な疑問を述べる。
そしてユージンを見て、仮面の中の目を歪める。
「試していいかなぁ?ね、ヨハンくん」
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
「ぎゃっははははははは!!!!!!やっべぇ!!!!」
エドヴァルトが興奮しながらナイフをユージンの身体へ何度も突き立てる。
「肩のここはどうだ?筋肉と骨の間にナイフを差し込むとどうなる?痛い?痛いか?ええッ!?ヨハンくん!!!」
「……………ッ!!!!」
ユージンは必死で口を結び、うめき声を漏らすに留める。
一度叫べば喉を潰してしまう。そうなればスマートワンドが音声認識に失敗する可能性がある。
もしそうなったら全てがお終いだ。
―――だから耐えろ!!!
ユージンは歯を食いしばり、涙を流しながら痛みに耐える。
「ん~~~~、いいねぇ。せめて黙って反抗、かぁ?…燃えるねぇ」
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
―――なんでこんなことをするのだろう?
「黙ってないでなんとか言ってくれよ!つまんないだろ!?ほら、感想を言えよ!ここはどうだ?ここ、ここ、ここ、ここ、ここ、ここここここここここ!!!!!!!!ぎゃーっはっはっはっはっは!!!!!!!!!」
残虐な笑い声が辺りに響き渡る。
辺り一面がユージンの血で染まるが、それでもエドヴァルトは魔法障壁の上から透過するナイフを容赦なく振るう。
すでにユージンの右腕はナイフの刺し傷によってグチャグチャになっていた。
それでも耐える。
エドヴァルトはユージンになんとか叫ばせようと右腕を足で踏みにじる。
「んぅ~~~~~~~~ッ!!!!!!!!!」
奥歯が噛み締め過ぎて砕ける。だが、それでも意地で口を開かない。
エドヴァルトが面白がってユージンを叫ばせようとしている以上、彼はユージンの口や喉を潰すことはない筈だ。
―――この変態野郎は絶対に俺が苦しんで泣き喚くのがみたい筈。だから耐えろ!!!
「感想ッ!どうだよ?痛いのか?それとももしかして気持ち良くなってきたかぁぁぁぁンンン?そろそろ出てくるだろう、脳汁がよぉぉぉぉおおおお!!!!」
ダンダンッ、と右腕を踏みつける。
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
―――なんでコイツは俺にこんなに執着するんだ?俺がお前になにしたっていうんだ!
「…おいおい、意識をまだ失うなよ?どうぜ加護で復活するんだから、それまで俺を楽しませてくれよ!なあ!なあ!なあ!ほら、ここはどうだ!?」
エドヴァルトは意識が朦朧としているユージンの頬を掴み、顔を近づけると、太ももの付け根にナイフを突き立てる。
「叫べよぉ~。痛いだろ?ヨハンく~~~~ん」
「んんんぅ~~~…ぎぎぎぎぎぎ………ッ!!!!!」
―――痛いよ、心が壊れそうだ。
ナイフの刃が太ももの付け根から膝にかけてザクザクと皮膚を切り裂きながら進んでいく。
「んんんんん!!!!!!!!!!」
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
―――早く死にたい…殺して欲しい……
ぼんやりとした意識の中で死という永遠の安寧を望み始める。
―――俺はなんでこんなに頑張っているんだ?叫べば少しは痛みが和らぐんじゃないか?
「あ…………」
「んんんんん~~~~~~?」
目を三日月の形に歪めたエドヴァルトがユージンの口に耳を近づける。
その時、脳裏にルッカの笑顔が浮かぶ。ハッ、と意識を取り戻したユージンは…
「ンンン!!!!!」
―――違う!ダメだ、耐えろ…
涙を流しながら必死で叫ぶのを我慢する。
―――ここで諦めれば全てが終わる。ルッカもオルロもシュネルも…その死が全て無意味になる…
ユージンの顔に再び強い意志が宿ったのを見てエドヴァルトは「チッ」と舌打ちする。
「おっしいなぁ。もたもたしてっと死んじまうなぁ。どうするかなぁ…もういいか、内臓、いっきま~~~~す」
エドヴァルトは明るい声を上げてユージンの腹にナイフを突き立てる。
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
痛い痛い痛い
―――心が…砕けていく…
時間にすれば僅か数分だろう。
だが、ユージンの心を壊すには十分すぎる程の時間だった。あまりのストレスでユージンの髪が白く染まっていく…。
悪魔のような笑い声が森の中に木霊した。
スマートワンドを見たことのないエドヴァルトは、ユージンが魔法を詠唱していることを知らず、夢中でユージンの内臓にナイフを突き立てていた。
「これでもか!これでもか!これでもか!これでもこれでもこれでもこれでももももももももももも!!!!!!!!!!!!!」
「…………あ」
命が失われていく…
魂が身体から浮き上がっていく感覚があった。
俺は死ぬんだな、と直感的に悟る。
間に合わなかった…。
なにもかも…
その時、壊れた義眼のノイズが突然消え、クリアな世界が目に飛び込んでくる。
幻覚だろうか?
間違いないだろう。
そこにいたのは薄っすらと透けた姿のエルフの少女だったのだから…。
『ユージン』
エルフの少女は微笑む。
「る…」
開きかけたユージンの唇を彼女はそっと人差し指で塞ぎ、その指でユージンの横に転がっているスマートワンドを指差す。
『よく頑張ったね』
ルッカは優しい声で彼の労をねぎらう。
「~~~~~~~!!!!」
スマートワンドが詠唱を終えた証にライトを点滅させていた。
『…あと一歩だ、ユージン』
彼女の隣には同じく透けた姿の赤髪の青年が笑いかけていた。
『根性見せろ!!!』
赤髪の青年はぐっ、と力強く拳を握り、ユージンの顔の前に突き出す。
『ユージン』
白く細い手がそっとユージンの肩に乗る。
ミントグリーンの髪をした青年が微笑む。
『僕らはいつでも君の傍に…』
「………ああ」
ユージンは涙を流しながら小さく頷き、小さく声を漏らす。
「なんだ???幻覚でも見てンのか?」
エドヴァルトがユージンの内臓をかき回しながら、彼が穏やかな顔をしているのを見て不思議そうに首を傾げる。
「結局叫ばないまま逝っちまうなぁ…。クククククッ…………ん~~~、まあいいや、気が変わった。…生き返ったら今度こそ叫ばせてやるよ。何度でも何度でも何度でも何度でもチャレンジしてやるよ。………ババアにはめっちゃ怒られるだろうがなぁ。くはははははっ!!!!だから安心してイけ!!」
ナイフを抜き、振りかぶってユージンの抉られた右目の穴にナイフを突き立てようとする。
その直前、血の泡を吹きながらユージンはたった一言だけ呟く。
「『アンドゥ』」
その瞬間、スマートワンドが黒い輝きを放つ。
「なんだ!?」
ナイフが目に突き刺さる直前で右目から発せられた黒い炎に弾かれる。
「………ッ!?」
エドヴァルトは目の前の現象に驚き、後ろへ飛び退く。
同時にユージンの身体の下に紫色の禍々しい魔法陣が展開される。
その魔法陣は通常の魔法陣よりも遥かに精緻で細かい文字が書き連ねられていた。
それは賢神に愛されたトントゥの魔法使いを知っているならば、一度は目にしたことがある魔法陣に似ていた。
時計を模した魔法陣…
「賢神の加護」を発動時に現れる魔法陣にそっくりだった。
「なんだかわからねぇが、やべぇのか?!」
ナイフを構え、警戒しながらユージンから距離を取った。
エドヴァルトが見つめる中、紫色の魔法陣の黒い時計の針はぐるぐる、と逆回転を始める。
それはまるで賢神ライラをあざ笑うかのように、世界を冒涜するかのように狂ったように高速で回る。
同時にユージンの右目に宿った炎が涙のように頬を伝い、彼の右半身を包んでいく。
そして、時計の針が止まった時、世界の色が一瞬白黒反転した。
――――― アマイア暦1330年 桜の月6日 午前 ―――――
<ルムス大平原南 魔神教アジト>
「ユージン?」
「!?」
聞き慣れた声が仮面の下からこちらを心配そうに呼ぶ。
黒いフードを被り、一般信者の仮面をつけたシュネルが目の前に立っていた。
「なにボサッとしてるッスか、早く追うッス。A6かF5、どっちにするんスか?」
首から音波が飛び、ユージンの鼓膜を震わせる。
「!!!」
ユージンは弾かれたようにキョロキョロと左右を見回す。
先程、ルシアと戦ったあの場所だ。
アジトの入り口の螺旋階段を降りた最初の寝室…。
「はははは…」
ユージンは乾いた笑い声をあげる。左目の義眼は故障していないし、右目もしっかりとある。
魂の記憶はしっかりと引き継ぎながらも、数時間前の自分の身体に戻ってくることができた。
魔神ウロスから借り受けたスキル「アンドゥ」は「時を遡る」力―――正確にはユージンの未来の魂を過去へ上書きする力だった。
「…大丈夫?」
シュネルが小さく震えるユージンを心配そうに見つめた。
「…!!その髪!…それにその目、どうしたの?」
仮面の下から覗くユージンの髪と右目の異変に気づき、シュネルは思わず声をあげる。
栗色だった髪は色が抜け落ち真っ白に染まっている。そして、右目は白目が真っ黒に染まり、瞳がアメジストのように紫色に光っていた。
「ちょっと待って…」
さらに仮面の隙間から覗く右目の上下に刻まれた刺青に気づいたシュネルは、周りの信者たちに気づかれないようにユージンの手を引いて近くの通路に入る。
そして、ユージンの仮面を素早く剥ぎ取った。ユージンの右目の上下には一本の蜂の巣のような刺青が刻まれていた。
ユージンの肩を掴む。ローブ隙間からは真っ黒に染まった右の鎖骨が覗きシュネルはぎょっとした顔をする。
「…シュネル、時間が…」
「ダメだ」
シュネルは真剣な顔で首を振り、取り合わない。そして素早く他に彼の身体に異変がないかを確認していく。
ユージンのシャツを下からめくると、黒い痣は右腕だけでなく、腹の半分、そして右足全体にまで及んでいることに気づく。
昨晩、一緒に水浴びした際にはなかった痣だ。明らかに今の一瞬でできたもの。
「…なにがあったの?」
シュネルはじっとユージンの顔を見つめて彼を問いただす。
「…」
目の前にいた相棒の姿が一瞬で別人の風貌になったのだ、シュネルのこの反応は当たり前だろう。
別人の風貌になったのは当然だ。なにせ「アンドゥ」を使用した対価として、魂の3分の1を魔神ウロスに譲ったのだから…。
ユージンの顔に手を伸ばそうとするシュネルの手を咄嗟に払い除ける。ユージンの強い拒絶に彼はびっくりした顔をする。
「悪い…今は説明できない。時間がないんだ。先にCブロックに向かう」
ユージンはシュネルから顔を背け、仮面を被り直すと行き先を宣言する。
「う…うん」
シュネルは跳ね除けられた手を反対の手で触り、頷いた。だが、シュネルの心をフォローしている余裕はない。これから状況は刻一刻と悪化していく。
未来の情報では、Cブロックにはオルロがいるはずだ。ルッカを助けるために、まずはオルロと合流する。
「案内しろ、ニゴウ」
首に張り付いたトカゲ型のドローンに小声で命令する。
「え?…Cブロックッスか?まあアンタがそれで良いなら案内するッスけど…」
ニゴウを操作する人間は驚いたような声を上げるが、ユージンのリクエストに従って案内を開始する。
―――もう誰も殺させはしない。誰も。
ニゴウの案内に従ってCブロックに続く道を駆けながらユージンは心に誓う。
そのために自分の主神と決別し、魔神から「時」を否定する「遡行者」としての力を借り受けたのだから。
長かったユージン編、ようやく完結です。お疲れ様でした!この機会に面白かったら評価やブクマをお願いいたします。作者がやる気になります!^^




