第30話 真っ直ぐ
「仲間…?そう、アンタが『偽の英雄』ね。あの英雄の名前を語っているっていう」
槍斧―――「白天狗」を担いだルシアはじろりとオルロを見て鼻で笑う。
「ああ、俺も大層な名前だって思うよ。…だが、この名をくれた人のためにも俺はアンタには負けられない。…魔神を復活させようっていうアンタたちにはね」
オルロは自分の名付け親である大都市ネゴルにいる道具屋の娘アンのことを思い出す。
しばらく彼女の前に顔を出していないが、彼女は今、元気だろうか、と彼女の顔を思い浮かべた。
「…偽物が正義の味方にでもなったつもり?」
ルシアは不愉快そうに眉を顰めた。
そして首を横に振ってため息をつく。
「………はぁ、今日は最悪の日だわ。信じてた子たちには裏切られるし、イレーネ様に歯向かう連中にも絡まれるし…」
返り血とシュネルから受けた傷で血まみれになったルシアはギリギリ、と歯を食いしばる。
そしてオルロの後ろにいるユージンを冷たい目で見た。
「ユージン…どうやって生き返ったのか知らないけど、貴方の魂は私が必ず殺すわ。ヨハンを殺したこと、シュネルを唆して私に処分させたこと、私は絶対に許さない」
勝手に人を攫い、記憶を奪って、利用しておいて無茶苦茶な理屈だ。しかし、感情的になっている彼女に理性的な言葉は届かないだろう。
「そしてあの方に私と同じように今度こそ完璧に魂を移植してもらいましょう」
ルシアはそう言い放つやいなや槍斧をオルロに向かって突き出す。
「おっと…」
ギィィィィン!!!
オルロの剣がそれを受け止め、弾く。
すかさずオルロは剣を切り返し、ルシアの首を狙う。
「消えた……!? ……ッ!!!!」
「透明の剣」が光の反射によって「ステルス」効果を発揮し、姿を消す。
まだ剣の間合いを掴めていないルシアは、自分の身体に剣が到達する時間が読めない。
だが、首元に突然現れた刃をスキル「奇襲無効」でギリギリ察知し、仰け反って回避する。
「せいっ!!!」
オルロは気合いとともに刃を立てて、体勢を崩した状態のルシアに振り下ろした。
「ふっ!!」
ルシアは地面に槍斧を突き立てると、反動を使ってそのまま後ろに跳ぶ。オルロの剣が空を切り、両者の視線が交差する。
「やるわね…」
槍斧を引くと同時に斧の部分でオルロを斬り上げる。
オルロはそれをかわしつつ、腰に吊るしていた銅のナイフを素早くルシアに投げつける。
「そんな目くらまし………ッ!?…またッ」
ルシアに飛んできている筈のナイフが消える。
「奇襲無効」のスキルが発動し、ナイフ自体が気配を消していることを理解したルシアは視覚に頼らず、槍斧を回転させてナイフを弾く。
「奇襲攻撃は…」
「効かないんだったよな!!」
ナイフに気を取られている間にオルロが接近する。手元にある剣は姿が隠れ、剣の柄しかみえない。
「見えなくても感覚でわかるんだから………ッ!?なに…これ」
オルロが剣を振るう。視覚では刀身が捉えられない。だが、それだけではなく…。
「スキルでも感知できない?!…ッ、ええい…」
ルシアは刃が飛んでくるであろう位置に槍斧を構えて防御姿勢を取る。
しかし、オルロの剣の柄は槍斧を通過し…空を切る。ルシアの身体を透明の刃が斬り裂くこともなかった。
「…ッ!!はめられた」
オルロの右手に持つ剣の柄には本当に刃がついてない。ただの刃のない剣の柄だ。
つまり…
「悪いな」
左手に持ったオルロの剣がルシアの死角から振り下ろされ、身体を斜めに斬り裂く。
「…くそ」
ルシアの身体が鎧ごと大きく裂けて、中から血が吹き出す。明らかな致命傷だった。
シエラやシュネルすら倒せなかったあのルシアを、立ち回りで圧倒したオルロは血に濡れた剣を無言で下ろす。
「オルロ………ッ」
息を飲んで戦いを見ていたユージンは彼の名前を呼ぶ。
とんでもない男だ。
以前は神業的な弓の腕前が印象的だったが、今の彼の剣技は下手をするとヴァルナをも上回るかもしれない。
「がふ…ッ」
地面に膝をつき、身体から臓腑を撒き散らしながらルシアが床に倒れる。
「まだ…まだ死ぬわけにはいかない…ッ」
ルシアは内臓が地面にこすれるのも構わず、ユージンの方に向かって這いつくばって進んでくる。
「………ッ!!」
ユージンはその鬼気迫る表情に思わず後退る。
「まだ…ヨハンを…………とり…もど………」
そこで目の光を失い、ルシアはバタリ、と地面に伏した。
血でできた水たまりが寝室の床に広がっていく。
「…やった…のか?」
「いや、まだだ」
ルシアの傷口から吹き出す黒い煙を見て、オルロは首を振る。
「魔神の加護」が発動している。
飛び散った臓腑が1つにまとまり、ルシアの身体の中に黒い煙とともに収まる。
身体の傷がピタリと閉じ、ルシアの魂が肉体から離れるのを止める。
「…ふう」
ルシアは両手をついてゆらりと起き上がった。
そして右肩から左の腰まで斬られた痕をなぞり、その傷が綺麗に消えていること、そして代わりにその傷跡に蜂の巣のような刺青が入っていることに気づいて頬を緩ませる。
「…ああ、ウロス様、感謝致します」
ルシアは両手を広げ、天を仰いで主神に感謝を伝える。
燃えるような長い赤い髪の間から恍惚とした表情を覗かせた。
「想像以上にやるわね。本当に死んだと思った。…いや、実際死んだのね。本当はもっと戦いを楽しみたいところだけど、こっちもあまり時間がないの。そろそろ面倒なのが集まってくるだろうから」
槍斧の穂先が黒く染まっていく。そしてそれを金色の輝きが包む。
ルシアはユージンを見て微笑む。
「だから、悪いけど貴方を生け捕りにするのは諦める。死んでみて、私、わかったの!…私と同じように、貴方を生かすべきかどうかをウロス様に決めてもらえばいいんだわ!!」
叫ぶと同時に槍斧を振るう。戦士の戦闘スキル「裂波」が寝室の空間を大きく震わせ、凄まじい衝撃を放った。
直後、寝室の床が大きく凹み、ルシアの目の前に巨大なクレーターが出現する。
「…ッ!!!」
間一髪でユージンを掴み、攻撃範囲から逃れたオルロはルシアを睨む。
「お前…」
ユージンを引き渡せと先ほどまで言っていたのに彼を巻き込むような範囲攻撃を放ってきた。
ルシアは「フフフ…」と口から声を漏らす。そして顔を傾けて目を細める。
「大丈夫よぉ、頭が残ってれば多分怒られないし…もしウロス様に必要な人間なら仮に死んでも加護が発動するわ。シュネルは生き返らなかったけど…私は生き返った。それはつまり、そういうことでしょう?」
魔神ウロスに必要な人間や魔物はどんな時でも絶対に生き残る。
エドヴァルトも魔神教の集会で言っていた実に魔神教らしい乱暴な理論だ。
「ルッカ…シュネル…」
ユージンがクレーターを見て呟く。「裂波」に巻き込まれ、2人の遺体は跡形もなく消失していた。
「すまない…3人抱えて逃げるのは無理だった」
オルロは申し訳無さそうに目を伏せる。
「…くッ!!!!」
ユージンは震える手でスマートワンドを構え、ルシアに向ける。
「しょ………ショートカット、『エネ…』」
「やめなさい」
「!?」
ルシアの一言でスマートワンドへの魔力が止まり、魔法が中断される。
「なんで…」
スマートワンドの故障を一瞬疑うが、即座にそれを否定する。
ユージン自身が魔力の供給をストップしているのだ。
「貴方も司祭になればわかることだけど、『組織』の信者は上位者には逆らえないようになっているのよ」
クスクスとルシアは笑う。
「ほら、私たちの『組織』って、時には死ぬとわかっていても戦わなきゃいけないようなこと、あるでしょう?…いくら『組織』の子たちが優秀だからって皆が皆、そんなことできると思う?」
「…!!………祈りか」
先程のシュネルの会話でも祈りになにかからくりがあること匂わせるようなことを言っていた。
上位者に逆らえなくする仕組みが祈りにあるとするならば、恐らく原因は魔神ウロスを象徴するというあの紫色の炎だ。
あの炎にはなにか薬が混ぜられているだろう。だとすれば、色が紫なのは魔神ウロスの力云々ではなく、その薬を燃やした時の化学反応ということになる。
研修施設で信者たちが最初に1週間、寝食以外祈りの部屋で祈りを捧げるのは薬物による洗脳を行うためだったのだ。
そうなると、信者に比べ、幹部候補であるユージンやシュネルの祈りの時間が短かったことや、悪さをした時の罰として祈りをさせられていたこと、アジトから出る直前に祈りの時間が延びたことなどの理由にも想像がつく。
使い捨ての信者は、研修施設で長時間祈りをさせて、紫色の炎の煙を吸わせる。そうすることで、身も心も完全に支配し、命令1つで命すら投げ出す人形に変えてしまう。
一方で、将来魔神教を背負って立つ可能性のある有望な人材は、自発的に考え行動できる余地を残す必要があるため、祈りの時間を一般の信者よりも短い。だが、上位者に歯向かわない程度は洗脳行う。…ユージンやシュネルがアジトからの脱出路まで作ったのに、アジトを脱走しようという発想に至らなかったのも薬の影響があったためだろう。
悪さをした時やアジトから出る時に祈りの時間長くしたのは、ユージンやシュネルをよりコントロールしやすくする意図があったに違いない。
そして、ルシアやエドヴァルトなどの司祭クラスになると最早洗脳は終了しているのか、あるいはその必要すらないと大司祭たちに判断されているのか、紫色の炎の秘密を教えられるということではないだろうか。
そうなると、目の前にいるルシアも今の姿が彼女の本質なのか、それとも魔神教の洗脳によってこのようになっているのかがわからなくなる。
ユージンはそこまで思考を巡らせた後、全身に鳥肌が立っていることに気づく。
「もうちょっと祈りの時間が長ければ、彼を後ろから撃たせたんだけど…」
ルシアは「残念」と呟き、そして槍斧に雷を纏う。
戦闘スキル「稲妻斬り」―――あの「全武装」のシュネルすら葬ったルシアの必殺技だ。
しかし、先程と異なる部分もあった。
「ああっ…なんて、なんて素晴らしい…」
ルシアがうっとりとした表情で官能的な声を上げる。
彼女の左腕が見る見るうちに黒く染まっていく。
加護による復活の際、身体に刻まれた蜂の巣の模様をした刺青が彼女の左腕まで延び、黒く染め上げているのだ。
左腕が漆黒に染まった瞬間、槍斧の纏っていた雷もまた黒く染まる。途端に纏う雷の放電量も先程とは桁違いに上がる。
「今度は当てるケド…ウロス様なら絶対貴方を生かしてくれる筈だわ。だって私ですら加護をくださったんですもの…………だからまた会いましょう」
その時…
「…真っ直ぐ」
オルロがぼそりと呟く。
「………はぁ?」
ルシアがオルロの発言を聞き返す。
魔神ウロスの力を得て、万能感に浸っていた彼女は期待していた反応と異なるオルロに不快感を示す。
この圧倒的な力を目の当たりにしてなぜこの男は冷静でいられるのかが理解できない。
通常ならば、ここは恐れ慄き、泣き叫んで命乞いをする場面の筈だ。
この男はあまりに力の差がありすぎて事態を理解できていないのか、あるいは恐怖と絶望によってすでに壊れてしまっているのか。
ひょっとすると新しいパターンの命乞いなのだろうか?…命乞いならば聞いてやろう。技を止めるつもりはないが…。
「なに?」
「……真っ直ぐだ。俺は真っ直ぐアンタに突っ込んで、アンタがその技を発動する前に斬る」
目の前の男は「透明の剣」を構えて静かに宣言する。
…なにを言っているのかわからない。気でも触れてしまったのだろうか、とルシアは心の中で首を傾げる。
そして、先程、自分がやられたようになにかこちらを動揺させる駆け引きを仕掛けているのではないかと思い当たる。
無駄な努力だ、とルシアは口元を緩めた。
「またさっきみたいに私を惑わせようってわけ?………無駄よ。『稲妻斬り』よりも疾い攻撃なんてない…………………消し飛びなさい!!!!」
槍斧を振りかぶったルシアが叫ぶ。
黒い雷が全てを破壊する咆哮をあげ、彼らに向かって駆ける。
神速の雷撃はルシアとそっくりな髪色をした『偽の英雄』とルシアを騙した裏切り者を跡形もなく消し飛ばす。
………………筈だった。
「『影踏』」
ルシアの耳にぼそり、と『偽の英雄』の声が聞こえた。
瞬間、ルシアの視界が真っ赤に染まる。
視界いっぱいの赤。
それは自分の血であるとルシアは遅れて気づく。
斬られた?!
一体いつ!?
え?なんで?
頭の中で様々な疑問が浮かぶ。自分の視界がやけに低いことに気づく。
ルシアの下半身が自分の頭の斜め左にあった。
下半身から吹き出す血をシャワーのように頭から被り、ルシアは血の中に溺れていく。
視界の端に自分を斬った男が、こちらに背を向けて立っているのが見える。
両足の義足の推進装置が地面を赤く焼き、煙を上げている。
おかしい。
「奇襲無効」は正常に働いている筈だ。
だが、認識できなかった。
どういうこと?
まさか、私が認識できない程、疾く近づいて、斬ったっていうの!?
致命傷過ぎて、身体が既に痛みを発することを諦め、脳からドーパミンやエンドルフィンが分泌し始めていた。
刹那の快楽に意識を委ねながらルシアは絶命までの残り僅かな時間で思考を続ける。
ああああああ…………
また死んでしまう………偽物のくせに……
でも、ウロス様ならきっと…
『ああ、わり、二度目はないかな』
「!?」
脳内で主神の声が響き、あっさりとルシアの期待を裏切る。
「なぜですか?!私は貴方様のためならなんでも」
『あー…うん、ごめんな。でもいいの。お前は十分良くやったよ。目的は果たせたから。お役目ご苦労さん。………じゃあゆっくり休んで次の出番にでも備えていてくれ』
主神はさらりと謝る。そして彼が自分の傍から離れていくのをルシアは感覚的に理解した。
実際、ルシアにあった蜂の巣模様の刺青が消失し、彼女の真っ黒に染まった左腕も元の肌の色へと戻っていく。
脳の快楽物質を上回る程の強い寂寥感が彼女を襲う。
「行かないで!私を1人にしないでください!!」
ルシアは心の中で必死に叫ぶが、主神が彼女に返事を返すことはなかった。
「やった…のか…?」
ユージンはルシアの身体を纏っていた黒い煙が霧散していくのを見て呟く。
「みたい…だな」
オルロはその場に剣を突き立てて、返事をする。
「加速した時」を移動した反動で、後回しにしていた情報のフィードバックが一瞬でなされ、「時酔い」を起こしていた。
今はここから一歩も身体動かすことができない。
「そうだな。俺の出世のためにご苦労さん」
その時、ユージンは聞き覚えのある男の声に寒気を覚えた。
直後、オルロが突然、地面に倒れる。
「!?」
背中には歪な形のナイフが突き刺さっていた。
「ぐっ…あああああああああああああ!!!!!!!!」
オルロが叫ぶ。彼の背中の傷口から植物の蔓が伸び、目や耳、口、体中の穴という穴から植物が勢いよく伸びる。
「あがががごごごご……………」
オルロの叫び声はすぐに植物によって掻き消される。口から吹き出す植物によって顎が外れ、目が飛び出し、穴の空いていない部位からも植物が突き破ってくる。
「ひゃはっ!すげぇ!すげぇすげぇすげぇすげぇ!!!!すっっっっげぇぇぇえええええ!!!!マジか、お前、良い苗床だなぁ!!」
目の前に突然姿を現したのは青いフードをかぶった司教の仮面をかぶった男。
彼はオルロの身体を肥料にぐんぐんと育っていく植物を見て興奮気味に叫ぶ。
植物はオルロの身体の上で毒々しい花を次々と咲かせていった。
「やっぱ良いなぁ、『パラシック』。ひゃはっ、テンション上がるぜぇぇぇ。ルシアもいなくなったし、俺、出世街道爆走中だなぁ。ついでにイレーネのババアも殺しとくかぁ?」
ピクリとも動かなくなったオルロの前にしゃがみ込み、背中から嬉しそうに歪なナイフを引き抜く男を見て、ユージンは声を絞り出す。
「…!!エド…ヴァルト」
「ああん?」
声をかけられたエドヴァルトはご機嫌でこちらを振り向き、眉を上げる。
「おお、誰かと思えばその声は………んんっ、間違いない。ヨハンくんじゃぁぁぁん!……あ、コイツ、お友達だった?」
ナイフの先端でオルロの頬をザクザクと刺しながらわざとらしく尋ねる。
「なんでお前がここに…」
「なんでって…」
エドヴァルトは「ひゃははははは!!!」と愉快そうに笑う。
「さてはさては…君、この間の集会聞いてなかったね?戦争だよ、センソー。暇だったからちょっと俺も手伝いに来たってわけ」
エドヴァルトはそういうと立ち上がり、動かなくなったルシアの頭を踏みつける。
「そしたらルシア死んでるしさぁ…。まあ俺的にはうるせぇヤツが死んでラッキー……………ごほん、ラッキーだったわけだけど」
ぐるん、と顔を傾けながら仮面越しにユージンの顔を見つめる。
「なにが起きたか、俺に教えてくれるかな?あとさぁ、ついでにその余ってる方の右目、今度はそっちも貰っていいか?」




