第17話 存亡をかけて
「『狩る』?この我を虫ごときが狩ると?」
ドラゴンが牙を剥き、ヴァルナを睨みつける。
「竜燐を傷つけた程度で調子に乗るなよ、小娘」
「ハッ!こちらの攻撃が通るとわかった以上、お主はちょっと危ない火を吐くトカゲじゃ」
ヴァルナは犬歯をむき出しにして猛々しく笑う。
「ぬかせ!!」
ドラゴンが尾をくねらせ、ヴァルナを打たんと狙いを定めるが、先程の痛みを思い出し、一瞬、躊躇する。
「迷ったな?」
ヴァルナはその一瞬の隙を逃さず、二振りの剣を構えて、地を這うように駆ける。
『最強種であるドラゴンはその防御力の高さ故、滅多に傷を負うことはない。…逆に言えば、痛みの耐性が低い筈だ』
ベステルの言葉通りだ。
あの猫科のタテガミフサフサ中年男の分析は悔しいが正確だった。
―――寡黙なムッツリ助平のクセに。
闘技場でのヴァルナの戦いくらいしか見ていない筈なのに、ヴァルナよりも遥かにドラゴンのことを理解している。
ドラゴンは生まれつきの強さ故に、痛みの耐性が低く、そして、攻撃パターンが単調。
『…つまり、駆け引きをしない。…懐に入れば十中八九、踏みつけだ』
ヴァルナはドラゴンの右足が地面を離れるのを見て、瞬時に左上に跳躍する。
「正解じゃ、ネコちゃん」
ヴァルナが地面に浮き上がった直後、大地震かと思う程、辺り一帯が揺れる。
跳躍しているヴァルナでさえもビリビリとした空気の振動を受けた。
地面にいたら、仮に当たらなくとも振動で足や腰をやられていたかもしれない。
「せいッ!!」
右手に持った彗星の剣を振りかぶり、着地の勢いを上乗せした上段からの斜め斬りをドラゴンの左腿にお見舞いする。
水色の星のような輝きを放つ彗星の剣は竜燐をものともせず、鱗を弾き飛ばしながら膝に傷跡を残す。
「グォ!?」
「ち…、浅いかッ?!」
ドラゴンがまるで虫を潰すかのように右手でヴァルナを叩きつける。
ヴァルナはそれを左手の炎鷹で受け、「焔流」で威力を殺す。
先程のようにカウンターを叩き込もうとしたが、はっきり言ってあれは出来過ぎだった。
そうそう綺麗にカウンターが入るわけではない。
「…ぬう」
ヴァルナは唸る。
攻撃は通る。
…通るが、浅い。
竜燐で覆われた表皮を破って大きなダメージを与えるには至らない。
「焔流」は魔力の消費が激しく、そう何度も使えるものではない。
受けずにかわす。
そして攻撃が通るとすれば…
ヴァルナはドラゴンのクリーム色の腹を睨みつける。
煌々と光る赤い竜燐が唯一無い箇所。
普段から懐に入られることのない竜種は腹だけは比較的防御力が薄い。
ドラゴンの攻撃の一撃一撃はヴァルナの全力で放つ「陽炎」以上の威力だ。
まともに受ければ、身体はバラバラになるだろう。
「自己治癒力強化」を1回、「焔流」を2回使用した。
魔力の残量を考えれば、「焔流」は最大であと2回が限界だ。
考えなしの攻撃は命取りになる。
こちらの攻撃は当て、ドラゴンの攻撃は避ける必要があった。
「!?」
突然ドラゴンの口が光る。
ヴァルナは即座にマントを翻し、ドラゴンとの間に壁を作った。
瞬間、熱の凝縮された光線がヴァルナに向かって一直線に飛んでくる。
火蜥蜴のマントがその光線を拡散させる。
ヴァルナを避けて炎の海が後方の遥か彼方まで恐ろしい疾さで広がっていった。
先程は竜の吐息を完全に防ぎ切ったマントが僅かに熱を帯び、白い煙を上げる。
「…」
ヴァルナはマントをチラリと見て眉を顰めた。
火蜥蜴の皮で作ったマントもドラゴンの熱線を無限に防げるわけではない。
先程から耐久値がガリガリと削られており、いつ壊れてもおかしくない状態だ。
だが、ドラゴンにはそれを悟られてはならない。
竜の吐息は封じた。
撃つだけ無駄だ、と思い込ませる必要がある。
向こうもこれだけの威力の光線を吐くのだ。消耗も凄まじい筈…。
「大した威力じゃ。…じゃが、主のドラゴンブレスは対策済みじゃ」
「…小賢しい真似を」
ドラゴンが地面に両手をつく。
「虫ごときの前で手をつくのは癪だが…」
両翼をバサッ、と拡げ、そしてドラゴンは地面を蹴る。
「!?」
空に舞い上がり、あっという間にヴァルナの前から消える。
「逃げるのか!?」
ヴァルナは空に向かって叫ぶ。
あっという間にドラゴンは雲の上に姿を消す。
「…………!? 違う」
ヴァルナの危険感知能力が働き、両手の剣を構える。
ィィィィィィイイイイイイン…………
翼が空を切る高音が上空から聞こえてくる。
落ちてくる。
踏みつけの数百倍の威力を持った竜の一撃必殺。
隕石爆撃だ。
ドラゴンという大質量による超速落下!
竜燐の圧倒的な防御力を利用した空中からの突撃!
攻撃を受ける前にジャンプするなんて小細工で防げるようなものでは到底ない。
ヴァルナが全力で走って逃げようが、空からは丸見えであり、回避は不可能。
ドラゴンの身体が当たろうが、当たるまいが衝撃波だけで死ぬのは確実だ。
「聞いておらんぞ…」
ドラゴンの攻撃は単調。
引っ掻く、噛み付く、叩きつける、踏みつける、そして竜の息吹…。
この5種類だけではないのか?
そして竜の息吹さえ封じてしまえば、あとは回避をしながら攻撃を当て続ければいずれ倒せる、と。
「く…予定外じゃ…。予定外じゃが…」
ヴァルナは心の中で火神グレアムに祈る。
「我らがドワーフの神、火神グレアムよ…儂に力を貸し与えよ」
祈りに応えるかのように、ヴァルナのアレクサンドライトのような美しい青緑の瞳が、紫がかった赤い瞳へと色を変える。
そして長い髪も一部が炎のように赤い輝きを放ち、身体中を神の炎が包み込む。
奥の手―――「火神の加護」!!!
双剣に炎を集中させる。
火神グレアムの加護によって、運命の女神が双剣に力を貸し与える。
会心の一撃の輝きが加護の炎と混ざり合い、強い光りを放った。
「ヴァルナァァァァァ!!!!!!!!」
ドラゴンが大きく吠え、ヴァルナに目標を定めて、凄まじい勢いで落下してくる。
「焔流!!!」
ヴァルナも叫び、同時に双剣がオレンジ色の光りを放つ。
「うりゃぁぁぁぁぁああああああ!!!!!!!!!!」
ヴァルナはドラゴンの攻撃を避けるどころか、ドラゴンを目指して地面を蹴り空へと飛ぶ。
ドラゴンとヴァルナが交差する一瞬、火神の加護の力を得た焔流がドラゴンの隕石爆撃の衝撃を殺し、双剣がドラゴンの右肩に閃く。
ドラゴンの突進力を全て利用した渾身のカウンターを双剣で放ったのだ。
抜群の切れ味の彗星の剣が翼の竜燐を剥ぎ取る。
一瞬遅れて特殊な形状をした炎鷹が、竜燐を失い、むき出しになったドラゴンの翼の付け根を撫でる。
波打った形状の炎鷹が一度つけた傷を何度もなぞり、そして切断する。
「ガァァァァァアアアアアア!!!!!!」
ドラゴンは突進の威力を殺され、右翼を切断されて、右肩から地面に追突する。
辺り一帯の地面がドラゴンを中心に巨大なクレーターを作る。
ラフス川の水がちょろちょろとクレーターに流れ込み始める。
今、この瞬間、レイル共和国の地図は間違いなく書き換わった。
時間が経てばここには湖、もしくはラフス川の支流が生まれるだろう。
「火神の加護」を発動させ、「焔流」を成功させなければ、被害が一体どれだけ拡大していたのか想像もつかない。
しかし、問題は目の前のドラゴンだ。
「…ヴァルナァ」
右翼を失ったドラゴンは薄っすらとできた水溜りに着地したヴァルナを血走った目で睨みつける。
「絶対に殺す」
「殺す?喰わんのか?」
ヴァルナはドラゴンの血で濡れた双剣を振って、血を飛ばすとニヤリと笑った。
「…人間は時々マズい。あんなもの、二度と喰わん」
ドラゴンはご馳走と思って、人間を喰らった時に感じた腐った魚の匂いを何十倍に凝縮したような悪臭と、強烈な苦味と酸味、そしてえぐ味を思い出し、顔をしかめる。
あれはいつのことだったか、ドラゴンの記憶にはない。
しかし、あれから人間を食の対象としては見られなくなっていた。
むしろ人間を見る度に踏み潰したくなるような嫌悪を覚える。
「そうかい。それは良かった」
ヴァルナはニヤニヤと笑う。
「火神の加護」の炎がゆっくりと力を失って消えていく。
「…む?その炎」
そういえば、人間が炎を纏うのを前にも見た記憶があった。
人間を燃やすことはあるが、人間が自ら炎を纏っているのは珍しい。
そこでドラゴンは記憶が蘇る。
ヴァルナが最初に言っていた1年半前のテベロ竜災の記憶を…。
闘技場で人間にコケにされた怒りを…。
「…貴様、まさかあの時の虫か?!」
ドラゴンは思い出したように叫ぶ。
「ようやく思い出したか。忘れられた時はショックだったぞ」
ヴァルナは笑う。
「…なるほど、ここまで腹が立ったのは生まれて初めてだ」
思い返してみれば、あの時から人間に対して良い思い出がないことにドラゴンは気づく。
「…貴様を殺したら、貴様のような生意気な虫が生まれぬよう、全て焼き殺してやろう」
「片方翼が無いようじゃが、人間の里は広いぞ?トカゲ。飛べずに人間を滅ぼすにはどれくらい時間がかかるかのう?」
ヴァルナはせせら笑う。
「どれ程時間がかかったとしても、だ!!必ず殺す!!貴様らは我が滅ぼす!!」
ドラゴンは2本足で立ち上がると、左翼を拡げ、咆哮する。
手負いの化け物。
しかし、これだけ追い込んでも尚、まだ有利とは言えない現状がある。
武器は耐久値の心配こそないものの、通常攻撃では決定力不足であり、竜燐の内側に致命的なダメージを与えることは難しい。
竜の息吹を防ぐことができる火蜥蜴のマントはあと何回、ブレスを防げるかわからない。
攻撃を防ぐ唯一の防御スキル、「焔流」は残り1回。
攻撃スキル、「陽炎」は焔流を使えば残り1回、使わなくても3回分しか魔力は残っていない。
そして「自己治癒力強化」のスキルの効果も丁度今、切れた。
奥の手であった「火神の加護」も今、使い果たした。
はっきり言ってヴァルナの方がピンチな状況だ。
…だが、笑う。
ヴァルナはドラゴンを前にして不敵な笑みを浮かべ続ける。
窮地に立たされているからこそ、気持ちだけは負けない。
「決着をつけようぞ、トカゲ」
「…望む所だ、ヴァルナ」
…ヴァルナとドラゴン、互いの存亡をかけた最終決戦が始まる。




