第6話 テベロ竜災 その1
灼熱の炎が熱線となって闘技場に降り注ぐ。
その場にいた全ての者が一瞬にして眩い光に呑み込まれた。
眩い光がおさまった時、闘技場一帯は業火に呑み込まれていた。
石畳が真っ赤に光り、地面を煌々と照らす。
熱線に直撃した観客は消し炭となり、生き延びた者たちは凄惨な光景に悲鳴をあげる。
「…!?」
その熱線の直撃コースにはヴァルナもいた。
戦闘に夢中になっていたヴァルナは反応が遅れる。
突然、全身に強い衝撃が襲ったかと思うと、意識が途切れる。
いつの間にか地面に倒れており、焼けた石の熱で肌が焼ける感覚で目を開ける。
身体の節々が痛い…。
まるで凄まじい力で地面に叩きつけられたようだ。
視界はしばらく真っ白だったが、徐々に安定してくる。
「…無事か?」
真っ先に飛び込んできたのは、先程まで刃を交えていた獅子の獣人。
ヴァルナに覆い被さるように地面に手をついていた。
状況が飲み込めない。
一体なにが起きたのか?
「…お主、儂の上でなにをしておる?」
「…」
まず、戦闘中にも関わらず自分の上に覆いかぶさってきた獣の行為を咎めようとして…。
「!?」
ふと、焦げ臭い匂いに気づく。
好敵手の背中が黒く炭化し、ブスブスと煙を上げていた。
「…」
ヴァルナは直前の状況の記憶を徐々に思い出す。
『!? なんだ?』『おい、嘘だろ…』
白い光に呑み込まれる前の実況者の実況はなにかおかしかった。
その直後、ベステルがこちらに突っ込んできて…。
ヴァルナの右手に握っている刀が深々とベステルの脇腹に突き刺さっていた。
ベステルから流れる血が刀を伝ってヴァルナの右手を赤く染め上げている。
観客席から上がる悲鳴や、視界に映る赤々と燃える炎…
間違いなく、この戦闘とは無関係のなにかが起きた。
それを直前に察知したこの男は、自分の身体に剣が突き刺さるのも構わず、白い光からヴァルナを守ったというところだろうか。
「…愚か者。儂は助けなど求めておらんぞ」
ヴァルナは刀から手を離し、自分を見下ろす獅子の獣人を睨みつける。
「勝手に俺のしたことだ」
獅子の獣人は口から血を滴らせて呟くように喋る。
「まだ決着もついておらん」
「…そうだな」
「…なにが起きている?」
巨体に覆いかぶされているせいで今ひとつ状況が掴めていない。
「ドラゴンだ」
ベステルは応える。
丁度その時、遙か上空から咆哮が聞こえた。
「!? まだおるのか」
「ああ」
「ドラゴン…物語くらいでしか聞いたことないぞ」
そう言えば1年程前にオハイ湖で出会った「半熟卵の英雄」がドラゴンを斬ったという話を聞いたが、伝説上の生き物にまさかこんな形で遭遇するとは思わなかった。
ということは、先程の閃光はかの有名な竜の息吹か。
恐らくヴァルナよりもタフネスも防御力も高いであろう彼でこの怪我だ。
彼に守られていなければヴァルナは死んでいたかもしれない。
「…ええい、調子が狂うヤツじゃ。動けるか?」
「…無理だな」
ベステルが首を振るので、ヴァルナは彼の身体に手を回し、担ぎ上げる。
火傷にはできるだけ触れないように気をつけているが、そもそも身体を動かすだけで苦痛だろう。
すぐにでも治療が必要だ。せめてハイポーション…いや、ポーションでもあれば…。
ヴァルナは上空を睨む。
決勝戦に灼熱の炎を放ち乱入した不届き者は、なにを考えているのか、未だ上空に留まっていた。
「聞こえるか!?動ける者はここから出来るだけ早く離れるのじゃ」
ヴァルナは混乱し、慌てふためく観客たちに向かって叫ぶ。
ヴァルナの声にハッ、と正気に戻った観客たちは一斉に出口へと足を向けた。
「ヴァルナさん!!!」
格子が開き、闘技場に係員が走ってくる。
「これを」
係員はヴァルナに預けていた黒角の剣と鋼の剣を差し出す。
この状況、武器だけでも彼女に渡そうと慌てて持ってきてくれたのだろう。
「…!?」
係員はヴァルナが担いでいる闘技場の王者の怪我を見て息を飲む。
脇腹に深々と突き刺さった刀と炭化した背中。
明らかに生きているのが不思議なくらいの大怪我だ。
「…すまぬがそれを持ってついてきてくれるか?こやつを連れて一旦退く」
「は、はい」
観客たちの避難を支援したいが、命の恩人を他人に任せ、殺してしまうわけにはいかない。
「…」
ヴァルナが観客席に目を向けると、ヴァルナの一声で逃げることに意識の向いた観客たちは闘技場の出入口に殺到しており、身動きがとれないようだった。
しかも最悪なことに先程の竜の息吹で2箇所ある観客席の出入口のうち1箇所は潰されていた。
怪我をしている者や、集団に押し潰されて動けなくなっているものもいる。
ヴァルナの声掛けが逆に混乱を助長してしまったようだ。
闘技場のフィールドに下りられれば、控室からも逃げられるので、少しは状況がマシになるだろうが、6mの壁の上にある観客席からフィールドに飛び降りるのは常人には無理だ。
「くッ…どうする…?」
空を見上げるとドラゴンは上空で逃げ惑う人間たちを見つめていた。
今のところはなにかを仕掛けてくるつもりはないらしい。
「俺を置いて逃げろ」
「却下じゃ。儂は恩を仇で返す者にはなりとうない。そして王になる者として民を置いて逃げるのも嫌じゃ」
ベステルは目を見開き、なにも言わずに口元を弱々しく緩めた。
―――どうする…どうする…
―――考えるのじゃ…
状況は時間が経過するごとに悪くなる。
なにを考えているのかわからないが、今の所、ドラゴンも動く気配がない。
ならば手を打つのは今しかない。
「…闘技場の控室は2箇所だけか?」
ヴァルナは係員に尋ねる。
「…いえ、12箇所です。控室に選手をまとめると揉め事を起こす方もいるのでできるだけ分散させています」
「…言われてみれば、確かに戻る時、場所が変わっていた…ような気もするのう」
ヴァルナは首を捻る。
勝者同士正面から入場できるように、勝敗が決したら勝者は控室を移される。
担当の係員は戦闘の間に控室から控室へ移動するのだ。
「いえ、ヴァルナさんは決着が早いので、一度も控室を変えていません」
「…」
ヴァルナは「むぅ…」と黙り込む。
「…ええと、どうしてですか?」
係員は慌ててヴァルナの質問の意図を問う。
「観客席からなんとかして闘技場に下ろせば、逃げられる者が増える。…すまぬがその剣を置いて儂の冒険者バッグを持ってきてくれるか?あとは治癒師がいれば連れてきれくれ。このままではこやつがマズい」
「は、はい」
係員は黒角の剣と鋼の剣を地面に置くと控室へと走り去る。
その時、状況が動いた。
上空で様子を伺っていたドラゴンが殺到する出入り口へと降り立ったのだ。
ズン…と重々しい音が響き、唯一の出入口が潰される。
同時に何人もの観客がドラゴンの下敷きとなった。
ドラゴンは近くにいた観客の1人を巨大な腕で掴むと、絶望的な表情を浮かべる人間たちに見せつけるかのように、頭から喰らう。
食われた観客から吹き出す血液が観客たちの頭へと雨のように降り注いだ。
「「「「「!?」」」」」
目の前の怪物からとにかく離れようと、観客たちはドラゴンと反対側へ走り始める。
足がすくんで動けない者たちは突き飛ばされ、倒され、踏みにじられる。
「…『変異種殺し』!」
ベステルが弱々しい声でヴァルナに声をかける。
なにをしている、と。
重症の命の恩人を放っておくわけにはいかない。しかし、このままでは観客たちが危ない。
「…くそッ!!」
ヴァルナは片手でベステルを支えたまま、先程係員が持ってきた地面に置かれた鋼の剣を掴み、それを鞘ごと石畳へ突き立てる。
「…すまぬ。儂は行く」
「構わん。行け」
背中が重症故、横たわらせることもできず、腹に刺さった刀を抜けば、出血多量でショック死する可能性がある。
そう判断したヴァルナはベステルに膝をつかせ、鋼の剣の柄を握らせた。
「必ず借りは返す」
ヴァルナはベステルにそう言い放つと黒角の剣を掴んだ。
ドラゴンと戦うのに皮の防具では心許ないが、装備を整えている時間はない。
だが、せめてもう1本剣が欲しい。
―――儂の剣は…
フィールドに目を向けるとヴァルナのフランベルジュが落ちていた。
しかし、先程の竜の息吹で剣の刀身が半分失くなっている。
その近くにはベステルのバスタードソードが転がっていた。
「…」
大剣は扱ったことがない。だが、この状況では無いよりはマシか。
ヴァルナはバスタードソードを右手で掴む。
ベステル特注の剣なのか、鉄の剣のくせにヴァルナの筋力を持ってしても片手ではズシッとした重みがある。
本来、両手持ちの剣を片手で担ぎ、観客席の逃げ惑う人々を見ながら捕まえた人間を喰らう化け物を睨んだ。
ドラゴンは恐怖に怯える人々を弄ぶかのようにゆっくりゆっくりと歩を進める。
その進行方向には見覚えのあるコアラの獣人の男児がいた。
「…た、助けて…」
男児が叫ぶ。その前には孤児院にいたヒューマンの男神官が両手を広げて立ちふさがっている。
彼はブルブルと震えながら「喰らうなら私を喰らえ!!」と叫んでいる。
ドラゴンは黄金に輝く目を細め、手に持っていた死体の残りを口の中に放り込むと男神官に手を伸ばした。
ヒュンッ!!!
そのドラゴンの手に向かって巨大ななにかが突然高速で飛来し、ザン…と男神官の目の前にベステル特注のバスタードソードが突き刺さった。
「ひっ!?」
男性神官が腰を抜かし、地面に尻もちをつく。
ドラゴンは彼に伸ばしかけた手を止め、大剣の飛んできた方向を見やる。
闘技場からヴァルナがまるで投げ槍のように大剣を投擲していた。
「…ほう?」
ドラゴンは魔物語で呟く。
ヴァルナは闘技場のフィールドを駆け、大きく跳躍すると、男性神官の前に立つ。
「お姉ちゃん!」
「ヴァルナさん!!」
コアラの男児と男性神官がほっとした声を上げる。
ヴァルナは一瞬だけ後ろを振り返って安心させるようにニヤリと笑うと、ドラゴンに向き直る。
「お楽しみのところ、申し訳ないんじゃがのう。…儂も楽しみにしていた決勝戦が主のせいで台無しじゃ。…覚悟せいよ、オオトカゲ!!」
ヴァルナは黒角の剣を向けて叫んだ。




