第2話 テベロ収穫祭
――――― 約1年半前 アマイア暦1328年紅葉の月8日 午前 ―――――
<レイル共和国 大都市テベロ>
大都市テベロは大都市レンス、大都市ネゴルに並ぶ、レイル共和国を代表する都市の1つだ。
川や海が遠く、人の流れが作りにくいこの都市が大都市にまで発展したのは、この都市の近くにアマイア教の総本山ボロドム大神殿があるからだ。
ボロドム大神殿の奥には、魔神ウロスを封印した人類の救世主「英雄オルロ」に力を貸した女神アマイアが今も眠っていると言われている。
大神殿からは神気が発せられており、その神気を用いた高度な治癒魔法は通常、解呪困難な呪いさえも問いてしまうという。
そうしたありがたいご利益のあるボロドム大神殿へ、参拝客が世界中から訪れるが、その時、一番近い街がこの大都市テベロなのである。
その結果、大都市テベロには、街道がいくつも敷かれることになり、交通の便は非常に良い。
人が来るようになると物流も増え、経済が発展する。
そして、経済が発展すると、より人を集めるためにユニークな催しが開かれるようになる。
そこで生まれたのが「闘技場」だ。
闘技場では、冒険者や傭兵、衛兵、力自慢の一般人、目立ちたがり屋のお調子者などが参加料を払ってエントリーし、「武闘大会」という賞金や名誉をかけて武力で競い合う催しが開かれる。
観客たちは入場料を払ってそれを観戦しつつ、「誰が優勝するか」や「1~3位までの順位」などを賭けることができる。
大会によって「素手のみ」「武器持ち込みあり」「指定武器のみ使用可」などと戦うルールを決めたり、魔獣と人間を戦わせるものがあったり、勝率の高い者ほど不利な条件をつけて戦わせるものがあったりと、バリエーションは様々だ。
カジノで有名な大都市レンスとはまた違った魅力のある大人のギャンブル。
1試合ごとに賭けるのであれば、多くの試合は体格や経歴を見れば予測することは容易いが、優勝者や順位となると予測の難易度が上がる。
だが、その分、当てた時の配当金が高く、場合によっては豪邸を建てられる額が返ってくることもある。それがまたこのギャンブルの魅力でもある。
特に、テベロでは年1回、紅葉の月に森神リベカに感謝し、収穫祭を開くが、その時期に合わせて開催される武闘大会「リベカ杯」は歴史ある大会の1つだ。
収穫祭で浮かれたテベロ市民や観光客たちは気前よく大金を賭けるので、オッズが高く、いつしか世界的に注目される大会にまで成長した。
このリベカ杯の注目度に目をつけたのが商人たちだ。
彼らは大会のスポンサーとなり、登録選手たちに自分たちの店のロゴの入った武具や防具を提供したり、毎回、戦闘終了後に回復薬などを使用させることで、宣伝をしている。
実際に、リベカ杯の後のスポンサーたちの商品の売上は平常時の10倍以上になることもあるそうだ。
様々な大人の事情が見え隠れするリベカ杯だが、8年前に英雄が誕生し、その注目度をさらに上げている。
その英雄の名は「剣獣」ベステル。
数々の冒険者を退け、リベカ杯で7年連続優勝している獅子の獣人だ。
驚くべきことに彼は冒険者ではなく、純粋な剣士であるということ。
実力はSランクの冒険者レベルであると言われている。
7連覇を達成した者はリベカ杯史上、彼しかおらず、すでに生きる伝説となっている。
「…ふぅーん。『剣獣』ベステルねぇ」
ヴァルナはテベロの通り中に貼られた闘技場のチラシの1枚を剥がして眺めていた。
左手に持っていた焼き鳥を食みながらニヤリと笑う。
『女神のサイコロ』が解散してからも、ヴァルナは冒険者として単独で活動をしていた。
いつの日か建国するためには資金集めと有名になることが必要だ。
大分世間では顔が売れ始めたが、まだまだ金も同志も足りない。
先日、依頼が終わった後に酒場で、テベロの収穫祭とリベカ杯の話を聞き、足を運んでみたがどうやら正解のようだ。
「7連覇の王者か…これは倒したら話題になりそうじゃのう」
ワクワクが身体の奥から湧き上がってくる。
「うむ。景気づけに露店で酒でも買うかのぅ」
ヴァルナは興奮した身体を鎮めようと、酒が売っている露店を探してテベロの街を歩く。
そんなことをしたら余計に興奮するのは火を見るよりも明らかだったが…。
テベロは「石の街」と形容されるほど、石造りの建物が多い街だ。
白や灰色、オレンジ、茶色と落ち着いた色の家々が立ち並ぶ。
家によっては壁に蔦植物を生やしている家もある。
舗道はレンガが敷き詰められて、しっかりと整備されており、普段ヴァルナが滞在することの多い大都市ネゴルのように馬車が走っても砂埃が立つことはない。
ネゴルに比べて、どことなく品のある街並みであり、事実、大通りの住民は富裕層が多い。
一方で、少し大通りを外れると、ギャンブルで破産した者や、観光客のお溢れを目当てとした者など、貧困層も多く目にする。
この大都市テベロは貧富の差が激しい街だった。
収穫祭の時期なので普段よりも人の出入りが激しいのか、至るところに衛兵がおり、治安を守っている。
ヴァルナはミンドル王国産のビールの入った陶器の盃を片手に螺旋状に作られた大通りを歩く。
ボロドム大神殿が近いためか、アマイア教の教会もいくつかある。
孤児院も兼ねているそうした教会では、孤児たちが収穫祭に合わせて、手作りのアクセサリーを表で販売していた。
「お土産に1つどうですか?」
売り子をしているコアラの獣人の男児がヴァルナに声をかける。
「ふむ?」
ヴァルナは足を止め、黄色とオレンジの紐を重ねて編んだブレスレットを摘む。
「これはいくらじゃ?」
「300Gって言いたいところだけど、お姉ちゃんは美人だから特別に50Gでいいよ!」
恐らく原価は1Gに満たない。せいぜい50Sくらいだろう。
つまり、値引きと称して原価の100倍で売りつけようとしているのだが、ヴァルナはそれを見抜いた上で笑う。
「美人と言われて悪い気はせんのう。じゃあ50Gでいただこうか」
「まいどっ!!」
コアラの男児は笑顔でヴァルナから50Gを受け取る。
「…ついでにちょっと神官さんを呼んでもらっても良いかの?」
「え゛…」
コアラの男児から血の気が引く。ヴァルナから金をぼったくったことを言及されるのではないかと怯える彼にヴァルナは笑いかける。
「大丈夫じゃ。これは儂が50Gの価値があると思ったから買った。お主は大きくなったら良い商人になれると思うから投資じゃ」
ヴァルナはウィンクした。
「さ、神官さんを呼んできてくれるか?」
「う、うん…」
コアラの男児は怪訝そうな顔をして頷き、教会の中へ姿を消した。
しばらくするとヒューマンの男性の神官が姿を現す。
「す、すみません。この子がなにかしましたか?」
コアラの男児は問題児なのだろうか。ヒューマンの男神官は恐る恐るヴァルナに用件を尋ねる。
ヴァルナは首を振ると手甲の上からつけた黄色とオレンジの紐で編まれたブレスレットを見せる。
「なんにもしとらん。良いブレスレットを売ってもらっただけじゃ」
そしてヴァルナは懐から革の袋を取り出した。
「…今日は収穫祭と聞く。これで子ども等になにか美味いものでも買ってやってくれ」
「え?」
「お布施じゃ。アマイアにはよくお世話になってるしのぅ」
ヴァルナは創世の女神の名前をまるで友人のように気軽い調子で呼び捨てにし、皮の袋をポン、と神官の手の上に乗せる。
「あ、ありがとうございます…。…!?」
神官はヴァルナに礼を言って、皮の袋を受け取ると、予想外にズシッと重い。ぎょっとした顔をして袋の中を覗き込むと中には沢山の硬貨が詰まっていた。
「い、10000Gは入ってるみたいですが…」
「うむ。多分そのくらいは入ってると思うぞ」
「良いんですか?」
10000Gは大金だ。一般人が真面目に働いて4~5ヶ月分くらいの給料に相当する。
子どもたち全員に好きな食べ物を買い与えても尚、十分すぎるお釣りがくる。
「良い。儂の気まぐれじゃ。祭りならば、美味いものを食うといい」
ヴァルナはそう言うとビールを片手にひらひらと手を振って去っていった。
テベロの路上には収穫祭限定の露店が沢山出ており、その場で飲食できるように木製の椅子や机なども配置されている。
色々な人種が皆、楽しそうな顔をして収穫祭を楽しんでいた。
その中をヴァルナは歩く。手には既に4杯目のおかわりをしたビールがある。
「いらっしゃい、いらっしゃい。どうだいお姉さん!搾りたて果汁をミックスしたジュースはいかが?」
「おー、お姉さんお姉さん、こっち寄ってきなよ。焼きそばサービスしちゃうよ」
「最近流行りのティルトはどうだい?若い子に人気だよ~」
絶世の美女であるヴァルナが歩くと露店の商人たちは目をハートにして彼女に声をかける。
だが、彼女はそれには見向きもせず、串に刺さったソーセージを売っている露店へと真っ直ぐに向かう。
「ビールにはソーセージじゃろうが…オヤジ、1串くれ」
「はいよ!」
ソーセージを出している黒い髭を生やしたドワーフの商人は威勢よくヴァルナの注文に返事をし、目の前でソーセージを取り出す。
そして串を持ち、ソーセージを火で炙り始めた。
ソーセージを覆っている皮が爆ぜ、肉汁が炎に落ちてパチパチと弾ける。
くるくると綺麗に焼き目をつけたソーセージを絶妙なタイミングで火から取り上げるとケチャップとマスタードをたっぷり乗せてヴァルナに渡そうとする。
「3Gだけど、アンタ綺麗だから1Gで…」
露店の商人はそう言いかけて、ヴァルナの顔を凝視する。
「…アンタ、まさか…『変異種殺し』のヴァルナか?!」
ケチャップとマスタードが滑り、地面にポタポタと落ちる。
彼が大きな声を上げた瞬間、大勢の人がヴァルナの方を向いた。
「そうじゃが…とりあえずもらって良いか?」
ヴァルナは素直に頷き、ソーセージを要求する。
「…あ、ああ、すまねぇ」
ヴァルナは1Gを渡すとドワーフからソーセージを受け取った。
そしてソーセージへ美味そうにかぶりつく。
「え?『変異種殺し』?」
「あ、マジだ」
「やべぇ、初めて見た」
「あれか?『問題児』?」
「『女神のサイコロ』のか」
「うぉぉぉ、マジか、生ヴァルにゃん!!」
「かわゆす」
ヴァルナがその場でビールとソーセージを味わっていると、瞬く間に彼女をひと目見ようと人々が集まってくる。
「え?もしかしてヴァルたん、闘技場に出るの?」
「…そのつもりじゃが?」
集まってきた人々の1人の問いにヴァルナがビールを飲みながら返事すると、周りがどよめく。
「ひゃー!やばたん…え?え?これマ?これマ?マジで言ってる?」
「は?『剣獣』VS『変異種殺し』が見れちゃったりする?」
「やば、今からでもチケット間に合うか?買い占めるか?転売する?これ、ビジネスチャンス?」
「え?え?ヤバい、ベステルさんピンチじゃね?」
「いやいや、言うても7連覇の王者よ?いくら『女神のサイコロ』でもルールありの武闘大会じゃ、ベスには勝てんべ」
「は?勝つのはヴァルにゃんだし。ヴァルにゃんがベスなんか倒すし~、お寿司~。瞬殺です。ねー、ヴァルにゃん?」
「ってか、冒険者になる前にハイ・ソシアを倒したってマジ?あの噂って盛ってる?盛ってるよね?」
「はー、今からダッシュで入場してくるわ」
彼女の周りで人々が興奮した声を上げる。
その中で1人がぽつんと呟く。
「え?…でも予選って確か今日の午後からだけど、大丈夫?間に合うん?」
「ぬなッ!?」
ヴァルナはソーセージを咥えたまま目を剥く。
「多分、もうすぐ受付締め切りだと思うけど…」
「なんと…」
ヴァルナはソーセージを呑み込み、ビールを飲み干すと「これ、頼む」と言って、屋台のドワーフのオヤジにゴミを押し付ける。
「すまん、助かった。…ちょっと本気で走る」
ヴァルナはそういうと地面を蹴った。
レベル4のステータスをフルに使い、跳躍する。
石造りの建物から建物へと飛び移り、凄まじい速度で闘技場へと向かっていく。
チラシを見たのはいいが、日時を確認していなかった…。
「「「「「…」」」」」
目の前から一瞬で消えた彼女。
取り残された者たちは一斉に呟く。
「「「「「闘技場へ行くか」」」」」
8連覇がかかった『剣獣』が初めて負けるところが目にできるかもしれないという期待が人々の中に生まれた。
受付の締め切り寸前に現れたヴァルナの参戦によって、この日、リベカ杯のチケットは完売。
観客席は定員数の3倍の人で埋まったという。




