第16話 影踏
「…それで……………あー…なんでこうなった?」
一通り、虹をかけ終えたオルロは腕にしがみつくヌルヌルとした生物を見て苦笑する。
大きなリボンをつけたシャケ界のアイドル―――女王鮭が白い腕をオルロに絡め、頬ずりしていた。
「シャケェ~ン♡」
「シャケェェェェェェ…」
シャケ丸がこちらをみて悲しそうに鳴く。
「いや…そんな目で見られても…」
オルロは「困った」と頭を掻く。シュールな生物に好かれてもあまり嬉しさは感じない。
「シャケたちにとっては「疾さこそが全て」なのだ。…君が以前、シャケ丸になめられていたようにな」
ボイルは紅茶を嗜みながら静かに事実を告げる。
野生の世界は時として残酷だ。いや、野生に限ったことではないのかもしれないが…。
「つまり、俺があの技を使ったことで、コイツが俺に惚れてしまった、と?」
「シャケ~~~ン♡」
リボンのついたシャケがつぶらな瞳で上目遣いをして、甘えた声で鳴く。
「…」
「シャケッ!シャケケケケケ!!!!」
シャケ丸はその光景を見て、涙を流しながら地団駄を踏む。
ボイルが涙を拭くようにハンカチをシャケ丸に差し出すと、ハンカチを咥えて「ムキ―ッ!」と引っ張る。
「どうだね、オルロ。この際、人生の伴侶として迎えては?君、まだ独身だっただろう?」
ボイルがニヤニヤしながら紅茶の入ったカップを掲げる。
「いやいやいやいや…冗談でしょう?嫌ですよ。言葉も通じないヌメヌメしたシャケと結婚するなんて」
オルロはぶんぶん、と首を振る。
特に決めた相手はいないが、シャケは流石に対象外だ。
―――その時、アンとオリガが遠く離れた大都市ネゴルで同時にくしゃみをしたが、それはまた別の話だ。
「えーっと…師匠、こ、これは?」
オルロが腕にしがみついたリボンのシャケが、口をパクパクさせながら尾びれを盛んに振る仕草を始めたので、ボイルに尋ねる。
「…ほう。これは珍しい。求愛ダンスだ!気位の高い女王鮭の方から求愛ダンスをすることなんて滅多に無いぞ。気に入られたな、オルロ。やはり考え直さないか?」
ボイルは「はっはっはっ!」と他人事のように笑う。
「シャ…シャシャシャシャ…シャケェェェェェ…」
シャケ丸が尾びれを垂らして、しょんぼりとそれを見つめる。
ソシア・イーターとグリフォンが戦う中、女王鮭を見捨てずに命がけでこの場に留まっていたシャケ丸の気持ちを考えると気の毒だ。
「求愛を断るにはどうしたらいいんですか?」
「ふむ…」
オルロの質問に答えようと、ボイルは口髭を触りながら思案する。
「吾輩が知る限りないな。女王鮭から求愛するなんてそもそも滅多に無い。シャケに『NO』の選択肢などないだろう」
「いや、まあシャケはそうなんですけど…」
師匠はどこまで悪ふざけをするのか…。
「シャケケケケケ…」
シャケ丸は先程、ボイルから渡されたハンカチを丸め、「シャケッ!」とオルロの顔面に投げつける。
「む…!?」
「え?なに?なにこれ?」
オルロが戸惑った声を上げる。
「これは…シャケの決闘の合図だ」
「シャケって皆ハンカチ持ってるんですか?」
「いや、投げるものはなんでも良いんだが…」とボイルはオルロの疑問に首を振って答えた後、説明を始める。
曰く、シャケ界では、カップルが成立した時、自分の方が疾い、と確信した場合、手近にあったものを顔面に投げつけて、決闘を申し込む風習があるという。
簡単に言えば「駆けっこ」の結果に対する異議申し立てだ。
基本的に、これをされたら相手は決闘を受けなければならない。
シャケにはシャケのプライドがあるのだ。
しかし、決闘の申し込みには当然リスクがつきまとう。
「疾さ絶対主義」のシャケ界において、どんな理由があるにせよ、雌の気に入った雄が絶対だ。
その雄よりも「劣っている」と認識された者がそれを認めないのは「格好悪い」行為と認識される。
もし、決闘に負ければ、挑戦者のシャケは「ダサいシャケ」のレッテルを貼られ、他のシャケたちから縄張りからの追放を強いられる。
王様鮭の「駆けっこ」の機会は実は「鮭」とは違い、一生に一度ではない。
この機会に番いを獲得できなくとも来年の「駆けっこ」に参加することができる。
しかし、縄張りから追放されれば、その機会は永久に失われる。
奇跡的に他所の縄張りや女王鮭を見つけてそこで己の「疾さ」を証明する他ないのだ。
「…滅茶苦茶厳しい世界じゃないですか」
オルロはボイルの説明を聞いて、苦笑いする。
シャケ丸は自分が例え追放されるリスクを犯してでもこの女王鮭と番いになりたいらしい。
…確かに、通常ならば、はぐれ王様鮭はそもそもコースアウトしている「駆けっこ」の敗者であり、翌年の「駆けっこ」に賭けるしか無い。
その場合、何百匹というシャケたちとまた命がけの競争を行う。
それを考えれば、ここで追放されるリスクはあるにせよ、オルロと一対一の勝負をして勝てば、即番いをゲットだ。
…このシャケは意外と賢いのかもしれない。
「えっと、決闘方法って?」
「もちろん『駆けっこ』だ。ただし、短距離だがな。良かったな、オルロ、君にも勝ち目はあるぞ」
ボイルはオルロにウィンクする。
「いや…勝ってどうするんですか」
オルロはそもそもシャケ丸に勝ちを譲るつもりだ。女王鮭を番いにする気はさらさら無い。
「よーし、ここから…」
オルロの話を全く聞かないボイルは、ステッキで地面にスタート地点を書く。
そして、女王鮭の関心を引かないためにだろう―――あえてのんびり歩いて、「…ここまでだな」と200mくらい離れた場所にゴールを設定する。
オルロは頷き、シャケ丸を見る。
「よーし、いいだろう。シャケ丸、かかってこい!」
「シャケッ!!」
シャケ丸はシャドーボクシングのようにオルロに当たらない距離でパンチをシュッシュッ、と繰り出し、鳴く。
「お前なんかぶっ飛ばしてやる」というニュアンスの鳴き声だろう。
「いや、勝たせてやるから安心しろ」と心の中でオルロは呟く。
そもそも、推進装置を本日すでに2回使用している。義足の耐久的にこれ以上は無理できない。
「ちなみにオルロ、本気でやりたまえ」
「え゛…?」
ボイルはそんなオルロの心の内側を読んだようにきっぱりと言い放つ。
「紳士として、手を抜くことは吾輩は絶対許さん。番いを求め、覚悟を決めた雄に対し、敬意を払って全力で走るのだ」
「で、でも…勝っちゃったらどうするんですか!?」
「その時は責任を取りたまえ!!!」
ボイルは叫ぶ。
…無茶苦茶だ。
しかし…とオルロはシャケ丸もリボンの彼女を見やる。
2匹ともオルロの全力を目にしている。手を抜けばバレてしまうだろう。
そんな結果で両者とも満足するとは思えない。
「…やるんですか?」
「計算上、あと1回はギリギリ出来るはずだな?」
「…恐らく。でも、戦闘で負荷がかかっていますから壊れる可能性もありますよ」
「もし、義足が壊れたら、吾輩がネゴルまで責任持って運ぶと約束しよう。新しい義足も用意する。…だから君は心置きなく本気を出したまえ」
ボイルの目は笑っていない。本気で走れ、ということか。
「…わかりました」
オルロは覚悟を決めて頷く。
「それでは、両者とも準備はいいな?」
ボイルがスタート地点でオルロとシャケ丸に確認する。
「いいですよ」
「シャケッ」
ゴール地点にはリボンのシャケが乙女座りで勝者の到着を待っている。
「私のために雄たちが争っている…」とキラキラとした目を瞬かせ、手を祈るように組んで、すっかりヒロイン面だ。
「シャッケ~!♡」
女王鮭はオルロに向かって「アナタ、頑張って♡」的な鳴き声と投げキスを送ってくる。
「シャケェェェ!!!!」
シャケ丸が恨みがましくオルロを睨む。
「ははは…」
オルロは苦笑いする。
「位置について…」
オルロとシャケ丸は前傾姿勢を取る。
「よーい…どんっ!!」
ボイルが合図を送った瞬間、オルロは推進装置を点火させ…
「ぶっ…!?」
ベチンッ!!!
シャケ丸が開始早々に容赦なく、尾びれをオルロの顔面に叩きつける。
「シャケケケケケケケケケケケケェェェェェエエエエエ!!!!!!!」
シャケ丸はオルロが怯んだ隙に、全力で腕を振り、綺麗なフォームで爆走する。
本気で走りすぎて、口を閉じるのを忘れ、涎を垂らしながら疾走していく。
「てめ…あったまきた…」
そっちがその気ならこっちも容赦はなしだ。
オルロは推進装置を点火させる。
『ハイド』はこの勝負では意味はない。そして、攻撃することもない。つまり、新技を使う必要はない。
だが…
「俺は全力でお前を叩きのめす!!!」
オルロは推進装置の点火と共に『ハイド』を発動させ、地面を蹴った。
先程の戦闘と同様、時がゆっくりと進む無音の白黒の世界がオルロの目の前に広がった。
「加速した時」の中に入った。
流石、シャケ丸だ。
この「加速した時」で確認するとこの一瞬で、すでにオルロの数十メートルも先を行っている。
オルロの推進装置ではそこまでは進むことは出来ない。
追いつかないが…
「妨害はできるんだよな」
オルロは邪悪な笑みを浮かべる。
「加速した時」の中で戦闘スキル『トラップ』を発動させる。
瞬時に、鋼のナイフにロープが結ばされたものがイメージ通りに作成される。
オルロがナイフを投げるとスキルのアシストが発動し、ナイフはシャケ丸の前方の地面に突き刺さった。
ロープの端をオルロは走りながら手繰り寄せ、ピン、と張る。
「転けろ!!!」
「加速した時」の中で、シャケ丸よりも後方にいるオルロが叫んだ。
その瞬間、時が元の流れへと戻る。
「シャケッ!?」
シャケ丸はオルロの目論見通り、ロープに足を取られ、転倒する。
『トラップ』のアシストでロープが複雑に絡まり、シャケ丸の足の自由を奪った。
これならばいくらヌメヌメしていようとも、短時間では抜けられまい。
オルロの「加速した時」の感覚がなければ、シャケ丸を『トラップ』で捕らえることはできなかったであろう。
実際、修行中、何度も『トラップ』は仕掛けたが回避されている。
『トラップ』が成功した達成感がオルロをさらに興奮させる。
「時酔い」で気持ち悪いが、今回は吐くほどではない。なにより、それ以上にシャケ丸にしてやった感動が上回っていた。
「かかったな、シャケ丸ぅぅぅぅううう!!!」
最早、目的がシャケ丸を負かすことにすり替わったオルロは笑いながら、ロープに絡まるシャケ丸の脇をすり抜ける。
残り50m…
もうゴールは目前だ。
「はーっはっはっは!足にロープが絡まっていればもう走れまい。この勝負、俺の勝ちだ!!!」
オルロが主人公とは思えない邪悪な笑みを浮かべながら勝利宣言をした時、後方から「シャケッ!!!!」という声が聞こえた。
「!?」
なんと振り返るとシャケ丸がロープを掴んで、足の裏から自分の体液を分泌し、サーフィンのように地面を滑っていた。彼の足にはロープの一部が絡みついたままだ。
ロープの先をたどっていくと、ロープの端はオルロの腰にいつの間にかくくりつけられている。
「あの一瞬で…」
オルロはあまりの早業に舌を巻く。
「シャケッ!!!」
シャケ丸はそう短く鳴くと、反動をつけて、オルロに結びつけているロープを手繰り寄せる。
残り30m…
シャケ丸はオルロを追い抜かし、そして、頭から身体を前に投げ出した。
「なんだと?!」
「シャァァァケケケケケケケケケッ!!!!!」
全身からヌメヌメした体液を分泌し、身体が地面に擦れることも厭わず、ヘッドスライディングを敢行する。
ズザザザザザザァァァァァァァ…!!!!
体液によって、まるで氷の上でも滑っているかのように勢いよく前方へシャケ丸が飛び出す。
手は「気をつけ」の状態で太腿にぴったりとくっつけ、矢のように真っ直ぐゴールへ向かって滑っていく。
そして、シャケ丸はオルロに大差をつけてゴールした。
むしろあまりの速度に勢いよくゴールを超えていき、岩に頭を打ち付けて、止まる。
全身傷だらけな上、頭を強く打ち付けたシャケ丸はプルプルと震えながら頭を押さえて身体を起こす。
「…マジかよ」
オルロはその場で走るのをやめ、フッと笑う。
「…勝負あり、だな」
ボイルがゆっくりとこちらに歩いてきて頷く。
「勝者、シャケ丸!!!」
「シャッケェェェェェェエエエ!!!!!!!」
シャケ丸がガッツポーズをし、勝利の雄叫びを上げる。
「…負けたぜ」
敗者となったオルロは女王鮭と手を繋ぐシャケ丸にゆっくりと近づいていき、そして握手を求める。
「シャケッ!」
シャケ丸はペイッ、とオルロの握手を手で振り払う。
そしてオルロに「俺の女だ!」と見せつけるように女王鮭と口づけを交わす。
「シャケ~ン♡」
女王鮭もシャケ丸を見直したらしく、彼に夢中なようだった。
「…お幸せに」
オルロはボイルと顔を見合わせて笑う。
――― アマイア暦1329年枇杷の月2日 午後 ―――
<レイル共和国 ウルグニ山 頂上>
「…さて、吾輩たちもそろそろ別れの時だな」
シャケ丸とシャケ子―――ボイルが勝手に命名した―――が手を繋いで去っていくのを見送りながらボイルが呟く。
「SSランクの冒険者なんて超多忙なのに、2ヶ月以上も修行をつけていただきありがとうございました」
オルロはボイルに頭を下げる。
「こちらこそ。…君との修行は実に楽しかった。若者が成長する様を見るのは良いものだな。吾輩もいい刺激を受けた」
ボイルはオルロに笑いかける。
「…名残惜しいが、吾輩もやらねばならんことがある。…次会う時を楽しみにしているぞ」
ボイルのやらなければならないことがなにかはわからないが、恐らく彼にしかできないような重要な使命なのだろう。村をグリフォンの群れから救ったように…。
「君はこれからどうする?」
オルロは先程拾っておいたソシア・イーターの肘の黒い棘を冒険者バッグから取り出す。
そしてボイルにそれを見せた。
「俺は…このソシアの変異種がどこから来たのか心当たりがあります」
「ふむ?」
「俺は師匠と前回お会いした後、オハイ湖の湖底で変異種を作る実験施設を見つけているんです」
ロザリーとボニファのいたあの実験場を思い出していた。パーティが解散し、ジルベルトを殺すことになったあの場所は今でもはっきり覚えている。
「…魔神教、か」
ボイルはゆっくりと頷いた。
「実はそこには、今回のソシアの変異種とよく似た特性を持つ身体を改造された男の子がいたんです。俺はそれが偶然とは思えない。…あの実験施設にもう一度足を運ぼうと思っています」
ボニファのことだ。彼は人間の身体に魔物の核を入れられた合成生物だったが、どこかソシア・イーターと似た雰囲気があった。
ロザリーがいなくなった今、あそこでの変異種の実験は終わった筈だが、あの実験施設になにかヒントが隠されているかもしれない。
また、あの実験施設以外にも変異種の生産を行っている場所があってもおかしくはない。
1年以上経過しているため、もうなにも残っていない可能性もあるが、行ってみない手はないだろう。
「…確かに君の記憶を探るにも丁度いいだろう。君は記憶が戻ることを恐れていたな。今はどうかね?」
オルロは地面を見つめて首を振る。
「わかりません。修行をつけてもらった今でも、怖い気もする。…でも、知らなければならない気もします」
「それでいい。だが、これだけは覚えておきたまえ」
ボイルは言葉を区切って、オルロの目をじっと見る。
「オルロ、君は何があったとしても、吾輩の弟子だ。それだけは変わらない」
オルロは目頭が熱くなるのを感じた。パーティと別れてもなお、自分には帰るべき場所がある。
…アンとリョーもそうだ。
「俺は仲間に恵まれた」とオルロは心の中で呟いた。
その感謝の気持ちを言葉として紡ぐ。
「師匠…俺は…貴方の弟子になれて本当に良かった」
「…吾輩もだ。…早く記憶が戻ると良いな、友よ。では…さらばだ」
ボイルはオルロに笑いかけると、最後にオルロと拳を合わせる。そして…
目の前から消えた。
「見ててください、師匠。俺は…貴方の弟子として恥じない男になります」
オルロは誰もいなくなったウルグニ山の頂上でそう呟いた。
カドマ村のグリフォン撃退とウルグニ山でのソシア・イーター討伐の話はすぐにアーニー劇団によって広まることになる。
オルロがウルグニ山での一件をギルドに報告していない以上、伝えたのは1人だ。
報告者はオルロの活躍をこう語ったという。
「彼はまるで影のように突然現れ、魔物たちを斬り裂いていった」、と。
そして、人々はオルロのことをこう呼んだ。
『影踏』オルロ、と。
~オルロは『影踏』を習得した!~




