倒産の危機
『ラインラントはクラウディウス社から派遣されたリリア・フォークトよ!好きなものは飛行機。嫌いなのは飛ぶのに邪魔なもの。これからあなたたちの上司になってビシバシ鍛えていくけど挫けないようにね。絶対に極東一の技術者にしてあげる!ミナサンヨロシク!』
一息に言い終えると、やり切った顔で腕組みをした。無音室のような静寂。遠くから街のざわめきが聞き取れるほどだ。情報が多すぎて疑問にさえ行きつかない。それが青海産業の航空部所属の社員たちの実感であった。
「あのう。木崎部長。ええと、真実なんですかい?」
恐る恐る、設計士の後藤が尋ねた。ベテランだけあって、外つ国のエンジニアの力量を見極めてやろうと待ち構えていたが、彼の予想は異次元の方向で裏切られることになったわけだ。
部長もその心境が痛いほど分かってはいたが、それでも偽るわけにはいかない。太い首を起重機のように重々しく下げる。
「真実や」
「はえ~……」
魂が萎えたかと思うような嘆息が漏れ出る。言葉に困る、というがここにいる全員の本音だろう。
彼らとて新入りの技量に疑いを抱きながらも、やはり西州からのお雇い外国人というブランドに期待するところは大いにあった。それが、まだ二十歳にも届かない小娘とは。
文句をつけようにもラインラント語が流暢というわけでもなし。そも女子供に強い言葉を使って泣き出されても困る。こんな新造の部署に吹きだまっているだけあって、どいつもこいつも技術バカである。どうにもこの教師役を扱いあぐねているところがあった。
そんな技師たちの苦悩など一顧だにもせず、長旅の疲れなどおくびにも出さないで、件の少女は武の方へと向き直った。
『じゃあ、これから働く職場だし、いっぺん見て回ろうと思うんだけど、案内してくれる?』
『え、僕がですか?』
『当たり前でしょ。あなた、出迎えに来たんだから、案内とかもやるんじゃないの?』
何も考えていなかった。正直凄い技師が来ると聞いて、その迎えに飛びついただけだったので、それから先など聞いてもいないし予定も立てていない。
部長の方を見る。
「ま、ええんちゃう?」
こっちも絶対何も考えていなかったと、ありありと伝わるお言葉であった。新規事業を起こすにはこのくらいの腰の軽さで行かねばならないのか。それとも関西的な楽観主義というものなのだろうか。
とはいえ、武の語学力はラインラント語の技術書を読みこなす航空部の面々でもそれなりのものだし、先ほどの邂逅で驚き終えていた部長と武の他は、仕事も何も手につきそうにない。選択肢はなかった。
『せまい!!』
リリアが立つのは青海産業航空部の工場、という名の物置きじみた木造建築だった。大きさこそ体育館より大きいくらいはあるのだが、そこに所狭しと並ぶ機械類のスケールは、その程度の面積では到底足りないと物語っている。
『きたない!!』
雄々しく広げられた二枚の翼。まだ羽布を張り終えていない胴体からは、ワイヤーやギアが覗いている。無駄なく絞られた骨組みは一種の美学さえ感じるものだが、湖上の白鳥の例えのように、美しい機体の下はひどいものだった。
まだ据え付けられていないエンジンや、空弁当のように放ってある工具箱などはまだいい。バランスを取るために現場判断で切り取った骨組みの端やら、何に使うか分からぬまま捨てるに捨てられず端に寄せてある部品。挙句の果てに、工員や技術者が暇つぶしに作った試作の模型とも呼べぬガラクタが、河原の礫のように転がっていた。
『古い!!』
その何もかもが、軍事兵器開発の最前線をひた走っていた彼女には、満足いくものではなかっただろう。
来訪者からの傲慢な侮蔑にもとれる言い草だったが、武に言い返す気は無かった。実際何もかもその通りだからだ。
『いや、すみません……。青海産業はもともと艦船が主力なもので、こっちの工場は使われなくなった建物の再利用なんです。部品とかも、輸入したものをマニュアルを翻訳しながら組み立てている有様なので、捨てるに捨てられない物ばかり増えてしまって……』
説明するそばから情けなくなってくる。これが東海に冠たる大八洲帝国の航空産業の現状なのだ。大財閥花菱ともなれば少しはましになるだろうが、所詮は五十歩百歩の争いだ。
今は昼飯時で工員も出払っている。昼休みが終われば、食事を終えて、場合によっては酒まで飲んできた作業員たちが、のんびりと機体を組み立てる。そんな、精一杯良く表現すれば牧歌的な光景が、この神部工場の日常だった。
現地人の申し訳なさそうな様子に逆に気まずくなったのか、リリアは咳ばらいをして切り替える。
『まあ、いいでしょう。ちょっとの環境の悪さなんて、どうってことないわ。飛行機を造るならこれでも十分よ。……でもまずは整理から始めないとね』
そう言って先の長い作業にうんざりしていたところで、二人は外からくる甲高いエンジン音に気が付いた。かなり飛ばしている。航空部唯一の社用車は先ほど停めたばかりなので、これは本社からの車に違いなかった。
「珍しいな。こんな時間に」
額にしわを寄せる武の様子を見て、珍しい出来事なのだろうと推察したリリアが窓を見やる。
『なに?誰か挨拶にでも来たわけ?』
『そういった行事は後々入ってくるはずなんですが……』
考えていてもらちが明かない。相談を直ちに切り上げて、時計兎のように飛び跳ねていく車を追う。片や東北の田舎から、もう一人などは大陸の西岸から冒険に来ただけに、両者とも若く、また向こう見ずであった。
予想通り、真新しい社用車から息せき切って転がり出たのは、本社からの連絡員であった。よほど急いでいたのか、喘息患者じみて息が荒い。しかしその肌は結核に罹患したように青白かった。
あまりの血相を見かねて、部長が玄関まで出迎えに行く。
「どないしたんですか、そんな血相変えて。帝都で地震でも起こったんですか?」
訝しげな木崎部長の問いかけに、絶えかけの呼吸をどうにかやりくりして、本社の社員が告げる。
「いえ、そうではなく。そのくらいの、ぎ、銀行が」
「銀行?どの銀行でんがな?」
「十五です!十五銀行!うちのメインバンクが支払い停止になったんですよ!倒産するかもしれない!」