暴かれていく数字
期間が空いているので、あらすじ
とある物語の涯で命を落としたアストレイは、一人の女性の願いで、自分が死ぬ前の世界に回帰することとなった。その世界では、自身が知っている世界とは全く異なる次元軸の世界だった。
様々な人物と会い、求めていた最愛の女性と再会し、想いを通じ合う。
しかし、その次元軸の世界では、二つの派閥が拮抗しており、特に資産の数字の改ざん、帳簿の不正が横行していた。
王国を回している商会の力を借りて、徐々に不正を追い詰めていくアストレイ。
有力な諸侯がその改ざんを告白するも、その陰には見えない勢力が暗躍し、思うように進まない。しかし、ある有力な貴族の不正を暴くと、状況は改善し、その大本にあたる侯爵家までたどり着くこととなった。
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誰もいない執務室で、アストレイは書類の山を見ながらシスリーとディアトルが持ってきた報告書を見ていた。
「‥グレイヴ、ニーデルファン」
先日の弟たち二人による強行手段のお陰で、帳簿の改ざんを先導しているであろう諸侯の中でも有力なグレイヴ家は、家紋の存続と家族の保障、そして一部の土地没収と引き換えという対価で、洗いざらいを吐き出した。
グレイブ家に呼応する形で、大小ながらも帳簿の改ざん、もしくはのらりくらりと交わしていた帳簿の提出を自ら宣告する家紋が出始めてきた。
この世界において、家紋の爵位の格下げというのは、世間的にも立場的にも、最も避けたい罰則の一つである。もちろん、それ相応のことをしたのだから当然と言えば当然なのだが、ここ数十年保っていた秩序のせいか、ここまでの刑を受けた家紋は久しく現れていない。
それもあってか、『爵位格下げ、もしくは爵位剥奪』を恐れるものは多く、いい意味でグレイヴ公爵家はアストレイのやり方に貢献したと言えるだろう。
「残るは‥ツェルヴェン、エステリオン、レイアトール。この三つが厄介だな」
残る諸侯はそれぞれ王室関りのある家紋ばかりだった。
エステリオンに関しては、ディアトルの婚約者であるカルメンタの実家でもあるし、前代の王妃の縁戚でもある。
ツェルヴェンは、シスリーの亡くなった母君…元王妃の姉、ダーニャ夫人がいる。そして、レイアトールは、先日アストレイが断りをいれた家紋なのだ。
「入るよ、兄上」
「ディアトル‥ノック位したらどうだ」
「イヤなら鍵を閉めることだね。…それより、帳簿の件。エステリオン家は帳簿を提出してきたよ」
「!本当か」
「今、フランシスが調べてる。…まあ、あそこの力は大きいから、改ざんをもみ消すことは出来なくとも、誰かに罪を着せて放り出すくらいは簡単にできるだろう」
つまりは、改ざんの証拠になるようなものは一切ないから、と提出したということらしい。
ディアトルが見る限り、矛盾点は見つからなかったということなのだろう。
しかし、それを見たカルメンタの顔色が一変したのだ。
「‥大丈夫なのか?」
「何が?…カルメンのことなら、心配はないよ」
「‥それならいいが」
「でも、この件は僕が対処する。…いいね」
「ああ。‥最初から、そのつもりだった。むしろ、お前にしかできないだろう?」
分かった、とだけ言うと、ディアトルはさっさと執務室から出ていった。
(残るは…)
すると、入れ替わりに現われたのは、従者の小さな花束を抱えたフレッドだった。
「アストレイ様」
「フレッドか?」
「‥お疲れでしょう。お茶と‥こちらをお持ちしました」
「ありがとう‥これは」
見ると、お茶と一緒に持ってきた花束には印章のない手紙が一通添えてあった。
「手紙‥ああ」差出人を見た途端、ふっと笑みがこぼれる。
「可愛らしいですよね。このガーベラの花」
「今日は面倒な奴につかまらなかったのか?」
以前、フレッドはツェルヴェン伯にいわれのない罪で投獄されそうになった。それを心配してのことだったのだが、どうやら、今回は違うらしい。
「前回の反省を踏まえて、今回からは厨房のメイドの力を借りました」
「厨房のメイド?…ああ。なるほど。アルヴェール商会からの発注か」
「はい!なので安心してお返事を書いてくださいね!」
にっこりと微笑むフレッドに、気恥ずかしさも相まって笑ってごまかした。
「はは、ありがとう。…ちなみに」
「ガーベラの花言葉は常に前進!ですよ」
「そうなのか。花‥か何を返そうかな」
大切な誰かの言葉というのは、時にどんな薬よりも効果は覿面だということを、改めて思い知ったのだった。
**
「最近、なんだか国全体が落ち着かないと思いませんこと?」
その日、オフェーリア・レイアトールは、前からなじみのある貴族の令嬢たちのお茶会に参加していた。
「ええ、なんでも、王子殿下様方が提示した会計帳簿の提出の一件がもめているようですわ」
「まあ‥怖い。なんでも不正があった家紋は立ち入り検査もあるみたいで」
並べられたお菓子に手を伸ばすこともなく、オフェーリアはただうつむいていた。
(…帳簿の不正…最近、お父様の様子がおかしい)
その様子をある令嬢がちらりと見やり、にやりと笑った。
「まあ、どうなされたの?オフェーリア様?顔色が優れませんわよ」
「え?…ああ、いえ少し考え事を」
さっと目を伏せると、オフェーリアの姿をマジマジと見つめ、別の令嬢があざけわらった。
「あら、そういえば。‥レイアトール公爵家でも、今頃大変な時期なのでは?」
「‥え?」
「そうそう、‥アストレイ殿下から正式なお申し出があったとか…」
オフェーリアにしてみたら正直、「またか」という思いだった。
先日の舞踏会以降、オフェーリアは行く先々でその話題の中心に登っていた。
(‥本当、飽きないものね)
「残念でしたわね‥せっかくお似合いのお二人と思っていましたのに」
「レイアトール公爵もさぞ、ガッカリとなされたことでしょう」
「久しくレイアトールから高名な要職の人材は出ていませんし…」
矢継ぎ早に飛んでくるあまりにも露骨な口撃に、オフェーリアは心底うんざりしていた。
「ふふ‥でも、少しほっとしておりますのよ」
「…え?」最初に話題を振った一人の令嬢は方眉をあげ、訝し気に聞き返す。
オフェーリアは美しい指さばきでティーカップに手を添え、優雅にほほ笑んだ。
「数ある爵位を持つ家紋の中でも、妃殿下の候補に上がれるものはほんの一握りの令嬢のみ‥その中にすら入れない方があまりにも多くて。とても重圧を感じておりました」
「…ほほ。まあ、重圧だなんて」
「ええ。そう考えると‥選ばれなかった皆様方が少し羨ましく思えますわ」
「‥なっんですって?もう一度」
ガタン、と一人の令嬢が立ち上がると、そのまま持っていたカップの中身をオフェーリアに向かってぶちまけた。さすがにこれは予想していなかったので、思わずオフェーリアは瞳を瞑った。
パシャっという音が聞こえたかと思うと、辺りから悲鳴じみた声が響き渡る。
(思ったよりも‥熱くない?)
そうっと目を開けると、目の前に大きな掌がオフェーリアの顔の前をかばうように覆っていた。
「…淹れたての紅茶はじかに触れると熱いだろうに」
はっとなり、後ろを振り返る。そこに居たのは
「アストレイ殿下?!」
「…!‥」
アストレイは紅茶に濡れて赤くなったグローブを外し、ひらひらと仰いだ。
「アストレイ様!!」慌てて立ち上がり、もっていたハンカチでアストレイの手を押さえた。
「ああ、大丈夫。この程度大したものじゃない」
「あ‥あ‥ぁ」
「後片付けは頼んだよ。…クラリス・オールネ」
ガタガタと震える令嬢を見てため息をつくと、アストレイはそのままオフェーリアの手を取り、歩き出す。
「…社交界とは大変だな、来たくもない茶会にも参加しなければならないとは」
「ど、どうしてこちらに」
ちら、と後ろを振り返ると、テーブルにいた令嬢たちはおろおろと狼狽しているようだ。
その様子を見ながらため息をついた。
「‥この辺の庭園の薔薇を見ていたら、ちょうどあなた方の話声が聞こえたもので」
「薔薇?」
王城内にある温室の中でも、この温室は貴族であればだれでも利用できる公共の温室だった。定期的に開かれるお茶会もあるらしいが、何よりも一年中大量の薔薇が咲き誇っていることでも有名な場所である。
「どなたかに贈り物ですか?」
「‥…贈り物、というか。うーん‥まあ、そうなるか」
どこか気まずそうにそう言ったアストレイの顔は少し赤い。
その横顔を切なげに見つめて、オフェーリアはそっと瞳を閉じた。
(きっと、贈り物なのね。)
「少しだけ‥その方が羨ましいです」
「え?」
「いいえ。‥助けていただいてありがとうございました」
「‥私は君に、本当に申し訳ないことをしたと思っている」
じっと見つめてくるアメジストの瞳を見るだけで、オフェーリアの心臓は落ち着かない。
嫌でもときめいてしまう自分を戒めるように、首を左右に振った。
「それより、お花を差し上げるなんて、‥今流行りの『セラム・ラトゥール』ですか?」
「セラム・ラトゥール?」
「ええ。花束の花言葉を手紙代わりに送るやり取りです」
「…そういう名前なのか」
どこか感心したように呟くアストレイを見て、オフェーリアは思わず笑ってしまった。
「花言葉なら、私よりもしかしたらシスリー殿下の方がお詳しいかもしれませんわ」
「シス?…ああ、そうか。あいつの趣味はローズ・ガーデンだったな」
(シスリーとオフェーリアがそんな話をしているとは‥思っている以上に二人は親しいのだろうか?それなら、シャンイとは)
そこまで考えて、アストレイは自分の薄弱な思考を呪った。
手のひらを強く握り、深く息を吐く。
「…シスの育てる薔薇はどれも美しい。今度聞いてみるとしようか」
「ええ。‥あの、アストレイ様」
「ん?」
「‥…やはり」
先ほどとは違い、沈んだ声のオフェーリアが遠慮がちに尋ねた。
「父は‥政治的不正を行っているのでしょうか」
「!!」
**
同じころ、ディアトルの書斎では、カルメンタが難しい顔をして机に並べてある書類を見つめていた。
「‥‥本当に、申し訳ありません」
「君が謝ることじゃない」
エステリオンの帳簿には、一見何の問題もないように見えていた。
しかし、細かく見ていくと、『カルメンタ』の名前で大ぶりな宝石や高額な装飾品が取引されている箇所が見受けられた。問題はその額、そのどれも、カルメンタ自身には身に覚えのないものらしい。
しかも、どうやら本当に購入されたかどうかも疑問が残る程物品的証拠が見つからないのだ。つまり、その時に使われた金銭の流れを徹底的に追求しなければならない。
「この領収書に書かれた宝石も‥ドレスだって。私は手元にありません。確かにお母様から贈られた物はこの領収と一致しているものもありますが…ああ、お母様」
「カルメン‥」
うなだれるカルメンタの方にそっと手をやると、ディアトルはそのまま抱き寄せ、そっと涙をぬぐった。
「君が何を言おうと、何があっても。…僕は君を妻にするつもりだ」
「ですが」
「いいから、‥黙って」
カルメンダはその肩に頭を置き、二人は身を寄せ合う。
「いいえ。‥黙りませんわ、ディアトル様。…どうか、全て明らかに」
「…わかった」
その夜のこと、エステリオン侯爵家には、第二王子ディアトルの直属の騎士団が派遣されることとなった。




