運命とやらは、いつも未来で待ち構えている
「どういうことだ?!王子殿下がいらっしゃらないなんて…!!」
「まさか体調が悪い‥?い、いや。確かに先ほどまで会場にいらっしゃったのに!!!」
舞踏会当日の夜に起こった、突然の王子殿下の失踪は、会場内外から様々な思惑、憶測、願望が渦のように巻き起こり、騒然となっていた。
しかし、その様相を実に面白そうに眺めている人物が一人。
「はーはっはっ…!!これは面白い余興だ」
「へ、へ陛下!笑い事ではありません!!!」
「良いではないか。あのアストレイはこんなことをするなんて、夢にも思わなんだ!‥まあ、あ奴に何があったかはわからぬが、これもまたアストレイなりの決断であろう。ならば尊重しようではないか」
「呑気なことを…!どうされるのですか、これでは舞踏会に出資した貴族たちの顔が‥‥」
貴族保守派の重鎮達はこぞって国王陛下に異を唱えようとするが、それはレオンハルトの一瞥で、そろって口をつぐんだ。
「ふん。貴族保守派の連中か…。偉くなったものだなあ‥のう?ツェルヴェン」
ぎくり、と貴族保守派の筆頭であるツェルヴェン伯爵がぼってりとした身体を小さく縮こませた。
今回行われた大規模の舞踏会の出資はほとんどが保守派の人間たちの思惑から起こるものだった。その中でも大いに期待を寄せていたのが、自分たちの息のかかった派閥のレイアトール家令嬢と第一王子アストレイとの婚約さえ敵わず、まさに泣きっ面に蜂という情況だった。
「い、いいえ、滅相もございません!!し、しかしアストレイ様は将来的にもこの国をお次になるお方。ならば、我々とも良好な関係をぜひ築いて戴きたく…!」
「それは儂ではない、アストレイに言うべきであろう?…それに儂はまだ誰を時期国王にするかは明言していないはずだが」
ざわ、とその場にいた全員に動揺が走る、
エサルエス王国は、残念ながら二つの派閥に分かれている、
世襲制を唱える貴族保守派にしてみれば、自分たちの主張を受け入れてもらうためにはそれに伴う判断材料として、嫡子のアストレイが次期王位を継承することには大いなる意味を持つ。
「見ての通り、儂には幸いなことに三人の男子がいる。この国は変わらぬ体裁を保ってはいるものの、変化のない世界ではその成長はいずれ止まる。そうならない未来を次の世代に託すのが、我々の役目であろう」
**
触れるか触れないかのぎりぎりのところを掠めて、アストレイはシャンイの身体をそっと引き離した。
「…そろそろ戻るといい。途中まで送るよ」
「‥っ どうして ?」
「え…」
「私が近づこうとしたら、離れてしまうし…殿下は私にどうしろというのですか?!それともやはり、完全無欠の王子殿下は、人の心を乱して楽しんでいらっしゃるのですか…っ?!」
(近づこうとした…って)
シャンイの思いがけない言葉に驚くと同時に、鼓動が大きくはねた。
しかし、気が付いた時にはシャンイは既に全速力で走り出してしまっており、我に返ったアストレイは一歩遅れて追いかけた。
「!待って!!!そんなつもりじゃ…!」
(何をためらっているんだ…!)
書斎を出た途端、遠く離れた場所でバサッという派手な音が響く。慌ててそこに足を向けた。
しかし、次の瞬間に聞こえたシャンイともう一人の人物との会話にピタリと足は止まり、とっさに壁に隠れてしまった。
(‥なんで、ここに?)
誰もいない廊下にシャンイの足音だけが響く。
言いたいだけ言って逃げ出した自分が更にやり切れなくて、闇雲に走り出す。一刻も早くアストレイの元から消えてしまいたかった。
(‥なんてバカみたいな夢を一瞬でも見たんだろう)
出逢い方からして、どこかふわふわしていて現実味がなかった。
あんな場所で出会うはずのない人間に偶然会ってしまったから、まるで運命みたいに感じてしまったのだろうか。
夢に冒されたように場違いな期待を少しでもしてしまった自分が許せなくて、とても恥ずかしく感じてしまい、思わず涙がボロボロこぼれだす。
すると、歪んだ視界が突如としてぐらりと傾き、ズザザッ!と間抜けな音が廊下に響き渡る。
「?!!」
なれないヒールに足がもつれて転んでしまったのだ。思わず周りを見渡し、誰もいないのを確認するのだが、とめどなく流れる涙は止まらなかった。
(ううう‥私のバカ―――!せっかく、お姉さまが綺麗にしてくれたのに…!)
よろよろと立ち上がろうとすると、すかさず宙をさ迷っていた手が掬われてしまった。
思いがけぬ力強い力に持ち上げられ、目をぱちくりさせてしまう。
「え?」
「大丈夫か?」
さらりと薄青色の光が視線を掠め、それは自分が思い描いた人物ではないことが分かった。のろのろと顔をあげると、その人物はアストレイに負けないくらい綺麗な顔の男性だった。
「転んだのか。…靴を脱いで。そのままでは歩けないだろう?」
一瞬夢でも見ているのかと思った。だが、今はどうやら現実のようだ。
「???‥‥はっ?!え だ 誰…っい゛?!」
立ち上がった瞬間、右足に激痛が走る。どうやら先ほど転んだ拍子に右足首をひねってしまったようだった。
「けが、しているのか?」
「だ。だだだ大丈…ぶッ…ですから、放っておいてください…」
(今は誰にも関わりたくないんだってば…!)
「どう見ても大丈夫には見えないだろう、手を‥」
差し出された手を思わず払いのけてしまう。そのままぐらりと傾いた身体だったが、何か固いものにぶつかり、転倒を免れた。
「…っ? あ」
「シスリー」
「兄上?!ここに居たのです…」
か、とまで言い掛けて、シスリーは思わず固まった。
「…けがしているんだろう、行くよ」
「ま、待って!一人で‥」
もがくシャンイを担ぎ上げた後、シスリーに見向きもせずにアストレイは歩き出した。
その後ろ姿を見ながら、ひとり残されたシスリーは茫然と立ち尽くしてしまう。
(兄上の‥あんな表情、初めて見た)
彼女に触れたときに見せたアストレイの表情は、どこか悋気が入り混じったような、敵意を含んだ複雑なものに見えた。
**
「足の具合は?」
「…大丈夫です…。だ、大丈夫ですから‥」
がっちりと支える腕は想像異常に逞しく、シャンイがどれだけもがいてもびくともしなかったので、諦めることにした。
「いいから、大人しくして。まさか這って帰るわけにはいかないだろう?」
「いやいやいや!!この状態なら這った方がまだましですから?!」
(どうしてこうなるの…!)
しかし、シャンイの不満と抵抗をよそに、アストレイは中庭を真っすぐ突き進んでいく。恐らく普段は使用人たちが使っている通路なのだろうか、裏口から抜けていく。
途中、何度かぎょっとした表情の使用人たちに遭遇したりもしたが、全く意に介さず突き進み、あっという間に王城の外に出た。
「ア、アストレイ様‥私などには構わずもう戻られた方が‥」
「どうして?」
「どうして‥って」
ふっと短く微笑むアストレイの様子はまるで聞く耳を持たない様子で、シャンイは何も言えなかった。
そのまま手近な馬車を捕まえると、担いでいたシャンイの身体をそっと降ろした。
「‥‥」
向かい合わせになった状態で、二人の間に長い沈黙が下りる。
「‥偶然や必然に頼らないで‥今度は私が君に会いに行く。…必ず」
「!」
去り際、シャンイの額に短いキスが落とされた。思わずびくり、と瞳を閉じてしまう。
「あ‥」
無情にも扉はバタン、と閉じられ、彼の表情は見えなかった。
去っていく馬車を見送りながら、アストレイは息を吐いた。
(‥シスに悪いことをしてしまったかな)
二人が並んでいるのを見た瞬間、言いようのない焦りや嫉妬じみたものが突如として沸き起こってしまった。恐らく自分を探しに来た弟が、たまたま転倒した彼女と遭遇したに過ぎないだろう。
「それだけのはずなのに、どうしてこんなに落ち着かない‥!」
あの時感じた感情はいまだ消えない。
あの二人が一緒にいるだけで胸がざわついた。そして心のどこか奥の方で誰かが何かを囁く。
――― 所詮は抗えぬもの。諦めろ
乾いた声が聞こえる気がして、アストレイはそれを振り払った。
あちらの世界で、実際に『彼女』と自分がどう関わり、どう出逢ったのか…そのあたりの記憶はまるで穴が開いたように抜け落ちていた。
にも拘わらず、妙な気分になるのはもしかしたら。
(この気持ちは、あちらであの二人がどうなるか見てきたからなのか?)
全てが決められている未来などありはしない。けれどももし、何かの選択と、何か見えない力によって自分が知っている未来の通りになることが定められていたとしたら。
「違うだろう…そうじゃないだろう。…始まってもいないのに諦めるのか」
アストレイは、知らないうちに自分の手を握りしめていた。




