俺の事情と彼女の事情(前篇)
登場人物
俺→時として第三王子、またある時は傭兵カルロ
アイル(従者)→幼少の頃からの付き合い。発言に遠慮がない。
ディアトル →異母兄弟の二つ上の兄。第二王子。できれば関わりたくない
サー・ライアン→自警団の団長兼運営者。暑苦くて堅物なのが残念。
シャンイ嬢 →現在逃亡中の婚約者(言質は取った)。その内捕まえに行くから待っていろ。
「逃げたか。」
も抜けの殻となった客間を見て、俺はため息をついた。
朝早い時間に発った馬車が一台あると聞いていたので、もしかしたらと思っていたが…。昨日まで使われていた部屋に人の気配はない。
(予想通りというか、なんというか)
昨日のあの様子から察するに、一人で冷静になって考えて正気に戻ったというところか。だとすれば打算や計算よりも本能で行動するタイプであるらしい。
時折こちらが驚くような鋭い意見や行動、洞察力を発揮する癖に、そのほとんどが本能で行動してるのだとすれば、なんともアンバランスな性質の娘だ。
「随分と楽しそうじゃないか、シスリー。」
不意に後ろから、朝から胸焼けしそうなとても不愉快になる声が聞こえた。振り向くと、声の主はどこか含みのある微笑を浮かべ、壁に寄りかかって立っていた。
「おはようございます、ディアトル兄上。」
「ああ、おはよう、シス。今日もいい天気だねー。…おやおやあ?噂の君の姫君に会いに来たのだけど」
「彼女は一度生家に帰りました。…いろいろと準備もあることでしょうし」
第二王子ディアトル・エサルエス。母親が異なり、俺にとっては異母兄弟に当たる。
性格は泰然自若、はたから見ると眉目秀麗な偉丈夫といったところだ。本人もそれを自覚している節があり最近は外交一切を任されている。
だがいかんせん昔から俺とは相性が悪く、また向こうも同じようで、互いに一切の干渉を持たない。本当に必要な時にのみ、関わる程度である。
「そうかい?それは残念だ。僕の妻もぜひ君たちに会ってみたいと言っていた。いずれ、そういう席を設けてくれると嬉しいかな?」
「よく伝えておきましょう。落ち着いた頃合いを見て、ご挨拶に伺います。」
楽しみにしてる、と言い残して去っていく後姿を見送りながら、妙な違和感を感じた。余程のことがない限り向こうから話しかけることのないあの兄が自らこちらに赴くなど、不信極まりない。
彼女が昨日言っていたように、本当に今後俺の人生に未来があるとすれば…兄との関係は良くも悪くも必ず関係してくるもの。
「いつかは向き合わなければならない…か。」
不思議な感覚だった。今までその先にについてなど考えたことなどなかった。本当にその先に長い未来が待っているのなら、それはとても素晴らしいことなのだろう。
「あ、シスリー様。そろそろお戻りになりますか?」
「…ああ、そうだな。」
「おや?ずいぶんお疲れですね?何かありましたか?」
通りすがら、城で働く下働きの女中から、衛兵やらありとあらゆる人間からうんざりする程の祝福を受けてきた。昨日の一連のパフォーマンスの効果は絶大で、日々変化の矮小な彼らにとっては格好のネタであろう。中には婚約者と同伴ではないため、もはや逃げられたのでは?などと揶揄するものもいた。
「そういえば、私はまだ婚約者様にお会いしてないのですが、ご一緒ではないのですか?」
「…お前もそういうか。安心しろ、あいつが何を言おうとその内引きずってでも館に連れて帰るから、お前は館内の清掃でもしておけ。」
「ず、ずいぶんとぞんざいな物言いですが…それにしても珍しいですね。」
アイルは心底嬉しそうに笑っている。…こいつは何がそんなに楽しいのだろう。
「…なにがおかしい。」
「いいえ、シスリー様がそこまでご執心とは、その方に早く私もお会いしたいです。」
実は一度アイルも遭遇しているのだが。
「俺はそんなに、他者に対して関心がないように見えるか?」
「え?ご自身こそ、他の物ごとに対して興味関心をお持ちだったんですか?」
質問を質問で返されるのはなんともも腹立たしいことだ。だが…
「いや、昨日初めてそうじゃないことに気が付いた。」
長い中庭を抜け、王城の門を出ると、眼下に城下町が広がる、さらに遠くの海側には大型の帆船が何艘も港に停舶しているのが見えた。
「今日はこのまま街に降りる。留守を頼んだ」
「え?…また例の慈善的な余暇活動ですか…」
「失礼な物言いをするな。治に居て乱を忘れず。情報とは金よりも有益な資源だ。」
身に着けていた外套とジャケットをアイルに向かって放り投げると、そのまま馬を走らせた。
「気を付けてくださいねー!無茶はしないでくださいねーーー!!」
話の分かる従者を持つのは何とも幸せなことだ。王城から都に続く橋梁を超え、西門へと急ぐ。今日は久しぶりの天気で、風も心地よい。街に降りるのは、かれこれ十日ほどぶりだろうか。
**
エサルエスの首都であり、城下街であるアウロスは整備された港としても機能していた。埠頭を中心に、煉瓦造りの倉庫が左右に広がっている。王都の中心部へと続く大門の前の広場には大小からなる露店や商人が並んでいた。忙しげに働く男たちに、走り回る子供たち、声を掛け合う商人たちのにぎやかな喧噪は聞いているだけでも心が浮き立つものだ。
大門の広場を抜けて、左側に進んでいくとほどなくして薄暗い路地に入る。入り組んだ路地を抜けると倉庫街の丁度裏手に当たる場所に古びた教会にたどり着く。
俺の姿を見つけると、向こうから同僚が走ってくるのが見えた。
「おーい、カルロ!!こっちこっち!」
「フラウス、久しぶりだな。」
治安悪化に悩む付近の住民がいくつかの有力貴族や商家などから資金を集め、王国非公式の傭兵部隊を結成した。ここは王国非公式の民間の警護団隊通称『コントラクター』の本拠地がある。フラウスが気づくと同時に、訓練中であろう他の連中も駆け寄ってくる。
「あ、なんだ今日はカルロも来るんだったか。こりゃ、サビエナが喜んでやってくるぞー?」思い思いに声をかけ、お互いの肘でたたき合う。それが自警団の挨拶だ。
「おい、今日こそはお前から一本取るからな!逃げるんじゃねえぞ?」
アウロスは港の規模の大きさから、エサルエスに入国の際には他国からの来訪の場合はいくつか手続きを踏んでから入国するものだが、不正な手続きや密入国者の数は減るどころか増える一方だ。その為他国の人間とのトラブルは多い。
王城にいても情報が送られてくるのはある程度時間が過ぎてからで、日々一秒ごとに変わる停泊船の情報や問題はいち早くコントラクターに流れてくる。だからこそ、ここでは「普段は地方を回ってトラブルを解決している旅の傭兵カルロ」として、月に複数回顔を出す。
「やあ、ジャックにライア、久しぶりだな、元気だったか?」
互いの肩をたたきあい、笑ってそう言った。
「当たり前だろ!お前こそその辺で野垂れ死んでるんじゃないかと心配したよ!」
それに対して陽気な笑顔でジャックも応えた。そんなやり取りをほほえましく見ていたそばかすのライアが言う。
「それより団長が呼んでるよ。どうも今日停泊したあの帆船がちょっと面倒ごとを引き起こしそうなんだって。」
「…そうか。ありがとう、団長は詰め所かい?」
国同士のトラブルには、外交の要であるディアトルの管轄だが、民同士のトラブルにはなかなか誰も手を出せない。情報収集と視察も兼ねてこうして彼らに紛れて数日過ごす。
石造りの扉を開け、礼拝堂にて祈りを済ませたのち、団長の元へと急ぐ。この廃教会の敷地には訓練所や食堂もろもろが整備されており、規模は決して小さくはない。奥の部屋では、団長であるライアン卿が待ちわびていた。
「ようこそいらっしゃいました、シスリー殿下。お久しぶりでございます。」
部屋に入るなり開口一番、卿はこちらに向かって跪拝をしてきた。
「…サー・ライアン。この場所でそれは何度もやめてくれとお願いしているのだが。」
「いいえ!私は今でこそ引退した身ではございますが、貴方様への忠誠は生涯変わりません!!皆の前では部下のような振る舞いですが、常日頃断腸の思いであること、お察し頂きたく!!」
サー・ライアンは、長年俺の母親に仕えていた騎士である。50を過ぎたころに勇退し、国王から爵位とサーの称号を授かった。
浮民の数が増えるとともに、富裕層や知識層との確執や貧富の差も広がるばかりで、倉庫街の裏手にはスラム街が形成されていった。この辺りはたびたび国内でも問題とされている。その為誰か騎士出身の有力貴族を、ということで名乗りを上げたのがこのライアンだった。
現在はこうしてコントラクターの運営と組織形成、それに港の治安の安定に心血を注いでいる。
信頼の置ける武人でもあり、この組織で俺の正体を唯一知る人物だ。しかし、生真面目で不器用というか、融通が利かないのが欠点でもある。
「ま、まあいい。それより、問題の帆船というのはどこの国のものだ?」
「はい、ここから東の国『リョウ(菱)』です。」
菱は東にある国で、ここ数年でやっと商いの交流基盤ができた国だ。砂漠を通るルートは難航しており、まだ確立されていない。船で来るにも気軽にこれる距離ではなく、ある程度の準備が必要となる。
「…菱からの船はさほど珍しくもなさそうだが、何かあるのか?」
「こちらに入国の際には、航海経路の提出と、滞在許可の申請が義務付けられております。もちろん不審な点もないので文書上では許可が下りています。滞在理由は商い、とのことでしたが…。」
「商いということは商人か?」
「はい、彼らは武装された商人なのです。武器の携帯は禁止されておりませんし、傭兵団を抱える商船というのは不思議ではありませんが、どうにもその人数が多くて。」
「陸上で目視できたのは大型帆船が三艘。ということは…下手をすれば一個小隊といった所か」
用心するに越したことはない。何があっても万全の準備をするのが彼らの役割でもあるのだから。
「申し訳ありません。杞憂であればいいのですが。」
「いや、構わない。では見回りもかねて数人で港の表通りに行ってみるとしようか」
今回俺が街に降りたのにはあの帆船も気にはなっていたのだが、もう一つ大切な用事があるからだった。その目的は早々に達成されるわけだが、それは思わぬ方向に動き、ひいては国同士の問題に発展していくということを、まだ知らなかった。
時々直しますが、大筋は変わらない予定です。