心の在処
華やかな世界。
この一言だけでは言い表せない程、その舞踏会はきらびやかなものだった。
色とりどりにあしらわれた色鮮やかな花々の飾りに、美しい金の燭台には灯りがともされ、天井のシャンデリアにの飾りは一つ一つ職人が手で研磨し磨き上げた色彩豊かな玻璃に、一粒が相当高価なものであろう光る鉱石がふんだんに使われている。
恐らく誰もがこのきらびやかなホールの中心に立つということを夢見て憧れることだろう。
そして、この光景に実は誰よりも圧倒されている意外な人物がそこに立っていた。
「‥‥」
この夢のような舞踏会の主賓の一人である、アストレイだった。
(これは…どういうことだろう)
ここでまた、新しい驚愕の真実がまた一つ。
嘗て彼が経験した彼の国の金庫は火の車状態で、現王妃であるディアドラの浪費と、近隣との小競り合いによる戦災の名残ともいえる行いの数々や建物の修繕など、負の遺産を清算させる為の資金繰りで疲弊した筈が、この光景はどうだろう。
(これは…もしかして、あちらで会った10年前の戦争がこちらでは起こっていないのだろうか?)
それが一体どのような影響でそうなったのかは想像に過ぎないが‥もしかしたら、あちらの国に存在していたディアトルの影に潜んでいた存在は相当厄介なモノだったのかもしれない。
思いがげず途方に暮れていると、背後から声をかけられた。
「アストレイ。」
「…!これは、父上」
後ろを振り返る
と、そこには穏やかな表情で微笑む国王陛下とその妻、ディアドラ妃の姿だった。
「‥‥‥」
「?どうした、ぼんやりとして」
「いいえ、ちょっと‥いやかなり驚いてしまって…」
あちらの世界では終始冴えない表情だった国王陛下レオンハルトの姿は見違えるようにたくましく、つややかな髭はそのまま、疲労というものは全く感じさせない若々しい姿だった。そして、何よりも驚愕したのは、ディアドラ妃の姿だった。
「まあ、どうしたの?私のこと初めて見るような顔をして」
「はは、ディアドラは見るたびに違う姿を見せるからな、アストレイも驚いているのだろう」
(ディアドラ…?!今、ディアドラということは…やはりこの女性)
目の前の女性を改めてまじまじと見つめると、そこには宗教絵画にでも出てきそうなふくよかな体つきの女性の姿だった。顔も身体も丸々としていて、福々しい顔はさながら貴族の少年たちが蹴り遊ぶ球のようだった。
眼は爛爛と輝き、肌の艶はもち肌、『豊満』という言葉がぴったりな女性の姿だった。…つまりはまるで別人のようにあらゆる容量が1・5倍に増えたといっても過言ではないだろう。
「い、いいえ…今日も肥え‥っふ、ふくよかでいらっしゃいますね…」
あまりの衝撃にうまい賞讃の言葉が見つからず、まずい、と思ったのだが。
「もうーー、女性に対して失礼ですわよ?でも、陛下はそれがお好みでいらっしゃるみたいですから…」
「ふむ、豊満な体というのは、見ているだけで幸せを感じると思わないか?」
「まあ、そう言ってわたくしにまた美味しいケーキやら御馳走をくださるなんて、ヒドイ方ですわ!!」
顔も丸くなると、心まで丸くなるものなのだろうか。全く問題がないどころか、二人を喜ばせてしまったようだった。
(父上…幸せそうで何よりだな…)
形容しがたいような複雑な思いを抱きながら、アストレイは苦笑いをせざるを得なかった。
「アストレイ、お前も早く自分だけの姫を見つけるといい。…愛する存在がいるというのはそれだけで何か力がみなぎってくるように思える。…レイアトールの姫との話、断ったそうだな」
「…申し訳ありません。私は自分の気持に嘘はつけませんでした」
恐らく父も含め、大多数の人間はアストレイの行動に疑問を抱く者も多いだろう。
それほどまでに政治的にも、立場的にもこの上ない理想の姫君であったはずだったのだ。これまでのアストレイからは考えられない行動に見えるのだろう。
しかし、予想に反して、父王の姿はどこか嬉しそうに見えた。
「お前はいつもこの国を継ぐべく尽力してきた。より良い国を作るために、時に自らの意志も封じて国をよくするための選択を選んできたのを儂は知っておる。‥だから今回の選択が紛れもなくお前自身の選択であるのなら、それを尊重しよう」
「‥父上」
「あとのことは心配するな。‥お前のやりたいようにやるといい」
そう言って優しく微笑んだ父王は、今まで見たこともない表情で、アストレイの胸に何か温かいものが込み上げる。しかし同時に、釈善としない苦いものも感じてしまった。
「ご婦人様のごとうーちゃーく!」
すると、ベルの音が高らかに鳴り響くと同時に、ぞろぞろと人が入り込んできた。
見ると、玄関のエントランスには華やかに着飾った貴婦人たちが続々と到着しているようだった。アストレイはそのまま人目を避け、あまり人の出入りが少ない南側の書斎の方へ足を運んだ。
鏡板張りの廊下を歩いていくと、普段は使われてない為燭台にも灯りはともされておらず、仄かに差し込む月の光が濃い影を映し出していた。
天井までの高さのある大きな張り出し窓から漏れる光は青白く、この場所だけ空間が切り取られたように見える。
「今日は満月か…どうりで明るいわけだ」
この世界はどうやら自分が思っている以上に、夢のような世界らしい。
(何も問題もない、幸せで完璧な世界。争いもない、豊かで平和な世界…父にさえもあんな風に言われる日がくるなんて)
自分が知っている世界では、父はいつも厳しかった。
『王たるもの、己に厳しく、国の利になることのみを重んじ生きていけ』
当然のようにそう教えられ生きてきたアストレイにとって、その教えはまるで一本の剣のように心に突き刺さり自身の行動原理にもなっていた。
(それを好きなようにしろ、と言われても)
誰もが幸せで理想のようなこの世界は、戸惑うことの方が多い。まるで劇場の中にいるような、本当に夢を見ているだけのような…そんな気にさえなってしまう。
常に回りが誰かにいても、どこか所在なく落ち着かない。一人でいるときの方がよほど落ち着くし、きちんと自分の足でその場に立っているように思えた。
(‥君は、この世界で私にどう生きていけというのだろうか)
もう何度目か、なくしてしまった記憶の向こうにいる彼女に問いかけても返答はなかった。好きなように生きろ、といわれてもすぐに順応できるほど器用ではない自分を思い知ってしまう。
「世界が変わって‥自分も一緒に変われたら良かったのに」
ふと、人の気配を感じたような気がして、辺りを見回した。
「‥?誰か、いるのか」
しん、と静まり返った廊下にはアストレイの声だけが聞こえ、他の音は一切聞こえない。
気のせいかと思い、歩いていくと…突然何かにぶつかった。
「?!」
「きゃぁあああああっっ!!!」
絹を裂く…という表現にぴったりと合うような叫び声が耳を貫く。
甲高い女性の悲鳴のようで、一瞬幽霊でも見たのかと思った。しかし、目の前に現れたその女性は、明らかに人間のようでわかりやすく腰を抜かして床にへたりこんでいた。
「きみは、なぜここに」
アストレイが問うと、シャンイは気まずそうに眼をそらしてしまった。
「…ええと、迷ってしまって、気が付いたらここに」
「迷子?」
ふっと、笑いが込み上げる。
取り立てて何かが変わったわけではないのに、何故か先ほどまで沈んでいた心が軽くなるような気がする。改めて、彼女の姿を見る。
あまり派手な飾りこそないが、まるで星空のような深い青色のドレスには、銀色の髪がよく映える。
「‥よく、似合う」
「これはその、姉に選んでもらっただけです。…貴方は、ここで何を‥?」
「なんというか、本当は広間へ行かなければならないのだけど、どうもそういう気分になれなくて」
そろそろ舞踏会の始まる頃合いだが、どうしても足が向かない。
恐らく大広間では主賓の一人が行方不明ということで、騒然となっていることだろう。‥同じく主賓であるシスリーには少し申し訳ないように感じてしまった。
「…君こそどうしてこんな場所に?私もできるだけ人目を避けて来たつもりだったのだけど、先日の海辺といい、考えることは似ているようだ」
「私は…その」
シャンイは何か迷うそぶりを見せながら、それ以上は口をつぐんでしまった。
「…?もしよければ、少し話をしないか?…ああ、先日みたいに無理強いするつもりはないよ。少し、誰かと話したい気分なんだ」
「‥私でよければ」
ずっとそらされていた翡翠色の瞳は、やっとこちらを向いてくれた。それだけで嬉しくなってしまうのだった。




