夢見ない乙女と夢みたいな王子様
その日は、本当にたまたまだった。
朝目が覚めると外には雨が降っていて、考えていた予定は見事に崩れ去ってしまった。
ならば、と家で本でも読んで静かに過ごそうかとも考えていたのだが、こういう時に限って姉のレシアがやってきた。
「シャンイ!!さあ、明日の舞踏会に備えて準備をするわよ!!」
姉は今エサルエスで売り出し中の人気のドレスデザイナー。アイデアが浮かぶと妹であるシャンイにとっかえひっかえ着せ替え人形のように着替えさせる。
これだけで時間を費やし、避けられるものなら避けてしまいたい。…こうして、家にいる案は却下となる。では次に出かけようと思った矢先に今度は父と兄に捕まってしまった。
「なあ、シャンイ?!これからは絶対に胡椒が流行るはずなんだが、父上は砂糖だという。どっちだと思う?!」
「ええい黙らんか、ロレーンス!!おお、我が愛しの娘よ!次は砂糖だ!!砂糖だよ砂糖に決まっている!!!」
どうしてこうくだらないことで本気の殴り合いができるのだろうか。二人に遭遇した玄関先では血みどろの殴り合いのけんかが起こっていた。豪華な異国の像には血飛沫が付き、さながらこれから事件でも起こりそうな雰囲気だった。
貿易商を営むアルヴェール商会は、エサルエスで第一位の商家。この一族の言動でエサルエスの国家予算が動くとまで言わしめいている。その二人が言い争っている砂糖と、胡椒は‥どちらにせよ時代を動かすものになるんだろうからどちらでもいいのに、とシャンイは思った。
シャンイの冷静な発言により、二人の喧嘩は収まった。‥しかし、また別の品目で言い争いが始まりかけていたので、面倒なので慌てて厩にやってきた。
「もう…耐えられない…っ!うちの家族は濃すぎるのよぅ…!安らぎの場所がないじゃない~!」
彼女の名前はシャンイ・アルヴェール、17歳。
趣味は読書、乗馬、夢は冒険家。
変化のない落ち着いた生活を望み、おしゃれや服装のセンスはデザイナーの姉に吸い取られたのか、まるで皆無。社交界など滅んでしまえばいいのに、と心から願う。嫌いなものはキラキラしたもの、好きな場所は部屋の隅っこ。そんな、女性である。
こうして、シャンイは愛馬『フェイ』に飛び乗り、人の気配を避けた場所を求めて走り出したのである。
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そして現在。
「はあ、はーっはーっ…なあに、あの眩しい人…っ!」
人目を避けて訪れた海岸も砂浜だったが、最初は誰もいない上に雨上がりの為か空も美しく、気持ちよく海を眺めていた。
しかし、ものの数分でもう一人やってきた人物…それが。
「待ってくれ!ちょっと、話を」
キラキラと輝く金髪にアメジストの瞳のなにやら眩しい男性がこちらに向かって走ってきた。その異様なほどのキラキラとしたオーラは、シャンイの最も苦手とするものだった。
追いかけられれば逃げたくなる。追う方も逃げる背中を見ると追いかけたくなる。それが人間の本能であるなら、あとはもうどちらかが力尽きるしかないのだ。
「どうして追ってくるの?!来ないでよッ!!!」
「…君が逃げるからだろう?!」
逃げる、追うを繰り返しかれこれ半時ほど。
今の季節は春、まだ風が冷たい季節。ただでさえ砂場で足がとられるにもかかわらず全力疾走の末、先に力尽きたのはシャンイの方だった。
「掴まった…!」
「つっ…掴まえた‥、急に走るから‥大丈夫かい?」
とか言いつつ、この眩しい青年はしっかりとシャンイの細い手首を握りしめている。たまらずシャンイはその場にしゃがみこんでしまった
それにしても、この青年はあれだけ走ったに癖に息が多少乱れる程度で疲れた様子が感じられない。羽織っている外套こそ粗末なもののようだが、中から見えるジャケットは相当上等そうで、恐らく騎士か何かだろうか?
(そ、そんなひとじゃあ逃げられるわけがないわ‥)
「‥逃げたのはどうして」
「あなたが、追いかけるから!‥です」
シャンイは更に逃げようという考えが一瞬よぎったが、そもそもどうしてこうまでして逃げる必要があるのかと考え直した。
「に、逃げないから。離してくださいますか…?」
シャンイの様子に青年は苦笑すると、するりと手を離してしまう。
自由になった手首はあまりにもあっさりと離れてしまったせいか、どこか寂しく感じてしまい、思わず顔を見てしましまった。
(あ‥)
ふと、アストレイと名乗る青年の顔を見ると、二人の視線がぶつかった。
アメジストの瞳はどこか憂いを帯びていて、不安そうに揺れている。じっと見つめるその視線の意味を聞いてみたかったが、視線はさっと外されてしまった。
「すまない、…紳士としてのマナーは成っていなかったみたいだ。私はアストレイ、君の名前は?」
「…シャンイです。」
息を整えながらやっとの思いで応えると、再び手が差し出された。
「足場がよくない。‥お手をどうぞ、ご令嬢」
「れ、令嬢だなんて、とんでもない!そ、それで、あなたのような眩しい方が何の御用でしょうか…」
彼に差し出された手を掴むと、二人は並んで歩き出す。
「今日はどうしてここへ?」
「なんとなく…ち、ちょっと家に居づらくて。人目を避けてきたのにあなたがいるから」
シャンイの場合は居づらくて、というよりは避難といった方が正しいかもしれない。彼は振り返らずに答えた。
「…私も、なんとなく。一人になりたくて来てみたんだが、君がいた」
「なら、私のことなんて放っておけばよかったのに‥」
「‥その前に君が走り出したから、つい」
言われてみれば、確かに先に走ったのは自分だったかもしれない。
「君のことを初めて見たはずなのに、どこかで会ったことがあるような…探している人に似ていた気がしたんだ」
「…そう言って女性に声をかけているんですか?」
少し嫌な言い方になってしまったかも?と考えたが、当の本人には笑われてしまった。
「さすがにこんな口説き文句で喜ぶ女性はいないのでは?‥本当にそう思っただけなんだ」
「でも、私は貴方に逢ったことがありません。‥人違いでは?」
「…どうなんだろう」
すると初めて彼はこちらを振り返った。
「君はどう思う?…もしかしたら、ここじゃないどこか別の世界で会っていたのかも‥?」
「…っ」
(こういうことを臆面もなく言える人がこの世にいるなんて?!)
海辺で初めて出会ったのは、この世のものとは思えない程の美しい青年。そんな青年と、波しぶきを聞きながら日が傾き始めた砂浜で二人きり…。
こういう情況というのは、この世にはびこる夢見る乙女ならばうっとりととろけてしまうようなものかもしれない。しかし、今のシャンイにとっては今まで経験したことのない未知の状況に冷や汗が止まらず、何とかこの場から無難に立ち去る方法を頭でフル回転して考えているのだ。
「あ、あああの、私!人違いです!多分貴方の勘違いです!!」
「…そうかな」
「そそそそうです!!」
じりじりと距離を縮めていくこの青年を思い切りのけぞりながら距離を取ろうとするが、いかんせんしっかりと手が握られているため逃げ出せない。
すると次の瞬間――
「シャンイから離れろ!!!」
「!!」
どこからか飛んできた影が思い切りアストレイとシャンイの身体を引き離した。
「?!」
「き、君は!!嫌がっている女性に無理やり手を出そうとするなんて!!紳士じゃないな!!」
現れたのは、肩まで流れる薄い金髪をまとめた青く垂れさがった瞳の青年。ぜえぜえと肩で息を切らしながら二人を引きはがし、シャンイを背にかばいながら思い切りアストレイをにらみつけている。
「は‥ハヴェル。なんでここに?!」
「き、君が勝手にいなくなるもんだから、親父さんたちが心配して…僕も駆り出されたんだよ」
彼の名前は、ハヴェル・ノウズナ。
シャンイの幼馴染で、アルヴェール商会に継ぐ商家の青年だった。ノウズナ家は子爵の爵位を持ち、王家とのパイプもある一門である。
「‥‥君は、誰だ?」
すうっとアストレイを取り巻く空気が冷え込むような気がして、シャンイはついハヴェルを盾に後ろへ下がってしまった。
「お、お前こそ何者だ!‥というか、シャンイ、君の知り合い?」
「知り合いっていうか、知り合ったばかりというか…」
確かさっき出会ったばかりのはずなのに、ハヴェルの存在が彼に対して後ろめたく感じるのはなぜだろう?
「幼馴染…?ふうん……いや、私がどうこう言えることではないけれど」
「え??い、いいえ、あの!本当に隣に住んでいるだけっていうか?!」
相変わらず冷気のような怒気のような空気が三人を取り囲み、シャンイの心も冷え切っていくようだ。
(なんだかヘンな空気?!どうして私がこの状況であたふたしなければならないの?!)
「‥シャンイ、君は明日の舞踏会には参加するのかい?」
「え?‥舞踏会?」
「舞踏会は僕と行くつもりだろう?!」
(舞踏会…というと。)
そう言えば、レシアが何やら言っていたような気がする。
レシアがからむと舞踏会などというイベントごとは大ごとになってしまう為、シャンイはいつも全力で逃げていたのだった。
「良ければ、私にエスコートさせてもらえないだろうか?」
「おい!何者か知らないけど、パートナーは僕が務めることになっているんだ!そうだろう?!」
ハヴェル、アストレイ二人の視線が一斉にシャンイに集中してしまう。
「そ、そ、そんなこと言われても?!」
ブックマーク、ポイント、評価、誠にありがとうございます!!頑張ります!!
ちなみにハヴェルは序盤(第三部辺り)にしっかり登場して、侍女と駆け落ちして退場した人物です。




