考えすぎると、人は思考放棄する
「兄上!こちらに来るとは珍しい。お元気でしょうか?!」
眩しい程の爽やかな笑顔を一心に受けて、なんとなく目をそらしてしまった。
「あ、ああ…せ、精がでるな」
「ええ。ちょうど初夏に差し当たる今の季節は、薔薇にとっては大事な時期ですから。…王城の庭師に無理を言って手伝わせてもらっています」
薄青色の髪がどこからか吹いてくる風になびき、まるで憑き物が落ちたようなすっきりとした笑顔に、なんとなくあちらの世界での未来の姿を重ねる。
(薔薇が好きなのは相変わらず‥か)
ふっと笑みがこぼれるが、同時に複雑な心境でもあった。
「ひな鳥が成長した姿を見るのというはこういう気分なんだろうな…」
「?雛鳥…ですか」
「いいや、何でもない独り言だ。…そう言えば、今度の舞踏会はシスリーも主賓側だろう?」
するとシスリーは苦笑いをして目を伏せてしまった。
「いいえ、俺などには不要です。…兄上こそふさわしい淑女をお選びください。」
恐らくあちらの過去でもこのようなやりとりがあったように思えるが、シスリーの答えはあの時と変わっていない。こちらの方が投げやりではない為幾分かましということだろうか?
「‥どうしてそう、自分を落とすんだ」
「え?」
「自分など‥なんて言い方は、自分を落とすための言葉だ。まわりがどう言おうと、どう評価しようと…そんなのは結果にしか過ぎない。重要なのは自分がどうしたいか、じゃないのか?」
恐らく、あちらのままの自分であれば、シスリーに直接こうして向き合うことはなかったかもしれない。
当の本人は、思いもよらぬことを言われたせいか、きょとんとしていた。
「…それは、考えたことがなかった」
「じゃあ、いいきっかけになるんじゃないか?」
(あの頃は、自身の選択は絶対に間違いないと思い込んでいた)
選ぶ道一つ一つ、国の為…誰かの為と思い選んできた道だった。けれどもこうして思い返してみたとき、本当にそれしかなかったのだろうか?という疑問がふとよぎる。
選ぶ方と、選ばなかった方…例えば、過去の世界で選んだものとは真逆の選択…実は全て、自分が本当に選びたかったものだったのではなかったか。
自分以外の誰かの為の選択をしただけ…本当にやりたかったことを立場だのなんだのと言い訳をして選んでいなかったか?自分の心には立ち向かいもせずに。
(‥自分でも知らない内にシスにも、ディアトルにも、『役割』を押し付けていたのではないだろうか)
「‥‥まるで演劇の登場人物のようだな」
「え?」
「いや、なんとなくふと思ったんだ。皆、誰もが何かしらの役割を持っていると思っていたが、…本当は自分で勝手にそうだと思い込んでるだけかもしれないと思って。」
アストレイの質問に、シスリーは少し考えこんだようだった。
「ですが、立場だったり身分だったり‥そう言うものから生まれる役割もあるでしょう」
「だが、それに疑問を持ったら?」
「けれど誰かがやらなければならない。それが役割というものでは?」
アストレイはなんだか、弟とのこの会話が過去の自分との対話のように思えてならなかった。それに気が付いた自分自身に少しだけ驚いた。
「‥俺もそう思っていたんだが、こういう考えはどうだろう?その役割自体を変えてしまう、とか」
「役割自体を変える?」
「そうすれば、役を続けつつ、自分が積み重ねたものが消えることがないだろう?‥もしかしたら、お前と私の役割が変わっている未来‥なんていうのもあるかもしれないな」
「嫌ですよ、そんな未来。‥でも、そう言う考えは新鮮です」
そう言うと、シスリーの瞳の色が優しい翠に変わった。
時刻は夕暮れ時、日が沈む直前だった。二人の影は並んで黒く長く伸びた。
次の日はあいにくの雨だった。
天から降り落ちる光の粒をただぼんやりと見ていた。エサルエスにも雨季のようなものがあって、春の終わりの今頃に、樹木に咲いた花々と共に雨が降る。
「…心から、申し訳ないと思う。レイアトール令嬢」
舞踏会を明日に控えた前日、アストレイはオフェーリアの元へ行き、パートナ―の拒否の意を伝えた。思った通り、彼女の家紋にとっても‥もちろん彼女自身にとっても想定外の出来事だったらしく、その場にいる全員が言葉を失っている。
「そ、そんな…な なにが、どこがお気に召さぬと申されますか?!」
「うちの娘が、うちの娘が…何かしましたか?!」
ようやく事態を飲み込めたのか、レイアトール公爵はこちらに食って掛かりそうな勢いで、目が血走っているように思えた。
「…オフェーリアが悪いわけではありません。ただ、彼女にとって最善の選択だと、私は思います。‥貴方はもっと自由に生きるべきだ」
「アストレイ、さま‥」
「そんな勝手な…!!」
「お父様、もうおやめください。」
なおも身を乗り出す公爵を、オフェーリアは制した。
「…お父様、私はお父様やお母様の言う通り、レイアトールの未来の為との思いで、アストレイ様の妃候補として過ごしてまいりました。」
「ならば…!」
「ですが、アストレイ様の仰る通り、私の方こそ‥この落ちぶれた家紋の名に自由を奪われていたのかもしれません。」
オフェーリアの言葉に、ぎょっとして公爵夫妻は固まってしまった。
レイアトール家は、元は王侯貴族を排出するエステリオン家と肩を並べるほどの名門の家紋だった。王城の職に就くということはそれだけで家紋に破格の給金が支払われるのだ。しかし、ここ何代かは王城の官職にも末端のメイドさえ排出されておらず、過去には相当の財産だったものも今代ではすっかりと失われてしまった。
(レイアトールはオフェーリアに全てをかけていた‥その重圧で彼女はどこか満たされないまま妃として入城してしまったのだろう)
あちらでああなってしまったが、アストレイにとってオフェーリアは妻である以前に、同じ心を持った大切な友人だったのだ。
お互いひどく似すぎていて、まるで鏡を見ているようで…苦しかった。
「ありがとうございます、おかげですっきりしましたわ。…どうか、お見送りさせてくださいませ、アストレイ様。」
そう言って、オフェーリアは淑女らしい完璧な所作でアストレイを玄関へと誘導した。
「‥この世界でまで、私に縛られることはないよ、リーア」
「アストレイ様…?」
「いや、なんでもない。君が淹れてくれるお茶はとてもおいしかった。ありがとう」
ふわりと微笑むその姿に、否応なくオフェーリアの胸はしめつけられた。
「‥‥なんだか、どこか変わられましたね、アストレイ様」
「そうかな…いや、きっとそうなんだろう」
彼を見送り、姿が見えなくなると、オフェーリアはボロボロと涙をこぼした。
(でも、私が今までしてきたことは、‥この家紋の為であると同時に、あなたに選ばれたかったから。あなたの傍にいつまでもいたかったから‥‥それだけ、なんです)
アストレイはどこか後味の悪い気分のまま馬車に揺られていた。
相変わらず雨は降り続いて、湿気を含んだ風がさらに憂鬱さを増してゆく。
「…すまないが城に戻る前に寄りたいところがある」
「あ?はい。かしこまりました…ですが、護衛もつけておりませんが‥」
「大丈夫、馬を一頭借りるだけだ。‥少し一人になりたい、あまり遠くには行かないから…フレッドには適当に言い訳しておいてくれ」
「え?えええ?!…そんな無茶な」
泣き言をいう馬丁を説得して、金貨一枚と、事後責任を取るという条件のもとで納得してもらった。なるべく人目につかない場所で馬車から下りると、そのまま厩へと直行した。
「あ?!アストレイ殿下?!こんなところに来るとは珍しい」
人目につかないように行動していたのだが、この厩の主人は馬の飼育は天下一品で人もいいが、声が大きいのが残念なところだ。
騎馬が主流のエサルエスでは、軍馬用の厩とは別に王家御用達の厩は別にあり、ここはそちらにあたる。滅多に人が来ないとはいえ、一人でも王城関係者が来てしまえば即ばれてしまう危険を伴う。
「シーッ。なるべく誰にも見つからぬように行きたいんだ。一頭借りるよ」
「はあ、王家の皆さまはお忍びでお出かけするのも一苦労ですねえ」
気を遣ってか、声量を抑えつつ目立たない色の外套まで手渡してくれた。鞍をつけ、辺りを警戒しながら厩の主人はご丁寧に裏口まで案内してくれた。
「…なんだか随分手慣れているんだな?」
「はあ、シスリー様もよくお出かけになるんで。…っと、これは言ってはいけないんだった」
わざとらしく口をふさいだ厩の主人に、金貨を一枚渡した。
「…いや、隠れた共有情報というのは時に有効だからな。私の方もよろしく頼んだ」
「かしこまりまして」
(こいつ…これでけっこう稼いでいるんじゃないだろうか)
やはり、世界が多少変わろうともシスリーはシスリーということだろう。だが、これで万が一何か起こったとしても、互いに協力できるだろう。そんなことを思いながら、アストレイは馬を走らせた。
見れば、先ほどまで降っていた雨はいつの間にか止んでいて空には太陽の光が差し込んでいる。
整備された行路をそれ、光の差す方に向かっていくと、遥か前方に海岸が見えた。
どうせ人もいないだろう、ということで海岸に向かって走り出した。
「‥ん?先客…」
今の時節は風も冷たく海水の温度も冷たい。ということで訪れたはずのこの場所だったのだが、予想は見事に外れてしまった。
そこにいたのは、一頭の黒い馬と…風になびく銀色の髪。
細く糸のような髪を一つに束ねたその女性は静かにこちらを振り返った。
翡翠の瞳がこちらを捉える。その瞳はどこか見覚えがあるはずなのに、どうしても思い出せない。
でも、これだけはわかる。自分が探しているのはきっと。
「きみは」
そっと近づこうとすると、女性は身構えるように一歩後ずさった。
「い…っいやぁああーーーーーーーー!!!」
「えっ?!」
そして、彼女は馬を置いて走り出してしまったのだった。




