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【完結】翡翠と翆玉~九死の姫は岩乗の王に嫁ぐことになりました~  作者: いづか あい
終章・「結」 翡翠の姫と岩乗王

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円環の果てにあるもの

 深く暗い闇はその果てさえも見ることができない。うんざりする程長い廊下をただひたすら、歩き続けた。


 ――― 逃げなければ、あいつに捕まる ―――


 自分の息遣いだけが聞こえる。走っても走ってもランセの言う通り、出口など見えやしない。

 それでも走らなければ、全てが終わってしまうということをシャンイは理解していた。


「あっ…」


 突然、足元に何かが触り、転んでしまった。

 あわてて起き上がろうとすると、右足に激痛が走る。


「いっ…た‥、嘘」


 ずっと休みなく走ってきたせいで、足は既に限界に達していた。がくがくと震えている。

 立ち上がろうとしても、右足の激痛が邪魔をして思うように動けない。


(どうしよう、どうしよう…!!)


 這いずりながら、くじけそうな心と体を励まして何とか立ち上がることには成功した。が、それ以上に、足はがくがくと震え、壁にもたれかかりながらもやっとの思いで一歩を踏み出せる程度だった。


「うっ…」


 激痛に耐えかねて、よろよろとしゃがみこんでしまうが、額の汗をぬぐいながら再びたちあがる。歩き出したシャンイの足元に、うっすらと光る緑色の古びた剣のようなものが見えた。

 あまりにもこの場所にはそぐわないような豪華な銀の拵えにしばし見惚れてしまった。


「綺麗‥」


 痛みも忘れてその剣に触れると、突然まばゆい光を放つ。


「?!‥この光、見覚えがある…そうだ、これは」


 あの死の瞬間、目に焼き付いて離れなかった翡翠色の光‥‥恐らくこれで自分は殺されたのだ。

 ならば、ここは前世のフェイが命を落とした場所だろうか?


(夢の中と同じ‥)


 やがて、その光は一本の矢のような姿となり、先の見えない暗闇の向こうを指していた。

 シャンイは意を決して、その光の先に向かって歩き出した。





 ギギギギ…———

 きしむような音を立てて城壁に隠された扉が姿を現した。


「これが?」


 ヒュンライのはずれにある城壁の一角にあったこの場所は、冬にも関らず雪も積もっておらず、(しば)れて乾いた土の表面があらわになっている。


「‥一部では呪われた場所なんて言われている。夏でも草も生えなければ虫も獣も寄り付かないから。でもここは間違いなく、各間所と菱宮につながる地下行路になっているんだ。うまくいけば、逃げ出した者たちと合流できるかもしれない」


 ライはそう言うと、閂を外して扉を開いた。

 扉の向こうは階段になっており、その向こうは黒く塗りつぶしたような穴がぽっかり口を開いていた。


「菱宮まではどれくらい?」

「恐らくこの距離だから、歩いて小一時間ほど。真っすぐ伸びた道だから」


 持っていたランプに火を灯して無言で走り出すシスリーにライは従った。

 しばしの沈黙の後、ライはおもむろに口を開いた。


「…人を愛するっていうのは、すごいことだな」

「……頭でも打ったのか?」

 前を警戒しつつ呆れたようにシスリーが言った。

「シャンイとシスリーのことだよ」

 唇を尖らせながらライが言うと、シスリーはため息をついた。

「‥けれど、とても恐ろしいことだと思う。…いつかは失ってしまうと考えると、恐ろしくて足がすくんでしまう」

「いつかは失うって…そんな先のこと考えた所で仕方がないだろう。重要なのは今、だろう?」

「兄も、母も‥あっさりいなくなった。死ぬはずがない、生きているに決まっていると思っていたはずの人が…本当に簡単に、消えてしまう。それがどうしても抗えない運命だと…彼女が消えて思い知った」


 シスリーは自分でも随分弱気だ、と思う。

 恐らく、彼女と出会う前の自分なら考えもしなかったはずだ。


(俺はいつか消えるものだと。本当にそう思っていた。でも、今は絶対に嫌だ…!)


 かけがえのないものを得るということは、同時に失う恐怖と対峙することになる。それはどうしたって一人きりでは乗り越えることができない大きな魔物だということを、初めて知った。


「シスリー…時間というのは、残酷だけど、優しいんだ」

「え?」

「去っていた人間のことを、どうしたって人は忘れてしまう。どれだけ哀しくても、苦しくても‥忘れてしまうものなんだ。それはその時の痛みも同じだ」

 意外なライの言葉に、半ば驚いてライを見た。

「なんだよ。その目は。…俺は、子供の頃に母を亡くした。あの頃は何も知らなくて、母が全てで…死んでしまった時、本当に悲しかった」


(―――…わかるよ)


 言葉には出さずとも、シスリーにも思い当たる感情だった。


「でもさ、実はもうほとんど思い出せない。‥辛いこともあったはずなのに、今はもう綺麗な思い出しかない。なぜかっていうと、その悲しみ以上に楽しいことや面白いこと、やらなきゃいけないことがどんどん目の前に落ちてくる。そしたらどんどん忘れて、上書きされていくんだ」

「上書き‥される」

 ライは力強く頷く。

「だから、シャンイを見つけて取り戻して、これからたくさん良いことを探せばいい。きっとだからこそ今この瞬間が大切なんだろう」

「…ライ」


 ――願掛けをしませんか?苦手なことの克服でも、かなえたいことでも。


 急にシャンイの言葉を思い出す。ただ、今は一つだけ。

(かなえたいこと‥君がいればそれでいい)

「君に、逢いたい、シャンイ…」

 心からそう、強く願った瞬間。腰に帯びた剣が光りだした。

「?!あ、シスリー!!」

 ライの声が遠く聞こえるが、あまりにも強烈な光に眼を閉じてしまった。



 ただ、光の示す方向に向かって歩いていたシャンイは、突然背後から強い力で髪を引っ張られてしまう。

「!!」

「逃げられると思うのか?!」

 ランセの白い顔が浮かぶ。サファイアの瞳がシャンイを捉えると、全身の力が抜けていくようだった。


(また、これ…!)


 ランセの眼力には魔力でもあるのだろうか?何とか抗うがびくともしない。たまりかねて持っていた古びた剣で自身の髪を切り捨てると、同時に体に力が戻るのを感じた。ばらばらと霧のように舞う銀色の髪の合間を縫って振り向きざま、剣を力任せにふるう。するとランセは何かに怯えるように後ずさった。


「…ッ!?何故それがここにある?!」


思った以上の反応にシャンイは一瞬身じろいだ。その隙を狙って、今度はランセが持っていた杖で猛烈な一撃をシャンイの剣に当て、はじいた。


「‥え‥!きゃああ!」


 ビィィイイ‥‥ンと、はじかれた手がしびれるように痛む。


「‥ッく‥!」

「その鏡!その剣!!」


 ランセは猛るように吠えると、シャンイの身体ごと壁に打ち付けた。

(目を見たらまた動けなくなる!)

 ぎゅっと目を瞑るのだが、不快な感触が首筋をなぞる。


「逃げられると思うな‥お前は私のもの‥永遠に私と共にあり続けるんだ」


 耳元でささやかれる声に、全身が強張る。


「何…ッで!そうまでして‥!もう放っておいてよ!!」

「何故私のものにならない?!私は一人だ!孤独だ!!長い間‥お前を追いかけ、この国の滅亡と再生をいやというほど見せられた…いつの時間も、どの世界も!!記憶の全てを私は抱えてただひたすらに追いかけた…!」

まるで縋るように哀願するように叫ぶ声は、ひどく恐ろしい呪詛のようにも聞こえる。

「いっ‥や、よ!!絶対に嫌!!!!シスリー!!!助けて!!」

 次の瞬間、目を瞑っていてもわかるほどのまばゆい光を感じた。


「シャンイ!!!」

「なっ‥!」


 ガキィン!!と強烈な金属音が鳴り響くと、がんじがらめになっていた身体は解放された。

「ッ…う」

 よろけた身体を力強いものがしっかりと包み込むと、心から待ちかねていた大切な彼の声が頭上に降り注ぎ、シャンイは夢をみているのかと疑った。


「シャンイ‥!シャンイ!」

 目の前に飛び込んできたのは、泣きそうな表情。優しい翆玉の瞳が揺れている。

「あ‥し、シスリー…?‥っく、くるし」


 力の限り抱きしめられて息もできない。やがてシャンイの額に優しい口づけが落とされ、夢ではないという事を実感できた。


「う…そ。ど して」

「しっかり掴まって」


 そう言うと、シスリーはバッと後方に跳ぶ。二人がいた場所に剣閃が煌めくと、ランセが続けざまに剣戟を当ててきた。


「何故ここに居る…!!彼女は私のものだ!!返せ!!!」


 怒りと嫉妬に燃える歪んだサファイアの瞳を受け、シスリーはにやりと笑った。


「その顔。…ディアトルの、感情をあらわにしたそういう表情を見ることができる日が来るとはな。思えば、ディアトルはいつもどこか空虚な瞳であらゆるものを見ていた。‥お前のせいだったんだな」

 シャンイを抱きかかえたまま、すっと剣を構える。


「シ、シス!私を降ろして。邪魔になっちゃう‥」

 降りようとするシャンイを軽がると片手で持ち上げると、ふわりと地面に立たせ、短いキスをした。

「俺には女神の祝福があるから、絶対に負けない。‥そこで待ってて」

「…うん、待ってる」

 後方に下がったのを確認してから、シスリーは目の前の敵と対峙した。

「全く負ける気がしないな…お前とシャンイをつなぐ円環とやら‥俺が断ち切ってやる」



 走り続けること、恐らく半刻程。

 いきなり煙のように消え失せたシスリーは放っておいて、ライはそのまま真っすぐ道なりに進んだ。

「一体なにがどうなっているかわからないが‥そろそろだな」

 出口が見えた。そう思った瞬間、目の前に鋭い殺気を感じた。

「!!!」

 危険を察知して剣を持って構え、前を見据えた。

「やはり、この道を使ったか、ライ」

「!…お前は、ソウマ!!」

 ライの目の前に、剣を構えたソウマが立ちはだかった。その瞳は強い決意の色が見え、迷いがないように見えた。

「ここで、終わりにしよう。…リオウは俺が討った。だから、皇帝継承の権は俺にある!!」

「‥ソウマ‥」

「さあ、剣を抜け。…この国が欲しいというなら、俺を倒すことだ!」



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