始まりの場所
――あなたの役割は分かっているわね。
――はい、母様。僕は宝鏡を守り、正しき皇帝にそれを渡します。もし、誤ったものがその宝鏡を手にしようとしたら…僕が殺します。
幼い頃、母親から与えられたのは暖かいぬくもりでもなく、優しい言葉でもなかった。
「随分と、苦しそうですね」
謁見の間に入ると、誰もいない玉座の前で、リオウが座っていた。服から覗かれる白い部分にところどころ斑点が見える。風病の悪化が原因だった。
「ソウマ‥何をしに来た」
「最後にあなたにご挨拶をと思って」
「最後…くく、最後、か」
自嘲するような笑みを浮かべるリオウにソウマは顔をしかめた。
「情けない。…力を求めて、あんな化け物と契約したばかりに‥‥」
「だが、玉座は得た、皇帝の座も得た!!…こうなったのは私の力ではなく、色々な要因が重なったものだ」
「要因は確かに少なからずはあるでしょう。でも、この事態を招いて収拾できなかったのは誰のせいでもないあなたのせいだろう」
「‥‥」
リオウは答えない。暗く濁った瞳は全てを物語っているようだった。
「遠く、ヴァルカンクの力を借りて、ライがもうヒュンライに到着したようです。ここまで来るのは時間の問題でしょう」
「フン、いずれ奴らもこの病に侵されることだろう…誰も、誰もこの玉座に座ることはない」
「‥本当に、何も知らないのですね」
静かに首を左右に振った。
「何?」
「この風病は、彼の国ですでに一度流行したもの…対策も薬も全て、エサルエスに最初から助力を頼めば、ここまで蔓延することはなかったでしょうに。‥貴方が国の内乱ばかりに目を奪われた結果がこれです」
思わずリオウは立ち上がり、眼を見開いた。
「そんな、ことは誰の一人も…」
「あなたが殺してしまったのでしょう。異を唱える者は全て斬り捨て、対策を行っていた前皇帝の官吏さえ全て炎と共に燃やしてしまった!!!それでは飽き足らず、妻も妾もすべてその手にかけた」
あの日、太陽宮は業火の炎に包まれ、全てが塵となった。
「…この時点で、あなたの敗北は決定的だったのです」
先代の皇帝は無類の女好きで、手あたり次第に妾を作っては子をはらませた。そして、宝鏡を守る一族の娘もまた、犠牲になってしまう。だが、いつしかその娘は妾から正室に上がった瞬間【贅沢】という病に蝕まれどんどん変わり果ててしまった。
浪費…その結果が今回の一連の継承戦争を引き起こしたきっかけになったのだ。
そんな母を持つソウマにとって、幼年時代は孤独そのものだった。
しかし、年もさほど離れていなかったソウマの面倒をリオウはよく見ていた。ソウマにとって、リオウが大切な兄であることに変わりはないのだ。
リオウならば同時に民を導き、政にも精を出し、間違いなく良き皇帝となれるだろう。そう思っていた。
(だが強く、光り輝いてたあなたは居なくなってしまった)
ソウマは手に持っていた剣を鞘から抜くと、リオウは青白く光る刃をただただ呆然と見つめていた。
「せめて、皇帝のまま…この謁見の間で、地獄へ旅立たれませ」
「‥お前が私を殺すのか。ライではなく、ランセでもなく…お前が」
「‥あなたが以前のような、変わらぬ兄上であったのなら…私はこの身を賭してあなたに付き従った。それなのに、‥‥残念です」
ソウマはそれだけ呟くと、持っていた剣を振り下ろした。
時折悲鳴のような音が風に混じって伝わってくる。
松明の灯を頼りにシャンイは闇の中を突き進んでいく。
「変だわ…もうどれくらい歩いたかわからないのに、一向に出口が見えない」
ソウマは真っすぐ歩けばいずれ外に出られる。そう言っていたはずなのに。
この菱宮はここまでの広さがあったのだろうか?
(方向的にも、こっちで本当にあっているのよね?)
今まで歩いていた道に曲がり角はおろか、湾曲したような道もなかった筈だった。
時間の感覚はおかしくなっているのか、小一刻歩いていたような、まだ半刻も経っていないような…そんな気になってしまう。
(それにしても、季節は冬なのに、寒くもないしお腹もすかない…何がどうなっているの?)
ふと、言いようもない不安がよぎった時。
闇の向こうで微かに何かの音が聞こえた。
「なに…?だれかいるの?」
少しだけ歩みを早めると、闇の向こうの音は誰かの足音だということが分かった。
(嘘?何でここに人がいるの?!もしかして‥‥)
一番願うのは、大切なあの人の姿、‥最悪なのは、ランセだろう。
慎重に、なるべく音を立てずに進んでいくと‥突如甲高い悲鳴が地下行路全体に響いてきた。
「……なに?!」
恐る恐る進んでいくと、水たまりのようなものが行き当たった。
そっと足元を松明で照らすと‥それは誰の者かはわからないが赤い液体だった。そして闇の中照らされたのは…見覚えのある黒髪、そして見慣れた白い顔。
「ひっ…」
それは紛れもなく過去のもう一人の「私」、フェイの姿だった。
かっと見開いたガラス玉のような翡翠の瞳はこちらを見ているようだ。力なく横たわる白い腕は細く、まるで人形のようだった。そして…目の前に立つもう一人の姿。
その姿はどこか見覚えがあるような気がするが、どうしても思い出せない。
「やあ…また会えるなんて、嬉しいなあ。性懲りもなく私の前にまた現れるとは…いいなあ、今度の君は、香妃と同じ美しい銀色の髪に翡翠の瞳なんだ…まるであの頃の君が戻ってきてくれたようだ」
逆光で姿がよく見えない。だが、身体の底から何かが這うような、そんな寒気を感じる。
「な、なんで…どうして!ここは‥何?今のあなたの姿は‥‥っ」
「香妃‥怖がらないで、また円環の中に戻るだけだ。二人で一緒に永遠の夢を見よう」
(香妃?誰よそれ…?!)
シャンイの目の前に彼の腕が伸びてきた。だが、その手がシャンイの首かかる宝鏡に映し出された。次の瞬間、まばゆい光に包まれた。
「っは…!!」
ざらり、とした固く冷たいものが手に触れると、シャンイは跳び起きた。
ゆっくりと呼吸を整え、辺りに首を巡らせる。相変わらずのかび臭い空気と、一点の光もない暗闇の世界。
ふと、自分の手元を見ると、手元にあったランプの灯は今にも消えそうだった。
あわてて予備の松明に近づけると、周りは再び明るく照らし出された。
「ゆ、夢。幻覚?…なんなの、勝手に眠るなんて、あり得る?」
気が付かないうちに眠ってしまったのだろうか?
「香妃…って誰だろう…」
先ほどの夢が真実かどうかなんてわからない。けれども、何か重要な意味がありそうな気がした。
(えーとしゃん・・ふぇい??)
「‥香妃は、遠い昔の君の名前。…全ての始まりのきっかけ」
全身の身体の血の気が引くようだった。
聞きたくなかった、今、一番会いたくない、会ってはいけない人物
「…ランセ」
「ここは、次元が歪んでいるんだ。いくら歩いても、出口なんて見つかりっこない」
「次元が歪むって…どういうこと?」
首筋に汗が浮かび上がる。じりじりと後ずさりをしていくと、固い岩肌の壁に当たった。
「…ここは一度は入ったら出られない、時空の迷宮だ」
ランセは手を伸ばすが、シャンイは辛うじてそれを避け、力の限り走り出した。
**
「‥ん?なんだあれ」
ヒュンライの見張り台を見ていた兵士の一人が声をあげた。見れば、菱宮の方から灰色の煙のようなものが立ち込めていた。
「どうした?」
「いや…何だろう、あれ…」
風に乗って焦げ臭い匂いが漂い始めると、別の兵士が「あっ」と叫んだ。
「菱宮が…燃えている。誰か―――!!ジュン将軍を!ライ皇子殿下を呼んで来い!!!」
最初は黒い煙だったものが、徐々に赤黒く煙もどんどん大きくなっていく。そして、瞬く間に炎の柱は天に向かって高く昇るようにごうごうと燃え盛った。
菱都に続く大門が開け放たれると、既に人々は雑然として、混乱し始めていた。
「おい?!どういうことだよ!!」
「わからない!!わからないけど…!月宮が燃えている!!!」
バタバタと騒がしい音に気が付き、ライやシスリー、双子たちも外に出る。
「燃えている‥?!」
「行くぞ、ライ」
さっと顔色を変えたシスリーが走り出そうとすると、その腕をライが掴んだ。
「?!」
「こっちにこい!上から行ったんじゃあ人ごみに逆流することになる‥地下公道を使え!!」
「地下公道?」
「説明している暇はない。ジュン将軍、都の民の非難の誘導を頼む!恐らく後発隊が来るから、人手はそれで賄えるはずだ!双子はそのままジュン将軍の指示に…街を頼む!!おい、馬を貸せ!!」
テキパキと指示を出すと、ライはシスリーと共に馬に乗って駆け出した。
「シスリー!!気を付けてね!!」
「よし、ゲイヴリル、私達も将軍を手伝おう!!」
**
その頃、第二の関所『フロウ』では、ミュリエルが菱の民の配膳にあたっていた。
「さあ、ゆっくり食べてくださいね」
一人一人に声をかけていると、向こうからジャネットが血相を変えて走ってきた。
「ミュリエル様!」
「ジャネット?」
「菱都の方から火が上がっているらしい…!‥詳細は確認できませんが、シス様たちがいる筈です」
「…!‥そんな、すぐに‥」
ミュリエルはすぐさま動こうとして、ピタリと足を止めた。
(今から準備をしていったとして、何ができる?ここからだったら、ヒュンライに到着するには雪がない状態で半日の道のりだと聞く‥でも今の季節だったら)
「ねえ!菱都につながる道は地上のルートしかないのかしら?」
ミュリエルは、配膳を求めて並ぶ者たちに向かって叫んだ。だが、異国の聞きなれない言葉に皆キョトンとするばかりだった。貴族以上に身分でない限り、公用語を使える者は少ない。
(そうだったわ…全員が公用語を使えるわけじゃない…ああ、私ももっと練習しておくべきだった!)
しかし、隣にいたジャネットが何事か民衆に向かって叫んだ。
「?!」
ジャネットの呼びかけに幾人が反応を見せる。
「殿下、どうやら地下通路があるっぽいらしいです。詳しくはここの関守が知っているらしいですよ」
「…すごい、ジャネットは菱の言葉もしゃべれるの?」
「船内で暇だったんで。言語が通じるともっと面白そうだったから、教えてもらいました」
ジャネットはニカッと歯を見せて笑った。
「ラジエル様の所に行きましょう!」
ラジエルの元には、文官らしき男が数人、なにやら深刻そうに話し合っている。
「ラジエル総督!」
「ミュリエル殿下、ちょうどよかった。この者はフロウの関守です。お伝えしたい話があると」
「…?」
「‥菱都で火災が起きているようです。おそらく混乱は必至でしょう。なので、地下に続く公道への扉を開こうと思います」
関守の言葉に、ミュリエルとジャネットは顔を見合わせた。
「私達もそれについてうかがおうと思っていました!」
あと二話です。見切り発車は…もうやめます( ;∀;)
見ていただければ幸いです




