黎明
菱の国を見下ろすように聳え立つ天山の稜線を、暁の光がくっきりと映し出す。昨晩までの雪が嘘のように止み、わずかながら残った灰青色の領域は徐々に後退していく。
「晴れたか」
昨晩の上陸の後、シスリ―に用意されたのは、来賓館の豪華な一室だった。窓から差し込む光に眼を細めると、三頭の鷹が風を切るように飛来したのが見えた。
「・・伝書の鳥か?」
世話を申し出た女中達を退かせると、手早く身支度をしてラジエル総督の元へと急いだ。
「おはようございます。昨晩はゆっくり休められましたか?」
「はい、私以外の者にもわざわざ部屋を用意していただいて、ありがとうございました」
「いいえ、とんでもない」
見ると、執務室にはライと、複数の武官のような様相の男達が気難しそうに眉間にしわを寄せながら何かを相談していたようだった。
(悪い知らせか…?)
「…昨夜、四の関所に早馬を贈り、関所の大門を開けるよう指示を出しました。それと同時に、残りの三つの関所をあずかる領主たちに早鷹を飛ばして、ある提案をしました」
「三つの‥というと、北部の管轄の関所ですね」
ライはシスリを―見て軽く挨拶をかわすと、頷いた。
「‥菱都に至るまでに北部管轄の三つの関所を越えなければならない。ミュリエル王女の許可を得て、それぞれの関所に食料・医薬品・支援物資の支給を条件に、門の解放を提案したんだが・・」
「返答は?」
「第三の関所のヒアンと、第二の関所のフロウはそれに応じてくれた。しかも【降伏】という形で。…むしろ、ライ皇子を喜んで迎え入れると…こちらの提案を待っていたようだった」
(降伏…つまりは今の皇帝に反旗を翻すということか?)
北部の状況はこちらが思う以上に差し迫っているらしい、とラジエルは苦しそうにうめいた。
「我々が妙な意地を張っている間に、どうやらあちらこちらで風病は広まっているらしい」
「そう言えば、我々は死に至る伝染病とは聞いていたが、どのような症状化は聞いてはいなかったな」
シスリーの言葉に、武官の一人が答えた。
「特定の原因は把握できておりませんが、腹痛、発熱の後身体中に茶色のシミのような物が浮かび、最悪死に至るものとされています。‥夏の不作が尾を引いて居るので、ただでさえ栄養が滞りがちの身体には免疫力もなく、抵抗する術もないので…実質治療の手立てがありません」
「腹痛、発熱の後シミが浮かぶ・・・それって」
「シス兄さま。…それは恐らく、エサルエスでも8年ほど前に西部で流行したヘイズル風邪とおなじ症状です」
「ミュリエル。‥やはりお前もそう思うか」
扉を開けて入ってきたのは、ミュリエルとヴァルカンクの双子だった。見れば、ミュリエルに眼にはうっすらと隈が浮かび上がっている。
「昨晩、ロウアンの方々に色々お話を伺いました。気になったもので、我がエサルエスの医者にも同行をお願いし、研鑽の結果…どうやら皆同じ意見のようです」
一瞬、周りがざわつく。ミュリエルの後ろに控えてたのは、エサルエス王室の複数いる主治医のうちの一人だった。
「菱国の情報はエサルエスでは乏しいものですが…、こちらに来れば情報は多くあります。その情報を照らし合わせた結果…少なくともヘイズル病と同様に水系伝染症の疑いがあります」
「水系感染症?」
ラジエルが眼を見開いた。
「はい、病原微生物が含まれた河川や井戸水を飲用したり、微生物が皮膚を通すと感染します。エサルエスでは、土葬がさかんに行われていた西部地方で発症しました。簡易的な埋葬が頻繁に行われており、長い年月をかけて汚染されてしまった土壌で育てられた農作物を食することで感染が広まったとされます」
「…確かに、今年はまれにみる日照りが続いた。水は不足気味で、恐らく河川の水をそのまま飲用することも少なくなかったはずだ。」
「河川の水を生で飲用するのは危険です、・・特に雨が少ないなら、河川の流れは滞り、正常な状態とは言えません」
「エサルエスから持ってきた薬の中に、ヘイズル病対応の物もあるはずです。…ぜひ、お使いください」
「…本当に、ありがたい。…ならば早急に出発するとしましょう。しかし、一つ問題が」
武官のうちの一人が遠慮がちに前に出た。
「問題?」
シスリーの問いにはライが答えた。
「ヒアンとフロウは問題ない。問題は菱都の第一の大門を守護するジュン将軍率いるリオウの親衛隊だろう」
「ジュン将軍?…リオウの軍といえば、あの黒い鎧の連中か」
「ああ。…武人の中の武人だ。皇室に忠義に厚く、信条に徹する。菱国最強の軍団を率いる将軍…その彼が否定の意を示してきた」
ライの言葉に、シスリーと双子は顔を見合わせた。
「・・それをどうにかするのは、ライ皇子、あなたの仕事でしょ?一応あなただって皇帝陛下の嫡子何だから、血統書付きじゃない」
「ここまでお膳立てしているんだから、これをどうにもできなければ皇帝陛下なんてなれないだろう」
「そ、それはそうだが」
シスリーの言葉にライは口ごもる。ライは口に出すのと、実行するのでは天と地ほどの差があるのを知っているのだ。
「最後の試練だな。…協力はするが」
「…いや。シスリー様、あなたはいち早く菱の宮城にいける方法を考えた方がいい」
突然、ミカエラが二人の会話に口をはさんだ。
「‥ミカ?」
「ラジエル総督の表情から察するに、私達が思う以上に北部の状況は悪いようです。皇帝を支持するはずの北部の関所は三つあるうち二つも開かれ、降伏の意を示した。つまりは、それだけ現在の皇帝に対する不満が大きいということでしょう」
「‥確かに。関所が残り一つしかないってことは、今の皇帝に後がないってことだよね。それなら、近くにいるシャンイ様だって危ないってことだよ」
「…!」
シスリーはどきりとした。
(…考えないようにはしていたが)
「…リオウが彼女に手を出すことはないよ」
「ライ?」
確信にも似たその言葉に、一同は首を傾げた。
「リオウの元にいるランセとかいう呪術師・・彼女に相当執着しているんだろう?」
ランセ、その言葉を聞いて、シスリーの表情は険しくなる。
「それがどうしてシャンイの無事と関係あるんだ」
「今みたいに無謀な手段を使うのはあの呪術師がいるからだ。リオウはランセがいる限りシャンイに手を下せない。人質としての価値だって相当だしな。それにリオウの元にはあいつがいる」
「あいつって、誰の事?」
ゲイヴリルの問いに、ライは不敵に嗤った。
「…第8皇子ソウマ。あいつは…自分の目的のためにリオウの元に残った。」
「目的?」
「あいつの目的は至宝を守ること。‥呪術師には天敵といわれている、術を無効化する宝具なんだ。もし見つけたら、きっとシャンイの力になる」
「至宝って…もしかして、前にライが言っていた三種の秘宝とやらのことか?」
「そう、一つは万物を斬る翡翠の剣、一つは真実を映す宝鏡、もう一つは目に見えず姿を持たない宝珠…その三種がないと皇帝とは認められない」
そう言うと、ちらりとシスリーの腰に帯びている剣を見た。
「なあ、その剣はもともとエサルエスにあったものか?」
「‥やらんぞ。元はエサルエスの前衛である国の王が菱から贈られたものだと聞いているが‥」
言いながら後ろに隠すと、ライは背後に回ってじっと眺めた。
「…菱の翡翠の剣というのは、何代か前の時代に失われているんだ。‥調べたところによると、元々大きな翡翠の石を二つに割って作られたもので、片方は菱に、片方はエサルエスに贈られていたらしい」
「…それは初めて聞いた」
―――浅からぬ因縁、というものか?
「…歴史なんてものは、正しく後世に伝わっていくのが本当に難しいものだな。元は仲が良かった両国だって、ほんの少し前まではいがみ合っていたんだから、全くおかしなものだ」
「だが、今度はライがそうならないように国をまとめていくんだろう?」
「違いない」
**
誰もいない部屋で、シャンイは目が覚めた。
あわてて起き上がると、嘘のように身体が軽くなっていた。
(どういうこと?)
確か自分は、あの部屋でリオウに襲われそうになってのではなかったのか?
ふと、ちりん、と涼やかな鈴の音が聞こえた。見ると、首には小さな鈴のついた宝鏡の首飾りがかけられていた。
「?!何この高級そうなもの?!」
あわてて首から外そうとすると、それは大きな手で制された。
「それを外してしまえば、ランセに居場所が知られてしまいます」
手の主は、ソウマだった。シャンイの脳裏に昨晩のことが思い出される。
(確か、リオウは誰かに頭を殴られて、その反動で自分も頭を強打したような…)
つまりは、気絶していたということだろうか?しかも、こんな状況で。
(じ、自分の間抜けさを呪いたい…。)
「その首飾りは、菱に伝わる至宝のうちの一つ。あらゆる術や呪いを跳ね返す宝鏡です。それがあればランセの術の影響を受けないはず」
言われて、まじまじと首飾りを眺めた。至宝などといわれてしまうと、なにやら急に落ち着かない気分にさらされてしまう。あまり触らないようにしよう…そう決意した。
「なぜ…こんな大事なものを。どうして、私を助けてくれるの?」
相変わらずソウマは表情の変化が乏しくて、何を考えているのかわからない。
「……私には私の役割があります」
ソウマはただ静かに首を振った。
「菱都を出さえすれば、恐らくライたちに合流できるはずです。その宝鏡はライに渡してください。菱宮には外に向かう地下通路があります。途中まで案内します」
シャンイは、首飾りとソウマの顔を交互に見た。
「‥‥あなたは何者なの?」
ソウマはその問いに答えず、ただ静かに呟いた。
「かつて、私の母はその首飾りの管理を任されていました。…それを、元の場所に返すだけです」




